最終話 一歩前へ 前編
キザ鳩のくちばしが十個集まったので私が町に戻ることを提案したところ、二人は承諾してくれた。
その帰り道、足をけがをしている人を見つけたから魔法で治癒してあげると、お礼に『風の魔法石』をもらった。
風の魔法石はその名の通り風を巻き起こすものだ。元から込められている魔力の量によって強さが変わる。すごく質のいい魔法石だったので、たくさん魔力を込めることができた。ファフニールが突進してきても押し返せるか、最低でも押しとどめるぐらいはできるはずだ。
町に戻って夕飯を食べたあと、宿で二人に明日の予定を話す。ファフニールの谷に行くのは私だけだと言うと、二人から反発を食らった。
クラーラ曰く、「そんな危険なところにマリーをひとりで行かせられません」だそうだが、私からすればクラーラ程度の戦闘能力しか持たない人を連れていくわけにはいかない。悪いけど、ついてきたところで足手まといだ。
クラーラは説明したらしぶしぶ納得してくれたけど、ラッセルはそうではなかった。ラッセルもクラーラと同じく戦闘能力の面で不安がある。クラーラとは比べ物にならないほど彼は強いけど、それでもファフニールを相手にするには心もとない。命の保証ができない。
「そんなことは我が王の命を受けたときから承知しています」
その言葉から始まったラッセルの勢いに私は折れた。
もし仮に私がファフニールの谷で死んだとする。そうなるとあの人の、アンブローズ王の依頼をこなそうとした一般人が死ぬことになる。部下である自分が王の命で果てるのはかまわないが、私が果てるのはとてもまずい、と彼は言う。
それもそうだろう。王が一般人に依頼するなんて普通はありえないし、通常は危険であれば危険であるほど一般人を遠ざけようとする。国の頂点に立つものは、下のものを守る立場にいる。それなのに積極的に危険にさらしたうえ、犠牲にしてしまったことが周囲に知れ渡ってしまったら、求心力は著しく低下する。王に不満を持つ人たちの行動が活発になって治安が悪くなる可能性だってある。
「いざとなったら、私が身を盾にしてでも守りますから」
と口にしてひざまずいたラッセルに、私は同行を許すほかなかった。
胸の鼓動が早くなってきたところで、私は話を切り上げて休むように命じた。共に行くことを断られたせいか、ちょっとすねたクラーラに「無理はしないでくださいよ」と何回も言われた。クラーラといいラッセルといい、私は信用がないのだろうか。
夜になってもなかなか眠れなかった。クラーラの規則正しい寝息を寝転がりながら聞いていた。だんだんと夜が深まり、空気を揺らすような低い音が三連続で鳴って、ファフニールが咆哮を上げる。思わず身体を起こし、辺りを見回した。クラーラは寝息を立てたままだ。肝が据わっているのか鈍いのか。なにも変化がないことを確認して息を吐く。また寝転がった。
大丈夫。いまのいままで、あの人の部下は生きていた。相変わらず、どうしてファフニールの谷に出向いたかはわからないけど生きている。
音を聞いたことで肩の荷が少し降りたのか、疲労が自覚症状として現れた。ここ数日酷使している足が寝台にへばりつくように重みをもつ。それは身体全体に移り、年齢とともに疲れやすくなったとため息をついて、私は眠りに落ちた。
「じゃあ行ってくるわ」
翌朝、私とラッセルはクラーラを町においてファフニールの谷に向けて出発した。やけに心配するクラーラには緊急事態になったら連絡を入れるので、そのときのために薬を調達しておくようにと役割を与えてある。万が一撤退するとなったときに逃げる体力も魔力もなくなっていては話にならない。手持ちの薬でも十分足りると思うが、彼女もなにかしていた方が不安も和らぐだろうという私なりの気配りだ。
町からファフニールの谷までは距離がある。馬車で途中まで行き、そこからは歩いて向かう。途中までとはいえ馬車に乗ることは、日に日に重くなっていく足にとっていい休憩になるだろう。
「それはなんですか?」
馬車から降りて少し時間が過ぎたころ、ラッセルが私の手にしている魔術具を見て尋ねてきた。
「これ? これは持ち主の居場所がわかる魔術具よ。クラーラには探すための魔術具を持たせてあるわ」
「初めて聞く魔術具です」
「私とクラーラしか使っていないもの」
「……それがあれば我が王もエマの居場所をもっと早く突き止めることができたのに」
私は少しだけ遠回しに非難してきた彼に向かって口を尖らせる。「そんなことを言われても……。それほど便利でもなければ簡単に作れるものでもないし、これでお金を得ようとは思っていなかったから」
ラッセルは魔術具を袋に入れた私を難しい顔をして見ている。半分は納得しているけどもう半分はしていないように見える。
あの人は『使える伝手を駆使』したらしいから、突き止めるのに時間がかかったのだろう。王に仕える彼からすれば、複雑な気持ちになるのはわかる。
「それより、エマっていうのね。ファフニールの谷にいる人」
「……言ってませんでしたっけ?」
「初耳よ。どんな人なの?」
「そうですね……。マリー師匠とクラーラなら、クラーラに似ています。穏やかに笑っていることが多く、自分が上に立って物事を進めていくというよりも、それを手助けするのを望んでいるような人です」
……つまり、私とはほぼ正反対ってことね。
「あの、なんで怒るんですか?」
「怒ってなんかないわ」
あの人はもう三十五歳になるはずだ。いい加減結婚して子をなさなければならない。兄のようにもしもが起こってしまっては取り返しがつかないからだ。
使える伝手を駆使し、もう関係が終わってしまっている私のような一般人に依頼してまで見つけ出したい女性だ。深い関係にいる人に決まっている。あの人はエマという人と結婚し、子供を作るつもりなのだ。
そんなことを考えていただけで、怒ってなんかいない。
私が怒っていると勘違いしたラッセルが黙ってしまったために会話が終わる。やることがなくなった私は少し前を歩く彼の後姿を眺めた。
いつ見ても背中がまっすぐで立っているだけで絵になる人だ。騎士というだけあって鍛えられた身体は大きい。魔法を使わない力勝負なんてしたらあっさり負けてしまうだろう。並の魔物なら『私が身を盾にしてでも守りますから』という言葉が嘘にならないと思わせてくれる男らしい身体だ。顔は中性的で頼りなさそうなくせに。それなのに精神的には私より大人でちょっとかっこいいところがある、なんて。
いつの間にかラッセルのことばっかり考えていると気づいた私はぶんぶんと首をふった。強制的に正気に戻ろうとしたからか、前方に不自然な魔力の流れがあることに気づくことができた。
「止まって!」
突然の大声にラッセルが肩をびくっとさせる。
私はラッセルの前に出て地面に手を当てる。目を閉じて指先に神経を集中させ、慎重に魔力を流す。感知の範囲を地を這う蛇のように伸ばしていく。
「捕らえた」
私は罠が仕組まれた魔方陣を宙に浮かび上がらせる。どこを通ってファフニールの谷に行こうとしても発動するように、道の幅全部が発動範囲になっているそれなりに高度な魔方陣だった。
これはエマという人が仕掛けたものに違いない。問題はどういった罠なのかだ。私はつづいて解析に当たる。宙に浮かべた魔方陣に顔を近づけて目を凝らす。危険がないことを確認した私は魔方陣を発動させようと手で触れた。
「な、なにを!?」
「落ち着いて。害はないわ」
剣と剣がぶつかったような高い音が鳴って魔方陣が発動する。指に仕掛け人の魔力がかすかについた。害はないと教えたのに、ラッセルが細剣を抜く音が聞こえた。
魔方陣が金色に光り、音声が流れてきた。
「警告します。ここから先はとても危険です。引き返してください。繰り返します。ここから先はとても危険です。引き返してください」
ここまで来た人ならだれでも理解しているであろうことをわざわざ警告してくれて、魔方陣は光を失った。仕掛けられていたのはこれだけだ。
「この声は……」
「エマっていう人の声よね?」
「間違いありません」
私はほっと息を吐いた。魔方陣が発動したからといって彼女が生きているとは限らないが、それでもなんか安心したのだ。「進みましょう」
足を進めるとまた魔方陣があった。またもや警告してくれる。
「警告。これ以上先に進むと、ファフニールが襲い掛かってきます。これ以上先に進むと、ファフニールが襲い掛かってきます。至急、引き返してください。とても危険です」
「……だったらなんであなたはそんなところに向かったのよ。ねえ? ラッセル」
「私に聞かれても……」
ありがたくもない警告を無視して先に進む。
すると前方の空から巨大な物体が近づいてきた。
「……本当に来たわね」
ファフニールの谷についてもいないのにファフニールが襲い掛かってくるなんてありえない、と心の底から思っていたのだが、どうやら私は間違っていたらしい。
たしかファフニールは自分たちの住処に踏み入れられない限り襲ってくることはないって本に書いてあったんだどなあ。
「構えてください」
ラッセルが細剣を抜いて構える。
黒い物体が近づいてくるにしたがって、その姿が鮮明になってくる。黒い羽根で風を巻き起こすかのように飛んでいるのは間違いなくファフニールだ。服が発生する風に煽られて音を立てる。牙をむき出しにした、大人がすっぽり入ってしまいそうなほどに大きい口が開かれ、雄たけびを上げた。並の人間ならいまので腰を抜かして倒れてしまうに違いない。ファフニールは私たちを金色の目で睨みながら、威嚇するように音を立てて着地した。その衝撃で地面が揺れる。足だけで人間何人分もの質量をもつその身体は傷一つなく、美しさすら感じさせる。あの大きな身体を満腹にしようと思ったら、人間がいくらいても足りなさそうだ。羽を広げたファフニールは、自分が上位の存在だと言わんばかりに私たちを見下ろした。
「なぜお前たちは我が友の警告を聞かぬ」
「あら、私たちと会話してくれるの? なかなか親切ね」
「我の質問に答えろ」
問答無用で襲い掛かってこないだなんて、なんて温厚なファフニールなんだろう。でも上から目線なのは気に入らないな。
私が挑戦的な視線を送ると、ファフニールの目線が鋭くなった。
「どうしても聞けなかったからよ」
「なぜだ」
「私たちは警告してくれた人に会いに来たからよ。王に依頼されてね」
「我が友はだれの来訪も望んでいない」
ファフニールの言葉から、私は彼女が生きていることを確信する。「そう。でも彼女がどう思っていようと関係ないのよ。私が会うと決めているからには会ってもらうわ」
「ここから先は我が通さぬ」
「いいえ。通らせてもらうわよ」
間抜けなファフニールさん、と私は唇の端を上げて魔法を発動させる。地面から飛び出た丸太のように太い魔法の縄がファフニールの身体を瞬時に縛り上げる。危険を察知して逃げようとしたが無駄だ。気づくのが遅すぎる。
抵抗はされたがそれほど労せず無力化することができた。いくら強くても動けなければ脅威はない。叫んで仲間を呼ばれると面倒なので口は厳重に縛る。もちろん身体もだ。
「……あなた、油断しすぎよ」
魔法使い相手に魔法を仕込む時間を悠長に与えてしまうなんて負けたいとしか思えない行動だ。無駄口をたたく暇があったら攻撃しないと。
「さすがですね、マリー師匠」
「相手が油断していればこれぐらい楽勝よ」
「……楽勝なのはマリー師匠だけだと思います」
「そうかしら? まあいいわ。先に進みましょう」
「ファフニールはこのままでいいのですか?」
「無駄な殺生は好まないわ。無力化できるならそれでいいでしょ?」
「それもそうですね」
私たちは情けなくジタバタするファフニールを無視して歩みを進める。
「しかし凶暴なファフニールが『我が友』だなんて、なにがあったのかしらね?」
「それも気になりますが……」ラッセルが首を傾けた。「エマを友だと言ったあのファフニールに説得してもらえばそれでよかったのでは?」
「王の存在を匂わせたのにファフニールの態度は変わらなかった。だから説得は無意味だと思うわ。たぶん、彼女が『何人たりとも通さないで』とお願いしているんでしょうね」
「仮にそうだとして、なぜファフニールがエマのお願いを聞くのでしょう?」
「『我が友』だからじゃない? ファフニールは凶暴だけど情に厚くて仲間意識が強いらしいから、この分だとほかのファフニールたちも私たちを殺そうとまではしてこないんじゃないかしら。あのファフニールからは敵意は感じられても殺意は感じられなかったし」
「私にはわかりませんでしたが……」
「まだまだね」
そんな会話をしている間に、そろそろほかのファフニールが出現しだしてもおかしくないところまで来た。
私はラッセルに魔法をかける。臭い消しと、魔力を感知されにくくする魔法だ。
ファフニールは魔力を検知する能力がある。だからいくら見つからないように行動してもこの対策をしていないと意味がない。
自分にも魔法をかけて対策は万全だ。これで私とラッセルの魔力が感知されることはない。
「でも警戒を怠ってはダメよ」
「こっちの台詞です」
弟子のくせに生意気な口を利くラッセルにうっすらとかちんとしてしまったが私はなにも言わない。
私とラッセルはなるべく静かに彼女の捜索を始めた。ファフニールとの戦闘は骨が折れるので、見つからないに越したことはない。周囲を警戒しながら奥へ奥へ。
緑が深くなって川の流れが激しいところに来たときだった。大きな影が私たちを覆った。見上げると、ファフニールが私たちを見据えていた。すぐに数が増え、影が三つになった。
「見つかったわね……」
むき出しになった岩に苔がへばりついていて、流れが強いせいで川が白く泡立っているこの場所でファフニールと顔を合わせることになった。
ファフニールは私たちを逃がさないようにするためか、私たちを挟むように降りてきた。私の方に二匹。ラッセルの方は一匹だ。さっきのファフニールとは違って、恐ろしいほどの殺意を秘めた目をしている。とてもじゃないが、話せばわかる雰囲気ではない。
私とラッセルは背中を合わせる。
「倒してとは言わないわ。時間を稼いで」
「任せてください」
ファフニールたちが頭のなかをぐわんぐわんと揺らすほどの咆哮を上げる。
私は両手を広げて白い短剣を出現させた。
……先手必勝ッ!
二話に分けます。長くなりました。
後編は10日の夜10時過ぎに投稿予定です。




