番外編:偉大なる聖騎士と呼ばれた男
風の隊の班長さんの昔の話。
「もう一度申してみよ!」
それは間違いようもなく怒りに満ちた言葉であったが、雷に打たれたように身を震わせて地に頭を垂れたのは、その言葉が向けられた本人ではなく、周りの人間だった。
「お気に障りましたか、しかしわたくしは提言を述べたまで。我が主にて我が父上、偉大なる始祖の血を引きしラオタ候よ。お心をお静めになりましてこの苦き言葉をお聞きいただきたい」
「提言、提言とな!世継ぎとしての、一族を率いる者としての指針を述べよと問うた我が言葉に答えしそれを持って、一族を裏切る言葉を口にするとは!」
「裏切りとは異な事を」
国内二位の貴族、王家に次ぐ、いや、今現在は王家以上の財力を持つとも言われるラオタ一族の長であるラオタ候は、美しく整えられた口髭を激しく震わせて、目前の、自らの実子であり、次の族長候補である所の男を睨み据える。
「我が一族の地領を全て王に謙譲せよという言葉のどこが裏切りではないと申すか!」
「単に言葉上の問題に過ぎませぬ。王に献上し、それを再び拝領する。それによって我が一族の忠誠と、王国の永の安泰が得られるのです。国で最大の我が一族がまずは率先してそのように行動を示せば、他の諸侯もそれに倣う事となります。まるで王が幾人もいるがごとき実情は正され、国は王の下に本当の意味で統一されます。そうなれば、未来の災いの種も芽吹く事なく終わる事となるでしょう」
恐れも無く、目前の風景をただ語るがごとく軽々と述べるその口上を、しかし、候が遮る事をなさなかったのは、その内容に感銘を受けたからではない。
今や全身をぶるぶるとおこりのように震わせ、顔面を朱に染めたその姿を一目見た者は、彼が怒りの余り言葉を失ったのだと、即座に看破しただろう。
「おのれ、おのれ!闇を照らす銀月の騎士よと持ち上げられて奢ったか!よくもぬけぬけと我に二度もそのような愚かな言葉を聞かせたな」
地の黒に灰銀の混ざった己の髪を掴み絞めて、彼は足を踏み鳴らした。
「我らが先祖より継ぎし土地を、我らが栄光の名を、地に落とし踏みにじるこの汚らわしきけだものめ!我らはただ、王と同盟を結び、共に国を富まそうと約したに過ぎぬ!いかなる者の風下にも立った事もない!王に恭順せよだと?貴様!一族を率いるはずのその口でようも申したわ!」
主のあまりの激昂ぶりに、家臣達はおろか、血族の誰もがとりなす術も持たずに真っ青になってオロオロとこの二人の親子を交互にただ見守るのみ。
「だが一つだけ、貴様も良い事をしたわ」
「臣下として、子としても、僅かでもお心を明るく成せた事、我が無上の喜び」
「黙れ、賢しげに口を開くな!」
ラオタ候は激しく息を弾ませると、手にした杖を振った。
あまりの興奮具合にその身を案じた小姓が杯を差し出すが、それに見向きもしない。
「良き事とはな、ザイラックよ、そなたが未だ我が後を継いでいないという事だ。まだ我が神は一族をお見捨てにならなかったらしい」
次に来る言葉を、そこに居並ぶほぼ全員が予測してはいたが、しかし、現実に放たれた言葉は、彼らの予測の最悪を上回った。
「ザイラック・オル・ラオタ、そなたを我が後継から廃嫡、我が一族から追放を命ずる。唯一そなたの母への温情から名は奪わずにおいてやる。どこぞで野良犬のような末期を迎えし事、この耳に届くようにな!」
「わ、我が君!お待ちを!追放処分はいかがなるものかと。領民は若君を強くお慕い申し上げております、どうぞお考え直しを!」
さすがに封じられたかのように押し黙っていた家臣も、この成り行きには魂の凍える思いに至り、主に翻意を促す。
しかし、ラオタ候は誰をも見向きもせずにその場を去った。
― ◇ ◇ ◇ ―
「若様!お謝りください!今ならまだ間に合いまする!」
「兄上!」
臣下や下の兄弟達が真っ青になって取り縋るのを、いっそ穏やかな程にザイラックは受け流した。
「お前達もよく分かっているはずだ。あの方が一度心を決したらもはやそれは覆らないという事をな。まぁ俺は一世一代の賭けに負けただけの話。仕方あるまい」
微笑んでそれぞれの肩を抱くと、彼は馬に鞍を乗せた。
「馬ぐらいは貰っていくぞ、咎められたら俺に盗まれたとでも言うが良い、今更罪が増えたとて大した事はないからな」
「しかし、若様、一族からの追放は貴族にとって死罪も同然。この先どうなさるおつもりですか」
「なに、剣があればなんとかなるさ」
「今は動乱の世も終わり、剣など何の役に立ちましょうや」
ひらりと馬に跨ると、ザイラックは肩を竦めた。
「一人の身など、どうにでもなるものだ。気に病むな。それより、シアッセス、父上と民を頼んだぞ」
「あ、兄上、わたくしなどに兄上の代わりが務まるはずがありません、兄上!」
追いすがる声を振り切って、馬を走らせる。
後には悲鳴のような人々の声が残るだけであった。
― ◇ ◇ ◇ ―
城を城下と隔てる小高い丘を抜ける道で、駆けるザイラックの行く手を阻むように佇む馬上の姿があった。
「何をやってるんだ?」
「兄さま、わたくしは騙されません事よ」
美しい薄茶色の髪を結い上げもせずに下げ髷に結っただけの姿で、彼の妹が待っていたのである。
「騙すとはまた、穏やかならざる言いがかりだな」
「兄さまは、戦であの方とお会いして以来、ずっと熱に浮かされたようになっていたわ。父様の性格を逆手に取って、自由の身になってあの方の元へと参じるおつもりなのでしょう?酷い、酷い兄さま!」
妹の言葉にザイラックはふうと溜息をついた。
「全く、俺の不徳の致すところかな。信用がないもんだ」
「それでは、本音で父様を怒らせたと?」
「いいか、永の戦が終わった今こそが国を纏めるチャンスだったのだ。自領を持ち王侯のように振舞う貴族が内に居れば、いずれ必ず国の乱れの元となる。そして、それを成すのは今しかなかった」
「……兄さま」
「だが、思ったより、俺は父上に信を置かれてなかったらしい。こうなってしまったのは残念だが、後悔はない」
がくりと肩を落として我が身をなじる兄を見て、さすがに気丈な姫も心揺らいだ。
「兄さま。ごめんなさい、私」
本来は可憐な、優しげな風貌の妹姫は、その長いまつげを恥じるように伏せて涙を浮かべる。
「あまりに心が乱れて、兄さまの方がお辛いのに酷い事を」
「いや、そなたの気持ちは痛い程分かる。俺とてもし自分に兄がいて、義務を果たし得ず身を持ち崩したならきっと憤激に駆られるだろう」
「身を持ち崩すなど!兄さまはこの国の将来を憂いて意見を申し上げただけなのに!」
「良いのだ。結局はこの兄の力が及ばなかったというだけの事なのだからな」
無情にも、彼を乗せた馬は再び歩み出す。
「兄さま!」
「元気でな、よい縁を得て幸せになるんだぞ」
やがて、城下町を抜け、街道をひた走ると、全てを失った男はおもむろに馬を止め、その愛馬の背に顔を伏せた。
その肩は激しく震え、手が拳を作り、手綱を強く握り締める。
「は、はぁーっあははははは!くっ、ひゃあはははははははっ!」
それは狂笑だった。
しばし、彼はそうして狂ったように笑うと、おもむろに馬から下り、マントの留め金を引き千切るような勢いで外し、貴族社会の権威の印でもあるマントをも放り捨てる。
続いて着ている服を同じような勢いで脱ぎ捨てると、鞍の下に詰めてあった布を引き出し、どうやら古びた衣服らしきそれを身に着けた。
もし、その様子を窺っている人間がいたとしても、間違いなく関わり合いになるのを恐れて、決して近付かなかったであろう。
それぐらいその一連を行う男の様子は鬼気迫っていた。
― ◇ ◇ ◇ ―
そんな事があった数日後、王都の南西に位置する辺境交易の要所と言われる街にある一軒の古着屋の裏口に一人の男が現れた。
「お客さん、こちらは裏口なので表からお願いしますよ」
にこりと笑顔を見せながらも拒絶を告げる店の者に、
「夜道を歩いていて、ふとこの店の名を思い出してな」
と、告げるその符丁は、時折在る、表を歩けない客の証。
通された小さな地下の部屋の薄暗い明かりの中でも被ったフードを上げる事なく、客はただその目のみを主人に晒していた。
「品物は上物だ。ここらでは取れない絹地に綾織布、こっちの上着には精緻なレース飾りも施されている」
「お客さん、これはちょっとマズいんじゃないですか?わっしだって北の潜王の名ぐらいは知ってますよ。この紋章入りのものは恐ろしくて扱えませんや」
「大丈夫だ、足が付くような下手な真似はしていない。そもそもお前の店では紋章部分を潰すぐらいは訳ないはずだ。こっちとしても法外な値段を吹っ掛けるつもりはない。そうだな金貨なんぞは要求せんこの地の銀で三十でどうだ?」
「ちょ、ちょっと、それが法外じゃなくて何が法外な値段なんですか!相場が分かってるなら」
「いいか、血痕も刃の痕もない、新品のようなまっさらなブツだぞ、こんな代物滅多にお目にかかれまい、それに」
言いながら手の中に何かを掴んで放り上げ、同じ手でまたそれを受け止める。
「これも付けるぞ」
差し出されたマント留めを見て、主人は目を細めた。
厄除けに珍重される青輝石に象牙で象眼されたひなげしの花が描かれている。
これ一つで金貨十枚にはなろうという品物だ。しかもこれには紋章がない。
「聖なるひなげしですかな、しかしこれは」
「そうだ、これは有名すぎて正規ルートでは到底取り扱えぬ品物だ。しかし、お前の店なら捌けるだろう」
「そういえばラオタの長子が廃嫡されたとか」
目だけしか窺えぬその男が、彼の言葉にニヤリと笑った。
獲物を前にした肉食獣の笑みだ。
「聖なる騎士よ、偉大なる剣士よと称えられても、しょせんは貴族の御曹司。後ろ盾のなくなった若造など、どうなろうと誰も気にも留めまいよ」
古着屋の主はぶるりと身を震わせた。
彼は長くこの危うい仕事をやっているが、目前の男はまるで毒を滴らせている刃のような剣呑な気配がする。
持ち込まれた取引は十分な儲け話である。ここで無理に欲を出して触れてはいけないものに触れる訳にはいかなかった。
「なるほど、よく分かりました。よろしいでしょう、言い値をお出ししましょう」
「物分りが良くて助かる、長生きするんだな主」
言った男の、長い袖口に隠れた手の中で銀色の物が蝋燭の光を弾いたのを見て、主人は背中に冷水を浴びたような心地を味わった。そして、早めにこの男の事を記憶から消す事にしたのである。
―…後日、西の辺境の街で、募集されていた警備隊への入隊希望者として城を訪れた兵士崩れで仕事を探していると言った男を見て、領主とその補佐官は頭を抱える事となるのだった。
(どうでも良いネタバレ)
大貴族の嫡男で、王国唯一の聖騎士だったザイラックさん。
平民の親友と、多くの仲間を持ち、共に領地を発展させる事を誓っていたのですが、この国唯一一度切りの戦の時にその親友と仲間達全てを失い、自分と世界を激しく憎むようになりました。
ただ、唯一、窮地を救い、親友たちの遺体を清めてくれたラケルド樣だけに忠誠を誓うようになるのです。
ラケルド樣がいなければ闇堕ちで魔王化したであろう男。
この方には人類で唯一竜王を倒せるかもしれないという裏設定があります。




