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旧作1-2  作者: 智枝 理子
Ⅱ.王都編
22/46

29

「おはよう、リリー」

「おはよう、リリーシア」

「おはよう、ルイス、キャロル」

 二人とも、いつも早起き。

 棚からお皿を出して、サラダを盛る。

「今日は、一日、三番隊の宿舎に行ってくるね」

「丸一日?」

「うん。三番隊の訓練に参加してくるんだ」

「昨日も行ってたんだよね?」

「どうして?」

「エルに勝ちたいから」

「えっ?リリー、エルと決闘するの?」

「あの…、そんな、仰々しいものじゃないんだけど。ちょっとした賭けをして、勝負をするだけだよ」

「リリーシアは、その為にエルにレイピアを作っていたの?」

「エルのレイピアは、私が折っちゃったから」

「リリーって強いのよね?ガラハド隊長に勝っちゃうぐらい」

「そうなの?」

「勝ってないよ。ええと…、引き分け?」

「エル、そんなに強いの?」

「うん。ハンデをもらってるのに、今のままじゃ、全然勝てない」

「どうして勝負するの?」

「…うーん」

 上手く、言えるかな。

 エルの考え方を変えたいから?

 エルが、失うことを怖がらなくて良いように。

 私がどんなことがあっても死なないって、証明したい。

「エルの為なの?」

「うん。私が勝手に思っているだけなんだけど」

 たぶん、エルは私がどうしてセルメアに行きたくないのか、わかってないと思う。

「エルを納得させるには、戦って勝たなきゃいけないんだ」

「そう…」

「おはよう」

 エルが台所に入ってくる。

「おはよう」

「おはよう。エル、教えてもらいたいことがあるんだけど」

「ん?」

「この前のレシピ。教えてくれるって言ってたよね?」

「あぁ。いいよ。…珍しいな。乗り気じゃなかったのに」

「良く売れる薬ぐらい、作れるようにしておきたいからね」

「じゃあ後で研究室に来い。一通り教えるよ」

「ありがとう。…キャロル、エルに教わってる間、店番を頼める?」

「いいわよ」

 もしかして、協力してくれる?


 ※


「ほら、剣にばかり頼るな」

 剣撃の合間に、足を蹴られてバランスを崩す。

「くっ」

 すかさず振り降ろされたレイピアを片手剣で受け止める。

「反応速度は優秀だな。片手剣の方が向いてるんじゃないのか?」

 隊長さんこそ。

 どんな剣でも使えるなんて羨ましい。

「いいか。レイピアは防御に特化した剣だ。人間ではなく、レイピアを狙って戦え」

「でも、エルは私が攻撃しないと…」

 あ。

「そうだ。必ず、攻撃に対して対処する戦い方。だから、絶対に攻撃は当たらない」

 エルは、必ず後手。

 そして、私の攻撃を、一つ一つ着実に封じる。

「嫌な戦法だろう」

 勝たせるつもりがないって、そういうこと?

「そして、こうやって」

 あ。片手剣が、レイピアのガードに絡め取られる。

「相手の剣を使い物にならなくするんだよ」

 音を立てて、片手剣が折れる。

「これがレイピアの戦い方だ」

「隊長~。大事な備品、折らないで下さいよー」

「あぁ、悪い悪い」

「隊長!イースト三番街で決闘です!」

「パーシバル、頼んだぞ」

「女の子には甘いっすねぇ。…出動するぞ!」

 三番隊の何人かが、訓練場を出て駆けて行く。

「王都でも争いごとって多いんですか?」

「ラングリオンは騎士の国だからな。名誉の為、女の為。決闘をやるのは日常茶飯事なんだよ」

 この前も、そうだったのかな。

 あれが日常茶飯事って。グラシアルでは絶対に見かけない光景だろう。

「エルとの決闘、路上でやったら、守備隊が来ますか?」

「市民から通報を受ければ行くだろうな。イーストエンドまで足を運ぶとなったら大変だ。決闘はここを使って良いぞ」

「え?でも…」

 いいのかな。

 今だって、迷惑かけてるのに。

「あの、それじゃあ、お昼休みに借りても良いですか?」

「昼休み?…あぁ、良いぜ」

「隊長!イースト官庁通りで火事です!」

「レティシアに応援を頼んでおけ」

「了解しました!」

 隊員さんがまた駆けて行く。こんなに忙しいのに、稽古なんてお願いして良かったのかな。

「行かなくて良いんですか?」

「あぁ。レティシアに頼むなら、俺はしゃしゃり出ないほうが良いからな」

「レティシアさんって、王都魔法部隊の、隊長さんですよね?」

「あぁ。火消しは魔法使いの得意分野だろ」

「あの、魔法部隊ができたのって最近なんですよね?」

「それまでは錬金術研究所と魔法研究所の連中がやってたよ。消炎剤を撒いて、魔法使いが火消しをしてたんだ」

 グラシアルもそうなのかな。

 火事なんて見たことがないから分からないけれど。

「魔法研究所のトップだったフラーダリーっていうのが、魔法部隊を発案して作ったんだ。出来てまだ…、四年、か?」

「フラーダリーって、エルの…」

「知ってるのか」

「はい」

「知ってるんだ」

「え?」

 後ろから聞こえた声に振り返ると。

 全身を濃紺のローブで覆った人。フードを深々とかぶっているから、顔は見えないけれど。

 昨日見た、たくさんの精霊を引き連れてる。

「アレク、さん?」

「あれ。もうばれてしまったのか。ここまで、誰にもばれなかったんだけどね」

 横で、隊長さんが跪く。

「やめてくれ、ガラハド。外ではそういうのはなしだ」

『リリー。ラングリオンのアレクシスと言えば、一人しかいない』

 アレクシス?

 ラングリオンの…、って!

「精霊の方は、私のことを知っているようだね」

 なんで、イリスの声が。

「ガラハド。彼女と少し話がしたいんだけど」

「王城までお送りします」

「せっかく、魔法部隊に紛れて外に出られたと思ったのに。もう少し遊ばせておくれよ」

「いけません」

「お硬くなったね。一緒に旅をした頃が懐かしいよ。ギルドにマーメイドの鱗と呼ばれる琥珀を注文しておいておくれ」

「御意」

「おいで、リリーシア。守備隊の応接室を借りるよ」

「あの…」

「命令だ」

「…はい」

 あぁ、やっぱり、エルに似てる。

 というか。皇太子という立場な分、エルより強引かも。

「リリーシア、悪いな。殿下に付き合ってやってくれ」

 隊長さんが、先頭を歩く。

「あの…。どのような御用でしょうか」

「堅苦しい話し方はやめてくれ。エルと同じように話して欲しい」

「そんなこと…」

「私のことはアレクと呼ぶように」

「あの…」

『本当、こいつエルにそっくりだな』

「それは光栄だね。あれは私の弟だから」

「えっ?」

 弟?

『なんでボクの声が聞こえるんだ。それに、お前の回りの精霊、お前とは契約してないだろ』

 え?

 あ、でも確かに…。

 アレクさんは、魔法使いじゃない。

 だって、魔法使いが持ってる光が見えない。

「さぁ、どうぞ」

 隊長さんに案内されて、応接室へ入る。

 アレクさんがソファーに座る。

「座って話しをしよう」

 勧められて、向かいに座る。

「ガラハド、席を外せ」

「…御意」

 隊長さんが部屋を出る。

「城であれば、紅茶とショコラを用意するのだけどね」

 ラングリオンの人ならコーヒーじゃないのかな。

「私がグラシアルの人間だからですか」

「グラシアルの姫君だからだ」

「姫ではありません」

「いいや。君の持つその瞳。精霊が見える力を持つのは、古来より、オービュミル大陸西方の王室に受け継がれてきた力だ」

「…え?」

 どういうこと?

「知らないのかい。王室というのは神に選ばれた血統なのだよ。騎士の国であるラングリオンもまた然り。私の力は、すべての精霊の声が聞こえること。たとえ君が体の中に隠していたとしてもね」

 私の場合は、会っていない精霊と話すことはできない。

「さっきの質問に答えよう。私の回りに居る精霊は、ラングリオン王国の王家と契約している精霊だ」

『なんだって?』

「契約という言い方も変だね。信頼関係で結ばれているんだ。一緒に国を支えてくれている精霊たちだよ」

『お前に付いてる精霊は、契約しなくてもお前を守るのか』

「私の回りにどれだけの精霊が居るかなんて知らないよ。見えないからね。…リリーシア。その瞳で教えてくれるかい?」

 試されてるのかな。

「光の精霊が三人。闇の精霊が一人。炎の精霊が三人。風の精霊が二人。水の精霊が一人。大地の精霊が一人。雷の精霊が二人。と…、ごめんなさい、見たことのない金色の精霊が一人」

 なんだろう。この、金色の精霊。

 光の精霊が淡い黄色なら、この精霊は本当に黄金色。

 あれ?この色って…。

「金色の精霊は砂の精霊だよ」

「砂の精霊…?」

 そっか。ラングリオンの東には砂漠があるから。砂の精霊が居るんだ。

「本当に見えるんだね、君は。良いことを聞いたな。私が知らない子もいるようだ」

「あの、本当に見えないんですか」

「そうだね。君の瞳を奪えば見えるのかな…」

 アレクさんが私をじっと見据える。

 あれ…。この人、左右で目の色が違う?

 碧眼だと思っていたけれど、右の目が菫色?

「グラシアルは、一体何を考えているんだい」

「え?」

「君は、どうしてラングリオンに来たのかな。エルに近づいた目的はなんだろうね」

「あの…」

「何も知らないと思っているのかい。遠い異国とは言え、同じ大陸の国だからね。あの国が、よそから魔力を奪うために立ち回っているのは知っているよ」

 どうして?

「その魔力で自然を捻じ曲げているのも。おかげでグラシアルの周辺は、自然環境が滅茶苦茶だ。海は嵐が起きやすく、作物は実りにくい。…結果、グラシアルの国境ラインに住む人間が居ないから、君たちは安泰なのだろうけどね」

 そんなこと、知らなかった。

 私が船旅で嵐に会ったのって、そのせいなの?

「グラシアルという国は間違っている。人間は神ではない。自然を操ろうなんて愚策をいつまで続けるつもりなんだい」

「私は、」

『ちょっと待ってよ!リリーは何も知らないんだから』

「知らない?それこそ王族としてどうかしてるんじゃないか。それとも、王族がただのお飾りだからかい?政治は完全に女王の手を離れている。王都で選挙を行い、議会政治を行っていることだって知っているよ」

 女王は政治を行わない。

 王都には、上院が上級市民、下院が一般市民で構成される議会があって、議会から選出される首相が政治を行うのだ。

 決定はすべて、国家元首である女王の名前で公布されるから、魔法使いたちが監視はしているけれど…。魔法使いが政治に口を出すことはない。

『リリーは王族なんかじゃない』

「ならば、その力をどう説明する」

『それは…』

「ごめんなさい。本当に、わからないの」

「わからない?」

「グラシアルに王室はありません。…私はただの街娘です。城の中にある、街の」

「街?それは、王都とは無関係に?」

「はい。王都とは断絶しています。私は城を出るまで、王都で使っている通貨すら知りませんでした。城内の街の通貨は、共通貨幣だったから」

「興味深いね。確かに、あの城は何の機能を持たない割に、とても大きい。その可能性を否定しない」

 怖いな。この人。

「女王が即位すると、次の女王候補が街の娘の中から五人選ばれます。素質を持った娘が選ばれ、女王の娘と呼ばれます。…素質が何か、私には知らされません」

「女王は子供を産まないってわけか。なるほどね。街自体が王室の役割を果たしているのかな」

 女王が子供を産まないなんて言ってないんだけど…。正解だから困る。

「素質が何かは、もはや明白だ。王家の血が色濃く表れた人間。つまり、君の瞳が持つ力」

「けれど、私は、ほかにも人間と違うことが…。魔力がないんです。魔力が溜められないし…」

「魔力は女王に捧げるんだろう」

「はい。…でも、私には、その力がありません」

「どういうことだい」

「人間から魔力を奪う方法は、リリスの呪いです。リリスの呪いはエルが解いてくれたから、私は女王の為に魔力を集めることができません」

「普通の人間に戻ったということか」

「違います。呪いが解けても、私は女王のものです」

「どういう意味だい」

 呪いが解けても。

 女王は私を殺せる。

「女王は、帰還して、もう一度呪いを受けるように求めています。拒否して、三年が無為に過ぎれば、私は…。女王に殺されます」

「女王に命を握られているから、女王の娘は魔力を集めなければならないのか。ふぅん。女性にそんな役目を押し付けるなんて、性根の腐った国だね」

 怒るところなのかな。祖国をそんな風に言われるなら。

 でも、私は。

 愛着が湧くほど、グラシアルという国を知らない。

「ところで、魔力がないって話しだけど。君はどうやって、精霊と契約しているんだい。私と同じように、君の精霊は王室に忠誠を誓う精霊なのかな」

『答えられない。ボクのことは詮索しないで』

「おや、違うんだね。どこまで違うのかな」

「聞かないであげて下さい。イリスも女王のものです。語るだけで命にかかわることもあります」

「君は、女王のものである精霊を大事にするのかい」

「イリスは、私が生まれた時からずっと一緒に居る精霊です。家族なの」

「エルみたいだね」

「え?」

「それもまた女王の策略なんだろうね。お互いに離れられないように躾ているのかな。それとも。その精霊はもともと裏切り者なのかな」

「やめて下さい」

「君はエルと同じだ。人間よりも精霊の方を信頼するんだな」

 エルと同じ?

「精霊は人間にはなれない。人間もまた精霊にはなれない。家族になれると本気で思っているのかい」

「そんな言い方…」

「語れないことに興味はない。話題を戻そうか。君は魔力を集めるという、本来の目的を果たせなくなったね。どうしていつまでもラングリオンに居るんだい」

「私は、初めから魔力集めをするつもりなんてなかった」

「おや。おかしいね。それでは君は女王に殺されるんだろう」

「はい」

「構わないのか」

「三年の猶予があります」

「死ぬまでのカウントダウンだ」

「その通りです」

「理由を教えてくれ」

「笑いませんか」

「場合による」

「話せません」

「当ててみよう」

「えっ」

 くすくすとアレクさんは笑う。

「エルが好きだからかな」

「あ、の…」

 どうして、わかってるの。

「簡単だよ。リリスの呪いは口づけによって相手から生気を奪う呪い。君はとても純情そうだ。エルを愛している以上、その力は使えないね」

『何故リリスの呪いについて知ってるんだ』

「一般常識だ」

 そうかな…。

『いつ、気づいたんだ』

「さぁ、いつかな。これぐらいのこと、エルなら簡単にわかるんじゃないかい」

『エルは、リリーが自分のことを好きだなんて、ちっとも気づいてなかったよ』

「あぁ、そうだったね。あれは人間の感情を計算に入れられないから」

「恨んでいますか?」

「どういう意味だい」

「エルが私を愛したことを」

「他人の色恋に口を出すほど、おちぶれてはいないよ」

「だって、あなたは…」

「それとも、私が求婚すれば、君は私のものになってくれると言うのかい」

「え?」

「グラシアルの姫ならば身分は申し分ない。その王家の血をラングリオンに生かすのも得策だ」

「できません」

「一生、君に不自由はさせないよ。外交ルートを通じて、正式にグラシアルに申し込めば、君を女王から解放することだって容易い」

 それ、どこまで本気で言ってるのかな。

 この人の言い方、本当に不可能を可能にしてしまいそうで。

 怖い。

「エルなんかより、よっぽど早く救ってみせよう」

 あぁ、そういうことか。

 やっぱりこの人は、エルを危険な目に合わせたくないんだ。

 エルが私を女王から解放しようとしてるってことも、当に気づいてる。

 エルがセルメアに行くことも知っている。

「好きでもない相手と結婚できますか」

「君は美しい。一目見た時から気に入ったんだ。愛しているよ」

 目的のためなら、平気で嘘をつけるんだ。

 エルを、危険な目に合わせたくないからに違いないのに。

 あぁ、でもそれは。とても魅力的な誘いだ。

 そうすればエルは…。

「私は…」

―お願い。一緒に居て、リリー。

 エル。

「ごめんなさい」

「何故?」

「エルの願いは、私とずっと一緒に居ることなの。私を幸せにすることなの」

「傲慢だな」

「私はエルの恋人です。私が愛してるのは、エルだけなの」

「そうだったね。エルがこんなに一途に想っているのに、奪っては可哀想だね」

 また、くすくすと笑う。

 もしかして、試されたのかな。

 最初から求婚なんてする気がないんだ。

 私の気持ちを確かめた?

「姉上の話しは知っているんだったね」

「姉って…」

「フラーダリー」

 そうだ。フラーダリーは、現国王と愛人の娘。

 つまり、皇太子であるアレクシスとは異母姉弟。

「エルが弟って言うのは、」

「姉上はエルの保護者だ。それならエルは私の甥になるからね。三つしか離れてないのだから、弟と呼んでも差し支えないだろう?」

 そういう、意味か。

 そうだよね。どう考えても血なんて繋がってない。

「エルが姉上の為に死のうとしたのを知っているかい」

「…いいえ」

 でも、お墓に名前を刻むぐらいだから…。

「国境をローレライ川に定めるとした、セルメアの大統領のサイン入りの密書を持って、エルは父上に直訴したんだ」

 父上って。

ラングリオンの国王陛下だよね?

「私が謁見に立ち会った。可愛い弟の頼みだったからね。…父上はそれを了承し、エルは死を求めた」

「何故」

「許されないだろう。勝手な行為。国家の反逆罪」

「あ…」

 マリーが言っていたっけ。

 国境がローレライ川に定められたのは痛み分けだって。

「父上は、エルに死を許さなかった。謁見の間で自分の胸を刺そうとしたエルを、精霊たちに止めさせたのだよ」

 あぁ。

 エル…。

 死にたくても、死ねなかったんだ。

「それほど、エルは姉上を慕い、愛していた」

 フラーダリー。

「後二年早く生まれていれば良かったのに」

 後二年…?

 そうだ。エルが養成所を卒業したのは十七歳。

 後二年早く生まれていれば成人していて、魔法部隊の正規隊員として国境戦争にも一緒に行って、フラーダリーを死なせたりしなかっただろう。

「嫉妬しないのかい」

「え?」

「恋人の昔の女性の話しが出てきたら、機嫌を損ねるものだろう」

「フラーダリーは、エルを幸せに出来た人だから…」

 もし、生きていれば。

 エルはこんなに苦しまなくて良かったんじゃないかな。

 私はエルに迷惑ばっかりかけてるから。

「君は本当にエルを想っているんだね」

 想うことならいくらでもできる。

 私は、エルに何もしてあげられない。

「さて、帰ろうかな」

「え?」

「私と会ったことはエルには秘密だよ」

「エルに会わないんですか?」

「昨日会ったよ」

「そんなに心配なら、直接会うべきです」

「どういう意味かな」

「だって、あなたはエルが心配だから、私と話しに来たんですよね?」

 カミーユさんがそうだったみたいに。

「面白いことを言うね」

「エルに買い物頼むのって、エルが帰って来てるか確認するためでしょう?」

「あれは目立つ。帰ってくればすぐわかるよ」

「じゃあ、帰る目的を与えてるんだ」

「ん…。そうだね。それについて回答をあげようか。エルの魔力は国益にもなる。黄昏の魔法使いの名は、大陸中にとどろいていて、その本人がラングリオンの王都に居るとなれば、誰もラングリオンに手を出せないだろう。国の為にも、エルには王都に居てもらった方が良いんだよ」

「嘘だ」

 そんなこと思ってない。

 そんなの建前だ。

「あなたは、私を試しに来た。グラシアルが何をしているか知っているから。エルが私に騙されていないか、わざわざ確かめに来たんだ。…違いますか」

 アレクさんが黙る。

 あれ?黙った?

 そういえば、今までずっと、会話の主導権はアレクさんにあった。

「だから、会わない方が良いって言っていたのかな」

 アレクさんは肩をすくめる。

「え?」

「ポラリスに止められたんだよ。君には会うなって」

 どういうこと?

「口が滑りやすくなるんだってさ。あぁ、貴族と話していても、私が言葉を失うことはないのにね。降参だ。リリーシア。確かに私はエルを心配しているよ。でも、エルが何をしようと、止めることはできない。それがどんなに危険なことであったとしてもね」

 あぁ、そうか。

 だから、エルを大切に思う人は皆、どれだけ真実を知っても私の存在を責めないんだ。

「セルメアに行くなんて、馬鹿げた話だと思わないか」

「黄昏の魔法使いのことですか」

「黄昏の魔法使いは、今でも悪魔としてセルメアに語り継がれているんだよ。セルメアが表立ってエルを攻撃することはないだろうけどね。エルにとっては、決して優しい土地ではない。…会ってはまずい人間もいるのだし」

「会ってはまずい人間?」

「わかるかい?」

 それって…。

「あの、アレクさんは、知ってるんですか。フラーダリーを殺した相手」

「君は何でも知っているね。どこでその情報を手に入れたんだい」

 そうだ、これって。エルも、マリーも知らないことだ。

「エルは君を愛せば愛すほど、追い詰められるだろう」

 それは、大切なものを失う恐怖が大きくなるってこと?

「エルがどれだけのものを失って来たか、わかるかい。若干九歳の子供が、すべてを失う気持ちが。すべてをやり直して、ようやく軌道に乗ったと思った瞬間に、愛する人を失った気持ちが。私はエルに残酷な選択をさせているんだよ。生きることは死ぬよりも辛い。エルはもう、誰かを大切に思って傍に置くことはしない」

 この人は、エルの過去も全部知って、共有してるんだ。

 だから、エルは弟なんだね。

「でも、エルは君を愛している」

「はい」

「君はその愛に、どう応えるんだい」

「私は、エルが居なくても死なない」

「姉上が、エルのいない間に死んだことを言ってるのかな」

「はい」

「君はエルに守られている。エルは命に代えても君を守るだろう」

「違います。私がエルを守る」

 エルが黒真珠と呼んでくれたから。

「言葉は実行しなければ意味がない」

「明日、エルと勝負をします。セルメアに一緒に行くかどうかを賭けて。エルは私と一緒に行くことを望んでいるけれど、私が勝てば、私はセルメアに行きません」

「行かない?」

「離れても大丈夫だって証明して、エルに認めさせるの」

「認めさせる、って」

「私、エルに守られたくないの」

 アレクさんは、両手で自分の体を抱いて震えた後、声を上げて笑いだす。

「あぁ、なんて。…傑作、だな」

「え?」

「君、最高だよ。そうか、エル…。そういうことか」

「アレクさん…?」

「エルが君を好きなのが、わかるよ」

「どういうことですか?」

「君は、完璧だ」

「え?」

「君は強い」

「強くなんかありません…。エルに勝てるか自信がなくて、隊長さんに稽古をお願いしてるんです」

「そうか。邪魔をしてすまなかったな。…ガラハド!絶対にエルに勝たせるなよ!」

 扉が開いて、隊長さんが入ってくる。

「殿下、何かそんなに楽しいことでも?」

「あぁ、楽しかった。それじゃあ、私は城へ帰るよ」

「あ、の?」

 急に会話が途切れちゃったんだけど。

「お送りします」

「不要だ。私を送る暇があったら、リリーシアを鍛えろ」

「御意」

『あれだけ訓練された精霊に囲まれてたら、アレクに手を出すなんて不可能だろうね』

 光の精霊が一人振り返って、私に頭を下げる。

 それに倣って、おじぎをする。

「リリーシア。殿下と何を話していたんだ?」

「ええと…」

『雑談』

「雑談…?」

「殿下を笑わせてくれてありがとう」

「え?」

「あの方も大変なんだ。王位を継承するにも、根回しがたくさん必要だからな」

 皇太子だからと言って、すべての人が簡単についてくれるわけじゃない。信頼できる王位継承者かどうか、ずっと試され続けているんだろう。

 あの精霊たちだって、きっと、アレクさんが守るべき相手だからついてるんだよね。

 でも、そんなに大変な立場に居ながら、エルを気にかけてるなんて。

 アレクさんは、フラーダリーの意志を継いで、エルを見守っているの?

「じゃあ、続きをやるか」

「はい!」

 また会えたら、聞いてみようかな。


 ※


 帰ったのは、もう日も暮れてしばらく経ってから。

 三番隊の人たちと夕飯を食べて、送ってもらう。

 すっかりお世話になってしまった。三番隊の人たちって、あんなに忙しいのに。

 シャワーを浴びて、エルの部屋に戻る。

「ただいま、エル」

「おかえり、リリー」

 あれ?机じゃなくて、ベッドに座ってるなんて珍しい。

「早いね。もう寝るの?」

「眠れるかな」

「眠れない?」

 エルの隣に座る。

「眠れないかもしれない」

 明日のこと、考えてるのかな。

「私も。ドキドキしてる。いつもの勝負と違う。たった、一撃で決まってしまうから」

「リリーは俺に勝つ自信があるのか?」

「ないよ。今まで、一度もエルに当てられなかった」

「俺だってそうだ」

「エルは余裕じゃないか」

 私なんて、勝てるイメージが全くない。

「そうだ。あのね、決闘の場所が、三番隊の訓練場になったんだ。あんまり派手にやると迷惑になるから、貸してくれるって」

「あー。一般人に迷惑かけられないからな」

「訓練の邪魔しちゃいけないから、昼休みの時間を借りることにしたんだ。だから、正午きっかりに開始するよ」

「わかった」

 それで、決まってしまう…。

「なんで、一緒に行きたくないかは、まだ話せないのか?」

 できれば、話したくないな。

 私がエルの過去を知ってるって知ったら、エルはどう思うんだろう。

「私が勝ったら、教えてあげる」

「なんだよそれ」

「だって、エルが勝ったら、一緒に行かなくちゃいけない。そしたら、理由に意味がなくなる」

「なくならないよ。俺が知りたい」

「じゃあ、終わったら教える」

 何か理由考えなくちゃ。

 そもそも発端はポラリスの予言…。

 あ。エルは、ポラリスの予言を信じないんだっけ。

「笑われちゃうかもしれないけど」

「じゃあ、ついでにジョージがなんなのかも教えてもらわないとな」

「か、関係ないよ」

 まだ、言うの?

「全く教える気がないよな。リリーの恋人だったのか?」

「違う。全然、違うよ」

 なんで、そうなるのかな。

「私の恋人は、私の好きな人はエルだけ。今までも、これからも」

 ずっと。エルだけだよ。

「リリー」

 エルが、私の肩に頭を乗せる。

「エル?」

 エルが黙るなんて珍しい。

 何か言うかなって思ったけれど。

 何も言わない。

 あれ、アレクさんも急に黙ったよね。

 確か、あの時って。

「どうしたの?」

「幸せだ、って思って」

 これは、エルの本音。

「うん。そうだね。私も幸せ」

 エルの頭に、自分の頭を乗せて、手を繋ぐ。

 エルと、共感してる。

「このまま、時間が止まればいいのに」

「二人で、琥珀に閉じ込められようか?」

 ずっと一緒に居る方法。

「一緒なら、それもいいかな」

「銀の棺みたいだね」

 永遠に一緒に居る方法。

「やっぱりだめだ」

「だめ?」

「一人だけ奪われたら、辛いから」

「一緒に居るのに?」

「琥珀を見つけた相手が、二人一緒にしてくれるとは限らない」

 あぁ、そうか。

 化石は掘り出されてしまう。

 そして、あちこちに連れ出されてしまうね。

「でも、もしそうなったら、絶対探し出すよ」

「見つけるよ。たとえどんなに離れていても」

 エルは東の果てから、西の果てまで来てくれたから。

「トリオット物語みたいだね」

「え?」

「トリオット物語は、愛し合う二人が引き裂かれるところから始まるんだよ。女性の方が殺されて、棺に閉じ込められて、東の果てに連れて行かれる。…けれど、殺されたはずの彼女は実は死んでいなくて。連れて行かれた東の果てで目覚める。そして、恋人を求めて西を目指すんだ。一方で、そんなことは知らずに、彼の方は、死んだはずの彼女が入っている棺を求めて、東へ赴く」

 本物の銀の棺は、今も神の台座にあるのかな。

 でも、それって悲しいかも。

 棺の中に居れば、死んでいるのと変わらない。

「それで?出会えたのか?」

「まだ出会えていないよ。途中、彼の方は棺までたどり着くんだけど、棺が空っぽで、彼女が旅に出たことを知るんだ。彼女の方も、故郷に帰って、彼が自分を探していることを知る。物語の中でも、会いそうで会えないってことが何度もあって。最新刊では、同じ町に居たのに、結局、会えなかった」

「すさまじいすれ違いだな」

「うん。いつか、出会えると良いな」

 エルは、私を棺に入れたりはしないんだろうな。

 フラーダリーを失っているから。

「出会えるよ。一緒に居たいと願っているなら」

 エルは私と一緒に居ることを望む。

 生きている私と。

「エル、ごめんなさい」

「ん?」

「本当は、一緒に行きたい。…でも、だめなんだ」

「いいよ。リリーが俺のことを好きでいてくれるのは、わかってるから」

「ずっと一緒に居るって約束したのに」

「一緒に居るよ。どこに居ても。リリーのことを考えてるから」

「私も、エルのことを考えてる」

 エルが私にキスをする。

 こんなにも愛されてる。

 だから、私はあなたを救いたい。

 あなたを縛る、呪いのような思考回路から。

 私はエルに守られなくても死なないって、証明したい。

「俺が勝てば、ずっと一緒だ」

「負けないよ。負けられないんだ」

 顔を見合わせて笑う。



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