29
「おはよう、リリー」
「おはよう、リリーシア」
「おはよう、ルイス、キャロル」
二人とも、いつも早起き。
棚からお皿を出して、サラダを盛る。
「今日は、一日、三番隊の宿舎に行ってくるね」
「丸一日?」
「うん。三番隊の訓練に参加してくるんだ」
「昨日も行ってたんだよね?」
「どうして?」
「エルに勝ちたいから」
「えっ?リリー、エルと決闘するの?」
「あの…、そんな、仰々しいものじゃないんだけど。ちょっとした賭けをして、勝負をするだけだよ」
「リリーシアは、その為にエルにレイピアを作っていたの?」
「エルのレイピアは、私が折っちゃったから」
「リリーって強いのよね?ガラハド隊長に勝っちゃうぐらい」
「そうなの?」
「勝ってないよ。ええと…、引き分け?」
「エル、そんなに強いの?」
「うん。ハンデをもらってるのに、今のままじゃ、全然勝てない」
「どうして勝負するの?」
「…うーん」
上手く、言えるかな。
エルの考え方を変えたいから?
エルが、失うことを怖がらなくて良いように。
私がどんなことがあっても死なないって、証明したい。
「エルの為なの?」
「うん。私が勝手に思っているだけなんだけど」
たぶん、エルは私がどうしてセルメアに行きたくないのか、わかってないと思う。
「エルを納得させるには、戦って勝たなきゃいけないんだ」
「そう…」
「おはよう」
エルが台所に入ってくる。
「おはよう」
「おはよう。エル、教えてもらいたいことがあるんだけど」
「ん?」
「この前のレシピ。教えてくれるって言ってたよね?」
「あぁ。いいよ。…珍しいな。乗り気じゃなかったのに」
「良く売れる薬ぐらい、作れるようにしておきたいからね」
「じゃあ後で研究室に来い。一通り教えるよ」
「ありがとう。…キャロル、エルに教わってる間、店番を頼める?」
「いいわよ」
もしかして、協力してくれる?
※
「ほら、剣にばかり頼るな」
剣撃の合間に、足を蹴られてバランスを崩す。
「くっ」
すかさず振り降ろされたレイピアを片手剣で受け止める。
「反応速度は優秀だな。片手剣の方が向いてるんじゃないのか?」
隊長さんこそ。
どんな剣でも使えるなんて羨ましい。
「いいか。レイピアは防御に特化した剣だ。人間ではなく、レイピアを狙って戦え」
「でも、エルは私が攻撃しないと…」
あ。
「そうだ。必ず、攻撃に対して対処する戦い方。だから、絶対に攻撃は当たらない」
エルは、必ず後手。
そして、私の攻撃を、一つ一つ着実に封じる。
「嫌な戦法だろう」
勝たせるつもりがないって、そういうこと?
「そして、こうやって」
あ。片手剣が、レイピアのガードに絡め取られる。
「相手の剣を使い物にならなくするんだよ」
音を立てて、片手剣が折れる。
「これがレイピアの戦い方だ」
「隊長~。大事な備品、折らないで下さいよー」
「あぁ、悪い悪い」
「隊長!イースト三番街で決闘です!」
「パーシバル、頼んだぞ」
「女の子には甘いっすねぇ。…出動するぞ!」
三番隊の何人かが、訓練場を出て駆けて行く。
「王都でも争いごとって多いんですか?」
「ラングリオンは騎士の国だからな。名誉の為、女の為。決闘をやるのは日常茶飯事なんだよ」
この前も、そうだったのかな。
あれが日常茶飯事って。グラシアルでは絶対に見かけない光景だろう。
「エルとの決闘、路上でやったら、守備隊が来ますか?」
「市民から通報を受ければ行くだろうな。イーストエンドまで足を運ぶとなったら大変だ。決闘はここを使って良いぞ」
「え?でも…」
いいのかな。
今だって、迷惑かけてるのに。
「あの、それじゃあ、お昼休みに借りても良いですか?」
「昼休み?…あぁ、良いぜ」
「隊長!イースト官庁通りで火事です!」
「レティシアに応援を頼んでおけ」
「了解しました!」
隊員さんがまた駆けて行く。こんなに忙しいのに、稽古なんてお願いして良かったのかな。
「行かなくて良いんですか?」
「あぁ。レティシアに頼むなら、俺はしゃしゃり出ないほうが良いからな」
「レティシアさんって、王都魔法部隊の、隊長さんですよね?」
「あぁ。火消しは魔法使いの得意分野だろ」
「あの、魔法部隊ができたのって最近なんですよね?」
「それまでは錬金術研究所と魔法研究所の連中がやってたよ。消炎剤を撒いて、魔法使いが火消しをしてたんだ」
グラシアルもそうなのかな。
火事なんて見たことがないから分からないけれど。
「魔法研究所のトップだったフラーダリーっていうのが、魔法部隊を発案して作ったんだ。出来てまだ…、四年、か?」
「フラーダリーって、エルの…」
「知ってるのか」
「はい」
「知ってるんだ」
「え?」
後ろから聞こえた声に振り返ると。
全身を濃紺のローブで覆った人。フードを深々とかぶっているから、顔は見えないけれど。
昨日見た、たくさんの精霊を引き連れてる。
「アレク、さん?」
「あれ。もうばれてしまったのか。ここまで、誰にもばれなかったんだけどね」
横で、隊長さんが跪く。
「やめてくれ、ガラハド。外ではそういうのはなしだ」
『リリー。ラングリオンのアレクシスと言えば、一人しかいない』
アレクシス?
ラングリオンの…、って!
「精霊の方は、私のことを知っているようだね」
なんで、イリスの声が。
「ガラハド。彼女と少し話がしたいんだけど」
「王城までお送りします」
「せっかく、魔法部隊に紛れて外に出られたと思ったのに。もう少し遊ばせておくれよ」
「いけません」
「お硬くなったね。一緒に旅をした頃が懐かしいよ。ギルドにマーメイドの鱗と呼ばれる琥珀を注文しておいておくれ」
「御意」
「おいで、リリーシア。守備隊の応接室を借りるよ」
「あの…」
「命令だ」
「…はい」
あぁ、やっぱり、エルに似てる。
というか。皇太子という立場な分、エルより強引かも。
「リリーシア、悪いな。殿下に付き合ってやってくれ」
隊長さんが、先頭を歩く。
「あの…。どのような御用でしょうか」
「堅苦しい話し方はやめてくれ。エルと同じように話して欲しい」
「そんなこと…」
「私のことはアレクと呼ぶように」
「あの…」
『本当、こいつエルにそっくりだな』
「それは光栄だね。あれは私の弟だから」
「えっ?」
弟?
『なんでボクの声が聞こえるんだ。それに、お前の回りの精霊、お前とは契約してないだろ』
え?
あ、でも確かに…。
アレクさんは、魔法使いじゃない。
だって、魔法使いが持ってる光が見えない。
「さぁ、どうぞ」
隊長さんに案内されて、応接室へ入る。
アレクさんがソファーに座る。
「座って話しをしよう」
勧められて、向かいに座る。
「ガラハド、席を外せ」
「…御意」
隊長さんが部屋を出る。
「城であれば、紅茶とショコラを用意するのだけどね」
ラングリオンの人ならコーヒーじゃないのかな。
「私がグラシアルの人間だからですか」
「グラシアルの姫君だからだ」
「姫ではありません」
「いいや。君の持つその瞳。精霊が見える力を持つのは、古来より、オービュミル大陸西方の王室に受け継がれてきた力だ」
「…え?」
どういうこと?
「知らないのかい。王室というのは神に選ばれた血統なのだよ。騎士の国であるラングリオンもまた然り。私の力は、すべての精霊の声が聞こえること。たとえ君が体の中に隠していたとしてもね」
私の場合は、会っていない精霊と話すことはできない。
「さっきの質問に答えよう。私の回りに居る精霊は、ラングリオン王国の王家と契約している精霊だ」
『なんだって?』
「契約という言い方も変だね。信頼関係で結ばれているんだ。一緒に国を支えてくれている精霊たちだよ」
『お前に付いてる精霊は、契約しなくてもお前を守るのか』
「私の回りにどれだけの精霊が居るかなんて知らないよ。見えないからね。…リリーシア。その瞳で教えてくれるかい?」
試されてるのかな。
「光の精霊が三人。闇の精霊が一人。炎の精霊が三人。風の精霊が二人。水の精霊が一人。大地の精霊が一人。雷の精霊が二人。と…、ごめんなさい、見たことのない金色の精霊が一人」
なんだろう。この、金色の精霊。
光の精霊が淡い黄色なら、この精霊は本当に黄金色。
あれ?この色って…。
「金色の精霊は砂の精霊だよ」
「砂の精霊…?」
そっか。ラングリオンの東には砂漠があるから。砂の精霊が居るんだ。
「本当に見えるんだね、君は。良いことを聞いたな。私が知らない子もいるようだ」
「あの、本当に見えないんですか」
「そうだね。君の瞳を奪えば見えるのかな…」
アレクさんが私をじっと見据える。
あれ…。この人、左右で目の色が違う?
碧眼だと思っていたけれど、右の目が菫色?
「グラシアルは、一体何を考えているんだい」
「え?」
「君は、どうしてラングリオンに来たのかな。エルに近づいた目的はなんだろうね」
「あの…」
「何も知らないと思っているのかい。遠い異国とは言え、同じ大陸の国だからね。あの国が、よそから魔力を奪うために立ち回っているのは知っているよ」
どうして?
「その魔力で自然を捻じ曲げているのも。おかげでグラシアルの周辺は、自然環境が滅茶苦茶だ。海は嵐が起きやすく、作物は実りにくい。…結果、グラシアルの国境ラインに住む人間が居ないから、君たちは安泰なのだろうけどね」
そんなこと、知らなかった。
私が船旅で嵐に会ったのって、そのせいなの?
「グラシアルという国は間違っている。人間は神ではない。自然を操ろうなんて愚策をいつまで続けるつもりなんだい」
「私は、」
『ちょっと待ってよ!リリーは何も知らないんだから』
「知らない?それこそ王族としてどうかしてるんじゃないか。それとも、王族がただのお飾りだからかい?政治は完全に女王の手を離れている。王都で選挙を行い、議会政治を行っていることだって知っているよ」
女王は政治を行わない。
王都には、上院が上級市民、下院が一般市民で構成される議会があって、議会から選出される首相が政治を行うのだ。
決定はすべて、国家元首である女王の名前で公布されるから、魔法使いたちが監視はしているけれど…。魔法使いが政治に口を出すことはない。
『リリーは王族なんかじゃない』
「ならば、その力をどう説明する」
『それは…』
「ごめんなさい。本当に、わからないの」
「わからない?」
「グラシアルに王室はありません。…私はただの街娘です。城の中にある、街の」
「街?それは、王都とは無関係に?」
「はい。王都とは断絶しています。私は城を出るまで、王都で使っている通貨すら知りませんでした。城内の街の通貨は、共通貨幣だったから」
「興味深いね。確かに、あの城は何の機能を持たない割に、とても大きい。その可能性を否定しない」
怖いな。この人。
「女王が即位すると、次の女王候補が街の娘の中から五人選ばれます。素質を持った娘が選ばれ、女王の娘と呼ばれます。…素質が何か、私には知らされません」
「女王は子供を産まないってわけか。なるほどね。街自体が王室の役割を果たしているのかな」
女王が子供を産まないなんて言ってないんだけど…。正解だから困る。
「素質が何かは、もはや明白だ。王家の血が色濃く表れた人間。つまり、君の瞳が持つ力」
「けれど、私は、ほかにも人間と違うことが…。魔力がないんです。魔力が溜められないし…」
「魔力は女王に捧げるんだろう」
「はい。…でも、私には、その力がありません」
「どういうことだい」
「人間から魔力を奪う方法は、リリスの呪いです。リリスの呪いはエルが解いてくれたから、私は女王の為に魔力を集めることができません」
「普通の人間に戻ったということか」
「違います。呪いが解けても、私は女王のものです」
「どういう意味だい」
呪いが解けても。
女王は私を殺せる。
「女王は、帰還して、もう一度呪いを受けるように求めています。拒否して、三年が無為に過ぎれば、私は…。女王に殺されます」
「女王に命を握られているから、女王の娘は魔力を集めなければならないのか。ふぅん。女性にそんな役目を押し付けるなんて、性根の腐った国だね」
怒るところなのかな。祖国をそんな風に言われるなら。
でも、私は。
愛着が湧くほど、グラシアルという国を知らない。
「ところで、魔力がないって話しだけど。君はどうやって、精霊と契約しているんだい。私と同じように、君の精霊は王室に忠誠を誓う精霊なのかな」
『答えられない。ボクのことは詮索しないで』
「おや、違うんだね。どこまで違うのかな」
「聞かないであげて下さい。イリスも女王のものです。語るだけで命にかかわることもあります」
「君は、女王のものである精霊を大事にするのかい」
「イリスは、私が生まれた時からずっと一緒に居る精霊です。家族なの」
「エルみたいだね」
「え?」
「それもまた女王の策略なんだろうね。お互いに離れられないように躾ているのかな。それとも。その精霊はもともと裏切り者なのかな」
「やめて下さい」
「君はエルと同じだ。人間よりも精霊の方を信頼するんだな」
エルと同じ?
「精霊は人間にはなれない。人間もまた精霊にはなれない。家族になれると本気で思っているのかい」
「そんな言い方…」
「語れないことに興味はない。話題を戻そうか。君は魔力を集めるという、本来の目的を果たせなくなったね。どうしていつまでもラングリオンに居るんだい」
「私は、初めから魔力集めをするつもりなんてなかった」
「おや。おかしいね。それでは君は女王に殺されるんだろう」
「はい」
「構わないのか」
「三年の猶予があります」
「死ぬまでのカウントダウンだ」
「その通りです」
「理由を教えてくれ」
「笑いませんか」
「場合による」
「話せません」
「当ててみよう」
「えっ」
くすくすとアレクさんは笑う。
「エルが好きだからかな」
「あ、の…」
どうして、わかってるの。
「簡単だよ。リリスの呪いは口づけによって相手から生気を奪う呪い。君はとても純情そうだ。エルを愛している以上、その力は使えないね」
『何故リリスの呪いについて知ってるんだ』
「一般常識だ」
そうかな…。
『いつ、気づいたんだ』
「さぁ、いつかな。これぐらいのこと、エルなら簡単にわかるんじゃないかい」
『エルは、リリーが自分のことを好きだなんて、ちっとも気づいてなかったよ』
「あぁ、そうだったね。あれは人間の感情を計算に入れられないから」
「恨んでいますか?」
「どういう意味だい」
「エルが私を愛したことを」
「他人の色恋に口を出すほど、おちぶれてはいないよ」
「だって、あなたは…」
「それとも、私が求婚すれば、君は私のものになってくれると言うのかい」
「え?」
「グラシアルの姫ならば身分は申し分ない。その王家の血をラングリオンに生かすのも得策だ」
「できません」
「一生、君に不自由はさせないよ。外交ルートを通じて、正式にグラシアルに申し込めば、君を女王から解放することだって容易い」
それ、どこまで本気で言ってるのかな。
この人の言い方、本当に不可能を可能にしてしまいそうで。
怖い。
「エルなんかより、よっぽど早く救ってみせよう」
あぁ、そういうことか。
やっぱりこの人は、エルを危険な目に合わせたくないんだ。
エルが私を女王から解放しようとしてるってことも、当に気づいてる。
エルがセルメアに行くことも知っている。
「好きでもない相手と結婚できますか」
「君は美しい。一目見た時から気に入ったんだ。愛しているよ」
目的のためなら、平気で嘘をつけるんだ。
エルを、危険な目に合わせたくないからに違いないのに。
あぁ、でもそれは。とても魅力的な誘いだ。
そうすればエルは…。
「私は…」
―お願い。一緒に居て、リリー。
エル。
「ごめんなさい」
「何故?」
「エルの願いは、私とずっと一緒に居ることなの。私を幸せにすることなの」
「傲慢だな」
「私はエルの恋人です。私が愛してるのは、エルだけなの」
「そうだったね。エルがこんなに一途に想っているのに、奪っては可哀想だね」
また、くすくすと笑う。
もしかして、試されたのかな。
最初から求婚なんてする気がないんだ。
私の気持ちを確かめた?
「姉上の話しは知っているんだったね」
「姉って…」
「フラーダリー」
そうだ。フラーダリーは、現国王と愛人の娘。
つまり、皇太子であるアレクシスとは異母姉弟。
「エルが弟って言うのは、」
「姉上はエルの保護者だ。それならエルは私の甥になるからね。三つしか離れてないのだから、弟と呼んでも差し支えないだろう?」
そういう、意味か。
そうだよね。どう考えても血なんて繋がってない。
「エルが姉上の為に死のうとしたのを知っているかい」
「…いいえ」
でも、お墓に名前を刻むぐらいだから…。
「国境をローレライ川に定めるとした、セルメアの大統領のサイン入りの密書を持って、エルは父上に直訴したんだ」
父上って。
ラングリオンの国王陛下だよね?
「私が謁見に立ち会った。可愛い弟の頼みだったからね。…父上はそれを了承し、エルは死を求めた」
「何故」
「許されないだろう。勝手な行為。国家の反逆罪」
「あ…」
マリーが言っていたっけ。
国境がローレライ川に定められたのは痛み分けだって。
「父上は、エルに死を許さなかった。謁見の間で自分の胸を刺そうとしたエルを、精霊たちに止めさせたのだよ」
あぁ。
エル…。
死にたくても、死ねなかったんだ。
「それほど、エルは姉上を慕い、愛していた」
フラーダリー。
「後二年早く生まれていれば良かったのに」
後二年…?
そうだ。エルが養成所を卒業したのは十七歳。
後二年早く生まれていれば成人していて、魔法部隊の正規隊員として国境戦争にも一緒に行って、フラーダリーを死なせたりしなかっただろう。
「嫉妬しないのかい」
「え?」
「恋人の昔の女性の話しが出てきたら、機嫌を損ねるものだろう」
「フラーダリーは、エルを幸せに出来た人だから…」
もし、生きていれば。
エルはこんなに苦しまなくて良かったんじゃないかな。
私はエルに迷惑ばっかりかけてるから。
「君は本当にエルを想っているんだね」
想うことならいくらでもできる。
私は、エルに何もしてあげられない。
「さて、帰ろうかな」
「え?」
「私と会ったことはエルには秘密だよ」
「エルに会わないんですか?」
「昨日会ったよ」
「そんなに心配なら、直接会うべきです」
「どういう意味かな」
「だって、あなたはエルが心配だから、私と話しに来たんですよね?」
カミーユさんがそうだったみたいに。
「面白いことを言うね」
「エルに買い物頼むのって、エルが帰って来てるか確認するためでしょう?」
「あれは目立つ。帰ってくればすぐわかるよ」
「じゃあ、帰る目的を与えてるんだ」
「ん…。そうだね。それについて回答をあげようか。エルの魔力は国益にもなる。黄昏の魔法使いの名は、大陸中にとどろいていて、その本人がラングリオンの王都に居るとなれば、誰もラングリオンに手を出せないだろう。国の為にも、エルには王都に居てもらった方が良いんだよ」
「嘘だ」
そんなこと思ってない。
そんなの建前だ。
「あなたは、私を試しに来た。グラシアルが何をしているか知っているから。エルが私に騙されていないか、わざわざ確かめに来たんだ。…違いますか」
アレクさんが黙る。
あれ?黙った?
そういえば、今までずっと、会話の主導権はアレクさんにあった。
「だから、会わない方が良いって言っていたのかな」
アレクさんは肩をすくめる。
「え?」
「ポラリスに止められたんだよ。君には会うなって」
どういうこと?
「口が滑りやすくなるんだってさ。あぁ、貴族と話していても、私が言葉を失うことはないのにね。降参だ。リリーシア。確かに私はエルを心配しているよ。でも、エルが何をしようと、止めることはできない。それがどんなに危険なことであったとしてもね」
あぁ、そうか。
だから、エルを大切に思う人は皆、どれだけ真実を知っても私の存在を責めないんだ。
「セルメアに行くなんて、馬鹿げた話だと思わないか」
「黄昏の魔法使いのことですか」
「黄昏の魔法使いは、今でも悪魔としてセルメアに語り継がれているんだよ。セルメアが表立ってエルを攻撃することはないだろうけどね。エルにとっては、決して優しい土地ではない。…会ってはまずい人間もいるのだし」
「会ってはまずい人間?」
「わかるかい?」
それって…。
「あの、アレクさんは、知ってるんですか。フラーダリーを殺した相手」
「君は何でも知っているね。どこでその情報を手に入れたんだい」
そうだ、これって。エルも、マリーも知らないことだ。
「エルは君を愛せば愛すほど、追い詰められるだろう」
それは、大切なものを失う恐怖が大きくなるってこと?
「エルがどれだけのものを失って来たか、わかるかい。若干九歳の子供が、すべてを失う気持ちが。すべてをやり直して、ようやく軌道に乗ったと思った瞬間に、愛する人を失った気持ちが。私はエルに残酷な選択をさせているんだよ。生きることは死ぬよりも辛い。エルはもう、誰かを大切に思って傍に置くことはしない」
この人は、エルの過去も全部知って、共有してるんだ。
だから、エルは弟なんだね。
「でも、エルは君を愛している」
「はい」
「君はその愛に、どう応えるんだい」
「私は、エルが居なくても死なない」
「姉上が、エルのいない間に死んだことを言ってるのかな」
「はい」
「君はエルに守られている。エルは命に代えても君を守るだろう」
「違います。私がエルを守る」
エルが黒真珠と呼んでくれたから。
「言葉は実行しなければ意味がない」
「明日、エルと勝負をします。セルメアに一緒に行くかどうかを賭けて。エルは私と一緒に行くことを望んでいるけれど、私が勝てば、私はセルメアに行きません」
「行かない?」
「離れても大丈夫だって証明して、エルに認めさせるの」
「認めさせる、って」
「私、エルに守られたくないの」
アレクさんは、両手で自分の体を抱いて震えた後、声を上げて笑いだす。
「あぁ、なんて。…傑作、だな」
「え?」
「君、最高だよ。そうか、エル…。そういうことか」
「アレクさん…?」
「エルが君を好きなのが、わかるよ」
「どういうことですか?」
「君は、完璧だ」
「え?」
「君は強い」
「強くなんかありません…。エルに勝てるか自信がなくて、隊長さんに稽古をお願いしてるんです」
「そうか。邪魔をしてすまなかったな。…ガラハド!絶対にエルに勝たせるなよ!」
扉が開いて、隊長さんが入ってくる。
「殿下、何かそんなに楽しいことでも?」
「あぁ、楽しかった。それじゃあ、私は城へ帰るよ」
「あ、の?」
急に会話が途切れちゃったんだけど。
「お送りします」
「不要だ。私を送る暇があったら、リリーシアを鍛えろ」
「御意」
『あれだけ訓練された精霊に囲まれてたら、アレクに手を出すなんて不可能だろうね』
光の精霊が一人振り返って、私に頭を下げる。
それに倣って、おじぎをする。
「リリーシア。殿下と何を話していたんだ?」
「ええと…」
『雑談』
「雑談…?」
「殿下を笑わせてくれてありがとう」
「え?」
「あの方も大変なんだ。王位を継承するにも、根回しがたくさん必要だからな」
皇太子だからと言って、すべての人が簡単についてくれるわけじゃない。信頼できる王位継承者かどうか、ずっと試され続けているんだろう。
あの精霊たちだって、きっと、アレクさんが守るべき相手だからついてるんだよね。
でも、そんなに大変な立場に居ながら、エルを気にかけてるなんて。
アレクさんは、フラーダリーの意志を継いで、エルを見守っているの?
「じゃあ、続きをやるか」
「はい!」
また会えたら、聞いてみようかな。
※
帰ったのは、もう日も暮れてしばらく経ってから。
三番隊の人たちと夕飯を食べて、送ってもらう。
すっかりお世話になってしまった。三番隊の人たちって、あんなに忙しいのに。
シャワーを浴びて、エルの部屋に戻る。
「ただいま、エル」
「おかえり、リリー」
あれ?机じゃなくて、ベッドに座ってるなんて珍しい。
「早いね。もう寝るの?」
「眠れるかな」
「眠れない?」
エルの隣に座る。
「眠れないかもしれない」
明日のこと、考えてるのかな。
「私も。ドキドキしてる。いつもの勝負と違う。たった、一撃で決まってしまうから」
「リリーは俺に勝つ自信があるのか?」
「ないよ。今まで、一度もエルに当てられなかった」
「俺だってそうだ」
「エルは余裕じゃないか」
私なんて、勝てるイメージが全くない。
「そうだ。あのね、決闘の場所が、三番隊の訓練場になったんだ。あんまり派手にやると迷惑になるから、貸してくれるって」
「あー。一般人に迷惑かけられないからな」
「訓練の邪魔しちゃいけないから、昼休みの時間を借りることにしたんだ。だから、正午きっかりに開始するよ」
「わかった」
それで、決まってしまう…。
「なんで、一緒に行きたくないかは、まだ話せないのか?」
できれば、話したくないな。
私がエルの過去を知ってるって知ったら、エルはどう思うんだろう。
「私が勝ったら、教えてあげる」
「なんだよそれ」
「だって、エルが勝ったら、一緒に行かなくちゃいけない。そしたら、理由に意味がなくなる」
「なくならないよ。俺が知りたい」
「じゃあ、終わったら教える」
何か理由考えなくちゃ。
そもそも発端はポラリスの予言…。
あ。エルは、ポラリスの予言を信じないんだっけ。
「笑われちゃうかもしれないけど」
「じゃあ、ついでにジョージがなんなのかも教えてもらわないとな」
「か、関係ないよ」
まだ、言うの?
「全く教える気がないよな。リリーの恋人だったのか?」
「違う。全然、違うよ」
なんで、そうなるのかな。
「私の恋人は、私の好きな人はエルだけ。今までも、これからも」
ずっと。エルだけだよ。
「リリー」
エルが、私の肩に頭を乗せる。
「エル?」
エルが黙るなんて珍しい。
何か言うかなって思ったけれど。
何も言わない。
あれ、アレクさんも急に黙ったよね。
確か、あの時って。
「どうしたの?」
「幸せだ、って思って」
これは、エルの本音。
「うん。そうだね。私も幸せ」
エルの頭に、自分の頭を乗せて、手を繋ぐ。
エルと、共感してる。
「このまま、時間が止まればいいのに」
「二人で、琥珀に閉じ込められようか?」
ずっと一緒に居る方法。
「一緒なら、それもいいかな」
「銀の棺みたいだね」
永遠に一緒に居る方法。
「やっぱりだめだ」
「だめ?」
「一人だけ奪われたら、辛いから」
「一緒に居るのに?」
「琥珀を見つけた相手が、二人一緒にしてくれるとは限らない」
あぁ、そうか。
化石は掘り出されてしまう。
そして、あちこちに連れ出されてしまうね。
「でも、もしそうなったら、絶対探し出すよ」
「見つけるよ。たとえどんなに離れていても」
エルは東の果てから、西の果てまで来てくれたから。
「トリオット物語みたいだね」
「え?」
「トリオット物語は、愛し合う二人が引き裂かれるところから始まるんだよ。女性の方が殺されて、棺に閉じ込められて、東の果てに連れて行かれる。…けれど、殺されたはずの彼女は実は死んでいなくて。連れて行かれた東の果てで目覚める。そして、恋人を求めて西を目指すんだ。一方で、そんなことは知らずに、彼の方は、死んだはずの彼女が入っている棺を求めて、東へ赴く」
本物の銀の棺は、今も神の台座にあるのかな。
でも、それって悲しいかも。
棺の中に居れば、死んでいるのと変わらない。
「それで?出会えたのか?」
「まだ出会えていないよ。途中、彼の方は棺までたどり着くんだけど、棺が空っぽで、彼女が旅に出たことを知るんだ。彼女の方も、故郷に帰って、彼が自分を探していることを知る。物語の中でも、会いそうで会えないってことが何度もあって。最新刊では、同じ町に居たのに、結局、会えなかった」
「すさまじいすれ違いだな」
「うん。いつか、出会えると良いな」
エルは、私を棺に入れたりはしないんだろうな。
フラーダリーを失っているから。
「出会えるよ。一緒に居たいと願っているなら」
エルは私と一緒に居ることを望む。
生きている私と。
「エル、ごめんなさい」
「ん?」
「本当は、一緒に行きたい。…でも、だめなんだ」
「いいよ。リリーが俺のことを好きでいてくれるのは、わかってるから」
「ずっと一緒に居るって約束したのに」
「一緒に居るよ。どこに居ても。リリーのことを考えてるから」
「私も、エルのことを考えてる」
エルが私にキスをする。
こんなにも愛されてる。
だから、私はあなたを救いたい。
あなたを縛る、呪いのような思考回路から。
私はエルに守られなくても死なないって、証明したい。
「俺が勝てば、ずっと一緒だ」
「負けないよ。負けられないんだ」
顔を見合わせて笑う。




