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第6楽章 果てなき計算(上)

わが子の命の砂時計と競って、彼は、掛け算を足し算に変えはじめた。

 務めは、一人の子から始まった。


 アグネスとの間に生まれた子らの中に、ひときわ体の弱い娘がいた。ヘレンといった。生まれたときから息が浅く、冬になると咳が止まらず、頬は蝋のように白かった。それでいて、瞳だけは、誰よりも数や星をおもしろがる、よく光る瞳だった。


 夜、ジョンが書斎にこもると、ヘレンはよく、毛布にくるまって、その足もとへやってきた。

 星の名を教えて、と娘はせがむ。父は窓の外の星をひとつずつ指さして名を告げ、ついでに、星と星のあいだの隔たりを、数で語ってきかせた。娘には、その数の大きさが、おとぎ話の竜のように聞こえるらしかった。「もっと大きな数を」と娘はねだり、父は、倍にしては倍にし、たちまち天をも超える数を口にして、娘を笑わせた。父にとって、その小さな笑い声は、どんな星表よりも、計り知れぬものだった。


 だがその冬、ヘレンの咳は、ただの咳ではなくなった。

 ジョンはその子を見るたびに、止まったままの双子の拍子を思い出した。今度こそ、止めさせはしない。彼は医者を呼び、町じゅうの薬種屋を回らせた。だが医者は、同じことしか言わなかった。


「この病に効く薬は、この国にはございませぬ。ただ――」と、医者は声をひそめた。「海の向こう、新しい大陸や東方の地には、こうした胸の病に効くという草があると聞きます。されど、それを積んだ船が無事に帰るかどうかは、神のみぞ知ること」


 神のみぞ知ること。ジョンはその夜、北の窓辺に立った。海の上を、いつものように帆が滑っていく。あの船だ。あの船が、薬を積んで、一日でも早く帰ってくれれば。


 だが、船は遅かった。

 船は迷った。

 なぜ迷うのか。

 航海とは、つまるところ星を測ることだ。太陽や星の高さを測り、その角度から、いま自分がどこにいるかを割り出す。そしてその割り出しには、三角法の――気の遠くなるような掛け算と割り算の――海があった。航海士たちは、揺れる船の上で、夜ごと膨大な数を相手に格闘し、時に桁を間違え、間違えたまま舵を切り、暗礁に乗り上げた。

 病気の子の父は思った。

 計算の遅さが、船の遅さなのか。

 船の遅さが、薬の遅さなのか。

 薬の遅さが――子の命の砂時計なのか。


 その瞬間、少年の日のつぶやきが、四十年の時を越えて、轟くように甦った。


 掛け算が、足し算になれば。


 もしも、あの算術書の二つの列――倍々の岸と、一つずつの岸――を、隙間なく一本の道として架けることができたなら。航海士は、もう大きな数を掛け合わせる必要はない。表を引き、ただ足すだけでいい。

 星を測る夜は短くなる。船は迷わなくなる。船は速くなる。

 薬は、間に合う。


 ジョンは机に向かった。もう、立ち上がらないつもりだった。


 仕事は、想像を絶していた。倍々の列は、四と八のあいだに何もない。その隙間を埋めるには、橋の飛び石を、無限に細かく刻まねばならない。彼は、ほとんど一ずつしか違わぬ比を、気の遠くなる回数だけ掛け続け、その一つひとつに、対応する足し算の目盛りを与えていった。

 一行の表をつくるのに、幾晩もかかった。表は厚みを増し、彼の背は曲がり、指は痛み、目は霞んだ。痛風が足を蝕みはじめた。

 蝋燭が、一本、また一本と燃え尽きた――かつて城の老僕の卓で、彼が見つめたあの蝋燭のように。今、彼自身がその蝋燭になっていた。誰かの時間のため、自分の時間を燃やしていた。


 夜が更けると、隣の部屋から、子の咳が聞こえてきた。乾いた、浅い咳。ジョンはペンを置き、蝋燭を手に、その部屋へ行った。


 子は薄い胸を上下させて、目だけを開けていた。「父さま。まだ、起きているの」


「ああ。仕事をしている」


「なんの、仕事」


 ジョンは、どう言えばいいか分からなかった。お前の薬を積んだ船を、少しでも早く帰すための仕事だ、とは言えなかった。だから、こう言った。「掛け算を、足し算に変える仕事だ」


 子は、かすかに笑った。「それは、魔法?」


「いや」と彼は言った。「魔法ではない。だが、魔法よりも、ずっと役に立つ」


 やがて子の瞼が落ちた。ジョンは枕もとに残り、その寝息に耳を澄ました。

 一つ、二つ、三つ……かつて双子の枕もとで数えた、あの拍子だ。今また、彼は数えていた。昼は机の上の数を数え、夜はこの子の息を数える。そんな二つの仕事がもつ、ただ一つの願い。それは、この小さな拍子が、机の上の仕事が終わるその日まで、止まらずにいてくれることだった。

続く

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