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旧作1-2  作者: 智枝 理子
Ⅱ.王都編
20/46

27

 …だるい。

『おはよう、リリー』

「おはよう、イリス…。イリス?」

 え?

『あぁ、久しぶりだね。顔を合わせるの。ボクも外の魔法使いに倣って、ずっとリリーの中に居たから』

「いつの間に?」

『さんざんエルにキスされてるんだから、いずれこうなるってわかってるだろ』

「だって」

 いつの間に、人の姿を取れるほどの大きな魔力を手に入れたの?

 それ、全部エルの魔力なの?

「私、呪いが解けたのに」

『解ける前にもさんざんしてただろ』

「そう、だけど…」

 全部、私が奪ったんだよね。

『調子、大丈夫?』

「少しだるいかも」

『顔が赤いよ』

「あぁ、そっか。熱っぽいのか」

 なんだか、ぼーっとするのは。

『呪いが解けたせいかな』

 どういうこと?

『あの呪いは、リリーを守ってたんだよ』

 守る?

『城の中は、温暖で人間が最も過ごしやすい場所だったんだ。外はそうじゃない。寒かったり暑かったり、湿度が高かったり低かったり。天気だって滅茶苦茶で、リリーの知らない環境だっただろ?…リリスの呪いは、あらゆる外的要因からリリーを守ってたんだよ』

 そう、なの?

『気をつけなよ。やばい病気になったら大変だ』

「エルがいるよ」

『…そうだね。王都の天才錬金術師が、リリーを病気で死なせることはないか』

「どうして呪いが解けたの?」

『エルのおかげだよ』

 エルは呪いを解く方法知らないのに?

『でも、エルには分からないんじゃないかな。リリーならわかるかもね』

 エルが知らなくて、私が知ってること?

 そんなこと、全然ないと思うんだけど…。

 呪いを解く方法…。

 普段と違うことなんてした?

 昨日…。

 ようやく、気持ちが通じ合えて。

「エル…」

 隣で眠っている愛しい人の頭を撫でる。

 エルの頬にキスをする。

「…リリー?」

 あぁ、起こしてしまった。

「おはよう、リリー」

「おはよう、エル」

 エルが私を抱きしめる。

「え?」

 エルが私の額に額をつける。

「馬鹿。気づいてないのか」

 エルが私をベッドに寝かせる。

「ん…?」

 あぁ、そういえば、熱っぽかったっけ。

「今日は寝てろ」

「…でも」

 あぁ。せっかくエルのレイピアを作るって…。

「鍛冶屋には俺が言っておくから」

「ごめん」

「謝るのは俺の方だ。ごめん、無理させて…」

 あぁ、また。自分の責任だって思ってる。

「無理なんてしてないよ」

 エルが私の頬に、額に触れる。

「色んなことが起こりすぎて。疲れが出たんだと思う」

「気付いてやれなくて、ごめんな」

 そして、頭を撫でてくれる。

 本当に、優しい人。

「謝らないで。嬉しいことばかりだから。まだ、上手く整理できてないんだけど…」

「リリーは、俺の恋人だ」

 エルが私の手の甲に口づける。

 あぁ。その言葉が、私の熱を上げるのに。

「うん。エルは、私の恋人」

 あ。照れてる。

 自分で言ってることが、どれだけ人を喜ばせているか、わかってないんだろうな。

「今、氷枕を持ってくるから」

「うん」

 心配させて、ごめんね。

『大丈夫?リリー』

「エイダ。…大丈夫だよ。イリスの話し、聞いてたでしょ?」

『呪いが解けたせいって?』

「うん。大丈夫。少しだるいぐらいだから、すぐに良くなるよ」

『だと、良いけれど…』

「エイダはエルと一緒だね。心配性なんだから」

『あなたは、エルが心配性だと言うのね』

「だって、そうでしょ?私の心配ばかり。エルは自分のことなんてそっちのけで、いつも人のことばかり考えてる」

『そうね。エルはいつもそうだった。あなたのことを、ずっと想ってた。…なのに私は、エルがあなたを好きだなんて、ちっとも気づかなかったわ』

『え?エイダ、そうなの?』

『私には、恋というものが理解できないもの』

 …あれ?

「エイダ、恋をしているの?」

『え?』

「違うの?」

『どうして、そう思うの?』

「うまく言えないけど…。エイダは、恋する気持ちを否定してる気がする。それって、好きな人がいて、苦しいからじゃないのかと思って」

『私が、恋をしていると言うの?』

「うん。だって、私と一緒だから」

『一緒?』

「好きになるのに理由なんてないって言ったよね。その意味、きっとエイダはわかってるはずだよ」

『わかっている?』

「気が付いたらずっと、その人のことを考えてる。仕草を追ってしまう。もっと見ていたいと、もっと知りたいと思ってしまう」

『そうね』

「そして、知ったそばから、好きになって行く。…でも、悲しくなる。私がエルにとって特別じゃないと思うと」

 そっか。私は…。

「私、エルの特別な人になりたかったの。好きでいられれば良いって思いながら、私はずっとエルを求めてた。エルが私にする、私の嬉しいことが、エルにとっては何の意味もないことであったのが悲しくて、辛くて、苦しかった」

 手を繋いでくれることも。

 一緒に寝てくれることも。

 キスしてくれたのも。

 一緒に旅してくれることも。

 私が戦うと怒ることも。

 お姫様って呼んでくれることも。

 一緒に暮らそうって言ってくれたことも。

「結局それは、他の人にはしない特別なことだったんだけどね」

 全然気が付かなくてごめんね、エル。

 私がもう少し、一般常識に通じていれば、こんなことにはならなかったのかも。

『恋って、そんなに苦しいものなの』

「相手の気持ちなんて、わからない。言葉は嘘をつける。行為も嘘をつける。…信じないと、わからないの」

 私がそうだったように。

『信じる?』

「うん。私は、自分の気持ちを信じてる。エルを好きだって。そして、エルが私を好きだって」

『そんな不確かなものを、人間は愛と呼ぶの?』

「不確かじゃないよ。エルは私を信じさせてくれる。その愛で」

『その気持ちを信じることで愛の存在を証明するのに、愛によってそれが確実なものと信じるの?…本末転倒だわ』

「難しいよね。でも、一度愛を受け入れれば、一度信じると決めれば、それは絶対だよ」

『とても、勇気が要ることね』

「うん」

『そうね…。私たちには、信じあう勇気も、愛を信じる勇気もなかった』

 私たち?

 …あ。眩暈がする。

『リリー。やっぱり、あなたに会うことは私の運命だったのね』

 運命…?

 あぁ、だめ。

 なんだか、眠たくて。

「エイダ、エイダの好きな人って…?」

 誰なんだろう?


 ※


 ここは、どこ?

 なんだか、寒気がする。

 熱があるせいかな。

 目の前には…。

 透明な氷の球体に包まれた女性。

 虚ろな瞳が、私を見つめている。

 この顔、どこで見たんだっけ?

 あ…。

「フェリシア?」

 女性の口元だけが微笑む。

「リリーシア。呪いを解いたね」

「はい」

「もう一度、呪いを受けにおいで」

「え?」

「呪いの力がなければ、魔力を集められない。城に帰還できないよ」

「あ…」

 そうだ。

 そんなこと、すっかり忘れていた。

「私は、帰りません」

「帰らなければ、私はお前を殺してしまう」

 殺してしまう…?

 殺す、ではなく?

「それでも」

「お前が死ねば、イリスも死ぬのに」

「え…?」

「役目を果たせない精霊もまた、死ぬのだよ」

 そんな。イリスはそんなこと、一言も言っていないのに。

「おいで、リリーシア。城の中に居ればすべて平和だ」

「だめ…」

 エル…。

 だって。もう、迷わないって。

「決めたから」

 女王に逆らうって。

 あぁ。イリス…。

「そうか」

 イリス。

 私はイリスを失うなんて、考えられない。

「帰りたいなら、いつでも待っているよ。お前の為に、いつでも扉は開かれる」

「開かれる?」

「そう。呪いをもう一度受け、すべてをやり直せるように。お前が帰還を望むならば、お前の為に扉は開かれる」

 だめ。

「帰らない」

 イリスが…。

 エル…。

 氷の中のフェリシアは微笑む。

 心が見透かされているみたい。

 また、悩まなければいけないの?

 イリス。

 私が死ねばイリスまで…。

 私は、イリスを守ることが出来るの?

 …怖い。

 私は、女王のものなんだ。

 エル。

 抗うんだ。

 エルが、私を救おうとしてる。

 私が救われることは、イリスを救うことになる。

 私は、死んではいけない。

 私は、戦わなければ。


 ※


「リリー、大丈夫?」

「キャロル…?」

 キャロルが私の顔を冷たいタオルで拭いていく。

「うなされてた」

「夢…?」

 あれは、夢だったの?

 でも、夢にしては妙にリアルで。

 だいたい、フェリシアが出てくるなんて。

 あれは、警告?

 リリスの呪いを解いた私への…。

「リリー?」

「あ…、ごめんね。大丈夫」

「熱、下がったのかな?薬は飲む?」

 今朝より調子は良さそう。

 だるさもなくなったし、熱も引いてる気がする。

「大丈夫。水だけもらうね」

 キャロルが水差しから入れてくれた水を飲む。

 美味しい。

 思っていたよりも喉が渇いてる。

「体拭いてあげる」

「シャワー浴びてくるよ」

「病み上がりで?大丈夫?」

「うん。…エルは?」

「鍛冶屋に行くって言ってたよ。まだ帰ってないわ」

「そっか」

 水差しとコップの乗ったトレイを持って立ち上がる。

 それから氷枕も。

「ジンジャミエルを作ってあげるわ」

「…薬?」

 キャロルが笑う。

「違うよ。風邪に良く利く飲み物」

 それ、薬じゃないの?


 ※


 シャワーを浴びて台所に行くと、変わった香りがする。

 これって、生姜?

「甘さが足りなかったら、ミエルを足してね」

 キャロルがジャムをカップに入れて、お湯を注いで混ぜる。

 あぁ、ミエルって蜂蜜か。

 ジンジャミエルって、蜂蜜生姜ジャムのことなんだね。

 確かに、風邪には良く効きそう。

 一口、口に含む。

 もう少し、蜂蜜を足そうかな。

「リリー、ちゃんと乾かさなきゃ」

 そう言って、キャロルが私の髪の水分をタオルに吸わせる。

「リリーの髪は綺麗ね」

「そうかな。キャロルの髪の方がふわふわして可愛いよ」

「だって、こんなに黒くて真っ直ぐな髪、こっちじゃ珍しいわ」

 キャロルはそう言って、私の髪を梳かす。

「黒なんてつまらないよ」

「そうかな」

「そうだよ」

「リリーはどうしてこんなに可愛いのに、自分に自信がないの?」

「え?」

「エルに言われないの?可愛いって」

「…からかわれてるだけだよ」

「エルはからかったりしないよ。馬鹿正直だから」

「そうかな」

「だって、結局、チーズタルトを美味しいなんて一言も言わなかったわ」

 確かに。

 不味いとも嫌いとも言われていない代わりに、美味しいとも言われてない。

「なんで、苦手なのに食べたんだろう」

 夜食にまでして。

「リリーが作ったものだからに決まってるじゃない」

「え?」

「リリーが作ったものなら、砂糖の塊でも食べるんじゃないの」

「まさか」

「食べさせてみる?」

「えっ、それは…」

 本当に食べたら、吐くんじゃないかな。

「私が失敗した料理も、エルは残さず、ずっと食べてくれたよ。美味しいって言わなかったけど。だから、初めて美味しいって言われた時、すごく嬉しかったわ」

 あぁ、それ、エルらしい。

「ね?馬鹿正直でしょう?」

 そういう結論になるのかな。

 エル。本当にごめんなさい。

 甘いものなんて食べさせて。

「私、買い物に行かなくちゃ。リリー、なんでも食べられそう?」

「うん」

「わかったわ」

「あの…、蜂蜜生姜…、ジンジャミエル、使っても良い?」

「リリーの為に作ったんだもの。好きに使って良いわよ」

「ありがとう」

 これで、エルにお菓子を作ろうかな。

 バターと小麦粉…。うん。すぐに作れそう。

『リリー、何かするの?』

「うん」


 ※


 火の加減、難しいな。

 オーブンの中をこっそり覗く。

 エルは、しっとりした生地が好きかな。

 それとも、サクサクした方が好きかな。

 どっちだろう。

 しっとりしたのは、そろそろ出しても良いかな…。

「リリー?」

「エル」

 エルが帰ってきちゃった。

「起きて大丈夫なのか?」

「ええと…」

 今朝は熱があったんだっけ。

「調子は?」

 エルが私の頬に触れる。

 エルの手がひんやりしてて気持ちが良い。

「オーブンの傍に居るから、熱いかもしれないけど、もう大丈夫だよ」

「紛らわしいな。…病み上がりで菓子なんて作って平気なのか」

「うん。簡単なものだから」

「簡単なもの?」

「待って。出してみる」

 オーブンから鉄板を一枚出し、テーブルに置く。

「サブレ?」

 こっちではそう呼ぶのかな。

「じゃあ、ジンジャミエルサブレだね」

 鉄板のサブレを、お皿に移す。

「食べて良い?」

「まだ熱いと思うよ」

 あ。

「魔法で冷ましちゃだめだからね?」

「料理は魔法で冷ましても変わらないのに」

「そんな急速冷却したら、割れちゃうよ」

「難しいな」

 難しいかな。

 魔法使いって、本当に日常的に魔法を使う。

 ソニアに焼きたてのカーコルを割られたことを思い出すな。

「午後には、鍛冶屋に行ってみる」

 調子も良いし。

「今日は休めって言ってたぞ。力仕事なんだから、病み上がりで無理をしないほうがいい」

 アラシッドさんにも心配かけちゃったな。

「でも、早くレイピアを作って、エルと勝負したい」

「だから、俺は勝負してるつもりなんてないぞ?リリーに稽古をつけてもらってるんだから」

「一撃も当てられないのに、私が稽古をつけてる気分にはなれない」

「それでも、リリーみたいに強い剣士に相手してもらえるだけで勉強になるよ」

「勉強になっているのは私だ。エルの動きは難しい」

 あんな動き。剣の使い方。全部初めて。

 少なくとも、風の魔法をもう少し理解しないと…。

「あんまり、魔法をこういう風に使う奴はいないと思うけど。魔法使いは距離を取って戦うから」

 あ。魔法部隊の人たち、みんな離れて戦っていたっけ。

「そういえば、エルって接近戦が多いよね」

「いや、不可抗力っていうか。そういう戦いに巻き込まれやすいんだよ」

 自分でもわかってないのかな。

 私に戦わせたくないって。

「オペクァエル山脈の時も、黄昏の魔法使いの時も、亜精霊の時も。私よりも前に出ていたよね」

「そうだっけ」

「うん。本当は、私の方がエルを守らなきゃいけないのに」

「なんだよそれ」

「私は魔法も効かないし、敵から攻撃を受けるなんてしない。私が前衛に居る間にエルが強い魔法を打てば、だいたいの戦闘はすぐに終わるよ。亜精霊の時がそうだった」

「…でも、リリーを危ない目に合わせるなんて」

 もう。そんなに信用ないのかな。

「エル、私を信じてほしい。私は、負けないし傷つかない。…もしも、私が一撃でもエルに当てることができたら、信じてくれる?」

「リリーが本気になったら、敵うわけないだろ」

 この前も、本気だったんだけどな。

「それはエルの方だ」

 だって。

 エルは、どうして右手でレイピアを持ってるの。

「エルが本気で私に攻撃を当てようとすれば、私は避けられるかわからない」

 エルは本気で戦ってない。

 本気じゃないのに、負けたから悔しいんだ。

「それに、エルは魔法使いだ。たとえ私に魔法が効かなくても、あらゆる方法で私の行動を制限できる」

「制限か…」

「あ」

 いけない。まだ、サブレを入れっぱなしだった。

 慌てて、オーブンを開いて残りのジンジャミエルサブレを出す。

 良かった。焦げてない。

 別のお皿に、鉄板から焼き立てのサブレを移す。

 冷ませば、こっちも完成。

「そっちの、もう冷めてると思うよ。…あっ」

 急に、ロープで、体を縛られる。

 ロープの先は、エルが持っている。

 あれ…?これ、魔法で作ったロープ?

「え?どういうこと?」

「脱出できるか?」

 ええと。

 思い切り力を込めると、ロープが切れて、消える。

「強度に問題があるな。もう少し頑丈に作れたら使えるんだけど」

「今の、魔法のロープ?私、魔法も効く体になったの?」

「それはないだろうな」

 エルが私の目の前で魔法を使う。

 なんだろう。癒しの魔法?

 一瞬だけ淡く光ったのは緑。

 …あぁ、やっぱり、魔法は効かないのか。

「今のロープは、まだ練習中だから」

 魔法が効かない相手でも縛れるロープ?

「そんなの使われたら、勝てる自信がない」

「使わないよ」

 エルはそう言って、ジンジャミエルサブレを食べる。

「見た目に魔法使いってばれるような魔法を使ったら、稽古の意味がない」

「どういうこと?」

 そういえば、なんで急に剣の稽古なんて?

「セルメアにはちょっとした因縁があって、魔法使いってばれるわけにはいかないんだ。だから、剣士でもある程度通用するように稽古を頼んだんだよ。別に戦いに行くわけじゃないから、本格的にやるわけじゃない」

 あ。セルメアって、国境戦争の敵国?

 そうか。黄昏の魔法使いってセルメアの悪魔だったっけ。

「そうだったんだ。…でも、勝負はやめないよ。私は、片手剣であればいい?」

「あぁ。十分だ。リュヌリアンなんて出されたら、勝算がない」

 え?

「なんで知ってるの?」

「ん?」

「剣の名前…」

「自分で言ってたじゃないか」

 言ったっけ?

 言った覚え、全然ない。

「そうだっけ…」

 いつだろう。

 剣に名前を付けるなんて変、って思われたらどうしよう。

「そういえば、ジョージって、」

「あの、それは、」

 あぁ、それも。それもばれてるんだった。

「なんで隠すんだ?」

 どうして、なんでもばれちゃうの。

「言いたくない」

「…じゃあ、俺が勝ったら教えてもらうかな」

「だめ」

 なんで、そんなに聞きたがるの。

「だめって言うなら、勝てばいいじゃないか」

「それだけは、お願い」

 絶対に言えない。

「そっちのも、食べて良い?」

「うん」

 たぶん。冷めてるんじゃないかな。

 エルが長く焼いた方を手に取って食べる。

「美味いな」

 え?

「両方美味しいけど、こっちの方が好きだな。香ばしい。焼きの時間の違いで、こんなに変わるのか?」

「うん。サブレの厚さも少し違うけど」

「これ、簡単に作れるものなのか?」

「キャロルが作ってくれたジンジャミエルを練り込んだだけだから」

「それだけで?…じゃあ、もっと作れる?」

「キャロルのジンジャミエルを使い切っちゃったから、全く同じものは作れないけど…」

「ジンジャミエルを作れば良い?」

 あぁ、そうか。キャロルに料理を教えたのはエルだもんね。

 そんなに気に入ってくれたのかな。

「今度、ペッパルカーコルを作ってあげる」

「ペッパルカーコル?」

「スパイスの効いたサブレだよ。きっと、好きだと思う」

「コーヒーの菓子はいつ作ってくれるんだ?」

「えっと…。レイピアができたら?」

「楽しみにしてる」

 ごめんなさい。

 そんなに楽しみにしてるなんて知らなかったの。

「エル」

「ルイス」

 ルイスが台所に入ってくる。

「カミーユが来たけど」

「カミーユ?…研究室に連れて行け。ルイス、薬のレシピ持ってるか?」

「これだよ」

 それって、昨日の薬?

 エルがルイスからメモを受け取ると、行ってしまう。

「カミーユなら、もう研究室に居るよ。…聞いてるのかな」

 部屋に薬を取りに行ったのかな。

「ルイス。ごめんね、昨日の薬…」

「あぁ、聞いたよ。エルは飲まなかったんだってね」

「うん。一口だけ飲んだけど…」

「一口飲んだの?」

「うん」

「それで?」

「え?」

「エル、平気だった?」

「どういうこと?」

「何もされなかった?」

「えっ」

 どういう、意味?

「…そう」

『エルの奴、嵌められたな』

 イリスの笑い声が頭に響く。

 どういう意味?

「このサブレ、どうしたの?」

「あの…。キャロルがジンジャミエルを作ってくれたから、焼いてみたの」

 ルイスがサブレを食べる。

「美味しい…」

「こっちのも食べてみて?食感が違うはずだよ」

 もう片方のお皿をルイスの前に出す。

「あぁ、サクサクしてる。どっちも美味しいね。タルトも美味しかったし、リリーシアは本当にお菓子作りが上手いんだね」

「リリー、後で食べるから、俺の分取っといて」

「え?」

 台所に顔を出したエルが、それだけ言って行ってしまう。

「エルの為に作ったの?」

「えっと…」

「恋人の為に作ったの?」

「あ、の…」

 ルイスが笑う。

「ごめんね、リリーシア。エルのことよろしくね」

 そう言って、ルイスは台所を出る。

『リリーは一生、ルイスに適わないんだろうね』

 からかわれてる…。

『それより、エルの、取っておいてあげないの?』

 どうしようかな。

 そうだ、この前、チーズタルトを包んだ袋があったよね。

 あれに入れておこう。

 エルはサクサクした方が好きって言ってたから、こっちので…。

 詰めながら、一枚とって食べてみる。

 甘さもあるけど、これぐらいの甘さなら、エルは平気なのかな。

 うん。上手くできて良かった。

「どれぐらい、食べるのかな」

『いくらでも食べてくれるんじゃない?リリーが作ったものなら』

「茶化さないで。味付けはキャロルのジンジャミエルだよ?」

『焼き加減が気に入ってたじゃないか』

「…でも」

『本当に、リリーはいつも自分に自信がないよね』

「あんな完璧な姉妹に囲まれてたら、そうなるよ」

『はぁ?何言ってるのさ。ボクに言わせればリリーが一番完璧だよ』

「え?」

 イリスがそんなこと言うの、初めて。

『リリーはボクのパートナーなんだから、もっと自信を持ってよ』

「ありがとう。イリスは優しいね」

「リリーシアちゃん」

「!」

 台所の入口にカミーユさんが立っている。

 全然、気が付かなかった。

 なんで?エルと一緒に研究室に居たんじゃ…。

「悪いね。驚かせちゃったかい?…あのさ、エルの奴、貧血でぶっ倒れたから、面倒見てやってくれないか?」

「え?」

 エルが、倒れた?

「研究室に居るから」

「エル、」

 急いで研究室に入ると、エルがソファーで横になっている。

「エル、大丈夫?」

「あぁ」

 具合悪そう。

「何か飲む?」

「一緒に居て」

 エルが私の手を掴む。

「うん」

「膝枕」

 膝枕、って。

 それで、具合良くなるのかな。

 ソファーに座って、エルの頭を膝に乗せる。

「カミーユは何か言ってたか?」

「エルが貧血で倒れてるから面倒見てやってくれ、って」

 貧血かな。顔は青くないけれど。

 エルの頭を撫でる。

 金色の髪。

「エル、大丈夫?」

「キスして」

 エルが、ゆっくり目を閉じる。

 エルの唇に、口づけると、エルの口が動く。

 …もう。

 唇を離しても、エルは目を閉じたまま。

「エル、寝ちゃだめだよ」

「ん…」

「お昼食べてないんでしょ?」

「うん…」

「聞いてる?」

「ん…」

「もう」

 寝ちゃうんだ。

 甘えられたの、初めてかも。

「エル、リリー」

 研究室に、キャロルが入ってくる。

「キャロル」

「エル、寝ちゃったの?」

「そうみたい」

「もう、本当に不摂生なんだから」

 キャロルはそう言ってブランケットを出すと、エルにかける。

「マリーが来てるの」

「マリーが?」

「出先で会ったのよ。一緒にランチに行こうって言ってるけど、どうする?」

「行くよ」

「調子は大丈夫?」

「うん。平気」

「わかったわ。伝えておく」

「エルは、部屋に連れて行った方が良い?」

「ソファーで大丈夫よ。いつもここで寝てるもの」

 それは、研究室に引きこもってる時の話しなのかな。

「もう少し、待っててもらっても良い?」

「うん、わかった」

 そう言ってキャロルが研究室を出る。

『何か用事?』

「もう少し、一緒に居たくて」

 だって、エルが一緒に居てって言ったから。

『リリーはエルのことが大好きねぇ』

「ユール?」

『エル、良かったねー』

「ジオ」

 あれ?エルが寝てる時にエルから離れられるの?

 今までそんなこと、一度もなかったのに。

『ねぇ、イリスちゃん。人質交換しなぁい?』

『なんだよそれ』

『あたしたちぃ、どぉしてもリリーについて行きたいのぉ』

『この前の話し?』

『そうよぉ。ジオが話したいことってぇ、エルのいるところじゃ、まずいのよねぇ』

『で?眠っている契約者から離れる代わりに、ボクにエルを守らせるってわけ?』

『ご名答よぅ』

『随分都合の良い話しだな』

『だめぇ?』

『ユールとジオじゃ交換にならない。エルが寝てたら顕現できないだろ』

『私が居るわ』

『エイダか。…それなら良いよ。ボクがエルを守る。その代り、エイダがリリーを守る』

『わかったわ。約束する。私がリリーを守る』

『さっすがイリスちゃん。ありがとぅ』

「ねぇ、眠っている契約者から離れちゃいけないの?」

『だめってことはないけどぉ。目覚めた時に居なかったら、ショックよねぇ?』

『眠った時と同じ状態にしてあげるのさー』

『精霊は、信頼関係を大事にするのよ』

 だから、エイダは日中エルから離れていても、毎朝エルのところに帰っているの?

 でも、それってエルも知らないことなんじゃないかな。


 ※


「本当、お休みってどこも混んでて嫌ね」

 今日は十六日。既望の日でお休み。

 お昼の時間はどこのお店も混んでいる。

「で?ポラリスのところに行きたいのね」

 呪いが解けたから。

 行ってみたい。

「うん。…開いてると良いけれど」

『開いてなかったら、私が開けるわ』

 エイダ。

「早く終わったら、お買い物に行きましょうね」

「買い物?」

「だって、この前の服選びじゃ満足できないわ」

「…あの、もう、充分買ってもらったよ」

「あんなの、おまけよ。古文書とお茶の代わりに買って良いって言われてるんだから」

「え?」

「聞いていないの?私がエルに頼んだ買い物の代金分、リリーに服を買って良いって言われてるのよ」

「…そうなの?」

「いつものことよ。代わりに何か買えって言うのは」

 エルって、人にお金を出させる気、全くないよね。

 初めから私になんでも買ってくれたし、ポルトペスタでも、私のドレスを買っていたし…。

 あのドレスだって、相当良いものだったと思うんだけど。

「知ってる?パッセの店でエルが何してたか」

 そういえば、エルはパッセさんのお店に先に来ていたんだっけ?何してたんだろう。

「エルが旅で仕入れたワインは、全部パッセの店に置いてくるのよ」

「あ…」

 そういえば。ポルトペスタで買ったワイン、家には置いてないみたいだよね。

 エルって、家ではお酒飲まないのかな。

「で、その代金を全部、パッセを通してグラッツ孤児院に寄付してるの」

「孤児院?」

「イーストエンドにある孤児院よ。貧困層の子供を保護してる」

 イーストエンド。職人通りの先にある貧困区。

「エルは自分の名前を使わずに、孤児院に寄付してるのよ。…本当、なんでも直接やるのは嫌がるのよね、エルって」

「そうなんだ…」

「そんなことやっても意味ないのに」

「どうして?」

「根本的な解決にはならないわ。お金があれば食べ物は買えるでしょうけど。お金がありすぎれば、たかりの対象になるじゃない。…まぁ、孤児院は国に保護されている場所だし、イーストエンドの人たちは、あそこを大事にしているけれど」

「保護されているのに、寄付が必要なの?」

「建前よ。手を出せば犯罪者にするってだけ。…そんなの、すでに犯罪者なら痛くもかゆくもないじゃない」

 たぶん、一人の人間の力では解決できない問題なんだろうな。

「エルも痛い目にあってるのに、馬鹿よねぇ」

「痛い目?」

「怪我したイーストエンドの子供が居てね。エルはその子に薬をあげた。…そうしたら、どうなったと思う?」

「傷を治したんじゃないの?」

「周りの子が、一斉に自分の腕を切った」

「え?」

「子供たちは、エルから薬をもらうために自分を傷つけたの。…薬はとても高価なものなのよ。子供たちはそれをお金に変えるつもりだったのね」

 あぁ…。

 エル…。

「リリー?…本当に、あなたは良く泣く子ね」

「だって…」

「エルが泣かない分、あなたが泣くのかしら」

「…え?」

「私、エルの泣いた顔って一度も見たことないわ。エルはフラーダリーの遺体の前でも泣かなかった」

 私も、見たことない。

 故郷を失って。

 大切な人を失って。

 きっと、エルは、自分の優しさで人を傷つけてしまったこともたくさんあるんだろう。

 傍に居ると誰かを傷つけてしまうかもしれない。

 だから、王都に居続けることができない。

 それなのに、何かできないか探し続けてるんだ。

 なんで、そんなに優しいのかな。

 泣いてもいいのに。

 どうして泣かないの?

「私がエルにできることってなんだろう」

「何言ってるのよ。あなたが居るだけで、エルは幸せに違いないわ」

「そんなことないよ」

「だって、エルがあんなに笑ってるの、久しぶりに見たんだもの」

「え?」

「ほら、パッセの店で、リリーが方向音痴っぷりを発揮してくれたじゃない」

 みんなに笑われた時の話し?

「あんなに楽しそうに笑ってるエル、久しぶりに見たわ。きっと、リリーのおかげね」

「そんなに、エルは笑わない人だったの?」

「リリーには、そう見えない?」

「だって、エルは…」

 あんなに、良く笑ってるのに。

「あなたはエルを救ってるのよ。言ったでしょう。エルを幸せにできるのはあなたしか居ないって」

「マリー…」

「ちゃんと、返事してあげたの?」

「うん。言ったよ。好きだって」

「良かった。…ありがとう、リリー」

 エル。

 私は、本当にあなたを幸せにしているのかな…。


 マリーとのんびりランチをした後、ポラリスのお店へ連れて来てもらう。

「来たね。リリーシア」

「はい」

「マリアンヌ、席を外してくれないか」

「サンドリヨン、今日は居ないの?」

「あれも傭兵稼業が忙しくてね。今日は、どこぞの姫君の護衛を仰せつかっているのさ」

 この人、普通に精霊が見えてるよね。精霊の声も聞こえるし。

 私と、同じ?

「サンドリヨンも、ここに居ることの方が珍しいものね。…じゃあ、隣の部屋で待たせてもらうわ」

「紅茶は自分で淹れられるのかい」

「失礼ね。それぐらいできるわよ」

 そう言って、マリーが隣の部屋へ行く。

「さて。それではさっそく…」

「あの、その前に、どうして呪いが解けたのか…」

「教えられない」

「何故ですか?」

「面白くないだろう」

「面白くない?」

「つまらない答えだ。だから、言ってしまえば面白くない」

 遊ばれてるのかな。

「言わない方が、気になって楽しいだろう」

 くすくすとポラリスは笑う。

 本当に、教えてくれない気だ。

「さぁ、私はお前を占いたいんだ。見せておくれ」

「どうすればいいの?」

「私を、求めろ。自分の運命を、未来を見たいと」

 私の運命。

 未来って、決まってるのかな。

 エル…。

 私はエルに何が出来るんだろう。

 急に、ポラリスが笑いだす。

「まさか、」

 声を上げて。

「あぁ、そういうことなのか!」

『…ポラリス?』

「あぁ、もう。最高だ。…そうか。だから…。あぁ、なんて、素晴らしい」

『とうとう、頭、おかしくなったんじゃないのぉ?』

『ポラリスがこんな笑い方するの、初めて見たわ』

『リリーは、人を笑わせる天才なんじゃないー?』

 私、何もしてないのに。

「あぁ、すまないね。…これほどのフラグブレイカーは見たことがないぞ」

 ふらぐぶ?

「では、予言を。見てみよう」

 あれ?今見たのと違うのかな。

「あなたは、運命の岐路に居る。あなたは、…南に行ってはいけない。行けば、すべてを失う運命」

「え?」

 南?

「これが予言だ。あぁ、面白いものを見た」

「何を、見たんですか?」

「お前の運命を。…私は、直接運命が何かを教えることはない。私が与えるのは予言だけ」

「私の運命ってなんですか?」

「…どこまで話を聞かない娘なんだ」

「私の運命を、私が知ってはいけないの?」

「あぁ。そうだ。運命なんて知るべきじゃない」

「私は女王に逆らえる?」

「いいかい。運命とは、人間が生まれた時にかけられる呪いのようなもの。人間の生き方そのものだ。世の中の人間が、千差万別の意思を持っているのはそのせいだ。お前が女王に逆らおうが逆らうまいが、運命は変えられない」

「逆らえるってこと?」

「運命は、お前の未来を縛るものではない」

「私の運命って?」

「…私も、焼きが回ったものだ。これもまた、お前の運命の力かね。そうだな。例えるならば、大きな崩壊」

「大きな崩壊?」

「そう。お前はすべてを巻き込み、壊して歩いている。エルロックの運命までも」

 え?

「あぁ、口が滑った。いいかい、他人の運命を知ってはいけない。語ってはいけない。これは内緒だよ」

「内緒?」

「そう。君と私だけの秘密だ」

「秘密…」

「最も、エルロックは運命なんて信じない。言ったところで無駄だろうが」

 運命を壊して歩くって…。

 エルの運命ってなんなんだろう。


「ねぇ、何があったの?」

「え?」

「ポラリスが、声を上げて笑うなんて、想像がつかないわ」

「…聞こえてたの?」

「話し声が聞こえなくても、あれだけの高笑いなら聞こえるわよ」

「私も、良くわからないよ。面白いものを見せてもらったから代償は要らないって言われたし」

「え?ポラリスが、代償を求めなかったの?」

「代償って、何を渡すの?」

「人によって違うみたいだけど。私の場合は、光の魔法を求めらるわ。死ぬほど魔法を使わされるから、ポラリスに占いを頼むのは命がけよ」

 そんなに怖いことなんだ。

「表から入れば、金銭しか要求しないみたいだけど」

「じゃあ、表から入れば良かったんじゃ?」

 平日の午前中なら開いているんだよね?

「無理よ。混んで混んで酷いんだから。あそこの扉が壊れてないのが不思議なぐらいよ。戸口の前で待ってても、ポラリスが手を引いた人しか中に入れないんだもの」

「…すごいんだね」

「ポラリスの予言は絶対にはずれないって有名なのよ」

 絶対にはずれない予言。

―あなたは、運命の岐路に居る。

―あなたは、南に行ってはいけない。

―行けば、すべてを失う運命。

「南って…」

「良い?リリー。エルの家があるのはサウスストリートの脇よ」

 呆れたようにマリーが言う。

「知ってるよ」

「じゃあ何?ラングリオンから南にあるのは、セルメアよ」

「セルメア?」

 あ、れ?

 それって。

 イーシャが居るかもしれないから、エルが一緒に行こうって言ってた国?

「セルメアって…」

「話したでしょう。国境戦争をしていた相手国。一応、今は平和な関係を築いているけどね。決して仲の良い国ではないわ。ラングリオンは古くからある騎士の国。ラ・セルメア共和国は、できたての若くて新しい国。体制も違うし考え方も違う国よ」

『リリー、大陸史、覚えてる?』

「うん」

 新しい国ってことぐらいは。

 確か、ラングリオンを含めた周囲の国の戦争中に、政変があって、ラ・セルメア共和国になったはず。

 どうしよう。南に行っちゃいけないって。

 セルメアに行っちゃいけないなんて。

「リリー?どうしたの?」

「あの…、マリー、ごめんなさい。私、帰る」

「そう」

「ごめんね、遊べなくて」

「いいのよ。急に誘ったのは私だもの。ランチに付き合ってくれただけで十分よ。今度はちゃんと約束してから誘うわ」

「うん。ありがとう」

「送りましょうか?」

「大丈夫」

「エルの家、どっちかわかる?」

「あっちでしょ?」

 南を指さす。

『大丈夫よ、マリー。リリーには精霊がついているわ』

 今日はイリスは居ないんだけど。

 ナインシェにはユールとジオも見えているはずなのに。

 エイダがサンドリヨンだってことも知っているはずなのに。

 精霊同士のルールだから、言わないのかな。

「そうね。じゃあ、また」

「うん。今日はありがとう」

「あ。お菓子、ありがとう」

 マリーがジンジャミエルサブレの入ったクッキーの袋を揺らす。

「甘くないかもしれないけど…」

「香ばしい匂いがしたわ。リリーは本当に女の子らしいわね」

「え?」

 私が、女の子らしい?

「それじゃあ、エルによろしくね」

「うん」

 マリーに手を振って別れる。

『リリー、どうするのぉ?』

「どうしよう」

 エルはセルメアに行く。

 でも、ポラリスは南に行ってはいけないと言う。

『エルと一緒に行かないつもりぃ?』

「だって、行けば、すべて失うって」

『リリー、エルと一緒に行ってあげてー』

『そうよぉ』

『タイミングが最悪だよねー』

「え?」

『エルがフラーダリーを失ったのは、婚約してから、エルが初めてフラーダリーの傍を離れた時のことなのよ』

 それって。

『エルとフラーダリーは、エルの卒業後、ヴィエルジュに婚約したのぉ。エルはまだ十八歳だったから、その年の終わり、エルが誕生日を迎えたら結婚しようって、ね』

『でも…。ヴェルソの月。エルは砂漠へ行って私と契約をした。同じ時期に、フラーダリーは国境戦争へ行くことになった。そして、エルが居ない間に、フラーダリーはオリファン砦で命を落とすことになったの』

 新年のヴィエルジュから、およそ半年。冬の終わりだ。

『ね?エルはぁ、リリーと離れたくないと思うわぁ』

『離れたら守れないからねー』

『きっと、今離れれば、フラーダリーの時のことを思い出すわ』

 フラーダリーが、自分がいない間に、死んでしまったから?

 私が今エルの傍を離れると、私が死ぬかもしれないって思うの?

 エル…。

―あなたは、南に行ってはいけない。

―行けば、すべてを失う運命。

 この予言の意味って。

「行かない」

『えー?』

『行かないのぉ?』

『リリー、何故?』

「私は、行ってはいけないんだと思う」

 一緒に行けば、エルは私を守るだろう。

 だから、行かない。

 今、このタイミングしかないんだ。

 フラーダリーが死んだのはエルが離れたせいじゃないって。

 一緒に行かないことで、証明するんだ。

 私は死なないって。

『リリー。だめよぅ』

「どうして?」

『エルの傍に居た方が、良いわぁ。エルは強いものぉ。傍に居る人を、死なせたりしないのぉ。でも、離れたら、危険よねぇ?』

「そんなことないよ」

『何度、死にかけたか覚えてるぅ?』

「え…?」

『オペクァエル山脈。ポルトペスタ。王都』

「オペクァエル山脈はわかるけど、他は?」

『ポルトペスタで、エルの魔法をまともに受けたよねぇ?』

「あれは…、」

『リリーがかばった魔法使い、リリーを守ったんだよねぇ?』

 なんで、ソニアが氷の盾を使ったこと、知ってるの?

『王都で亜精霊と戦っていた時も、危険だったわ。自分の剣を手放すなんて。エルが来なかったらどうしていたの?』

「それは…」

『エルは、リリーを危険な目に合わせたくないのにねー』

『リリーったら、進んで危険なことするんだもの』

『わかるよねぇ?リリー。エルは、リリーが大切なのよぅ?だから、守りたいのぉ』

―俺はリリーを守りたいんだ。

 エルは恐れてる。

 自分が離れれば、私が死ぬんじゃないかって。

 だから、あれほど私が一人で戦ってると怒るんだ。

「私、十分戦える剣士だよ。それに、どんなに死にかけても、結果として死んでないよ。そんなに心配しないで」

『リリー。あなたは強いわ。でもね。たとえポラリスの予言があったとしても、あなたはエルの傍を離れてはいけない』

『オイラも同感』

『あたしもぉ』

 どうして?みんな。

『リリー。せっかく結ばれたのに、エルを一人にするというの?』

『きっと、エルは傷つくと思うなー』

『リリーが一緒に行きたくないなんて、言うと思ってないわよねぇ』

 それでも、私。

「あの…、そろそろ陽が落ちますので、お出かけは危険ですよ」

「え?」

 目の前に、大きな門。

『ここはサウスストリートの果て。南大門よ』

 ここをくぐれば、王都の外。

「あっ。すみません」

 謝って、踵を返す。

 あぁ、いつの間にか職人通りを通り過ぎちゃっていたんだ。

 早く帰ろう。

『ねぇ、ジオ。リリーとお話ししないのぉ?』

 あ。そういう約束だったっけ。

『する気分じゃなくなったなー。リリーの考えてること、さっぱりわかんないや』

『困ったお姫様ねぇ。本当に行かないのぉ?』

「行かないよ」

『エルが折れたぐらいの強情っぷりは相変わらずだねー』

 だって。

 私がエルにできることって。

 エルの為に死なないことだけ。



「おかえりなさい、リリー」

「おかえり、リリーシア」

「ただいま、キャロル、ルイス。…エルは?」

「エルはまだ研究室で寝てるみたいだよ」

「え?まだ?」

「ちっとも起きないんだもの」

 まさか。私、魔力奪ってる?

「そろそろ起こしてあげて」

「うん」

 研究室に行こうとすると、ルイスに腕を引かれる。

「リリーシア。これ、エルに渡してくれる?」

「手紙?…うん。わかった」

 ルイスから手紙を受け取って、研究室へ。

「ただいま」

『おかえり、リリー』

『イリスちゃん、ありがとう』

『ありがとうも何も、エルの奴、全然起きなかったよ』

『そうねぇ。こっちも、目的は果たせなかったものねぇ』

『え?…何やってるんだよ、リリー』

 せっかく、イリスがエルのところに残ってくれたのに、ごめんね。

『まぁいいや。エルを起こしてあげてよ。なんだかうなされてたみたいだから』

 悪い夢でも見てるのかな。

 …エル。

 私、エルを救いたい。

「エル、起きて。…エル、」

 ぱちっと、エルの目が開く。

「リリー?」

「大丈夫?うなされてたみたいだけど」

 エルが飛び起きて、私を抱きしめる。

 …苦しいよ、そんなに力を入れたら。

「エル?」

「変な夢を見た」

 そんなに、怖い夢?

 それって、私が死ぬ夢じゃないよね?

「どんな夢?」

「嫌な夢だ」

 話せない内容なの?

「…エル、もう夕方だよ」

「夕方?」

 エルが私を離して、窓の方を見る。

「そんなに寝てたのか?」

「うん。…大丈夫?私、魔力奪ったりしてない?」

「してないよ」

 エルが笑って、私にキスをする。

 あぁ、良かった。いつものエルだ。

「エル、手紙を預かってる」

 エルが手紙を開く。

 もう一枚は、地図?

「…レイピアができたら、セルメアに行こう」

「え?」

「ディーリシアの居場所がわかった」

 もう?

「ラ・セルメア共和国って、南だよね?」

「あぁ」

 本当に。すぐに決めちゃう。

 私が行かないって言ったら、どう思うのかな。

「考えさせて欲しい」

「え?」

「行くのを」

「ディーリシアに会うのが怖いのか?」

「そうじゃない」

 だって、今一番の私の問題って、エルのことだから。

「わかった。それじゃあ、三日後に出発する。それまでに考えておいてくれ」

 早いよ…。

「行かなくてもいい?」

「だめだ。連れて行く」

 あぁ。問答無用だ。

「考えさせて」

「理由は?」

「言えない」

 ポラリスの予言のこともあるけれど。

 エルが失い続ける運命なら、尚更。

 私が死なないことを証明したいなんて言えない。

「一緒に行こう、リリー。離れたくない」

「エル…」

 やっぱり、私が死ぬかもしれないって思ってるんだね。

「ごめんなさい」

 だったら余計。

 エルと一緒には行けない。

「わかった。それなら、こうしよう。三日後に、俺と勝負しろ。方法は、昼に言った条件での決闘。俺は、周りに魔法使いってばれるような魔法も、リリーを縛ったロープも使わない。その代り、リリーは片手剣で戦う。リリーが俺に一発でも攻撃を当てられれば、リリーの答えに従う。俺が勝ったら連れて行く。どうだ?」

 難しいな、それ…。

「エルの、勝利条件は?」

「…同じ」

「私に、一撃でも攻撃を当てること?」

「あぁ」

 それで、エルが納得するなら。

 どちらにしろ、私がエルに勝たなければ、エルの考えを変えることはできないだろう。

「わかった。受けるよ」

「受けるのか」

 エルがため息をついて、頭を抱える。

 そんなに落ち込むことかな。

 …落ち込むよね。私、酷いこと言ってる。

「あの、エルと一緒に居たくないわけじゃないよ、ただ…」

「わかったよ。俺は勝つからな」

 どうしよう。エルの本気なんて。

 勝てるんだろうか。

 全然勝てる見込みがないのに。

 でも。

「私も。負けられない」

 負けないよ、エル。

 私はエルに勝って、私が絶対に死なないことを証明する。

 エルがもう、何も失わないって証明してみせる。


 ※


 エルが、私の髪を手に取って、キスをする。

「綺麗な髪」

 私の黒い髪が?

「黒い髪なんて。夜の色だ。エルは朝陽の色なのに」

 エルの金色の髪を、自分の手に絡める。

「朝陽?」

「だって。朝陽は黄金色だよ」

「黄昏じゃなく?」

「黄昏は茜色だよ」

「そうだな」

 エルが黄昏の魔法使いなんて変だよ。

 私なら、暁の魔法使いって呼ぶ。

 だって、この紅の瞳は。

 空を黄金に染める太陽。

「私はエルの瞳も好きだよ」

「この瞳が、何て呼ばれてるか、知らないのか」

「何て呼ばれてるか?」

 ポリーは、ブラッドアイって呼んでいたよね。

 この吸い込まれそうな瞳。その輝き。

 強い、太陽。

「濃い、カーネリアン、かなぁ」

「カーネリアン?」

「火輪石。石の名前だよ」

 私の迷いを断ち切り、勇気をくれる瞳。

「そんなこと、初めて言われた」

 エルが笑って。私の頬を撫で、私の瞳を見る。

「俺もリリーの瞳が好きだよ」

「黒なんて」

「こんなに輝く黒い瞳を見るのは初めてだ」

「輝く?」

「そう。黒い宝石はないのか?」

「黒い宝石は…」

 黒曜石、黒琥珀、黒水晶…。

「あぁ。知ってるのがある。真珠にも黒があったな」

「黒真珠?」

「そう」

 黒真珠って。意味、わかってるのかな。

「イリデッセンス」

「…え?」

「ほら、虹石と同じ」

 太陽の光を受けて七色に輝く光学現象、イリデッセンス。

 それを持つのは、黒真珠の最高峰のものだけ。

「そんなこと、ないよ」

 わかってて、言ってるのかな…。

「自分の目のことなんて、自分じゃわからないだろ?」

「黒い髪に黒い目なんて、つまらない。私は好きじゃないよ」

「勿体ないな。こんなに綺麗なのに。俺は好きだよ」

 エルが私の目元にキスをする。

 エル。

 あなたが私の瞳を黒真珠に例えるなら。私はやっぱりあなたを救わなければいけない。

 真珠は、姫の石。

 黒真珠は、騎士の石なんだよ。



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