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オオカミ姫の守護騎士  作者: オガタカ
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第九話

 朝食を食べ終えた駆は冷めたコーヒーを飲み干すと、テーブルに置いていた携帯電話を手に取った。


「駆、そのカップも洗ってよいか?」


 その声に顔を上げると、エプロンをつけたエレナが汚れた食器を手に駆の手元にあるカップを見ている。


「ん。ああ……頼む」


「分かった!」


 駆が頷くと、エレナは嬉しそうに持っていた食器の上にカップをのせた。


「なんだ? 機嫌が良いじゃないか」


「ふふ、当たり前じゃ。やっと儂の働く時がやってきたのじゃからな」


 今まさに鼻歌を歌いかねない様子のエレナだったが、そこまですると頬を膨らませる。


「――朝食も儂が作るのに」


「それは肉料理以外が上手く作れるようになったらな。流石に毎朝、朝食が肉料理は重すぎる。そう昨日約束しただろ?」


「むぅ……」


 朝食は駆が作り、朝食の片づけはエレナがする。これは昨夜、エレナと話し合って決めたルールだ。このルール……作った原因はエレナの作れる料理にある。

 どうやらエレナは肉料理はそれなりに作ることができるらしい。しかし肉料理以外となるとどうしてもうまく作れないそうだ。

 毎朝の朝食が肉料理では自分の腹がもたれてしまう。

 そう考えた駆は、朝食はいつも通りに自分が作り、食べ終えた食器などをエレナに洗ってもらうことにした。

 本当は駆が洗い物もする予定だったが、エレナが「自分は居候だから、働かせてほしい」、としつこく迫ってくるもので、半ば仕方なくエレナには毎朝の皿洗いをしてもらうことになったのだった。

 しかし理解はしていても納得はしていないのか、ジト――、と不満げにエレナは駆を見る。

 駆はそんなエレナの頭に、ポン、と空いている手をのせて微笑んだ。

 どうもエレナを相手にしていると、事あるごとにふかふかな髪の毛に手をのせてしまう。


「エレナは十分に頑張っているし、皿洗いも大切な仕事だから……頼りにしてるよ」


「う、うむ! 皿洗いで駆への借りは到底返せぬが、駆に頼りにされているのなら、儂は全力で皿を洗うぞ!」


 駆の言葉にエレナは顔を上気させると、食器を持って足早に台所に入っていく。

 そして――


「熱――――ッ!」


 家にエレナの悲鳴が響くと同時に、台所から白い湯気がリビングに流れ込んできた。


「だ、大丈夫かっ?」


「大丈夫じゃ。いきなりお湯が出て驚いただけじゃから」


「青い蛇口も一緒に開いて、温度を調節するんだ」


「うむ、やってみる」


 駆は台所にいるエレナにそう声を掛けると、携帯のディスプレイに目を移した。

 電話帳を開き、目的の人物の名前を見つける。

 駆は迷うようにディスプレイの上で指を動かしていたが、意を決したのかその名前をタップして、携帯を耳に当てた。


『はい、桜木です』


 数回のコールの後、その人物が電話に出る。駆はその声を聞いて唾を飲み込むと、電話の相手に話しかけた。


「お久しぶりです、晴樹はるきおじさん。駆です」


『ああ、駆君! 久しぶりだね、元気かい?』


「はい。おかげさまで、不自由なく……」


『そうか、そうか! それは良かった』


 駆の返答に電話の相手、桜木晴樹は満足そうに呟いた。

 晴樹は駆と同じ桜木の苗字から推測できるように駆の親戚の一人。駆にとっては顔も知らない父親の弟……叔父だ。

 妻はいるが子供がいない晴樹は、駆が祖父に育てられていた頃から駆を実の子供のように扱ってくれ、祖父の死後は駆の保証人や身元引受人となって、駆の生活を手助けしてくれた。駆にとっては恩人だ。


『それで……駆君から連絡をくれるなんて珍しいね。何かあったのかい?』


「はい。その……相談と言いますか。お願いが――」


『お願い……かい? 私にできる事なら協力するよ』


 言いにくそうに言葉尻を濁らせる駆に、晴樹は優しい口調で話す。そんな晴樹の声を聞いて、駆の心がズキッ、と痛んだ。


(エレナを学校に通わせるためとはいえ――俺はおじさんに嘘をつくのか)


 エレナを学校に行かせる、そのためにはこの晴樹の協力が必要不可欠だ。

 何故なら、名実ともに周辺地域の名門校。私立桜木学園を設立したのは桜木仲元さくらぎなかもと、駆の祖父だ。

 そして今、その桜木学園を祖父から継ぎ、学園の経営をしているのは駆の叔父である晴樹なのだ。

 つまり晴樹にエレナの入学の許可を貰う事ができれば、一応はエレナを桜木学園に転入させる目処が立つ。

 だが――……


(許可を貰えるかは分からないな)


 昨夜は間違いなく許可が得られると考えていたが、一夜明けて改めて考えると、そう簡単に許可は貰えないように思える。

 エレナが昨夜言ったように、学校に通うにはお金がかかる。

 幸いにも駆には、顔を覚えていない父と母が残したお金と、祖父が残してくれたお金がある。その為、生活に困ることはないし、エレナの分の授業料も払えるだけのお金もあるが、それは自分が働いて手に入れたお金ではない。

 そのことを晴樹に指摘されてしまえば、駆には諦める他ない。


「実は……」


 晴樹から許可を貰えなかったら、エレナと一緒に学校に通うのは諦めよう。そう考えながら晴樹に事情を話す。

 エレナという外国人の少女と一緒に暮らしていること。

 エレナの人柄や、努力家だが、所々抜けている、おっちょこちょいであること。

 そして、申し訳なさと罪悪感を持ちながら、駆はエレナを祖父の友人の孫だと話す。

 その駆の口ぶりから、真剣な相談であると察してくれたらしい。晴樹は口を挟むことなく、駆の話に耳を傾けてくれた。


『つまり、駆君はそのエレナちゃんの転入手続きを行いたいんだね』


 晴樹は駆の話を聞き終えて、そう淡々と口にする。駆は携帯を片手に頷いた。


「はい。自分勝手で、無茶なお願いであることは――……」


『確かに無茶なお願いだな』


 電話の向こうで晴樹がため息をつく。


『いいかい、駆君。こういう話はしたくないけど、学校に行くためにどれぐらいのお金がかかるか分かるかい? 授業料だけじゃないぞ。制服に学用品、修学旅行などの積み立てのお金も必要なんだよ』


 晴樹は言い聞かせるようにそう言う。


『駆君なら、エレナちゃんを転入させるだけのお金は持っているだろうけど……それは兄さ――駆君のお父さんとお母さんが駆君の為に残したお金だよ。それを他の娘の為に使うのは感心しないな』


「そう……ですね」


(やっぱり……そうだよな)


 晴樹の正論に駆は小さく肩を落とす。しかし……


『まぁ、その女の子の転入は考えてもいい』


「え?」


 晴樹の次の言葉に駆は目を見開く。

 電話の向こう側で晴樹が呆れたように笑ったのか、息が漏れた音が聞こえた。


『駆君からお願いされたのは初めてだし、先代の友人のお孫さんなら丁寧に扱わないとね。それに駆君がそこまで言う娘なら、うちの学園にとってプラスになれどマイナスになることはないだろうし』


「そ、それじゃあ……」


『うん。そのエレナちゃんの転入については私が何とかしよう。授業料などについては私が立て替えておくから、明日にでも制服を取り扱っているお店にその娘を連れて行ってあげなさい。転入は休日明け……駆君と同じクラスでいいかい?』


「は、はい。おじさん……その」


 予想外の展開に戸惑う駆だったが、なんとか晴樹にお礼を言おうとする。しかし晴樹は笑い声をあげると、駆の言葉を遮った。


『お礼は要らないよ。さっきも言っただろう? 駆君にお願いされたのは初めてだって。私としては駆君の初めてのお願いは、何としても叶えたいんだよ』


「…………」


 言葉を返すことができない駆をよそに、晴樹は嬉しそうに話す。

 晴樹はひとしきり笑うと「あ!」、と声を上げた。


『悪い、駆君。今日は会議があるから、早く家を出ないといけないんだ! じゃあ、転入の件は任せてくれ。また今度、そのエレナちゃんを連れて、家に遊びに来てね』


「分かりました。ありがとうございます、おじさん」


 駆がそういうと、晴樹の側から電話が切られる。プープー、という音を聞いて、やっと駆は緊張で肺に溜まっていた空気を吐き出した。

 視線を感じてふと台所の方を見ると、リビングと台所を仕切っているのれんの隙間から覗いていた赤目と視線が合う。キョロキョロと所在なさげに揺れるその目を見て、駆は苦笑すると、持っていた携帯をエレナに見えるように差し上げて振った。


「もしかして……聞こえてた?」


 駆に声を掛けられ、ビクッ、と身体を震わせたエレナだったが、やがて戸惑った様子でリビングに入ってくる。


「うむ。そ……その、聞こえていた」


 エレナは頷くと、駆の顔を見据えた。その瞳には明らかな困惑が浮かんでいる。


「駆はなぜそこまで儂の為に動いてくれるのじゃ? 儂を助けたところで、何も利益などないのに」


「……そうだな」


エレナの言葉に駆は首を縦に振り、腕を組む。


(エレナの為に動く理由か)


 エレナと一緒に暮らすことにしたのは、これ以上旅を続けようとするエレナを見ていられなかったから……エレナを助けたかったからだ。

 このまま旅を続けていたら、エレナは間違いなくどこかで倒れていただろう。

 では、なぜ今回、自分はおじさんに嘘をついてまで、エレナを学校に通わせようとしたのだろうか。


(学校に通ったことがないエレナに対する同情? それとも……)


 考えてみるがどれも違うような気がする。

 心の奥底で駆は首を傾げる。ふとエレナを見ると、エレナの紅玉を思わせる綺麗な瞳には、眉をしかめた自分の姿が映っていた。


(……ああ、そうか)


 そんな自分を見て、駆はなぜ自分はここまで行動をしたのか、その理由を理解する。


「ふ……ははっ」


 自分の真意を理解して、その理由に駆の口から失笑が漏れる。


「駆?」


 駆が不意に笑みを浮かべたのを疑問に思ったのか、エレナが呆気にとられる。

そんなエレナの頭に駆は手を置くと、クシャクシャとして微笑んだ。


「さあな」


 頭をクシャクシャにされたエレナは身をよじるようにして駆の手から逃れると、乱れた髪を直しながらプイッ、と横を向いて呟いた。


「駆は――優しいな……」


「俺は優しくないよ」


 エレナの呟きに駆は頭を掻いて、そう答えた。


(俺は……エレナが思っているような優しい男じゃない。だって――……)


「明日は制服を見に行くぞ」


「うむ」


 そう言うと、駆は制服に着替えるためにリビングを出る。

 廊下を歩いていた平八の頭を撫でて自分の部屋に入り、駆はふぅ、と深く息をついた。


(俺がエレナを学校に通わせようとするのは――……自分の為だから)





「なるほどね……つまり私は、エレナの制服を合わせる手伝いをすればいいのね」


「ああ、頼んでいいか? 流石に女子の制服の採寸とかは、俺には分からなくて……」


 次の日、駆の家に訪れた凛音はそう言うと、持っていたオレンジ色のエディターズバックを肩に掛けた。

 凛音の言葉に駆はやや顔を落とす。凛音はそんな駆を見て、口元を綻ばせた。


「手伝うのは問題ないけど……それなりの対価もあるのよね?」


 駆はやっぱりか、と言った様子で苦笑すると、小さく頷いた。


「昼食はおごるよ」


「デザート付き……でしょ?」


「……分かった」


「ふふっ、今日はドーンとこの私に任せなさい!」


 間髪入れず凛音から出た更なる提案に駆は顔をしかめつつも了承する。

 エレナの制服の採寸。それには男である駆にはいささか荷が重い。凛音の協力は必要不可欠だった。それに――


「ああ、あとエレナの私服も買うからな。頼んだぞ」


「へ? ええっ?」


 駆の言葉に凛音が驚きに目を見張る。駆はニヤリ、と意地悪気な笑みを浮かべた。


「ん? 今日はドーンと任されてくれるんじゃないのか?」


「う……うう……卑怯な」


「悪いな。言い忘れていたんだ」


ギリッ、と奥歯を鳴らした凛音に、駆は飄々と言い放つ。しばらく駆を恨めしそうに見つめていた凛音だったが、反発を諦めたのか肩を落とす。


「なら、せめてバックを持ってくれない? 貴重品は入ってないから」


「それくらいなら」


 そう言って凛音が差し出したバックを駆は受け取る。しかし手に持った瞬間に右手を襲った重量に駆は目を見開いた。

 一方、駆の表情に凛音は、してやったり、と舌を出して駆から距離をとる。


「お、おま……これ、一体何が入ってるんだ?」


「駄目よ、駆。女の子のバックには秘密が詰まっているのよ? 中身を聞くのはルール違反じゃないかしら」


「なんだ、そのルール!」


 凛音のバックを持ち直して、駆は叫ぶ。凛音が顔色一つ変えることなく持っていたバック……その重さは想像をはるかに超えたモノだった。まるで二リットルのペットボトルが二つほど入っている重さだ。学校のバックといい、このエディターズバックといい、凛音コイツはいつも何を入れているのか。


「すまぬ。待たせたな」


 そんなことを考えていると、玄関から唯一持っている私服のドレスを着たエレナが現れる。エレナは凛音を視界にとらえると、間の抜けた表情を浮かべた。


「え……凛音?」


「うーい、エレナ。今日も可愛いねぇ……すんすん」


「ひゃっ? や、やめ……んあ! か、駆ぅ!」


 凛音はエレナに手を上げて挨拶すると、ギュッ、と抱きついて、くんくんとエレナの首筋を嗅ぐ。そんな凛音の行動にため息をついていた駆だったが、エレナの助けるような視線に見ていられなくなり、凛音をエレナから引き離した。


「あ――……お日様の香りだったのに」


「ひぅ……な、なぜ凛音がここに?」


 名残惜しそうに渋々手を放した凛音を見て、エレナが荒い息をつきながら駆に尋ねる。


「その――女子の制服とかは俺には分からないから、凛音を呼んだんだけど……」


 今にも泣きだしそうな表情を浮かべるエレナに、少しばかり罪悪感を持ちながら、駆は凛音を呼んだ理由を話した。


「つまり、凛音が儂の制服を見繕ってくれるというわけか?」


「ええ! 私に任せなさい」


 駆の説明にエレナは首を傾げ、凛音はドーンと胸を張る。その瞬間、凛音の同年代にしては大きな果実が揺れた。

 そんな根拠のない自信にあふれた凛音を見て、


「……姉さんに頼んだ方が良かったかもしれない」


 隣に住む未来に頼むべきだったかもしれない、と早くも駆は人選の失敗を感じていた。


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