番外編:赤い竜の伝説
エイムの伝説はこれ(笑)
その日、その時までは王都の竜舎はいつもの通りの日常を送っていた。
事件と言えば、竜舎の裏手で噛みタバコをやっていた見習いの青年を親方が殴り飛ばした程度だ。
噛みタバコは戦後急速に広まった嗜好品で、とんでもない悪臭を放つのだが、緊張と苦痛を解し、とろりとした安寧に変えてくれる効果があると言われている。
一般的にそれが良いかどうかはともかく、匂いに敏感な竜を扱う者としてはそれは致命的な悪癖で、青年は十日の謹慎を言い渡され、更に悪癖が直らないようならクビにすると宣言された。
もちろんその青年にとっては一生を左右する大事件だろうが、王都全体、いや、城勤めの者達全体からみれば、雇用された者への指導は日常的なものであり、事件とは言えないような類の話である。
最初にその兆しを感じたのは、竜舎から放牧場に出て軽い運動に勤しんでいた王家の竜である白い雌竜のフィゼであった。
彼女はふいに頭をもたげると、どこか苛立たしげに短く声を上げたのだ。
「どうしたお嬢?また身の程知らずの若いモンがちょっかい出して来たのか?」
竜丁で、特にこのフィゼと相性の良い男が近くに寄って宥める。
何しろ彼女が暴れでもしたら、この城の一角など安々と破って逃走出来るだけの力があるのだ。
そんな事になりでもしたら、竜舎の全員がクビを差し出しても足りない程の不祥事となるだろう。
なので、事前に彼女の機嫌を察知して宥めるのは、彼らの最も重要な役割でもあった。
この城には彼女と同じ種類の地竜は他に居ないが、竜騎士の使う早駆け竜はひと単位、そこそこの数がいて、その全てが雄である。
竜というものは一見似てない種類のもの同士でも子供を成す事が出来るので、その大きさが栗鼠と狼程に違っていても、年頃の雄の中には果敢に彼女にアタックするものもいた。
フィゼにとって興味が無い相手からの求婚程苛立たしいものは無いようで、そういう場合は決まって酷く攻撃的にあしらうのが常であったのだ。
竜丁は彼女の様子から、今回もそれかと思ったのである。
そして、ある意味それは正しくはあった。
オオンと、またもフィゼが鳴き、竜舎の者達もその異常さに集まって来る。
「どうした?もしかして野生の竜でも出たか?」
竜丁達は不安そうにフィゼの異常行動を見詰める。
いざとなったら誰かが身を挺してでもフィゼを無傷で宥めなければならない。
「まさか。ここらに翼竜が住んでいるような高い山は無いですからね。かと言って地上を走る竜はまず近付けやしないですし」
ふと、地上に差した影に気付いたのは誰だったろう。
一人の竜丁が顔を上に向けて訝しげに呟いた。
「あれ?鳥かな?蛇食いのロックバードとか?」
呟きに誘われ、同じく上を向いた男達が見たのは、日の光を横切って旋回しながら段々と降下して来ているらしい何かのシルエットだ。
翼の大きさが体と釣り合ってい無いその姿は、男達に何かを予感させた。
「ありゃあ一人立ちした直後の翼竜かもしれんな」
「……なあ、やたらとデカくないか?」
その時、彼らの視界から外れた地上では、王家の白き竜フィゼがその巨大な足を踏み鳴らし、威嚇のようなカカッ!という音を響かせ始める。
竜丁達は騒然となった。
「まずい!戦闘態勢だ!お嬢!静まれ!」
「どうした?えらい興奮の仕方だが、例え野良の竜だって並の相手じゃお嬢の貫禄勝ちなんだから、もっとどっしりと構えてりゃ良いんだよ」
彼女は、白く、光を滑らかに弾く全身を低く伏せ、首を伸ばしてもたげるという完全な戦闘体勢だった。
この状態になった竜を宥めるのはもはや命懸け。
いや、命を懸けても報われぬ事が多い。
こうなればもはや竜丁が技量で抑える範囲は超えてしまっていた。
だから、竜丁頭は決断する。
「急ぎ城の衛兵に連絡!陛下に言伝を言上せよ!万一の場合は覚悟を決めろよ!」
竜丁頭が指示を飛ばし、再び頭上を確認するように顔を上げた。
そして、そのまま固まる。
そこに存在したのは巨大な竜だった。
その身の赤は灼熱の炎をそのまま纏っているが如く揺らめく輝きを帯びている。
地上を睥睨する双眼は漆黒、横倒しに後方に流れるような形をした二本の角を頭部に戴き、その姿、あまりの巨体に一体で見渡す空を覆い尽さんとせんばかりだ。
更にはその足には、のたくる大蛇を捉えていて、禍々しいその様子は、物語の悪しき竜、赤き魔竜を彷彿とさせた。
赤き魔竜の伝説は広く民間に伝わっていて、子供の寝物語の英雄伝説として何度も英雄に退治されているお馴染みの竜でもある。
しかし、お話として馴染みである事と、それが実在のものとして顕現する事とはまた別問題だ。
それの姿を見た人々は、記憶に染み付いた物語を恐怖と共に思い出す。
そう、一つの大国を七日七晩で滅ぼしてしまった竜の話を。
その頃にはもう王都は大騒ぎの渦中にあった。
兵はただちに集められ、遠巻きに上空の竜を囲んだが、だからといって下手に刺激する事も出来ず、奇妙な緊張状態の中、なぜか半笑いを張り付けた多くの兵が、勝手に震える手足をなんとかしようと必死に握りしめる。
城の上空を見上げた王都の民草の多くは、すっかり忘れ果てていた緊急避難用の地下への入り口を塞ぐ家具を退けたり、慌ててそこへ潜り込んだり、そういう場が無い者達はともかく都から離れようと逃げ出したりしていた。
さて、当の竜達はというと、そんな人間達の大騒ぎなど一顧だにせずに、互いを牽制し合うように鳴き交わしている。
「あっ!」
遂には上空の竜が掴んでいた手負いの大蛇を王家の竜、フィゼに向かってどさりと投げ出した。
痛みに耐えかねてか、開放の喜びゆえか、地上に落ちた蛇は一段と激しく跳ね、牙を剥き出しにして周囲を威嚇する。
その蛇の大きさたるや人の一人二人は余裕で呑むだろうと思われる程で、それが血まみれでのたうつ様は、もはや見守る者達には悪夢の光景でしかなかった。
それでも衛兵隊の隊長は果敢にも弓隊に合図を送り、地上の蛇に向かって構えさせる。
と、そのつがえた矢が放たれる寸前、ゴウと風を巻いて白き影が動いた。
激しく上空を威嚇し続けていた白き竜、フィゼは、自分の目前の蛇をガブリと咥えると、なんと頭上の巨大な赤竜に投げ付けたのである。
場が凍り付いた。
フィゼは王家所有の大きな地竜の雌で、退化した翼を持つものの空は飛べないが、地上で最も大きいと言われる種であった。
竜は特に雌の方が体が大きいものだが、その地上最大のはずの彼女を持ってしても、空に超然と佇み地上を支配するがごとくに佇む赤竜に比べれば赤子も同然の体格差である。
つまりフィゼの行為は、人間に言い換えれば子供が剣を履いた兵士に石を投げつけて喧嘩を売ったようなものなのだ。
だが、
「お嬢頑張れ!」
竜丁の一人が声を張り、フィゼを応援すると、それはたちまち周囲に広がった。
「図体がデカイだけの男なんかお断りだと言ってやれ!」
彼女の行為は、揺らいでいた王国守護の兵士の士気を盛り返させた。
「鬨の声を上げろ!敵は上空にあり!追い立てよ!」
兵達の怒号のような雄叫びと、一斉に踏み鳴らす足や、槍の石突が叩き付けられる音、それらがうねりとなって放たれる。
それに後押しされたかのように、フィゼはのそりと身を起こすと、一喝、雷鳴のような吠え声を轟かせた。
上空の竜がびくりと身を竦ませたように、少なくとも地上でそれを見ていた者達は思った。
ギャアと、それでも引かずに放たれた相手の声は、ビリビリと人々の全身を打ち、兵士ではない者達は一斉に膝を付く。
だが、さすがに兵は耐えた。
よろめきながらも我が得物を支えに身を起こす者、ビクビクと顔を引き攣らせながらも揺るがず立ち続ける者、それぞれの程度は違うものの、彼らは耐える。
フィゼが低い唸り声を発すると、上空の赤竜の方こそがよろめいて、何度かの鳴き交わしの後、一度だけ旋回するとやがてすごすごと飛び去った。
脅威の去った上空を、人々はしばし呆けたように見つめ続け、やがてオオオオオオという大歓声が地を満たす。
「お嬢すげぇな、やっぱり俺達のフィゼは女王様だ!」
竜丁のその賞賛にさしたる興味を示さず、当の白き竜の女王は、一度フンと鼻息をつくと前肢で自分の鱗を丁寧に擦って手入れを済ませると、その後思いっきりその大きな体を伸ばし、何事も無かったかのように日課の運動を再開させたのだった。
赤い竜王樣はふられた模様。




