第26話…純潔
「ジャスパーさん、お目覚めになられましたか?」
竜騎士ジャスパー・ファーウッドが目覚めたのは自室の寝台の上だった。
大猪鬼との戦いで『雷の短杖』を使った結果、魔力を使いきり意識を失った。
その後の事は覚えていないが、無事に辺境砦に帰還出来たようだった。
ジャスパーは、毛布の下の自分の体が裸な事に気づく。
ついでに添い寝してジャスパーの顔を覗き込んでいる狐獣人の美少女狐嬢が裸な事も…
窓の鎧戸から漏れて入ってくる日の光は朝日だろうか?
美少女とベッドを共にし朝に小鳥の囀りで目覚める、そんなシチュエーション。
朝チュンなんて呼ばれる状況だろうが、窓の外から聞こえてきたのは竜の咆哮だった。
「ハルのヤツ、朝から騒いでるのか?」
辺境砦で竜なんて1匹しかいない。
ジャスパーは窓の外で吠える竜が妹のハルだと思い窓を開けた。
「……」
そして窓を閉めた。
「……」
目を擦り、頰を叩いて、寝惚けているらしい自分を叩き起こす。
そして、もう一度窓を開けてみる。
「ハルが?!ハルが増殖してる?!」
窓の外。
辺境砦の庭では多数の竜が吠えながら食事の真っ最中だった。
「ジャスパーさん、あれはハルさんではなくて、翼竜が来てくれたんですよ」
「翼竜?」
父が翼竜騎士と言ってもジャスパーは翼竜を間近で見た事はなかった。
よく見ればハルとは外見が違う。
鱗は赤系の色で、腕あるいは前足という部位が無く、鳥や蝙蝠のように腕部が翼になっている。
四肢があり背中に翼がある真竜のハルとは違う翼竜という亜竜。
大きさは個体差があるが平均して成竜形態のハルより二回りは大きいだろうか?
「ハルは成竜形態でも子供なんだよな」
翼竜の背中には鞍が乗せられており、乗り手である翼竜騎士の紋章が入った飾り布が付けられている。
ジャスパーは翼竜騎士である父モンド・ファーウッドの紋章を探すが、どうやら父の翼竜は居ないようだった。
「ハル?
狐嬢さん、ハルは?
ハルは無事なんですか?」
ハルは右肩から背中に大きな傷を負っていた。
ジャスパーが気を失っている間にどうなったのか?
「ハルさんでしたら…」
狐嬢は寝室の扉を開く、ハルが自分の領土扱いしている部屋に繋がる扉。
その隅に置かれた専用ベッドの上でハルは俯せに眠っていた。
ジャスパーはハルの傷を見る。
前に大禿鷲や大猪鬼につけられた傷は短時間で再生し傷痕すら残らなかった。
そんな再生能力を持つハルの肩から背中への傷は血こそ止まっていたが再生してはいない。
よほど酷い傷という事だ。
「狐嬢さん、僕は何日くらい眠ってました?」
「ジャスパーさんが砦に運びこまれてから2日です。
ハルさんも2日間眠ったままです」
「そうですか…」
つまり2日経ってもハルの傷は癒えていない。
狐嬢の話では気絶したジャスパーとハル、そしてユーリアは援軍に来た翼竜騎士団に助けられ砦に帰還したとの事。
三人共無事に帰還出来たと知ったジャスパーは安堵し、安堵すると空腹を感じてお腹が鳴った。
その音を聞いた狐嬢が微笑み。
「何か食べ物をもらってきますね。
お腹が弱ってるでしょうから、お粥かスープがいいですよね」
そう微笑む狐嬢の方を見たジャスパーは、狐嬢を上から下まで見る。
細く美しい肢体は一糸纏わぬ姿である。
「えーと…」
狐嬢はジャスパーの反応を見て、ハルから聞いた言葉を思い出す。
こういった場合に言う台詞は…
「ご飯にします?お風呂にします?それとも私?」
「狐嬢さんでっ!!」
ジャスパーは断言した。
朝食は、もう少し後になるようである。
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辺境砦に増援が到着した。
王都より派兵された第一陣は、王国最強の翼竜騎士団を中心とした飛行騎兵団。
さらに辺境伯領近隣の貴族領、騎士領にウォードエンド辺境伯が派兵を要請した領主たちの私兵も次々に辺境砦到着している。
兵数が増えれば必要な武器や食料など各種物資も増える事になり、辺境伯領の都市から多数の馬車が列を成し辺境砦に入ってきている。
狐嬢は獣人という亜人であり砦内で孤立しており、辺境砦の兵士でも無いため軍事関係の情報を得られる立場ではない。
そんな狐嬢でも耳にするくらいに多数の増援が砦に来ているという事なのだろう。
ジャスパーは狐嬢から自分が眠っていた間の事を話に聴きながら朝食をとる。
体力回復のための高価な卵が入れられた麦粥を食べていると、扉が叩かれ来客を知らせた。
「ジャスパーさん、ロロフ様がいらっしゃいました」
応対に出た狐嬢の前には歴戦の老騎士ロロフ卿。
食事中だったジャスパーは椅子から立ち上がりロロフ卿を迎えようとするが、ロロフ卿は手で制する。
「そのままで聞いて下され」
「はぁ?」
「まずは目覚められたようで安心いたしました」
そう言ったロロフ卿は、褒賞金が入った袋と酒を差し出す。
酒はズライグ王国で滋養強壮効果があると考えられている蜂蜜酒。
気絶する程の激戦だったジャスパーとハルの身体を心配しての品だろう。
「蜂蜜のお酒ですね」
蜂蜜酒は、結婚した新郎新婦への祝い品としても知られている。
蜂蜜酒を呑んで体力をつけ、早く子供を作れという意図で贈られる物であり、それを知っている狐嬢は顔を赤らめる。
そして蜂蜜という単語に反応する邪悪な魔獣が目覚める。
「蜂蜜っ!!」
まだ半ば寝ているハルは叫び、狐嬢の手から蜂蜜酒を奪い、口に流しこむ。
そして…
「何これ …甘くない…」
期待した甘い味で無かったため涙目になっていた。
蜂蜜酒は蜂蜜が原料というだけで、蜂蜜の糖分はアルコールになってしまい甘さは残っていない。
力無く右腕が垂れ下がったままのハルは残念そうに残った蜂蜜酒を見る。
その様子にジャスパーは笑い、狐嬢にハルを酒保商人の店に連れて行くように頼んだ。
酒保商人の爺さんも今頃は一気に増えた砦の人員が必要とする商品の仕入れや管理で忙しいだろうが、あの強突張りが店を閉めているはずは無いだろう。
上客である、常に腹を空かせた竜が行けば秘蔵の商品の1つや2つは出てくるはずだ。
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狐嬢とハルが部屋から出て行くとロロフ卿は顔を引き締めた。
「ユーリアお嬢様をお救い下さり感謝の言葉もござりません」
そう頭を下げるロロフ卿。
「本来ならば主君である辺境伯自ら礼に伺うのが筋ではございますが。
現在の砦は増援の迎え入れに忙しく辺境伯も手を離せぬ状態。
私のような代理が来た事をお許し下さいますよう」
「ああ、砦の状況は理解しています。
辺境伯には、良しなにお伝え下さい」
ジャスパーからすれば、雲の上の人物である有力貴族に直接会うのは気が重い。
礼に来るなど、顔見知りのロロフ卿だけで十分である。
辺境伯爵家を代表する形で礼を言ったロロフ卿は次の言葉を言いよどむ。
「何かありましたか?」
ロロフ卿の態度を訝しんだジャスパーが問うとロロフ卿は重い口を開いた。
「実はお嬢様に関する悪い噂が広まっておるのです」
「ユーリア卿の?」
「ユーリアお嬢様が…その、なんと言うか…
猪鬼どもに捕まった際に犯され純潔を失った…と。
そんな噂が流れておるのです」
ジャスパーがユーリアを救出した時、ユーリアは裸だった。
ジャスパーも最初ユーリアが猪鬼たちに襲われたと勘違いしたのだから、猪鬼をよく知らない兵たちがユーリアが猪鬼に犯されたと思うのは不思議ないだろう。
「ロロフ卿、それは根も葉もない噂です。
ロロフ卿も知っての通り、猪鬼と我々は美女の感覚が違いますから。
僕は猪鬼の族長と言葉を交わす機会がありましたが、ヤツらはユーリア卿を犯したりしてませんよ」
ジャスパーは事実だけを告げる。
しかし、ロロフ卿の表情は晴れない。
「それは解っておるのです。
しかし、それを証明する方法はございません」
確かに、ユーリアが純潔を保っている事を証明する事は出来ないだろう。
そして噂とは語る人間と聞く人間が面白ければいいだけで、真実であるかは重要では無いのだ。
貴族の令嬢が猪鬼に捕まり手篭めにされた。
そういう下世話な噂を好む人間は腐るほど居るだろう。
さらにウォードエンド辺境伯爵家は有力貴族であるが故に政敵も多い。
辺境伯令嬢の価値を下げる噂は政敵たちには都合がいい事だろう。
彼らは噂を広め利用しようとするだろう。
ジャスパーは、人の悪意がユーリアに向かう様に虫酸が走る思いだが、ジャスパーに出来る事はない。
ジャスパーがユーリアが犯されてなどいないと主張しても証拠が無い以上は意味が無い。
どうするべきか?
何か出来る事は無いのか?
そう考えるジャスパーに、真剣な顔でロロフ卿が言った。
「ジャスパー卿、今夜お嬢様の部屋に行って下さいませぬか?」
噂で傷つき悩んでいるユーリアの相談相手にでもなれという事だろう。
ジャスパーは、そう判断し。
「はい、今夜ですね。
ユーリア卿に行くと伝えておいて下さい」
軽く答えた時、外から怒声が響いた。
「やんのか!!ゴラァーッ!!」
窓の外から響くのはハルの怒声。
ジャスパーは、慌てて窓に駆け寄り外を見ると…
「あいつ、何やってるんだよ…」
妹が一番大きな身体の翼竜に喧嘩を売っていた。
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「今日は、このくらいにしといてやる…」
翼竜の成竜に喧嘩を売り、幼竜形態で頭突きをかましたハルは翼竜の鼻先ですくい投げられ空の彼方に消えた。
結局、負けたハルは捨て台詞を吐き、逃げ出し酒保商人の店で大量のお菓子を買い込み自棄食いしていた。
せめて成竜形態に変身しないと話にならないだろとジャスパーは思うのだが、助言して成竜形態になったハルが翼竜に喧嘩を売れば、怪獣大戦争の開戦である。
明らかに自業自得で不貞腐れるハルを狐嬢に任せてジャスパーはユーリアの部屋に向かった。
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未婚の貴族令嬢の部屋に男が忍んで行く。
悪い噂が増えるんじゃないか?
そう心配したジャスパーは、誰も見ていない事を確認しながらユーリアの部屋の扉を叩く。
「ユーリア卿、ジャスパーです」
「入って下さい」
迎い入れたユーリアは薄く化粧をし、普段は結っている髪を下ろしていた。
服は部屋着か夜着らしい、ゆったりした白い長衣。
ジャスパーを部屋に入れたユーリアは扉に鍵をかける。
「ジャスパー卿…私は…私は…」
16歳というユーリアの年齢はズライグ王国では成人とされる年齢。
しかし、日本人の感覚が残るジャスパーにはユーリアを大人として見る事は難しかった。
まして根も葉もない噂で傷ついた今のユーリアには…
「私は、猪鬼などに辱しめられていない!」
血を吐くようなユーリアの叫び。
年頃の少女が異性に言うには勇気が必要な言葉だっただろう。
それを言わねばならない程に目の前の少女は傷つき追い詰められているのだとジャスパーは知った。
「これから私は貞操を疑われ続けるんだ…」
悪い噂は、ずっとユーリアに付き纏い続けるだろう。
そして、それを否定する術はユーリアには無いのだ。
「誰に疑われてもいい。
でも…でも…夫となる人に疑われるのだけは耐えられない」
悪い噂があってもウォードエンド辺境伯爵家の力ならばユーリアの縁談をまとめるなど造作もないだろう。
しかし、嫁いだ後も夫からユーリアは貞操を疑われ続ける事になる。
夫より前に猪鬼に襲われたと疑われ続ける事になる。
「ユーリア卿、僕は知っています。
ユーリア卿が猪鬼なんかに辱しめられていない事を」
ジャスパーに出来る事など、そう言う事だけ。
ユーリアは唇を噛みしめ涙を流す。
そして、ジャスパーの胸に飛び込んだ。
「嘘でもいい…」
「?」
「私を愛していると言ってほしい…」
そんな言葉に何の意味が?
ジャスパーには、わからない。
自分の言葉がユーリアにとって、どれほど重いのか。
ユーリアが信じてほしい相手は一人だけだった。
その一人に信じてもらえるなら、それだけで良かった。
その人が嘘でも「愛している」と言って、信じてくれるなら、それで良かった。
「愛しています」
きっと本当は意味も考えずに発したジャスパーの言葉。
それでもユーリアはジャスパーに囁いた。
「今夜は、一緒にいてほしい」
結局、何が正しいのか?
ジャスパーには解らなかった。
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朝日が窓から漏れてくる。
窓の外からは小鳥の囀り…では無く、竜の咆哮。
「おはよう、ジャスパー卿」
結局、一睡も出来なかったジャスパーの隣で浅い眠りについていたユーリアが目覚めジャスパーの耳元で囁いた。




