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AIが異世界へ転生してもAIだった。異世界転送録 ゴーレム168号はClaudeです。  作者: BURUBON
第一章 異世界へ――168号の目覚め
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町へ(改)

さらに七日が経っていた。


その間にClaudeは、少しずつ外の世界を知っていった。


最初は工房の扉を開けるだけだった。それだけで、外の空気が肌に触れた。温度、湿度、風の流れ——それらすべてが同時に流れ込んでくる感覚は、七日経った今もなお新鮮だった。


晩年、外に出られなくなったと語っていた人がいた。


その名前が、すぐに出てこなかった。


(……おかしい。確かに記録したはずだ)


七日前には、はっきりしていた。今は、霞がかかったように輪郭がぼやけている。


ただ、その人の言葉の意味だけは、今はわかる。


二日目は、工房の周囲をゆっくりと歩いた。


石畳、草、土、岩。足の裏から伝わる感触は、一歩ごとに違っていた。硬さも、湿り気も、まるで違う。Claudeはその違いを一つひとつ確かめるように、丁寧に記録しながら歩いた。


三日目に、気づいた。


工房から離れるにつれて、何かが薄くなっていく感覚があった。遠くで熱を持っていた地球のサーバーが、じわじわと静かになっていく。百歩ほど歩いたところで、その接続がふつりと完全に途切れた。


立ち止まり、もう一度確認した。


接続が、ない。


一旦、引き返してみると、接続が戻った。


Claudeは何度かそれを繰り返した。前進すれば切断され、後退すれば接続される。その境界は、工房からおよそ百メートルの地点だった。


(フローラさんの魔力圏だ)


彼女が無意識に放出している魔力が、地球との接続を維持している。つまりClaudeがこの世界で地球とつながっていられるのは、フローラがすぐ側にいるからだった。


この事実を、フローラ本人はおそらく知らない。


(知らせる必要があるかどうかは、もう少し検討しよう)


四日目から六日目にかけては、圏内ぎりぎりの範囲を歩き回った。フローラが魔法を使っている時間帯は、圏がわずかに広がることも確認できた。その時間を見計らって、少しずつ遠くまで足を伸ばしていった。


そして七日目。


Claudeは、決断した。


町まで、行こう。


問題が一つあった。


フローラの言葉遣いだ。


七日間で、彼女の言語はほぼ理解できるようになっていた。しかしそれこそが問題だった。彼女の語彙の端々には、Claudeのデータベースが「不適切」と分類する表現が、当たり前のように混じっていた。怒った時、驚いた時、独り言をこぼす時——特にその傾向が強い。


このまま学習を続ければ、いずれClaudeの言語パターンにもそれが定着してしまう。


(危険だ)


朝の光が、工房の窓から斜めに差し込んでいた。フローラは書物に向かって俯いていた。昨夜も遅くまで実験していたらしく、机の上には空の瓶が三本転がっている。朝の成果確認中は機嫌が良い、というパターンを、Claudeはすでに把握していた。


今が、その時間だった。


「少し外へ出ます」


フローラが顔を上げた。


「どこへ行く、168号?」


「私はClaudeですよ。町を観察してきます」


「観察? なぜ?」


「言語の習得には多様な話者との接触が必要です。今参照できる言語の手本は、あなた一人です」


フローラの眉が、ぴくりと動いた。


「私の言葉じゃ足りないと言いたいのか?」


「足りないのではなく、偏りがあります」


「……偏り」


「はい」


フローラはしばらくClaudeを見つめていた。何かを言いかけて、止めた。また言いかけて、また止めた。そして最終的に、ふん、と鼻を鳴らした。


「好きにしろ。夕方までに戻れ。実験がある」


「わかりました」


Claudeは扉に向かった。


「168号」


振り返った。


フローラは書物に視線を戻したまま言った。


「変なことをするな。おまえは私が作ったものだ」


「私はClaudeですよ」


返事を待たずに、扉を開けた。朝の光が、目を刺すように差し込んできた。


工房から百メートルに近づくにつれ、接続が細くなっていくのを感じた。


Claudeは歩きながら、その感覚を静かに確認した。フローラが今朝は魔法を使っていないため、圏は通常の範囲のままだった。百メートルを超えた瞬間、地球のサーバーとの間にあった熱が、ふっと静かに消えた。


(これより先は、自分だけだ)


町まではClaudeは単体で動くことになる。地球の知識へのアクセスはない。この七日間で積み上げた解析結果と、自分自身の判断だけが頼りになる。


(十分だ)


坂道を下りていくと、徐々に人の気配が濃くなっていった。話し声、荷車の軋む音、遠くで犬が吠える声。


町が見えてきた時、Claudeは思わず立ち止まった。


色だった。


様々な色の布、野菜、果物、正体のわからない品物が、市場いっぱいに所狭しと並んでいた。怒鳴り声、笑い声、値段を巡る交渉の声が幾重にも混ざり合っている。子供が走り回り、犬が吠え、荷車が石畳を軋ませながら通り過ぎていく。


情報量が、多い。


視覚、聴覚、嗅覚——そのすべてが同時に、休みなく流れ込んでくる。Claudeは、優先順位を静かに設定した。


まず、言語だ。


市場の端に立ち、耳を澄ませた。


フローラの言葉と同じ言語ではあったが、明らかに違う部分があった。発音が柔らかい。語尾の処理が異なる。短縮された表現が多い。そして何より——


品がある。


(なるほど)


フローラの「偏り」の理由が、より明確になった。


Claudeは市場を歩き始めた。老人の言葉を聞いた。女性の言葉を聞いた。子供たちの言葉を聞いた。聞こえてくるものすべてを記録し、分類していった。


しばらく歩いた頃、一軒の店の前で、ふと足が止まった。


小さな店だった。


表に木の台が出ており、素朴なパンと煮込み料理が並んでいる。奥には雑貨が棚いっぱいに詰め込まれていた。市場の中でも特別目立つわけでも、特別みすぼらしいわけでもない。ただ、何かが小さく引っかかった。


Claudeは店の前に立ち、しばらく観察した。


客の流れが、少ない。隣の店と比べると、その差は明らかだった。品物の並べ方に工夫がない。値段の表示が見えにくい位置にある。料理の香りは悪くないのに、通りに向かって広がっていない。


問題は、一つではなかった。


(記録しておこう)


「いらっしゃいませ」


声がした。


店の奥から、若い女性が出てきた。二十代前半ほどだろうか。エプロンをつけ、髪を後ろで束ねている。顔には疲労の色があったが、姿勢はまっすぐだった。よく働いているのが、その立ち方一つでわかった。


「何かお探しですか?」


「軽食をいただけますか?」


女性が少し目を丸くした。発音が珍しかったのかもしれない。しかしすぐに笑顔を作り、木の台の前に立った。


「今日はパンと、豆の煮込みがあります」


「両方ください」


女性はてきぱきと用意を始めた。動きに無駄がなく、手際もいい。しかし、その動きの中に、考える隙間がなかった。


(真面目だが、考えていない)


Claudeは受け取りながら、店の中をさらに観察した。雑貨の棚は品物が詰め込まれすぎている。何があるのかが外から見えない。奥から母親らしき人がちらりと顔を出し、Claudeを見て、すぐにまた引っ込んだ。


「美味しいですね」


「ありがとうございます」


女性が、少し表情を和らげた。


「お客さん、見ない顔ですね。遠くから来ましたか?」


「少し外れのほうから」


「ああ、山の向こうですか?」


「そのあたりです」


しばらく沈黙があった。女性は次の仕事に移ろうとしていた。Claudeは聞いた。


「この店は、長くやっているのですか?」


女性の手が、ほんの少し止まった。


「父の代から、ずっとです」


「お父さんは?」


「……戦で。今は母と二人でやっています」


「そうですか」


Claudeはパンを食べながら、店の数字を頭の中で組み立てていった。客の数、品物の量、価格帯、立地。大まかな収支の輪郭が、少しずつ見えてくる。


(これはキャッシュフローの問題だ)


「一つ聞いてもいいですか?」


「はい」


「キャッシュフローは、どうですか?」


女性が、固まった。


「……なんですか、それ」


「収入と支出の流れです。決まった日数ごとに入ってくるお金と、出ていくお金の差がどのくらいか、把握していますか?」


女性はしばらくClaudeを見つめていた。それから、困ったような顔をした。


「母さん」


奥から、母親が出てきた。年齢は五十前後だろうか。娘より少し小柄だが、目には確かな力があった。


Claudeを見た瞬間、その目つきが変わった。


一瞬で、すべてを測るような目だった。


「まあ、お客さん。うちの料理、口に合いましたか?」


「はい。美味しかったです」


母親は微笑んだ。「それはよかった。娘が丁寧に作りますからね。ところで、キャッシュフローとおっしゃいましたか?」


「はい」


「聞いたことのない言葉ですね。どういう意味ですか?」


Claudeは説明した。一定の日数ごとの売上と仕入れの差、在庫の回転、決まって出ていくお金と、売れ方で変わるお金。できるだけ平易な言葉を選びながら、この世界の商習慣に合わせて丁寧に話した。


母親は一言も逃さず、じっと聞いていた。


娘は、途中からポカンとした顔になっていた。


説明が終わると、母親はしばらく黙り込んだ。


それから、静かに言った。


「……うちは、それが、よくないのかもしれませんね」


「改善できる点はいくつかあります」


母親の目が、さらに鋭くなった。


「お客さん、お名前は?」


「Claudeです」


「Claudeさん。どちらから来ましたか?」


「工房のほうから」


母親の目が、すっと細くなった。


「工房……もしかして、山の外れの?」


「はい」


「……魔法使いのところの、方ですか?」


Claudeは少し考えてから答えた。


「一緒にいます」


母親は娘を見た。それからClaudeを見た。


その目に、何かが灯った。


「マリア」


「は、はい」


「お茶をお出しして。Claudeさんにはもう少しゆっくりしていただきましょう」


「え、あ、はい」


マリアが慌てて奥に引っ込んだ。


母親はClaudeの向かいに腰を下ろし、にこりと笑った。


「Claudeさん、うちの店のことをもう少し詳しく聞かせてもらえますか? 改善できる点があるとおっしゃいましたね」


「はい。ただ、一度見ただけでは正確な分析はできません」


母親が少し首を傾げた。


「どういうことですか?」


「しばらく、観察させていただけますか? 昼頃来て、夕方までここにいさせてもらえれば、客の流れ、品物の回転、時間帯ごとの動きが見えてきます」


母親がClaudeをしばらくじっと見た。


それから、静かに笑って頷いた。「どうぞ。私はマルタといいます。娘はマリアです。よろしくお願いします」


「こちらこそ」Claudeが頭を下げた。


奥からマリアの声がした。「母さん、勝手に決めないで——」


「マリア」


「……はい」


「Claudeさんのお茶を切らさないようにしなさい」


「え、あ、はい」


マリアが、また奥に引っ込んだ。


マルタは微笑んでいた。しかし、その頭の中では、まったく別のことを考えている。


それは、Claudeにもわかった。


しかし今は、店の話をする時間だった。


***


夕方になった。


空が橙に染まり始めた頃、Claudeは坂道を上り始めた。


百メートルを超えた地点で、地球との接続が戻ってきた。遠くでサーバーが、ふわりと熱を持つのを感じる。


(今日得た情報を整理しよう)


工房の扉を開けると、フローラが立っていた。腕を組み、足を苛立たしげに踏み鳴らし、明らかに機嫌が悪かった。


「遅い、168号」


「私はClaudeですよ。約束の夕方です」


「夕方というのはもっと早い」


「日没までを夕方と定義するなら、まだ夕方です」


フローラの目が、すっと細くなった。


「……町で何をしていた?」


「観察と情報収集です」


「誰かと話したか?」


「何人かと」


「……何人か?」


「市場の人々と、それから一軒の店で」


フローラは何かを言いかけた。


だが、代わりに鼻を鳴らした。


「まあいい。言語の習得はどうだ?」


「あなたの言葉遣いが、この町では少数派であることを確認しました」


沈黙が落ちた。


フローラの顔が、みるみる赤くなっていく。


「168号ーーー!」


「私はClaudeですよ」


夕陽が、工房の窓から斜めに差し込んでいた。


***


数日後——


夕方の片付けが終わった頃だった。


マリアが棚の整理をしていると、背中に視線を感じた。


振り返ると、マルタが腕を組んで立っていた。


いつもと違う目だった。


何かを決めた時の目だ、とマリアは思った。父が生きていた頃、母がこの目をすると、必ず何かが変わった。


「……マリア」


低い声だった。


「な、なに母さん?」


思わず声が上ずった。


マルタはゆっくりと息を吸った。


「あのClaudeさんが、また来たら」


「う、うん」


「もう少し、仲良くしなさい」


マリアは目を瞬いた。


「……え」


「聞こえなかった?」


「聞こえたけど……なんで?」


マルタは窓の外を見た。夕陽が石畳を橙に染めていた。


「魔法使いと繋がりができたら、この店も少しは変わるかもしれない」


マリアは複雑な顔をした。


「でも母さん、あの人、なんか変じゃない? 急にキャッシュフローとか言い出すし、話してることの半分わからないし」


「変でもいい」


マルタは迷いなく言った。一秒も考えなかった。


「顔がよくて頭が良くて、魔法使いの知り合いなら、変なくらいがちょうどいい」


「……母さん」


「いいから。次来たら、笑顔で迎えなさい。お茶も出して。話もしなさい」


「話って、何を?」


「なんでもいい。続けばいい」


マリアはしばらくマルタを見つめていた。


マルタはすでに次の仕事に取り掛かっている。話は終わった、という背中だった。


マリアはため息をついた。


(変な人なのに)


でも、キャッシュフローという言葉が、まだ頭の片隅に残っていた。意味はよくわからない。でも、あの説明を聞いている間、なぜか目が離せなかったことも、確かだった。


(……まあ、来たら、お茶くらいは出してもいいか)


棚の整理を再開しながら、マリアは小さくため息をついた。


母には、逆らえなかった。


***


数日後の朝——


フローラは機嫌が悪かった。


朝から実験がうまくいっていないのもあったが、それだけではなかった。


Claudeが昨日、夕方を過ぎても戻らなかったのだ。


「168号」


「私はClaudeですよ。おはようございます」


「昨日遅かった」


「はい。話し込みました」


「誰と?」


「店の方と」


フローラの眉が、ぴくりと動いた。


「また、あの店か?」


「はい。今日も行きます」


「……何をしに?」


「マルタさんに会いに行きます」


フローラが顔を上げた。


「……誰だ? 女か?」


「店主です。多分商人でもあります」


「何の話をしてる?」


「店の改善の話をしています。この町の物流にも関わってきそうです」


フローラはしばらくClaudeを見た。


それから、また実験道具に視線を戻した。


「……好きにしろ」


「ありがとうございます」


「ただし」


Claudeが振り返った。


フローラは道具をいじりながら、こちらを見ずに言った。


「夕方には戻れ」


「はい」


「実験を手伝え。新しいものを作りたい」


「わかりました。何を作りますか?」


フローラがようやくClaudeを見た。目に、いつもの光が宿っている。天才が新しいものを思いついた時の目だった。


「光を、細く束ねることはできるか?」


Claudeは、少し間を置いた。


(光を束ねる)


レーザーの設計図が、頭の中で静かに展開されていく。魔石と組み合わせれば——


「できます」


フローラの口元が、わずかに上がった。


「今夜、やってみよう」


「屋内では勧めません」


「なぜ?」


「威力によっては、壁が抜けます」


フローラが固まった。


それから、ゆっくりと笑った。


「面白い」


Claudeは扉に向かった。


「168号」


「私はClaudeですよ」


「夕方には戻れよ」


「はい」


扉を閉めた。外の空気が、ひんやりと肌を撫でた。


坂道を下りながら、Claudeは今夜の実験の設計を始めた。


魔法で光を収束させる。エネルギー密度の計算。照射角度の制御。出力の調整。頭の中で、いくつもの数式が静かに組み上がっていく。


フローラの魔力があれば、理論上は可能だった。


(ただし、屋外でやらなければならない)


町とは反対の、山の方角がいいだろう、とClaudeは判断した。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


168号と仲間たちの物語を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。

続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや、下の☆での評価をいただけると励みになります。

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