最終話 一歩前へ 後編
私は無数の短剣の切っ先を相対する二匹のファフニールに向ける。のんきな光に照らされた短剣がきらりと輝いた。
「はあっ!」
私が腹から声を出して魔力を放出するとドンという音と衝撃と同時に、短剣がファフニールに向かって矢のように発射される。ファフニールは二手に分かれるように素早く射線から外れた。
「逃がさないわよっ!」
私は短剣の群れをぎゅんと曲げてファフニールの身体を逃がさない。片方のファフニールは炎を吐き出して短剣を焼き払い、もう片方は短剣に向かって羽ばたいて風を発生させて攻撃を防ぐ。
炎と風が混ざり合って辺りの温度を急上昇させる。なにも対策しなければ大火傷は確定だ。
私は胸の前で指を絡めて力を入れる。発動させた耐炎の魔法によって出現した柔らかな青い光が私とラッセルを包み込んで熱から守ってくれる。
「助かります!」
声の方を見るとラッセルがファフニールを抑えている。旅の間で身体強化もだいぶ上手くなったけどいつまで持つかはわからない。
なんとかラッセルは守れたけど、周りの自然は熱のせいで痛手を負ってしまった。川は水の量を極端に減らし、瑞々しかった木々は焼け焦げてチリチリになってしまっている。
炎を吐いたファフニールが私に身体を向けた。「貴様、よくも我らの自然を……ッ!」
「言いがかりはよしてくれる? あなたのせいよ」
ラッセルがどれだけやれるかわからない以上、悠長にはしていられない。私は身体強化してファフニールに向かって飛んだ。虚を突かれたのか、炎を吐いたファフニールは反応が一歩遅れる。渾身の力で脳天をぶん殴る。私ほどの魔力があれば彼らの堅い表皮も問題ない。ファフニールは墜落するようにふらふらと沈みかけたが気を失うまではいかなかったようで、すぐに体勢を立て直して私に向かって飛行してきた。宙に浮かんでいてはかわすのは不可能だ。
「ちいッ!」
私は奥歯をかみしめながら左手を向け、挟み込むように上空から足蹴りしてくるもう一匹に右手を突き出す。
「わが手に集え、風の魂よ! 幾年の恨みを練り上げ、解き放て!」
詠唱とともに発動した風の魔法は両手から猛烈な旋風を巻き起こした。旋風が二匹のファフニールに当たって轟音を響かせる。衝撃で両手ががくがくと揺れる。弾かれないように必死でこらえ、やがて両手から手ごたえがなくなった。旋風に抗っていたファフニールたちが吹っ飛んだのだとわかる。でも彼らはあの程度では戦闘不能になったりはしない。すぐに戻ってくるはずだ。
水の少なくなっている川に着地した私は、ラッセルの様子を確認しようと戦っているであろう方向に視線を向ける。
突然、私の横をなにかがすごい勢いで通り過ぎていった。それは背後の岩にぶつかってすごい音を出した。ふり返る。ラッセルが倒れていた。細剣が折れ、鎧が割れており、頭から血が流れている。
「ラッセル!?」
私は濡れた足で駆け寄る。身体を揺らしてもラッセルからの返事はない。完全に気を失っている。とりあえず大雑把に癒しをかけて魔力回復の薬を飲み込み、彼が戦っていたファフニールの姿を捕らえようとふり返る。ファフニールは直線上に口を開けて立っていた。禍々しい炎を口のなかに蓄えている。
……見積もりが甘かったわね。
無駄な殺生は好まない。私はそういう人間だ。だから今回も可能な限りそうしようとしていた。殺すことを第一にしていれば一人でも三匹を相手に遅れをとらなかった自信がある。でも今回はそうしなかった。ラッセルがついてきたからだ。私一人だったら始めから目一杯戦って、ファフニールに犠牲が出るのも許容したけど、二人だったら命を奪わなくても上手くやれると思っていた。
その結果がいまの劣勢だ。
相手を殺さずに勝つのはかなり難しい。相当実力差がないと無理だ。それができると思った私の驕りのせいでラッセルは大けがをしてしまった。
はっきり言って大誤算だ。想像以上に進まなかったファフニールの無力化の責任はすべて私にある。ラッセルは私の指示通り時間を稼いでくれた。健闘してくれた。それなのに、なんて不甲斐ない師匠なんだろう。
……ロックのことを笑えないわね。
私が自嘲しているとファフニールが炎を私たちに向かって吐き出した。色だけ見れば美しい赤色が、私たちの身体を焼き消そうと迫ってくる。
私は両手を突き出して詠唱を唱えた。
「清らかなる水の聖霊よ、心弱きものに手を差し伸べたまえ!」
手から発射された水の柱がファフニールの炎とぶつかって水しぶきを上げる。水しぶきによって、大粒の雨が降っているかのように、水が地面を打つ。力と力の押し合いになった。私は魔力を全部使い切るつもりで力を込める。もう手加減はいらない。ラッセルとファフニールの命の優先順位は考えるまでもない。
手加減さえしなければたかだか一匹のファフニールに負けたりはしない。魔力量に任せて炎を押し切って、ファフニールを吹っ飛ばす。背後の岩にぶつかったファフニールは倒れて動かなくなった。炎と押し合いをしていたせいで水の威力が弱まっていたはずだから死んではいないだろう。
ふうっと一息つくと、二匹のファフニールが戻ってきた。倒れた仲間に目を向けて雄たけびを上げる。
「んっ……」
喧しさに顔をしかめていた私は、背後で意識を取り戻したラッセルに気がついて声をかけた。
「ラッセル、大丈夫!?」
ラッセルが弱々しく答える。「……なんとか。役目を果たせず、申し訳ありません」
「あなたはよくやったわ。謝るのは私の方よ」
私は両手を広げて深呼吸した。目に力を入れて白い短剣を出す。先ほどよりも魔力を込めた短剣は数が倍以上になっていて、切れ味が上がっている。これでファフニールをめった刺しにすれば、私たちの身の安全がとりあえずは保障される。
悪く思わないでね、と短剣を発射しようとしたときだった。足が鉛のように重くなって動かなくなったと思ったら、強烈な痛みが襲ってきた。
「――ッ!!」
膝を曲げることができたのでしゃがみ込んで足を抑える。
ラッセルが「マリー師匠!?」とけがをした身体で駆けつけてくれる。出現させていた短剣が地面に落ちて音を立てたかと思うと、煙のように消えていった。それは私の魔力が急速に失われてすっからかんになったことを意味する。
「く、薬を……」
私が呻くように言うと、ラッセルが私が下げている袋に手を突っ込んで薬を取り、口に入れてくれた。
そうこうしている間に、二匹のファフニールが迫ってきていた。いまから魔法を発動させようとしても魔力が回復しきっていないから突破されてしまう。取れる手段は一つしかない。
「ラッセル!」
「わかってます!」
ラッセルが私の前に出て風の魔法石をファフニールに投げた。強い風が発生してファフニールを押しとどめる。
「失礼します」
「きゃっ!?」
ラッセルにお姫様抱っこされた私は小さい悲鳴を上げた。風の魔法石がどれだけファフニールを抑え込めるかわからないから、できる限り私の魔力が回復するまでの時間を稼ごうとラッセルは考えたのだろう。
「……下ろして」
ある程度距離は取れた。私は下ろしてもらってまだ痛む足に手を当てて魔力を流す。治るかどうか不安だったが、痛みは引いて重さも感じなくなった。
足の治療で多くの魔力を使った私はまた薬を飲んだ。体内が魔力で満たされていく。薬の飲みすぎのせいか、頭に鈍い痛みが走ったが足の痛みに比べればどうということはなかった。
私は「よいしょっと……」と立ち上がって、ぱんぱんとお尻についたであろう汚れをはたき落とす。
「次で決めるわ」
短剣を出してファフニールを見据えた私はラッセルに宣言した。
知らぬ間に風から解放されていた二匹としばらく睨み合った。強い風が吹いて、止んだ。それを合図にファフニールが突っ込んでこようとしたとき、巨大な影が私たちの間に現れた。上空を見ると、新たなファフニールの姿があった。今日会ったどのファフニールよりも身体が大きい。いまからあれと戦うのは、正直勘弁してほしい。
「やめてください!」
聞き覚えのある声がした。ラッセルが「エマ……?」とつぶやく。目を凝らすと、ファフニールの上から私たちを覗き込む人影があった。
「なにをしている?」
巨大なファフニールの貫禄のある声に、私たちと戦っていたファフニールは恐れをなしたように逃げ出した。巨大なファフニールはそれを見届けたあと、私たちに目を向けた。
「お前たちは何者だ?」
私は鋭い眼光に少し押された。「……私たちはこの国の王であるアンブローズ王の依頼で、あなたが背に乗せている女性を探しに来たのです」
「……そうか。うちの若い者が済まなかったな。しばらくの間、この谷に人間が来ても襲わないように通達していたんだがな」
「どうしてかしら?」私は相手に敵意がないと判断して短剣を消した。
「大恩あるエマを探しに来た人間である可能性が高いからだ。彼女の仲間を傷つけるのは我の本意ではない」
ラッセルがつぶやいた。「大恩ある……?」
巨大ファフニールが説明してくれる。なかなか親切だ。「かつて彼女が我らの仲間を助けてくれたことがあるのだ」
「そう」私にとってはそんなことはどうでもいい。「それよりも、彼女はクレイグ病に侵されていてとても危険な状態なの。私に治療させてもらえないかしら」
エマが悲しい顔をした。「……希望を持たせるようなことは言わないでください。この病気が治らないことは、私が一番わかっています」
「……どうしてそう思うのかしら」
「……十年前、私は母を同じ病で亡くしています。そのときに治療に当たってくれた方々はだれもが腕の立つ魔法使いでしたが、歯が立ちませんでした。無力だったのです」
「だから、だれにも治せない?」
「はい」エマがうなだれるようにうなずく。
十年前に母親を亡くしたときに得た経験が、彼女に後ろ向きな感情を与えてしまっているのか。
「安心しなさい!」私が明るい声を出すと、エマが顔を上げた。「私は歴史上一番の天才魔法使いよ!」
「そうだぞエマ」ラッセルが腕を組んでうなずく。「マリー師匠は我が王から直々に依頼をされるほどのお方なのだ。実力は折り紙付きだぞ。やるだけやらせてみてもいいのではないか? お前だって死にたくはあるまい。可能性があれば、それにかけてみたいだろう?」
エマが私とラッセルを交互に見て顔を伏せた。「……いまここに、アンブローズ様はいらっしゃらないのですよね?」
私は首を傾けた。「いないけど……」
「それならいいです。よろしくお願いします」
巨大ファフニールが「乗れ」と言うので背中に乗ると、小さな小屋まで連れてこられた。小屋があることに驚くと、巨大ファフニールが昔人間が住んでいた名残だと教えてくれた。なんでも三百年ぐらい前まではごくわずかながら人間が住んでいたらしい。
巨大ファフニールに「エマを任せる」と小屋の前で言われたので、「任せなさい」と私は胸を叩いた。治せるかどうかわからない不安を見せないようにするのは大変だ。私の返事に納得したのか、巨大ファフニールはどこかに飛んで行ってしまった。
エマにつづいて小屋に入った私は、顔をしかめて口元を抑えた。「うっ……、なによこれ……」
床には血の跡がこびりつき、部屋中が血の匂いで充満している。後ろを確認すると、ラッセルも顔をしかめていた。
「……グレイグ病になると、大量の血を吐いてしまいますから」
エマはそう言うと寝台に倒れ込んだ。仰向けになった彼女は苦しそうに胸を押さえている。顔が青白くなって大量に汗をかいている。
「大丈夫!?」
エマが息を切らしながら汗をぬぐう。「……魔力が少なくなってきたみたいです。実はさっきまで魔力を使って症状を抑えていたんです」
「だから病気なのに元気に見えたのね」
私が魔力を回復する薬を飲ませようとすると、エマがかぶりをふった。「薬はダメなんです。急激に回復させようとすると、なぜだか病気が進行するんです」
「なら……」私は破裂苺を取り出した。「これならどう? 本当に少ししか回復しないけど」
「……試してみましょう」
破裂苺を食べたエマは微笑みを浮かべた。大きく深呼吸をしてお腹に手を当てる。魔力を流し込んでいるようだ。少し顔色がよくなったように見える。
……まさか破裂苺がこんな形で役に立つなんてね。
「始めるわよ」
せっかくエマが少し楽になったのだ。いまのうちに治療を試みるのが最善だろう。
私は念のために薬を飲んで、それからキザ鳩のくちばしを寝台の周りに置いた。こうしてみるとなにか怪しげな儀式をやるようだが気にしないことにする。
そしてエマのお腹に手を当てた。
「……いくわよ」
「お願いします」
魔力をエマに流し込んだ途端、彼女が全身に力を入れて苦悶の表情を浮かべた。
「うっ、あぁああああ……」
「頑張って!」
本で読んだ通り、治療は相当な激痛が襲ってくるらしい。苦痛から逃れるように体勢を変えつづけながら呻き声を絞り出している。
彼女があの人がここにいないか聞いたのは、苦しむ様子を見せたくなかったからだろう。病気をあの人に伝えればあの人は必ず腕利きの魔法使いに治療にあたらせたはず。だれにも治すことができないと考えていたエマがそれを良しとしたはずがない。苦しんで苦しんで、それでも弱っていく一方の姿なんて、あの人に見せられるはずがない。
だからこそ彼女はなにも言わずにあの人のもとを離れたのだ。あの人が病気のことを知っていれば、手紙に書いていたはず。それなのに書いていなかったってことは、そういうことなんだろう。
ラッセルが大きな声を出した。「負けるなエマ!」
「ぐぅっ、うっ、ああああ……」
絶対に耐えなさい。死ぬことは絶対に許さない。あなたはあの人から必要とされている女性なのよ? あなたがいなくなったら、あの人がどれだけ悲しむと思っているの?
このままでは治療が終わらないと私の感覚が告げていた。もっと強く魔力を流し込まないと、この病気は治らないと思う。
たぶんこの病気の治療例が少ない原因はここにある。まず第一にたくさんの魔力を一気に流し込まなければいけないこと、そして患者がその痛みに耐えなければならないことだ。
「もっと魔力を流し込むわ。……覚悟はいい?」
エマが苦しみながらうなずいたのを見て、私は実行した。
「あっ、ああああああああああッ!!!」
エマが背骨が折れてしまうのではと思うほど背中をそらして苦しむ。目がこれでもかというほどに見開かれている。暴れてしまわないようにラッセルに身体を抑え込ませて、私は魔力を流しつづける。
大声で苦しんでいた彼女が急に静かになった。身体から力が抜け、苦しみから解放された抜け殻のようになった。
「あ、あれ? 大丈夫、よね?」
魔力を流すことをやめた私の手は小さく震えていた。エマの顔を見ようと首を回すが、がくがくと顔が揺れ、世界がいっしょに揺れているようだ。
エマはすうすうと小さな寝息を立てていた。
「よ、よかった……」
力が抜けた私はその場にへたり込んでしまった。ラッセルが背中に手を当てて私の身体を支えてくれた。
「やりましたね、マリー師匠」
「うまくいって、本当によかったわ……」
目を覚ましたエマはばっと起き上がると、お腹をさすってつぶやいた。「信じられない。治ってる……」
死の恐怖から脱した彼女はそのあと静かに涙を流した。泣き終わるまで、私とラッセルはおとなしく待った。
エマが泣き止んだあと、私たち三人は巨大ファフニールの背中に、クラーラの待つ町まで乗せてもらうことになった。
「どうしてあなたはファフニールの谷で最期を迎えようと思ったの?」
「なるべく自然の多いところで逝こうと思ってたんです。……母が自然を愛する人でしたから」
なるほど。ファフニールたちは彼女に大恩あるらしいし、彼女が望めば死に場所ぐらい与えてくれるわよね。
「あなたに言っておくことがあるわ」
「……なんでしょう」
「アンブローズ王になにも言わずに死のうとしたのは、よくないと思うわ」
「……反省はしています」
「あの人はあんまり強くないから、あなたがしっかり支えてあげてね」
エマは私の顔を見て、ぱちぱちと瞬きをした。そしてうつむき、微笑んだ。
「はい。任せてください」
たぶんこの子は気がついたのだろう。私があの人のかつての恋人であることに。それを受けて『任せてください』か。わかっていたことだけど、あの人の近くにいる資格が、私にはもうないのよね。
勘だけど、きっとあの人の隣でこの子は映える。そして、あの人も。きっと二人の未来は輝いている。
そろそろ私は一歩進まなければならない。あの人の歩いていった先を名残惜しそうに見つめるのは終わりにして、あの人とはまったく別の道に一歩踏み出さないと。
ようやく過去に踏ん切りをつけた私は、無意識のうちにラッセルを見ていることに気がついた。とくんと胸が鳴る。これは、そういうことなんだろうか。
「無事でよかったです!」
町につくとクラーラに抱きつかれた。なんでもファフニールの雄たけびが何度も何度も聞こえてくるのに、なにも連絡がないからなにかあったのではないかと心配でたまらなかったらしい。
……薬の調達程度じゃ不安は紛れかったか。ごめんね。
巨大ファフニールを見送った私たちは、この町でもう一泊していくことに決めた。ファフニールの谷にいた私たち三人は体力的に限界だし、クラーラは心配のしすぎで精神的に疲れているらしいからだ。
宿に向かう途中、私はラッセルに話しかけた。「ねえ、私気づいちゃったんだけど、実は報酬を決めていなかったわ」
「……何の話ですか?」
「あなたの手ほどきをする報酬よ」
ラッセルが「……ああ!」と手を叩いた。
「それで、報酬なんだけど……、あなたがたまには私の家に顔を出すっていうのはどう? ほら、せっかくできた関係だし、このまま終わらせるのはもったいないでしょう?」
「そんなことでいいんですか? それはむしろ――」
話を聞いていたらしいクラーラがラッセルの言葉を遮った。「それはいいですね。私もマリー以外の話し相手を手放すのは惜しいと思っていたんです」
……むしろ、の先が聞きたかったな。
でも、期待していいんだよね? 話の流れ的に、だって、ねえ?
ラッセルをちらりと見やると、心なしか顔が赤くなっているように見えた。
これにて完結です。
ご愛読ありがとうございました。




