第24話…竜蹄
ユーリア・ウォードエンドは恋の仕方を知らなかった。
貴族家の令嬢にとって結婚とは家の都合で決まる物。
いつか父が結婚相手を決めてきて、その相手に嫁ぐ。
そこに愛や恋が入る余地は無い。
だからユーリアにとって恋愛とは、吟遊詩人が唄う恋歌や舞台で演じられる恋愛劇の中にしか無い物だった。
たまたま出会った貴族家の男女が恋に落ち、偶然に相応しい家柄同士で結婚にいたる。
そんな話は実際にある。
だが、それは奇跡の類いだろう。
顔すら知らない相手に嫁ぐなど珍しくもない。
そんな環境で好意を持った相手に嫁げるなど幸運以外の何ものでも無かった。
しかし、ユーリアは恋の仕方を知らなかった。
彼女はジャスパー・ファーウッドを好きになりながら、どう好意を表せばいいのか分からなかった。
それでも、いずれはウォードエンド辺境伯家からファーウッド家に縁談の話がいき、二人は婚姻する事になる。
公式愛妾の産んだ娘とはいえ、騎士家のファーウッド家とウォードエンド辺境伯家では家格が圧倒的に違う。
ファーウッド家が断る理由などあるはずもない。
だからユーリアがジャスパーの妻になるのは確定された未来だったはずだ。
それでユーリアの恋は実るはずだった。
そのはずが…
ジャスパーが連れてきたのは美しい獣人の少女。
騎士として鍛えられた筋肉質な身体のユーリアとは違う、細く女性的な肢体を持つ少女。
ジャスパーが獣人の少女と毎夜寝室を共にしている事は間違い無かった。
結局、ユーリアは恋する人の寵愛を得られなかった。
当然だろう。
恋の仕方を知らず、何も出来なかったユーリアにジャスパーが振り向くはずもないのだから…
それでも…
今、ユーリア・ウォードエンドの前では、彼が戦っていた。
ユーリアを救うために、己より遥かに強大な敵と戦っていた。
騎士物語の一幕のように、竜に乗り颯爽と助けに来たわけではない。
擦り傷だらけで薄汚れて泥臭くて、それでも騎士は彼女を救うために戦っていた。
「ジャスパー卿をお守り下さい…」
少女騎士には、恋する少年騎士のために祈る事しか出来なかった。
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大猪鬼ヨーク・シャ・バラッハの戦斧が唸りを上げる。
空振りする際の音だけで、その技量は解る。
戦闘種族たる猪鬼の氏族で随一と称される戦士に相応しい技量。
その身体は大きく、大きな骨格には相応しい量の筋肉が搭載され、その外側を薄く覆う脂肪は持久力の高さを保証する。
対するジャスパーは、人間という種族の中で14歳と成長しきっていない年齢の身体。
その背は同年代の中でも低く、細く筋肉質な身体は太りにくい体質で日々の鍛練で脂肪を使いきり持久力に乏しい。
武器を持ち戦う種族として劣り、才能として劣る。
努力により得られる物は多い。
才能が目に見える事は少ない。
それでもジャスパーとヨークの体格差を見て、天が与えた物の差を理解しない者はいないだろう。
ジャスパーはヨークの戦斧の間合いから大きく距離を取る。
騎乗では騎兵槍を使い、騎獣から降りた時の武器であるジャスパーの片手半剣。
一方、ヨークの戦斧は騎乗時に使うために柄が長く、人間の分類なら長柄斧と呼ばれそうな代物。
(武器の間合いに差がありすぎる)
1メートル程度しかない剣と2メートルを越える柄が長い斧。
間合いの差は圧倒的。
(体格、技量、武器に圧倒的な差があるのに、油断もなく堅実って…)
ジャスパーは勝機を探るが、体格、技量、武器の全てでヨークは優る。
さらに最悪なのは、それだけ有利な状況でヨークが全く油断せず堅実な戦術を取る事。
(そっちが有利なんだから、もっと力任せに来いよな)
目の前の大猪鬼は、腕力だけで戦う岩鬼などと違う本物の戦士。
ジャスパーはヨークの戦斧を掻い潜り片手半剣の間合いに入ろうと何度か仕掛けるが、それを解っているヨークは大振りせず堅実にジャスパーを寄せ付けない。
(正攻法じゃ絶対に勝てない)
ジャスパーは自分の持久力の無さを理解していた。
さらに格上の相手との戦いが練習などより遥かにスタミナを消費する事も。
(仕掛けるなら体力が残っている内しかない)
つまりは今。
今、勝敗を決する博打を打つしか無い。
ジャスパーは剣を握り直す。
「神様にでも祈りたくなるよ」
ふと妹が遊びに行っていた古びた神社を思いだす。
妹が師匠と呼ぶ古武術を使う女性が住み着いていた神社。
あの神社の神様は何て名前だったかな?
「阿穂之古狛白神様、妹が入れた賽銭分くらいは、僕に加護を…」
『お稲荷様に祈る方がいいかな?』とジャスパーは砦で自分を待っている狐耳、狐尻尾の美少女を想う。
失敗したら二度目は無い。
一か八かの大博打。
ジャスパーは間合いを詰めるべく走り出す。
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ヨークは、早々にジャスパーの技量を見抜く。
弱い、あまりにも弱い。
そもそも人間という種族は弱い。
鉄が多く採れる世界故に板金鎧や鎖帷子という防御力が高い鎧が発展し、それを纏う事で肉体的に優る猪鬼の戦士と互角に戦える。
その程度の種族だ。
目の前の竜騎士の技量は、猪鬼ならば戦士として及第点レベル、体格、筋力は落第点レベル。
そして竜騎士の鎧は、軽いが防御力に劣る硬革鎧。
その程度の鎧では戦斧の一撃は防げない。
「つまらん相手だが…」
それでもヨークは油断しない。
前回の戦いで勝利を確信しながら大禿鷲を失う敗北をした。
空中では機動力に劣る竜を地上で旋回させる策に敗北した。
次は何を仕掛けてくるのか?
何か勝利するための策を隠し持っているのか?
「俺を楽しませろ竜騎士」
竜騎士ジャスパーが剣を握り直し間合いを詰めてくる。
まるで玉砕覚悟の特攻。
ヨークは冷静に間合いを測る。
ジャスパーの剣よりヨークの斧の方が間合いが長い。
剣の間合いに入られる前に、その身体を両断する。
「来い!」
ヨークは戦斧を握る腕に力を込めた。
あと…二十歩、十五歩…
間合いが近づく…
あと…十歩…
ヨークは間合いを読む。
まだ届かない。
「何っ?!」
まだ戦斧も片手半剣も届かない間合い。
高い技量を持つヨークが読み違えるはずがない。
だからジャスパーは走り、戦斧の間合いに入る手前で剣を投げつけた。
優れた戦士であるが故に、ヨークは自分に向かって飛ぶ剣に、反射的に戦斧を振るい空中で刀身を両断する。
空中の固定されていない金属製の剣を両断する、圧倒的な技量。
だが、反射的に大きく振った長い柄の戦斧はヨークの豪腕を持ってしても瞬時に振り直す事は出来ない。
その一瞬の隙にジャスパーはヨークの懐に飛び込む。
その手には腰の後ろにさしていた短剣。
躱せないと判断したヨークは腹筋に力を込める。
骨に守られていない腹部に短剣が迫る。
決闘を見守る全ての者が目を見開き。
その眼前で、ジャスパーの短剣は、ヨークの腹部に突き刺さった。
決闘を見守る猪鬼たちが咆哮のような声を上げる。
その大声は大気と大地を震わせる。
ヨークの腹部からは血が流れ…
次の瞬間、ヨークの振るった左腕にジャスパーは吹き飛ばされる。
「そんな短い得物で、俺の腹筋は貫通出来ん」
ヨークの猪鬼語は理解出来なくても、何が起きたのかはジャスパーにも理解出来た。
「冗談だろ…短剣で刺して貫通出来ない筋肉ってなんだよ…」
万策尽きた。
剣は両断され、手持ちの短剣では大猪鬼に致命傷を与えられない。
ジャスパーは賭けに負けた事を理解する。
それでも…
ジャスパーは両手を縛られ捕らわれているユーリアを見る。
ユーリアが筋肉質すぎると自嘲する身体は、ジャスパーには運動系の部活で身体を鍛えた女子高生のように魅力的な肢体だった。
「女の子の前で、格好つけないで、いつ格好つけるのかって話だな」
ジャスパーは勝機を失ったと知りながら諦めず短剣を構える。
その姿に猪鬼たちは歓声を上げる。
氏族随一の戦士であるヨーク・シャ・バラッハに血を流させた。
そんな事が出来る戦士は猪鬼でも一握りだけだ。
あの竜騎士は称賛に値する戦士だ。
それが猪鬼たちを熱狂させる。
次は何をする?
次はどんな策を見せてくれる?
猪鬼たちの眼は、二人の漢の決闘に集中する。
だから、誰も彼女に気づかなかった。
決闘場の柵を壊さんばかりに前のめりに、目の前の熱戦に集中する猪鬼たちの人混みを押し退け走る彼女に…
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猪鬼たちの歓声と熱狂。
目の前で繰り広げられる熱戦。
それに気をとられ、誰も気付かぬ隙に彼女は駆けた。
彼女は猪鬼たちを押し退け、柵を飛び越え、走る。
二人の漢が戦う舞台に乱入したのは。
「スリジェ!!」
片翼は折れて用を成さず、飛ぶ術すら失った傷だらけの天馬だった。
天馬スリジェは走る。
ユーリアの元を目指して走る。
天馬とは臆病な種族だ。
戦うより逃げる事を選ぶ種族だ。
その天馬が戦うのは1つのためだけ。
すなわち家族を守るためだけ。
天馬スリジェは家族のために来た。
家族であるユーリアのために来た。
「逃げてスリジェ!!」
ユーリアの叫び。
片翼を失った天馬が、例えユーリアの元にたどり着いたとしても何も出来るはずもない。
ただ殺されるだけ。
ユーリアの隣で大猪鬼バークが激怒する。
猪鬼にとって神聖な決闘を汚した乱入者に激怒する。
「無粋であるっ!!」
「止め…」
ユーリアの制止の声は意味を成さず。
バークは投槍を手に取り投擲する。
大猪鬼の圧倒的筋力で投げられた投槍は狙い違わず天馬の胸を貫く。
「スリジェーッ!!」
ユーリアの悲鳴が響く。
天馬スリジェの胸に突き刺さった投槍は致命傷だった。
それでもスリジェは止まらない、一歩…二歩…
それだけだった。
たった二歩、そして倒れる天馬スリジェ。
その走りは無駄だったのか?
それは無駄死にだったのか?
違う!
天馬スリジェは霞む目で見た。
己の背より跳躍した盟友の姿を見た。
青と緑の中間、碧色の盟友は、跳躍し空中で親指を立てて見せる。
言葉は通じない。
それでも、その意味は解った。
『後は任せろ!』
家族のために命を捨て走った盟友が倒れる音がした。
それでも碧色の竜ハルは振り向かない。
この時のために、この一瞬のために命を捨てた盟友のために決して振り向かない。
森の中、共に騎手とはぐれた竜と天馬。
家族を救うために共に駆けた竜と天馬。
天馬スリジェの鞍の下にユーリアが入れていた肉を食べ体力と魔力を回復させたハルは跳躍する。
バークは天馬の背から何かが跳ぶのを見て咄嗟に鉄製の大盾を構える。
大猪鬼の腕力を持って始めて使える硬く重い大盾。
それは生半可な攻撃で揺るぐ事は無い。
「盟友よ!
お前のような名馬を『竜蹄』と呼ぶのだ!
ならばこそ!この技を手向けに捧げよう!」
その技は、戦国の世の戦場で甲冑を身につけた相手を素手で倒すために編み出されたという。
「霧宮流柔術奥義!!」
その衝撃は、甲冑ではなく、その中身を破壊する。
戦国の世より伝えられし霧宮流古武術の奥義。
「竜蹄掌っ!!」
ハルの両手の掌打が大盾を打つ。
その反動で繋がったばかりのハルの右肩の筋肉、腱、神経は再び引きちぎれ、傷口は開き血を吹く。
バークは大盾に何か当たり、その衝撃が思ったよりも弱い事を嘲笑する。
何の策か知らないが徒労だったと嘲笑する。
だが、次の瞬間。
「馬鹿な!?我が腕がっ?!」
ハルの『竜蹄掌』の衝撃は大盾を突き抜け、大猪鬼バークの左腕の骨をへし折った。
「まだまだーっ!」
右腕は既に使えない。
だが倒れた盟友に為に止まるわけにはいかない。
ハルは痛みを無視して走る。
天馬スリジェの乱入と族長バークが巨大な大盾の重さに折れた腕が耐えられず倒れた隙。
全ての猪鬼が混乱し止まった隙にハルはユーリアへと走る。
そして鋭い爪の付いた脚でユーリアを縛る縄を切った。
「走れ!!」
ハルの言葉はユーリアにはわからない。
だが意思は通じた。
主を助けるために命をかけた天馬と竜の想いは通じた。
ユーリアは走る。
裸足で走る痛みも白い肌を晒す羞恥も命を捨てて自分を救いに来た全ての者の前に意味などあるはずがない。
「ユーリア卿!」
ジャスパーもユーリア目指し走る。
「逃げるか竜騎士!!」
怒り追おうとしたヨークの前には死した天馬の亡骸。
天馬スリジェの亡骸は死してなお家族を守る。
追うヨークの道を阻み、ほんの僅かの時間を稼ぐ。
「ジャスパー卿!」
ついに、ユーリアはジャスパーの胸に飛び込んだ。
ジャスパーはユーリアを抱き止め叫んだ!
「ハルーっ!!」
「任せろ兄貴ーっ!!」
ユーリアを抱き抱え走るジャスパーの元にハルは跳ぶ。
そして、重い大盾を押し退け立ち上がったバークの前には、天馬の亡骸を飛び越えたヨークの前には、全ての猪鬼たちの前には…
巨大な碧色の竜の姿があった。
碧色の竜は一声吠え空へ飛び立った。




