第25話…赤き竜
東に向かい碧い竜が飛ぶ。
その右肩から背中にかけて大きな傷があり、右腕は力無く垂れ下がり、今も肩から血が滲み出続けている。
「スリジェ…」
ユーリアは亡骸を弔う事すら出来ない家族の事を想う。
自分を助けるために駆けた家族を想う。
「スリジェ、安らかに…」
眼を閉じ家族の冥福を祈る。
そして眼を開けたユーリアに猛烈な羞恥心が襲ってきた。
ユーリアは恋する少年騎士の腕の中で肌を晒す羞恥に泣き出したくなる。
両手で胸の頂点と股間を隠すが、他の部分を隠す術は無い。
ユーリアは自分の裸身が恋する相手の眼にどう写っているのかを想像し、さらに身体を縮める。
他の貴族の令嬢とは違う筋肉質で日焼けした身体。
その身体には生傷と打撲の痣が複数あり、武術の稽古や過去の戦いで付いた古傷の痕もある。
結婚し、初夜を迎え、夫に肌を晒す。
そんな妄想をした事は何度もある。
そして、その度に悲しくなる。
夫となった相手は、自分の裸身を見て幻滅するだろうと悲しくなる。
それでも明かりを消した寝室でなら、まだ良かっただろう。
明るい日の光の下で醜い裸身を晒すよりは…
ユーリアは、恐る恐るジャスパーの顔を見る。
十代の、性欲の塊のような年齢の少年はユーリアの裸身を全く見てなどいなかった。
それはそれで辺境伯令嬢ユーリア・ウォードエンドは泣きたくなった。
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碧い竜ハルの背の上、ジャスパーはハルの背のトゲに刺さっている袋を見る。
ジャスパーが小物入れに使っている古びて汚れた袋。
ハルが幼竜形態で背中のトゲに刺しておき成竜形態になっても残っていたのだろう。
ジャスパーは袋を開き中身を確認する。
ハルのオヤツ用に入れておいた干し葡萄は無くなっている、他には…
ジャスパーは使わないだろうと思いながらも、一応切り札として袋の底に入れていた物が残っていた事を確認する。
次にジャスパーはハルの状態を確認する。
「ハル、戦えるか?」
「あんまり魔力は残ってない。
竜の息は使えて一回」
ジャスパーはハルの肩から背中の傷を見る。
深手と言える傷は右翼の付け根辺りまで走っている。
「翼の状態は?」
「かなり悪い、急上昇とか急旋回は一回が限界」
「そうか…
ハル、よく来てくれた」
「逆の立場なら兄貴だって来るだろ?」
「いや、狐嬢さんを連れて逃げてる」
「おい…」
「冗談だよ」
そう言って笑いあう兄妹は、危機が去っていない事を理解していた。
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臆病者!臆病者!臆病者!臆病者!臆病者!
猪鬼たちの怒りの声が響く。
神聖な決闘から逃げ出した臆病者への怒り。
大猪鬼バークは折れた左腕の応急手当を受けつつ神鷲を呼ぶための笛を鳴らす。
神鷲で追撃し、臆病者の首を取る。
そうしなければ気が済まない。
神鷲の鳴き声が響き、闘技場に巨大な黄金の鷲が舞い降りる。
神鷲に乗ろうとしたバークに実弟ヨークが声を上げた。
「兄者!俺に神鷲を貸してくれ!」
腹の傷に布を巻き止血し、毛皮鎧を纏ったヨークは兄に頼みこむ。
「むう…」
バークは少し考える。
自分の手で臆病者の首を跳ねたい気持ちはある。
だが決闘をしていたのはヨークだ。
戦う権利はヨークにこそあるだろう。
「ヨーク、腹の傷は?」
「この程度は傷の内に入らん!」
「わかった、お前が竜騎士の首を取ってこい」
「兄者!感謝する!」
ヨークが戦斧を手に神鷲に乗る。
その姿を見ながらバークは弟の勝利を確信していた。
ヨークは竜騎士より強い。
そして神鷲は竜より強い。
負ける理由が無かった。
バークは弟への全幅の信頼を持って飛び立つ神鷲を見送った。
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「兄貴…」
「ああ…来たな…」
妹の怯えた声にジャスパーは追っ手の存在を知る。
ジャスパーの腕の中で、何か裸身を隠せる物は無いかと考えていたユーリアは、後方から迫る黄金の鷲の姿を視認した。
「あれは神鷲!?」
後方を見て黄金の鷲の姿を確認したジャスパーは、ユーリアの言葉から『アレは神鷲って名前か』と名前を覚えながら戦術を組み立てる。
「私のスピードじゃ逃げきれないぞ
どうする兄貴?」
「作戦はある。
ハル、それにユーリア卿も協力してください」
ジャスパーは、二人に作戦を伝え、ハルはゆっくりと旋回し始めた。
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ジャスパーは神鷲に乗る大猪鬼を見た。
族長バークではなく、戦士ヨークが騎乗しているのが見えた。
「猪鬼の族長…
素手で戦うなら僕の勝率は0%
僕だけ剣を持つなら、僕の勝率は30%
双方武器を持つなら、僕の勝率は10%
そう言ったな」
向かって来る敵。
大猪鬼の戦士ヨークはジャスパーより強く。
神鷲はハルより強いのだろう。
それでも…
「僕とハルのコンビなら、僕たち兄妹が一緒に戦うなら!
僕の勝率は100%だ!
それを教えてやる!」
ハルは傷つき魔力も体力も消費している。
それでも、それは自分たちが負ける理由にはならない。
「いくぞハル!」
「任せろ!」
ハルは竜の息を吐くために、大きく息を吸い込んだ。
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大猪鬼の戦士ヨーク・シャ・バラッハは旋回し正面から向かってくる真竜の姿を見た。
その喉が光り、鋭い歯の間から火が見える。
竜の息を吐く前兆。
「バカの1つ覚えか!!
だが神鷲に火は効かんぞ!!」
竜種の天敵たる神鷲に竜種最大の武器竜の息は通用しない。
竜の吐く炎を突っ切り一撃で竜騎士の首を跳ねる。
それで終わりだ。
ヨークは戦斧を握る手に力を込める。
ヨークの予想通りに碧色の竜は火を吐く。
だが、その火が神鷲に届く事は無い。
炎の光が一瞬だけ視界を塞ぐ、それだけの効果しかない一撃。
「終わりだ!竜騎士!」
炎を突っ切りヨークは戦斧を振りかぶり。
「なっ?何処に消えた?」
ヨークは碧色の竜を見失った。
神鷲より小さいとはいえ7メートルはある巨体を見失うはずはない。
まして竜の息で視界を塞がれたのは一瞬だけだ。
必死で7メートルの竜を探すヨークは気づかなかった。
神鷲の上の空の小柄な少年少女と小さな竜の幼体の姿に。
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ヨークが真竜の姿を見失ったカラクリは単純だった。
ハルは竜の息でヨークの視界を塞ぎ、急上昇した。
そして成竜化を解き幼竜に戻った。
冷静に周りを見渡せば上空のジャスパーたちにヨークは気づいたかも知れない。
だが見失った事で焦り、7メートルの竜を探すヨークは気づかなかった。
ハルの尻尾に掴まるユーリア。
ハルは幼竜形態では飛行出来ないが、魔力消費で落下スピードを落とすくらいは出来る。
そしてジャスパーは1人、ハルたちより速く落下し神鷲の背、ヨークの背後に降り立った。
「竜騎士?!何処から現れた?!」
神鷲の背を走り迫る竜騎士の姿にヨークは驚愕の声を上げる。
そしてジャスパーを迎撃しようとするが、鞍に下半身を固定したヨークが即座に背後から迫るジャスパー相手に戦斧を振るう事は出来なかった。
ヨークは鞍に繋げた革帯を外そうとするが、ジャスパーの初撃は防ぎようが無い。
ジャスパーの手にした短い得物が日の光を反射して光った。
それを見てヨークは勝利を確信する。
体勢が悪くはっきりとは見えなかったが、短い武器が短剣の類いと判断したからだ。
「短剣では、俺の筋肉は貫通出来んぞ!」
腰だめに短い得物を構え走るジャスパー。
当たる場所は背中か横腹。
ヨークは筋肉を固め、刺突に備える。
初撃さえ耐えれば反撃出来る。
それで終わりだ。
そう判断するヨークの横腹に触れた金属の冷たい感触。
そしてジャスパーは叫んだ!
「雷よ!!」
それは闇妖精シャンディエンより奪った『雷の短杖』
ジャスパーに雷の短杖より発する雷を当てる技術は無い。
だが短杖が相手に触れている状態なら外れるはずもない。
「グオォォォォーッ!!」
大猪鬼ヨーク・シャ・バラッハの断末魔の悲鳴が響く。
鍛え上げられた肉体も魔法具の雷を防ぐ事は出来なかった。
感電し内臓まで焼かれヨークは全身から煙を吹き絶命した。
ハルは上空から兄が大猪鬼を仕留めるのを見ていた。
次は自分の番だ!
「この傷の借りを返すぞ!」
狙うは自分の肩を抉った糞鳥。
「霧宮流格闘術!奥義!」
ハルは落下速度を制御していた魔力を止め、飛び蹴りを放つ。
「竜っ爪っ脚ーっ!」
その一撃は神鷲の背に突き刺さる!
神鷲の悲鳴が空に響き、ハルは手応えから致命傷では無いと判断するが、乗り手を失った神鷲は反撃する事なく西の空に消えていった。
「ジャスパー卿!」
急旋回する神鷲の背から振り落とされたジャスパー。
ヨークへの一撃に持てる魔力の全てを注ぎ込んだジャスパーは気を失い落ちていく。
ユーリアは恋する少年の名を叫び必死で右手を延ばす。
ジャスパーがユーリアに頼んだ事。
それは雷の短杖を使い気を失う事になる自分を助けてもらう事。
左手でハルの尻尾に掴まりながらユーリアは右手を延ばす。
一糸纏わぬ裸身を恥ずかしがる暇など無い。
ユーリアがジャスパーを掴めなければジャスパーは墜落し死ぬ。
「掴…んだ…」
ユーリアがジャスパーの腕を掴んだ瞬間。
ハルは再び成竜形態へと戻る。
ハルの残り魔力は少なく、右の翼も限界に近い。
ハルは風に乗って滑空し東を目指した。
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ユーリアは豊かな胸にジャスパーを抱き、不安定に飛ぶハルの背からジャスパーが落ちないようにする。
ジャスパーは完全に意識を失っているが口から息は漏れている。
魔力を使いきり意識を失っただけで生きている事に間違いはなかった。
森の上空を通りすぎたが、まだまだ砦まで距離はある。
限界が近いハルが砦まで飛べるかは疑問だろう。
ユーリアは自分を助けに来てくれた少年の髪を撫でる。
その頭を豊かな胸で挟みこむように抱き、ユーリアは熱い吐息を漏らした。
助かった。
仮にハルが砦まで飛べなくても、不時着した後にユーリアが砦まで助けを呼びに行けばいい。
だから、もう助かったはずだった。
風は追い風。
その風に乗ってハルは飛ぶ。
その風に乗って、その鳴き声がユーリアの耳に聞こえた。
その鳴き声にユーリアの背中は一気に冷たくなる。
その鳴き声を覚えていた。
その鳴き声を上げる魔鳥を覚えていた。
辺境砦防衛戦時に竜騎士ジャスパーが戦った巨大な禿鷲。
猪鬼たちが大禿鷲と呼ぶ魔鳥。
ユーリアは背後を振り向いた。
その眼に絶望が見えた。
追撃してくる大禿鷲。
それも1羽だけでは無い。
複数の大禿鷲が鳴き交わしながら追ってくる。
ジャスパーは気を失い、ハルには戦う力は残っていない。
そして、ユーリアに大禿鷲と戦う力など無い。
ここで終わり、ここでお仕舞い。
騎士物語のように、騎士はお姫さまを助け出しハッピーエンドを迎える事は無い。
ユーリアは最後にジャスパーの唇に自分の唇を重ねた。
この人と結ばれたかった。
寵愛を得る事は叶わなくても、妻となり、抱かれ、子を産みたかった。
その望みが叶う事は無い。
ユーリアの瞳から涙が流れた。
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「もはや我が一族の命運は尽きた。
我が子は、我が子孫は、力も知恵も失い、獣へと堕ちるだろう」
「大丈夫だ、盟友よ。
例え力を失い、知恵を失い、獣に堕ちたとて、その想いは継がれるのだから。
時が過ぎ、人の子が我らの事を忘れさっても、その想いが忘れ去られる事は無いのだ。
何度でも、何度でも、盟友の子らは戦うのだ。
この地を守るために戦うのだ。
その血から、盟友の想いが消え去る事は無いのだ。
赤き竜の血は、この地を守り続けるのだ」
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ユーリアの耳に竜の咆哮が聞こえた。
ユーリアは最初、その声は碧い竜の物かと思った。
しかし、碧い竜ハルは既に力を使いきり半ば意識を失っていた。
ハルは、ゆっくりと地に落ちていく。
ユーリアの耳に竜の咆哮が聞こえた。
1つ、2つ、3つ…
竜たちの咆哮が東の空から響いた。
そう、この国の名は、赤き竜。
彼らは、世界を守るために戦った赤き竜の子孫たち。
力も知恵も失い、獣に堕ちたとて、この地を守るために戦う赤き竜の子孫たち。
赤き鱗を持つ亜竜翼竜たち。
東の空より飛翔する赤き竜王国最強の騎士たち。
赤き鱗を持つ翼竜を駆る騎士たち。
遂に力尽き地に墜ちた幼竜の耳に竜種の咆哮は響いた。
力尽き倒れたジャスパーとハルを抱え、空を見上げたユーリアの眼に10頭以上の翼竜が大禿鷲を駆逐する勇姿が見えた。
「あれが翼竜騎士団…」
この日、ズライグ王国最強の翼竜騎士団が亜人軍との戦いに参戦した。




