エピローグ「辺境に灯る、決して消えない永久の炎」
ノアが王都を追放されて辺境の村ルーメンに流れ着いてから、およそ五年の歳月が静かに流れていた。
かつては厳しい冬の寒さと森の魔物の恐怖に震えていた小さな村は、今や見違えるほど豊かで美しい街へと発展を遂げている。
冷たい風を防ぐだけの簡素な木造の家屋は、頑丈なレンガや石造りの立派な建物へと建て替えられ、窓には外の冷気を遮断するための透明なガラスがはめ込まれている。
一年を通して新鮮な青野菜や赤い果実が収穫できる大きな温室の畑が広がり、村のあちこちには源泉から引かれた温泉の熱を利用した快適な公衆浴場が立ち並んでいる。
石畳が敷かれた道の脇には常に温かいお湯が流れ、冬になっても道に雪が積もることはない。
広場の入り口に立つ結界灯の炎は変わらずに村を強固な防壁で守り続けており、王都が魔力を失って崩壊したという噂を聞きつけて逃げてきた善良な避難民たちを受け入れたことで、村の人口も当時の数倍にまで膨れ上がっていた。
「おはよう、ノア。今日も澄んだいいお天気ね」
「ああ、おはよう。それでも朝の空気は少しだけ冷えるな」
ノアが広くなった自宅の寝室から顔を出すと、台所から焼きたてのパンの香ばしい匂いと、野菜を煮込む甘い匂いが漂ってきた。
大きな石造りのかまどの前には、五年前よりも大人びた落ち着いた表情になったエルナが立ち、長い木べらでスープの鍋を静かにかき混ぜている。
彼女が身にまとっているのはかつての粗末な布切れではなく、村で織られた柔らかく上質な布地の衣服だ。
彼女の左手の薬指には、ノアが森の硬い木を削って作った素朴な指輪がはめられており、朝の光を受けて滑らかな艶を放っていた。
ノアはテーブルの横で大きなあくびをしているルーの分厚い銀色の背中を軽く撫でてから、エルナの隣に立つ。
ルーの毛並みは年齢を重ねてより一層の深みを増し、かつての獰猛な気配はすっかり鳴りを潜めていた。
ノアはエルナの手首にそっと触れてから、かまどの薪の隙間に右手の指先を向けた。
空気がかすかに弾ける音とともに、オレンジ色の炎が薪に灯り、鍋の底を優しく温め始める。
ただの火熾しだが、ノアにとってはこの日常のささやかな手伝いが何よりも愛おしい時間だった。
朝食に柔らかい小麦のパンと温かいスープを平らげたノアは、外套を羽織っていつものように村の広場へと向かう。
すれ違う村人たちは、誰もが作業の手を止めて満面の笑みでノアに挨拶を投げかけてくる。
雪の積もっていない石畳の道を、子供たちが笑い声を上げながら元気いっぱいに走り抜けていった。
「おはようございます、ノアさん。昨夜はよく眠れましたか」
「今日の畑の土も、ノアさんのおかげですこぶる調子がいいですよ。あとでカブを見てやってください」
かつて王都の魔法塔で働いていたあの老齢の使用人も、今では村の小さな雑貨屋を任され、見違えるほど血色の良い顔で手を振っていた。
店先には冬の間でも珍しい新鮮な果物が並べられている。
彼らの声には、村を守り導いてくれるノアに対する深い敬愛と親愛の念が込められている。
ノアは彼ら一人一人に穏やかな笑顔でうなずきを返し、広場の中央にある巨大な共有のオーブンへと歩み寄る。
そこにはすでに、パン生地が入った籠を抱えた村の女たちが楽しそうに雑談を交わしながらノアの到着を待っていた。
「待たせたな。今、火を点けるよ」
ノアがオーブンの炉に右手をかざすと、清らかなオレンジ色の炎が一瞬にして内部を明るく照らし出した。
パンの焼ける豊かな香りが、瞬く間に広場の空気を満たしていく。
ノアは自分の右手のひらを見つめ、静かに目を細めた。
王都の冷暗所で、誰にも見られずにただ巨大な魔力炉を維持するためだけに己の命を削っていた頃、この『灯火師』というスキルはただの重たい呪いでしかなかった。
どれほど強烈な炎を灯しても、誰の顔も照らし出すことはなく、ただ果てのない虚無感が冷たい石の壁に蓄積していくだけの毎日。
しかし今、この手から生み出される火は、愛する家族の食事を作り、友人たちの体を温め、村全体の平和な夜を照らし出している。
巨大な魔物を滅ぼすような派手な戦闘スキルではないし、世界を支配するような権力とも無縁だ。
しかし、ノアにとっては、この手のひらにあるささやかな炎こそが、何にも代えがたい最高の宝物だった。
「ノアさん、パンが焼けましたよ。一番大きな焼き立てを一つ、どうぞ」
村の女の一人が、オーブンから取り出したばかりの丸いパンをノアに手渡してくれた。
温かいパンの豊かな熱が、防寒用の手袋越しに深く染み込むように伝わってくる。
ノアはパンの両端を掴んで二つに割り、一口かじってから澄み渡るような青空を見上げた。
冷たい風が髪を揺らしても、彼の心の中には確かな熱が絶えることなく燃え続けている。
彼が辺境の地に灯した小さな炎は、これからも決して消えることなく、大切な人たちの帰る場所を永遠に温かく照らし続けるのだろう。




