暗闇
どこにでもあるフランチャイズの店舗が並ぶ国道みたいに、何の代わり映えもしなければ、そっくりどこかに移動したって誰も気がつかないような僕の人生が、今や世界中の誰にだって真似できないほど鮮やかで充実していた。
ユキと会える夜が僕のメインの時間になり、昼はその待ち時間だった。
とは言っても、もう昼も退屈ではなくなった。
生きていく以上最低限仕事はしなくてはならないけど、それ以外の時間は、感動をなぞらえたり、思い出してはにやけたり、夜のための計画を練るために充てられた。
やってみたいことも行ってみたい場所もたくさんあった。
おかげで、僕の部屋には旅行会社のパンフレットやらガイドブックがずいぶんとたまった。
僕らは本当に色んな所に行った。
南の島にはもちろん行ったし、南極も行った。
自由の女神にピラミッド。
ヨーロッパは軒並み回ったし、エベレスト、それに火山口まで見に行った。
この時ばかりはさすがのユキも、マグマに突っ込むのは完全に腰が引けていたっけ。
マチュピチュ、聖地、戦地、密林、世界中の海。
海と言えば、深海に潜ったこともあって、あれもすごい体験だった。
「知ってる?」とユキが言った。「世界の海で一番深いところ」
「いや、知らない」
「マリアナ海溝。エベレストを逆さにしても底につかないんだって。まだ一度しか人類が到達していないのよ」
「まさか、ユキ」
彼女はにやっと笑った。
「潜ってみない?どこまで行けるか試してみよう」
「相変わらず君の計画はぶっ飛んでるね」
「行きましょう」
「うん、行こう」
幽体である僕らに、もはや怖いものはそうそうない。
僕らはマリアナ諸島の東まで例によってユキの瞬間移動を使い、そこから海に飛び込んだ。
海中は美しい。
けれど、今日はのんびり潜っていたらいつまでたっても着かないので、全力で下降する。
どういうわけか分からないけれど、幽体でも水には抵抗を感じる。
なので、空中ほどのスピードは出ない。
どうしてなのかとユキに尋ねたら、水と肉体の振動数が似ているからだろうと言っていた。
つまり水の中では、体を持っている状態に近いのかもしれない。
30分ほど頑張ったあたりで、僕らは休憩した。
体の疲労というものはないけれど、意識を集中させていられる時間には限りがある。
「相当潜ったよね」と僕は言った。
当たり前だけど、ここまでは日光は届かない。
そこは完全に闇だった。
そんじょそこらの暗闇ではない。
几帳面な漆職人が、幾重にも塗り重ねたような濃厚な闇。
「すごいね」とユキが言った。
「うん」
もちろんお互いの姿も見えない。
ただ頭に響く声を頼りに距離を測る。
「なんだか……」と僕。「無の世界みたいだ」
「いいえ」とユキが言った。「無じゃないわ。闇があるもの」
「あ、そうか」
無の世界なら闇もない。なんだか禅問答みたいだ。
「闇もなかったら、そこには何があるんだろう?」
「何もないのよ。無なんだから」
「闇も光もない。……まるで想像できないな」
「結局のところ、無を見つけるのは無理よ」
「なぜ?」
「見つけるってことは私達が存在してるってことでしょ?それじゃ、無じゃないじゃない」
「全くその通りだね。じゃあどうしたらいいのかな」
「どうしようもないわね。見つけようがないんだから」
「無は存在しないってこと?」
「それは分からないわ。見つけられないからと言って、それがないとは言えないでしょ?」
「たしかに。じゃあ、無は存在するかもしれないけどそれを確かめる方法はないってことだ」
「そういうことになるんじゃない?」
「深いね」
「ぴったりのシチュエーションね」
僕は笑った。
「そうだね。僕らはとんでもなく深い所にいる。多分、今生きている人間に誰よりも」
「あとどれくらい潜れば着くのかしら」
「うん。自分がどこにいるのか分からないっていうのは、なんて言うか、圧迫間みたいなものがあるね。少し息苦しくなってきた」
「帰ろっか」
「うん。……あと一つ今日分かったこと」
「何?」
「深海でのおしゃべりは電話みたいだ」




