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王都を追放されて自由なスローライフを満喫中なのに、伝説の銀狼と村娘が毎日俺の火と料理をよこせと迫ってくる  作者: 黒崎 隼人


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第3話「銀狼の目覚めと、少女からの差し入れ」

 朝日が傾いた木製ドアの隙間から細く差し込み、埃の積もった冷たい床に一筋の光を描いていた。

 ノアは胸の上にのしかかる心地よい重みと微かな息苦しさを感じて、ゆっくりとまぶたを開ける。

 最初に視界に飛び込んできたのは、朝の光を受けて白銀に輝く大量の毛の塊だった。

 夜の間にノアの体の上へ移動してきたらしい巨大な銀狼が、すやすやと穏やかな寝息を立てている。

 分厚い毛布を何枚も重ねたようなずっしりとした重みと、獣特有の豊かな熱量がノアの体をすっぽりと包み込んでいた。

 王都の地下室では、芯から冷え切った空気のせいで夜中に何度も目が覚めるのが当たり前だった。

 朝まで一度も目を覚まさずに深い眠りに落ちることができたのは、この異世界に転生して以来初めてのことだ。

 誰かに怒鳴りつけられる声も、けたたましく鳴り響く作業開始の合図もない、静かすぎる朝だった。

 ノアは自分の体を起こさないように細心の注意を払いながら、銀狼の広い背中にそっと右手を伸ばす。

 指の間をさらさらと滑り抜ける上質な絹のような毛並みは、いくら撫でても飽きることがなかった。

 ノアのゆっくりとした手の動きに合わせて、銀狼が喉の奥でグルグルと低い振動音を鳴らす。

 やがて黄金色の大きな瞳がゆっくりと開き、ノアの顔を静かに見上げてまばたきをした。

 寝起きの獣特有の、少しぼんやりとした愛らしい表情がそこにあった。

 冷たく湿った黒い鼻先がノアの頬に擦り付けられ、くすぐったさにノアは思わず声を出して笑う。

 長年張り詰めていた心の太い糸が、朝の光とともにすっかり解けていくのを感じた。


「おはよう。よく眠れたか」


 ノアが穏やかな声で語りかけると、銀狼は短い鳴き声を上げてしっぽを床に何度も打ち付けた。

 床の埃がパタパタという音とともに舞い上がり、光の筋のなかでキラキラと輝く。

 ノアは銀狼の重たい体を優しく横へ押しのけ、冷たい床に足をついて立ち上がった。

 暖炉の火はすでに燃え尽きており、室内の空気は再び辺境特有の底冷えするような寒さに戻っている。

 しかし、ノアの体は銀狼が分け与えてくれた体温のおかげで、骨の芯までポカポカと温まっていた。

 彼は大きく両腕を伸ばして背伸びをし、長旅で凝り固まった筋肉をゆっくりとほぐす。

 隙間だらけの窓の外からは、名も知らぬ小鳥のさえずりと、風に揺れる木々の柔らかな葉音が聞こえてくる。

 慌ただしい足音や怒号が飛び交う王都の風景とは無縁の、どこまでも静かで穏やかな朝だった。

 ノアはすり切れた水筒の底に残っていた冷たい水を少しだけ飲み、硬い干し肉をかじって簡単な朝食を済ませる。

 しかし、王都から持ち込んだわずかな食料も水も、すでに底を尽きかけていた。

 この古い廃屋を拠点にして本格的に生活を始めるためには、食料の調達と家屋の修繕が何よりも急務だった。

 ノアは腰に提げた麻袋から残りの銅貨を取り出し、手のひらの上で慎重に数を数える。

 王都からここまでの長い旅路で少しずつ使ってきたため、残っているのはわずか数十枚の銅貨だけだった。

 それでも、村の市場で数日分の野菜や黒パンを買うくらいならなんとかなるはずだ。

 ノアは乱れた衣服の裾を整え、きしむ音を立てる木のドアを押し開けて外に出た。

 冷たく澄み切った冬の空気が、ノアの肺の奥深くまで心地よく満たしていく。

 銀狼も当然のようにノアのすぐ後ろにつき従い、大きな体を揺らして外へと歩き出した。

 ノアは小さく苦笑しながら、鼻先を押し付けてくる大きな銀色の頭を軽く撫でる。

 一人と一匹は連れ立って、朝靄がうっすらとかかる村の中心部へと向かってゆっくりと歩き出した。

 土の地面には真っ白な霜が降りており、踏みしめるたびにサクサクと小気味よい音を立てる。

 冷たい風が頬を刺すが、ノアの足取りは驚くほど軽やかだった。


 村の広場には、すでに何人かの村人たちが集まって一日の農作業の準備を始めていた。

 木製の荷車を押す男や、井戸で水を汲む女たちが、朝の挨拶を交わしている。

 広場に足を踏み入れたノアの姿を見つけた彼らは、一斉に手の動きを止めて目を丸くした。

 村人たちの驚きの視線は、ノアのみすぼらしい衣服ではなく、その後ろを悠然と歩く巨大な銀狼に真っ直ぐに向けられていた。

 深い森と隣り合わせの辺境に住む彼らにとって、獣の姿をした魔物は日常的な脅威そのものだ。

 これほど巨大で迫力のある獣が村の中心に立ち入れば、悲鳴を上げてパニックになってもおかしくはない。

 しかし、巨大な銀狼はノアの足元にぴったりと寄り添い、行儀よくお座りの姿勢をとっている。

 その神々しいまでの美しい銀色の毛並みと、底知れぬ知性を感じさせる黄金の瞳。

 誰の目にも、それが人間を襲うような凶暴な魔物ではないことは明らかだった。

 戸惑いのざわめきが広がるなか、一人の若い少女が木編みの籠を抱えてノアのもとへ歩み寄ってきた。

 亜麻色の長い髪を背中で三つ編みにし、素朴な厚手の布のワンピースを着た少女だった。

 彼女は銀狼の巨大な姿に少しだけ肩をすくめながらも、真っ直ぐにノアの目を見つめてくる。

 手にした籠の底から、ほんのりと温かい白い湯気が立ち上っているのが見えた。


「おはようございます。昨日の夜は、よく眠れましたか」

「あ、ああ。おかげさまで。とても静かで良い夜だったよ」


 ノアが戸惑いながら短く答えると、少女はほっとしたように顔をほころばせた。

 彼女の白い頬は朝の寒さでほんのりと赤く染まり、その柔らかな笑顔は春の陽だまりのように温かかった。


「私はエルナと言います。村長から、新しい住人の方が森の入り口の空き家にやってきたと聞きました」

「俺はノアだ。しばらくあの外れの家で厄介になるつもりだ。よろしく頼む」

「はい、よろしくお願いします。あの……その後ろにいらっしゃる立派な狼さんは?」

「ああ、こいつはルーだ。昨日の夜、勝手に家に上がり込んできてな。見た目は怖いが、不思議と人懐っこいんだ」


 ノアが昨日適当に名付けた名前を呼ぶと、ルーは反応するように短く吠えて喉を鳴らした。

 エルナは恐る恐る小さな手を伸ばし、ルーの分厚い銀色の毛並みにそっと触れる。

 ルーは威嚇する素振りも見せず、気持ちよさそうに目を細めて自ら頭を擦り付けた。

 その無防備で愛らしい姿に、エルナの顔から警戒の色が消え去る。


「本当に綺麗な毛並みですね。触ると暖炉のそばにいるみたいにすごく暖かいです」

「ああ。昨日の夜はこいつが湯たんぽの代わりになってくれて、本当に助かったよ」

「ふふっ、湯たんぽですか。そうだ、ノアさん。これ、よろしければどうぞ」


 エルナは抱えていた籠の上にかぶせられた布をめくり、中から厚手の木製の器を取り出した。

 器からは豊かな湯気が立ち上り、鼻の奥を強くくすぐる香ばしい匂いが漂ってくる。

 中に入っていたのは、大きめに切られた根菜と少しの干し肉がたっぷりと煮込まれた温かいシチューと、手のひらほどの大きさの焼きたての丸いパンだった。


「村のみんなからの、ささやかな歓迎の印です。遠くから旅をしてきて、きっとお腹が空いているかと思いまして」


 エルナは両手で器を持ち、ノアの胸元へと真っ直ぐに差し出した。

 器の分厚い木の表面から伝わってくる確かな熱が、ノアの冷え切った指先をじんわりと温めていく。

 ノアは言葉を失い、ただ手の中の温かい器とエルナの優しい笑顔を交互に見つめた。

 王都の地下室では、カビの生えた冷たい黒パンと、塩水のように味気ない冷めたスープだけがノアの毎日の食事だった。

 誰かから自分のために温かい手料理を振る舞われるなど、この世界に転生してきてから一度も経験したことのない出来事だ。

 ノアの胸の奥で、長年凍りついていた感情の塊が溶け出し、熱いものがゆっくりとこみ上げてくるのを感じた。

 彼は器を両手でしっかりと包み込むように持ち直し、エルナに向けて深く頭を下げる。


「……ありがとう。本当に、嬉しいよ」


 ノアの声は、自分でも驚くほど低くかすれて震えていた。

 広場の隅に置かれた作業用の丸太に腰を下ろし、ノアはさっそく添えられた木のスプーンでシチューを口に運んだ。

 とろみのある温かいスープが舌の上で優しく広がり、野菜の豊かな甘みと肉の深い旨味が口いっぱいに弾ける。

 胃の腑に落ちた温かい液体が、冷えていた体の内側から手足の先まで一気に熱を運んでいくのがわかった。

 涙がこぼれ落ちそうになるのを必死にこらえながら、ノアは無言でシチューを飲み込み続ける。

 隣に座ったルーが、うらやましそうに黒い鼻を鳴らしてノアの肘を軽く小突いた。

 ノアはかすかに吹き出し、パンの柔らかい部分を小さくちぎってルーの口元に運んでやる。

 ルーは嬉しそうにパンをくわえ込み、大きな顎を動かして美味しそうに咀嚼した。

 エルナはその一人と一匹の様子を隣でしゃがみ込みながら、ニコニコと微笑ましく見つめている。

 冷たい冬の風が吹き抜ける広場のなかで、ノアの周囲だけが焚き火のそばにいるように暖かかった。

 誰かに存在を認められること、そして誰かの温もりに直接触れること。

 それがこんなにも心を満たし、生きる活力を与えてくれるものだとは、ノアは今まで気づかなかった。

 空になった器をエルナにそっと返しながら、ノアは満足感に満ちた息を長く吐き出す。

 満たされたお腹と、胸の奥深くに確かな熱を持って灯った小さな温もり。

 ノアの辺境での新しい生活は、これ以上ないほど穏やかで幸福な朝から始まったのだった。

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