第9楽章 時を贈る
予言した終わりは、来なかった。だが、彼の数は、終わらなかった。
痛風が、少しずつ彼の体を蝕んでいった。
一六一七年、ジョン・ネイピアは、最後の力をふりしぼって、もう一冊を遺した。「ネイピアの骨」について記した『計算棒の書』である。書き終えると、彼の手から、ついにペンが滑り落ちた。
いや、おそらくは神が、その手にもっていたジョン・ネイピアという名のペンを、いま置いたのだ。
死の床に、彼は横たわっていた。
枕もとには、後妻アグネスと、成人した息子ロバートが控えている。
窓の鎧戸を開けてくれ、と彼はかすれた声で頼んだ。
北の窓の外には、エディンバラの灯と、その向こうの鉛色の海。
記憶の中で、海の上を一隻の帆が、ゆっくりと滑っていく。少年の日に見た、あの帆だ。
息が、浅くなっていた。アグネスは夫の手を握り、いつのまにか、その呼吸を数えていた。
一つ、二つ……かつて夫が、双子の枕もとで、そして病む子の枕もとで、そうしたように。今度は、誰かが、彼の息を数える番だった。
彼は、自ら計算した終わりの年を思った。
一六八八年から一七〇〇年。私はそれを見ることはない。そして――彼はすでに、薄々感じていた――おそらく、その年が来ても、世界は終わらないのではないか。私の数のどこかに、誤りがあったのかもしれない。けれど、と彼は思った。それでいい。世界が終わらぬのなら、それがいちばんだ。私の贈ったものは、なおさら長く、人の役に立つ。
「世界は、終わらぬかもしれぬ」と、彼はつぶやいた。ロバートが、聞き取ろうと顔を寄せる。「だが――私の数は、終わらぬ」
彼は、失った双子を思った。先立った弱い子を思った。亡き妻エリザベスを思った。そのすべてのために、自分は人生を、最後まで肯定すべきものとして生ききった、と思えた。
神の摂理を、彼はもう、頭ではなく、胸で受け入れていた。奪われたぶんを、彼は、世界に返したのだ。それは、選ばれた務めを果たし終えた者にだけ訪れる、静かな安らぎだった。
アグネスの、数える唇が、ふと、止まった。
そのようにして、メルキストンの男は世を去った。
彼の予言した終わりの年がやってきて、そして、過ぎた。
世界は終わらなかった。そして、彼の数も。
遠いプラハで、天文学者ヨハネス・ケプラーが、その対数表を手に取った。
掛け算が足し算になる――その魔法のおかげで、ケプラーは膨大な観測の数値を、かつての何分の一かの時間で解き明かし、惑星が太陽のまわりを描く楕円の法則を、世界に示した。さらに後の世、フランスの数学者ラプラスは、こう書き記すことになる。「対数は、計算の労苦を減らすことによって、天文学者の寿命を二倍にした」と。
時を恐れた男が、人類に、時を贈ったのだ。
そして、もっと後の、ある朝のこと。
一隻の帆が、荒れた海を渡りきって、港へ滑り込んでくる。船倉には、遠い土地の薬草が積まれている。船は、迷わなかった。航海士は、ゆうべ星を測り、表を引き、ただ足し算をして、まっすぐに針路を定めたのだ。かつてなら何刻もかかった計算が、今は蝋燭一本も減らさずに済む。
港の近くの小さな家で、胸を病んだ一人の子が、運ばれてきた薬を飲み、やがて、頬にほんのりと赤みを取り戻して、朝の光の中で目を覚ます。母が、泣きながら笑う。
その子は、そしてその母も、メルキストンの男の名を知らない。海を渡って薬を運んだ船が、なぜあれほど速く、確かに帰ってこられたのか、知らない。
けれど、男の祈りは――わが子には、ついに間に合わなかった祈りは――こうして、見知らぬ親子のもとで、ようやく、成就していた。
彼の贈った時間は、今も、人と、薬と、希望とを乗せて、世界の海を走り続けている。
われわれの時もまた、彼の贈り物だ。
ジョン・ネイピア(一五五〇〜一六一七)は、スコットランド、エディンバラ近郊メルキストン城の領主であり、対数の発明者である。対数とは、掛け算を足し算に、割り算を引き算に変えてしまう「数の鏡」であり、これによって天文学者や航海士は、それまで何刻もかかっていた計算を、表を引いて足すだけで済ませられるようになった。後の世、フランスの数学者ラプラスは「対数は計算の労苦を減らすことで、天文学者の寿命を二倍にした」と評している。本書の主題である「時を贈る」は、この言葉に着想を得たものだ。
興味深いのは、ネイピア自身が、自らの最高傑作を対数だとは考えていなかったことである。彼が生涯を賭けたと信じていたのは、『ヨハネ黙示録の解明』(一五九三)という一冊の神学書だった。そこで彼は、聖書から世界の終わりの年を、一六八八年から一七〇〇年のあいだと計算してみせている。終末を本気で信じた敬虔なカルヴァン派の彼が、その一方で、はるか未来のための道具を黙々と作り続けた——この引き裂かれこそ、私が物語の背骨に据えたものである。
史実に拠った骨格を、記しておきたい。生没年と領主としての境遇、セント・アンドリュース中退、『黙示録の解明』と終末計算、祖国防衛のための「戦の機械」の構想、「メルキストンの魔術師」と恐れられた評判と、黒い雄鶏で盗人を見破った逸話、最初の妻エリザベス・スターリングとの死別、双子の娘が幼くして世を去ったこと、後妻アグネス・チザムとの多くの子。対数の二十年におよぶ労作と『記述』(一六一四)、ヘンリー・ブリッグスがはるばる訪ね、二人が無言で見つめ合ったという「沈黙」の逸話、十を底とする常用対数への発展、「ネイピアの骨」や小数点の普及、晩年の『計算棒の書』(一六一七)と死。のちにケプラーが対数を用いて惑星の法則を解いたこと、そしてラプラスの評。これらはいずれも、記録に残る事実である。
一方、脚色した部分も明かしておく。物語の心臓に置いた「病弱なわが子のために、遠い薬を運ぶ船を一日でも早く帰したい——だから海をゆく者の計算を軽くする」という動機は、私の創作である。ただし、まったくの絵空事ではない。ネイピアが対数を作った動機は、天文と航海の計算の苦役からの解放にあり、当時の航海は、星を測る三角法計算そのものだった。そして大航海の時代は、遠い土地の未知の薬がもたらされはじめた時代でもある。史実として双子の娘の夭逝がある以上、「数で終末は計算できても、わが子の死期は数えられなかった」父の像は、史実の余白に静かに収まると考えた。少年期や大陸放浪の場面、人物の内面と会話、そして見知らぬ親子のもとで祈りが成就するエピローグも、すべて私が思い描いたものである。
数学についても、ひとこと添えたい。物語は「倍々」の驚き——紙を四十二回折れば月に届く——から始まるが、対数の真価は、けっして倍々のようなきれいな数にとどまるものではない。端数だらけの、桁の揃わない、ありとあらゆる掛け算を足し算に変えてしまうところにこそある。少年ネイピアが算術書の二つの数の列(等比数列と等差数列)に見た「ひそかな対応」を、隙間なく一本の道として架け直したこと——それが対数表という、人類史上もっとも実用的な発明の一つになった。指数(倍々に膨らむ向き)と対数(それを足し算へ畳み込む向き)は、いわば同じ一枚の鏡の、表と裏である。本作がその不思議への、ささやかな入口になれば嬉しい。
最後に、信仰について。ネイピアを動かした召命(calling)と摂理(providence)の感覚——勤勉を神への応答とし、喪失を奉仕へと転じる生き方——は、カルヴァン主義の一つの解釈にもとづく私の描き方であって、当時の信仰のすべてを代表するものではない。ただ、彼がそのように生きたと想像することは、彼の二十年の沈黙を、もっとも美しく説明してくれるように思えるのだ。
対数と聞くと、多くの人が学校の苦い記憶を思い浮かべるかもしれない。けれどそのうしろには、終末を恐れながら、それでも人に時を贈ろうとした、一人のスコットランド人の悲しみと祈りがあった。この物語が、ジョン・ネイピアという人と、彼の遺した数の不思議とに、すこしでも興味を持っていただくきっかけになれば、これにまさる喜びはない。




