6話 やりたいこと
「……なんか、静かね」
町に足を踏み入れて最初に思ったことが、思わずつぶやきとして表に出た。お昼時だから人もいるしお店も出ている。でも人々の顔はどことなく暗く、元気がない。下を向いて歩いている人が大半で、楽しそうに食事をしている人は見当たらない。温かそうな湯気を出す食べ物と対照的に、町は冷たそうだった。
「なにかあったのでしょうか」
「私が聞いてこよう」
ラッセルが野菜を手に持った子供連れの女性に「すみません、ご婦人」と手を上げて近づいていった。声をかけた女性の前にも女性とすれ違ったのに、わざわざ奥にいた人を選んだ。
……なんでだろう?
少し思案して、ある考えにたどり着いた。声をかけた女性が、彼の好みに合致したのではないだろうか。子供を連れているけど私より若く見える女性は、短い赤髪に落ち着いた緑の瞳をしていて笑顔が愛らしい、そんな人だ。
私は自分の長い黒髪を指に絡めて毛先までたどる。クラーラが手入れをしてくれる長く伸びた髪は、背中のあたりまでまっすぐに伸びているはずだ。
そして私は目つきがほかの人と比べて鋭いらしい。普通にしているのに睨んでいると勘違いされたことが何度もある。機嫌が悪いわけでもないのに怒っていると思われることのある私の笑顔は、きっと愛らしいものではないだろう。
そんなことを考えていると、ラッセルの行動が私への当てつけのように思えてきてイライラしてきた。そんなわけない、と自分に言い聞かせてみても、もやもやが晴れない。
「――――そうです。……マリー師匠?」
思案している間に近くに来ていたラッセルに呼びかけられて、私は知らぬ間に下を向いていた顔を上げた。どうやらなにか話しかけられていたみたいだけど内容が全然わからない。ラッセルの顔がかすかに強張っていた。
「マリー、どうかしましたか?」
クラーラの呼びかけに私は首をふった。「どうもしてないわ。ごめんなさい。ぼおっとしていて、話を聞いていなかったわ」
「……も、もう一度説明しましょうか?」
なぜか歯切れの悪いラッセルに、私は先を促した。
どうやらファフニールの谷から、夜な夜なドンッという低い音とファフニールの咆哮が聞こえてきて、そのせいで町中が不安に覆われているらしい。
「ねえ」私は一つの可能性にたどりついた。「町まで響いてくる低い音ってどんな音だったかわかる? なにか特徴とか……」
「必ず三回連続で音が鳴るそうです。低い音は一夜に一度だけ連続で鳴って、それ以降は聞こえなくなるそうです。」
なにか心当たりが? とつづけたラッセルに私は背を向けた。「二人とも、ちょっとついてきて」
私は町の外に向けて歩き出す。クラーラが困惑したように私の名前を呼んだけど、返事はしなかった。ラッセルはなにも言わない。二人がついてきてくれるのが、聞こえてくる足音の数でわかった。
私はため息をついて空を見上げる。のんきな白い雲がゆったりと流れている。少し前に涙を流した空は、いまは平和そのものだ。でもまたすぐ雨が降るかもしれない。「……嫌な天気ね」とつぶやいて、私たちは町を後にした。
「まさか、彼女がまだ生きているなんて……」
私が自分の考えを口にすると、ラッセルが目を見開いた。その意見には同感だ。正直なところ、私はあるかどうかも不明な死体を探しに行く旅だと思っていたが、どうやら違ったようだ。
あの町からファフニールの谷までは結構な距離がある。それなのに響いてくる低い音。三連続で鳴る特徴。私には確信があった。間違いなく『クレイグ病』だ。
クレイグ病は発症すると高確率で死に至る病だ。なぜ発症するかは不明。名前は初めてかかった男の人の名前を取っている。
特徴としてはラッセルが聞いた説明であっている。どこまでも響くように空気を鳴らす低い音が三連続で鳴る。それは病人のお腹から響いてくる音だ。音とともに痛みを伴い、耐え切れずに死亡する。大多数の人は三日も経てば亡くなってしまう。ラッセルにさらに詳しく状況を教えてもらったところ、音が聞こえてくるようになってから五日経っているそうだ。そこまで耐えられるなんて大した精神力だけど、力尽きるのは時間の問題だ。早急に助けなければならない。
ファフニールの谷でクレイグ病で苦しんでいるのはあの人の部下としか考えられない。ファフニールの谷に行く人間が極稀にしかおらず、私たちがファフニールの谷に行ったと知る人間は彼女しかいない。決定だ。
「それで、私たちはどうするんですか?」
「もちろん助けるわよ。そのためには『キザ鳩のくちばし』が必要だから狩るわよ」
クラーラの質問に答えると、ラッセルが「そんなものでいいんですか?」と反応した。彼の気持ちもわからなくはない。キザ鳩はどこにでもいるし、慣れれば子供でも狩れる。私にはわからないが、あの鳩たちにとってはかっこいいとされる、『空を見上げながら羽を片方だけ広げて立ち止まる姿勢』を取っている間に攻撃してやればいい。羽も肉もくちばしも希少価値はまったくない。そして肉は不味い。
「いいのよ。理由はわからないけど、あれがあるとずいぶん助かるらしいわよ」
ラッセルが眉をひそめた。「らしい、ですか?」
「ええ。昔読んだ本にそう書いてあったわ」
実際に役立つかどうかなんて知らない。グレイグ病の治療なんてしたことがないからだ。そもそもこの病気の発症率は異常に低い。初めて発症が確認されてから五百年以上経っているが、記録に残っているだけでも二十人に満たない。一番最近だと十年ぐらい前とかなり最近確認されたそうだ。風のうわさで聞いたことのない病気を聞いて興味が湧き、本で調べたのを覚えている。
調べた結果、治療法らしきものを突き止めることができた。大量の魔力で癒しをかけまくればいいらしい。その際、キザ鳩のくちばしがあるといい、らしい。
……信憑性に欠けるけど、どれだけ探しても治療できた例がこれしかなかったのよね。
「それなら苦しんでいる人のためにもたくさん狩っていきましょう」
やる気と義務感に満ちた目をしているクラーラを見ると、なぜだか罪悪感に襲われる。さっきから自信があるようにふるまっているけど、治療できるかなんてわからない。治すために大量の魔力が必要みたいだけどどれだけ必要なのかわからない。私一人分で足りるのか、持っている薬を使えばなんとかなるのか、それ以上いるのか、見当もつかない。
「そうね。数があるに越したことはないわ」
……たぶんね。
「ねえラッセル、あなたの強くなりたい理由ってなに?」
順調に進む狩りの途中、暇な私は森を先導するラッセルに聞いてみた。初対面のとき、『私は何としても強くならなければならないのです』と言っていたはずだ。
ラッセルが立ち止まってふり返った。「マリー師匠は『ジャレットの旅』という絵本をご存じですか?」
「たしか、主人公が行く先々で悪党や魔物を倒していくお話だったかしら」
「そうです。私はその主人公に憧れているのです」
想像以上にくだらない理由だった。楽しそうな顔をしているラッセルには悪いけど、はっきり言ってがっかりだ。あのときの真剣なまなざしはなんだったのか。私が聞かなければよかったと思っていると、クラーラが声を弾ませて言った。
「わかります! ジャレットがお姫様を助けるところは無我夢中で読みました!」
ラッセルの表情が眩しいくらいに輝く。「私もだ! あの腹の立つ悪党どもを一網打尽にするところは実に痛快だった!」
私の暇つぶしになるはずだった話題は二人の絵本談議になってしまった。二人は私の存在を忘れたように二人だけの世界を構築している。見えない光の壁が二人を包んでいるかのようだ。
……面白くないな。
私の気持ちをよそに、ラッセルとクラーラは話しつづける。語らう二人はお似合いの男女に思えた。
そんなことを思うのは、私にも同じような雰囲気を醸し出していた時期があったからだろうか。あの人とはよく夢を語り合った。私は好き放題魔法の研究にとりかかって大きなことを成し遂げたい。あの人はそんな私に付き添いながら研究をして、成果を次の王になる兄に渡して国に貢献し、いつかは同じ家に住みたいと言ってくれてたっけ。
私の夢はある程度は叶っているけど、あの人の夢は叶わなかった。次の王になるはずだったお兄さんが流行り病で亡くなってしまって、王になることが決まったからだ。あの人のほかに、王にふさわしい人はいなかった……。
私は「支えてくれないか」と言われたけど断った。お兄さんが亡くなるまでは二人の夢が叶うと信じてやまなかった私は、あの人を責めた。あの人は悪くないのにあの人が悪いと責め立てた。罵倒した。大声を出した。涙を流した。そして終わった。やっぱり泣いた。
「私もいつか旅に出たいんです!」
昔のことを思い出しているとクラーラの声が聞こえた。クラーラが「あっ……」と気まずそうに私を見る。ラッセルはなにか察したのか、表情が曇ってしまった。
クラーラの旅に出たい気持ちは本心だと、悪くなった雰囲気が教えてくれる。そしてクラーラの反応が、所詮は叶わない願いなんだ、と彼女が考えていることを知らせてくれる。
そういえば私はクラーラの夢や希望を聞いたことがない。ずっと私のやりたいことを手伝ってもらったり、やりたくないことをやってもらっていただけだ。それが私にとって当たり前だった。
……でも、クラーラは?
そうではないはずだ。クラーラは人形だけど心がある。好きなことや嫌いなことがあって、ちゃんと考えることができる。私やあの人、そしてラッセルと同じようにやりたいことだってできるはずだ。
でも言い出せなかったのだろう。クラーラは自分のことを人形だとわかっているし、私がいないと動くこともできなくなることだってわかっている。だからこそ私の意に沿うように生きる。私は旅に出ようだなんて考えたことがないし、したいとも思ったことがない。そのことも、クラーラは理解している。言い出せるわけがない。
人間として扱っているつもりだったけど、できていなかったのかもしれない。できているならば、動き始めて、生まれてから十五年経つ女の子のやりたいことを聞き出せていたはずではないだろうか。
「……旅に出たいの?」
「い、いえ! 違います、その、忘れてください」
……酷いな、私。
言ってはいけないことを言ってしまったとクラーラは思っているだろう。そんなふうに思わせてしまう私は、無自覚に酷いことをしてしまっていたのだろう。夢を持ってはいけない。希望を口にしてはいけない。残酷なことを、私はしていたんだ……。
「……いいわよ」
「えっ……?」
私は可能な限り明るい笑顔を作る。「旅に出てもいいわよ」
「でも、研究は……。マリーは研究ができなくなってもいいんですか?」
いいわけがない。私は愛する人と研究を天秤にかけて研究を取った女だ。たとえ家族相手でも、意地でも研究は譲らない。
「さすがにそれはよくないわ」
クラーラが肩を落とす。「ですよね」
「だから、私研究するわ。家を自由に持ち運びできる魔法を!」
「……はい?」
「家をそっくりそのまま運ぶことができれば、旅をしながら研究もできるでしょう? いままでクラーラには私を手伝ってもらってばかりだったもの。今度は私がクラーラのために頑張る番よ」
「そんな……。私がマリーのために働くのは当然です。私はマリーがいなければなにもできないのですから、マリーのためになることをしないといけないんです。それが恩返しでもあるんです……」
クラーラが胸に手を当ててうつむいてしまった。私はそんな彼女の顔を両手で挟んでやった。「んぐっ」と声を出したクラーラの目を見て、しっかりと言った。
「そんな恩返し、私はうれしくないわ。私に恩を感じているのなら、ちゃんと幸せになりなさい。やりたいことを教えて。できる限り叶えてあげれるように努力するから。言い出しにくい状況を作ってしまっていたことは謝るわ。ごめんなさい。至らないところがあったわ」
思ったことをそのまま口にしているからなにを言いたいのか伝わるかどうか心配だったけど、ちゃんと伝わったのだとわかる。クラーラの瞳が潤んだからだ。私は弾力のあるクラーラのほっぺたからそっと手を離す。
「……いいのですか? 私がやりたいことを言っても」
「いいのよ。……いままでごめんね。私のせいで、いっぱい我慢したでしょ?」
「我慢だなんて!」クラーラが目に力を入れた。「マリーの幸せは私の幸せなんです。マリーのために働くことは幸せなんです。ですから、泣かないでください」
「泣いてなんか……」
私は指摘されて初めて頬に流れる熱いものに気がついた。とめどなく流れつづける涙を、クラーラが拭いてくれた。もう言葉は必要なかった。
鼻水まで流して泣いた私は、泣き止んでからラッセルに謝った。居心地が悪かったはずの彼は微笑むだけでなにも言わなかった。
年下のラッセルの方が私よりはるかに大人だとわかった瞬間だった。
あけましておめでとうございます。年末年始で忙しかったため遅くなってしまいました。
次回は8日を予定しています。次で完結予定ですが、長くなったら二つに分けます。




