助ける幼女
「あちらは決着がついたようですね」
マツリが引き起こした桁外れな光景は、別行動を取っていたネローヌの目にもはっきりと確認出来ていた。
多少やり過ぎな感はあるが、戦果は上々だ。
これなら、お堅い上層部もこちらの価値を認めるだろう。
ネローヌは、演習場全体を見渡せる高台の上にいた。
「最も重要な地点へ精鋭を送り込む、理に叶った戦術です」
ふと振り返ったネローヌは、自身を取り囲んだ兵士達へ向け静かに語り掛ける。
情勢を見る為に高台へ向かったネローヌは、あっという間に包囲されてしまっていた。
別働隊が向かっていたのは、ネローヌ達の本陣ではない。
彼らは、最初からネローヌ狙いで構成された部隊である。
魔術師として名高いネローヌ相手を想定し、参加した兵士の間でも高い技量を持つ者達が集まっていた。
ネローヌがこの地点を訪れると予測し、模擬戦開始直後から網を張っていたのだ。
「まんまと策略に嵌るとは、噂のネローヌ・ドルスヴェインも大したこと無い…… そう思っておられるのでしょう?」
自身の考えを言い当てられ、兵士達は音も無くたじろぐ。
「罠を張っていたのは、何も貴方達だけではありませんよ」
そうにこやかに笑い、ネローヌが指を鳴らした瞬間。
周囲一帯に耳鳴りのような甲高い音が鳴り、地面に複雑な魔方陣が描かれていた。
「う、動けん……!?」
「こんな魔方陣を、いつの間に!」
兵士達は魔方陣の放つ力場に拘束され、指一本すら動かせなくなっていた。
何重にも刻まれた光の線は、それが一朝一夕に造られたものでないことを表している。
模擬戦が始まってから、ネローヌの動きは逐一監視されていた。
彼らの監視を掻い潜って、こんなものを設置できるはずがない。
「昨夜の内に仕掛けておきました、これでも随分苦労したんですよ」
自身の労力を語り、ネローヌは肩をすくめる。
最も肉体労働の殆どはマツリが行っており、実際骨を折ったのはマツリなのだが。
「なっ……!」
「事前に演習場に入ってはいけないと、誰が言ったのです?」
まだ歴史の浅い解放軍でも、公式に行われる演習には様々な規則がある。
しかし、前日の行動について定められたものはない。
勿論、ネローヌはそれを知っていた。
「ひ、卑怯な!」
「人聞きが悪いですね。勝つために最善手を尽くした、と言って下さい」
口々に抗議する兵士達に対し、普段と変わらぬ柔和な笑みを浮かべるネローヌ。
だがその笑みは、獲物を前にした猛獣を思わせるものだった。
「さぁ、仕上げに入りましょう」
表情を引き締めたネローヌが、手に持った杖を高く掲げた。
それを合図にしたように、魔方陣が眩く輝き出す。
周囲を覆う光の幕は、幻想的な美しさを放っていた。
「――っ!?」
声にならない叫びを挙げながら、白目を剥いて気絶していく兵士達。
絢爛に輝く光の中で、凄惨な光景が繰り広げられていく。
眩い光が収まったそこに、動くものはネローヌ以外残ってはいなかった。
「さて、グロイスさんの方はどうなったでしょうか」
戦闘力を失った兵士達から視線を逸らし、ネローヌは眼下を見遣る。
鋭い視線で見詰める先には、敵方の本陣が置かれてていた。
※
ネローヌが兵士達を撃退したのとほぼ同時刻。
本陣には数十人の兵士達が残り、掲げられた旗を堅牢に守護していた。
と、物見に立っていた兵士の顔が俄に歪み。
「き、来たぞ! 死神が来た!」
殆ど絶叫に近い声を受けて、兵士達は防衛陣形を取り始める。
急かされるように動き出した彼らの顔は、一様に固くこわばっていた。
と、身長の1.5倍程はある巨大な鎌を持ったグレイスが、薄暗い木陰の中からゆらりと表れた。
「我が元に集え、冥界の幽鬼達よ」
グレイスが祝詞を唱えれば、彼女の周りにおどろおどろしい骸骨達が現れる。
半透明の青白い骸骨達は、不気味に浮遊しながらグレイスの周りを滞空している。
「さぁ、その力を示せ」
「く、来るな、来るなぁ!?」
グレイスの指示を受けた幽鬼達は、兵士達の攻撃をすり抜けて進軍する。
彼らの体に少しでも触れた瞬間、生身の人間は一瞬で意識を奪われていた。
「……これが、冥族の力」
後方で惨状を眺めていた上級士官が、呆然とした様子で呟く。
冥族とは、古来から最も死に近いとされてきた部族であり、古の契約術において人ならざる者達を操る者達。
青白い肌や独特の文化様式から、彼らは同じ亜人族の間でも偏見を持たれていた。
その中でも、グレイスは特別であるといえよう。
何故なら、彼女を残して冥族は根絶やしにされてしまったから。
冥族に対して偏見を持っていたのは、人間族、つまりは帝国も同様であった。
開戦当初に行われた徹底的な殲滅戦によって、冥族は彼らが暮らしていたドレムロ湿地帯ごと葬り去られた。
その経緯から、たった一人生き残ったグレイスには謂れの無い噂が付きまとうようになる。
噂を更に強めたのは、解放軍に加わってからの戦歴である。
僅か一年足らずの間に、彼女以外全員が戦死するという形で四つの部隊が全滅していた。
特に四番目の部隊が壊滅した戦闘は壮絶で、敵味方含め150人近くが戦死した凄惨な消耗戦の中、彼女だけが生き残ったのだ。
いつからか彼女は『死神』と呼ばれるようになり、敵からも味方からも忌避されるようになったのだ。
「命までは奪いません、投降を」
倒れ伏した兵士達には眼もくれず、悠然と進んでいくグレイス。
その足が、本陣の中へ入ろうとした瞬間。
「今だ、あれを使え!」
「な、何を!?」
丘の影に伏せていた兵士達が、幾つもの麻袋を放り投げた。
袋の中に入っていた何かの粉が散乱し、周囲の視界が白く染まる。
「私の力が、どうして……!?」
煙が晴れたそこに、グレイスの操る幽鬼達の姿は無かった。
グレイスが何度鎌を翳しても、幽鬼達は現れない。
「爺さんから聞いたんだ、冥族にはアドニスの花が効くってな」
袋を投げた兵士達の一人が、自慢げに胸を張った。
死者の魂を慰めると言われる華の花粉を受けた幽鬼達は、掻き消えるように霧散していた。
動揺したネローヌは、逃げる間も無く兵士達に取り囲まれていた。
「どんな手を使ったか知らないが、まんまとネローヌ様に取り入りやがって」
「お前が選ばれた精鋭だなんて、納得できるかよ!」
「違う、わ、私は」
グレイス自身も、今回の抜擢には疑問を抱いていた。
自分のような後ろ暗い存在が、皆に称賛されるネローヌの傍に居て良い訳が無いと。
しかし、興奮した兵士達にその言葉が伝わる筈も無く。
「煩い、前々から目障りだったんだ。お前は今ここで――」
戦闘に立つ兵士が、ほぼ無抵抗のグレイスへ槍を振るい掛けた、そのとき。
「どりゃぁぁっ!」
耳を劈く咆哮を挙げて、黒い影が天空より舞い降りた。
着地の衝撃で地面が揺れ、兵士達の何人かが腰を抜かして倒れ込む。
「お、お前は!」
突如現れた乱入者を見て、兵士達が声を挙げる。
「お前、こいつを助けるのか!?」
「だったら、どうする」
影の正体は、本陣の異変を察して駆け付けたマツリだった。
「何故……私を?」
「別にお前がどうなろうと構わねぇが、同じ隊の奴が負けちゃオレまで舐められちまうからな」
グレイスを庇うように立ったマツリは、取り囲んだ兵士達を前に不敵な笑みを浮かべる。
「模擬戦ってぇのは……面白れぇよなぁ?」
心底楽しそうに破顔するマツリを前に、兵士達の動きが困惑で止まる。
「普段は偉そうに命令してる奴を、大っぴらにぶっ飛ばせるんだからよぉ!」
そう言って、マツリはおもむろに跳躍した。
反応出来ず突っ立っていた兵士達を連続で踏み台にして、マツリは凄まじい勢いで加速する。
弾丸の如き速度で目指す先は、本陣中央で指揮を執っていた上級士官。
見る間に近づくマツリの姿を見て、士官の顔が恐怖に染まる。
「ま、待て! 私はとうこ――」
「おうらぁっ!」
発されようとした投降の言葉を待たずして、マツリは拳を振るう。
鈍い音と共に吹き飛んだ士官の体は、後方に設置された旗を粉砕してなお加速し、数十m後方へ消えていった。
「旗が無くなっちまったんだから、オレ達の勝ちでいいんだよな?」
「は、はいそれはもう!」
真っ二つに折れた旗を見遣りつつ、マツリは笑顔のまま問いかける。
その光景を見て、顔を青褪めさせた副官は何度も首を縦に振っていた。
「マツリさん、本当にありがとうございました。この御恩は如何様にして返せば――」
と、マツリに怯え逃げ出す兵士達の間を縫って、グレイスがマツリへ駆け寄った。
「よせよじれったい。いちいち礼とか面倒だっての」
深々と頭を下げたグレイスに対し、マツリは照れ臭そうに頭を掻く。
「ですが、それでは自分の気が収まりません」
なおも納得しないグレイスへ、マツリは暫し考えてから。
「じゃあこうしろ。お前はオレに借りが出来た」
グレイスの顔を指差し、大真面目に告げていた。
「借り……?」
「一回分な。その内返してくれればいい」
「……分かりました」
これで話は終わりとばかりに言い切ったマツリを前に、グレイスは渋々頷く。
「マツリちゃん、グレイスちゃーん!」
と、マツリ達の前方から、リルカの元気な声が聞こえてきた。
「どうやら、お迎えみてえだぜ」
迎えに来るだけで何であんな煩いんだよ…… と肩をすくめるマツリの背中を、グレイスは潤んだ瞳で見つめていた。