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幼女の源

 「その本、読めたのか?」


 マツリ達の視線は、グレイスの持つ黒皮の本に注がれる。

 

 「専門用語で書かれている部分までは分かりかねますが、大まかには内容が理解出来ました」


 そう言って、グレイスは本をぱらぱらとめくリ出す。

 無造作に頁をめくる手が、ある項目で止まった。


 「ここを見て下さい」


 あちこちが黒ずんだベージュ色の紙には、ミミズが這ったような字が細かく敷き詰められていた。


 「見てくれって言われても、さっぱり読めないんだが」


 乱雑に書かれた文字を読み解くのは、この世界の言語に不慣れなマツリで無くとも難しかっただろう。

 その証拠に、マツリの隣にいたシェイリスも無言で顔をしかめていた。


 「では、読み上げますね」


 そんな二人へ向け、グレイスは訥々と朗読を始める。

 この項目には、ここで行われていた研究の経過について詳しく記されていた。


 人間の体をそっくり作り変えるという博士の理念を元に、まずは動物を使った実験が行われた。

 最初に造り出されたのは、亜人のように異なった特徴を併せ持つ人間。

 犬のように嗅覚に優れる個体や、猫のように俊敏性に優れる個体などが次々と生産され、実験はまずまずの滑り出しを見せる。


 だが博士は、この程度で満足しなかった。

 求めているのは、たった一人で百の兵に相当する存在。

 ただの人間に毛が生えたような個体などは、そもそも考慮に値しない。


 実験はやがて過度期を迎え、複数の種族を掛け合わせた個体なども生み出されるようになった。

 埋め込まれる要素が増える度に不安定さは増し、廃棄処分になった個体も目立つようになる。

 研究開始から一年程が経った頃、実験は完全に行き詰まりを迎えていた。

 生み出される個体の能力は頭打ちを迎え、鳴り物入りで入所した博士の実力を疑う声も出始めた。

 追い詰められた博士は、禁断の領域に足を踏み入れることになる。

 

 外種撃退に最も貢献した帝国は、戦いの後に残された死骸も大量に保管していた。

 それらは帝国が誇る動物学者や生理学者等の手に渡されていたが、目立った成果は出ていなかった。

 何せ、生物としての構造が根本から違いすぎるのだ。

 長い時間を掛けて分かったのは、この世界に存在するあらゆる生物とは全く異なった生態をしていることだけ。


 それと同時に、未知の素材を元に武具や工芸品を造り出そうという計画も行われていた。

 だが、こちらも同様の結果に終わっていた。

 外種のあまりに特異な構造は、まともな形での応用を拒んでいた。

 莫大な費用を掛けてどうにか加工を行っても、既製品より性能の面で劣る者ばかりが造り出される始末で。


 そんな状況であれば、博士が外種の死骸を入手するのも容易い。

 巨大な倉庫に入りきらない程の死骸を集めた博士は、すぐさまそれらを実験に使用する。

 予想通り、外種の体組織を埋め込まれた実験体は目覚ましい成果を見せた。

 基本的な身体能力の強化に留まらず、様々な特殊能力を目覚めさせていた。

 材料のせいか、実験体の不安定さも更に増した。

 予想外の暴走を繰り返し、研究所そのものが破壊されかけたことも何度かあったようだ。

 

 研究所解説から丁度一年半が経った頃、実験は一つの成功を迎える。

 優性計画の第一号として生み出されたのは、炎を自在に操る少女だった。

 

 「外種を、材料に」


 到底受け入れ難い事実に、シェイリスは顔を青褪めさせる。


 「あんなもんを混ぜ込まれたんなら、こんな力が手に入ったのもう頷けるか」


 ぶっきらぼうに吐き捨て、マツリは自身の掌をじっと見つめる。


 「……あんたは平気なの?」


 けろりとした様子のマツリへ、シェイリスは怪訝な視線を向ける。


 「化け物を元に化け物が生まれただけ、って話だろ」


 元々自分の力を憎悪していたマツリは、さして衝撃を受けていない。

 むしろ、それくらいで丁度いいとさえ感じていた。


 「もう一つ、これには興味深い内容が書かれていました」


 そう言って、グレイスは別の頁を読み上げ始める。

 

 外部から強い衝撃を受けた実験体の中には、材料の性質が表出する場合がある。

 そうなった実験体は人語を解さず、本能のままに暴れ回る存在と化してしまう。

 一度変質した存在を元に戻すことは困難であり、最早処分するしかない。


 「本では、その現象を纏めてこう呼んでいます。先祖帰り、と」


 「じゃあ、さっきアタシ達が戦ったのは」


 想像したくない可能性に思い至り、シェイリスは顔を引きつらせる。


 「その可能性もあります」


 先祖帰りを起こして廃棄された個体が、死にきれずに彷徨っていたのか。

 確実には言い切れないが、そうであればなんと皮肉な事だろう。

 かつては、シェイリスと共に日々を過ごしていたかもしれないのに。


 「以前戦った、紅い外種を覚えていますか?」


 「やたらでっかかった奴か、ありゃ強かったな」


 マツリの脳裏に、怪獣を思わせる紅い巨体が思い浮かぶ。

 あの外種は、今まで戦った仲でも相当の強敵だった。


 「恐らくあれは、シェイリスさんだったのではないでしょうか」


 「アタシが……!?」


 突如話の矛先を向けられ、シェイリスは目を見開く。


 「村で貴女の話を聞いてから、ずっと疑問に思っていたんです。マツリさんが貴女と戦った要塞とあの村、そこまで離れている訳ではありませんが、気絶している間に運ばれるには遠すぎます」


 「確かに」


 あの村と帝国の要塞は、直線距離にすれば数十㎞も離れている。

 マツリはさして気にも留めなかったが、グレイスは話を聞いた当初から引っかかっていた。


 火炎を吐き出して暴れ回った外種は、炎を操るシェイリスの特徴を思わせる。

 更に、あの外種が現れたのは、シェイリスがマツリに倒された時期とほぼ同時だ。


 「貴女は、マツリさんに倒されてからの記憶が曖昧ですよね」


 「それは、そうだけど」


 あのときのことは、シェイリス自身も不思議に感じていた。

 目覚めた自分の体は、何事も無かったかのように綺麗だったから。

 大量の土砂に埋もれていたのなら、何処かしら怪我を負っていてもおかしくないのに。


 「でもよぉ、一度先祖帰りした奴は元に戻らないんじゃないのか?」


 もしシェイリスがあの外種だったのなら、一度先祖帰りを起こしてから人間に戻ったことになる。

 なら、先程グレイスが読み上げた項目と矛盾するのではないか。


 「そう言われると苦しいのですが……」


 痛い所を付かれ、グレイスは押し黙る。


 「だったら、その本を書いた当人に聞けばいいわ」


 不意に訪れた沈黙の後、口火を切ったのはシェイリスだった。


 「決心が着いたって感じか?」


 「そう言い切れる程大層なもんじゃないけどね」


 口ではそう言いながらも、シェイリスの顔には決然とした意思が現れていた。


 「この本の著者に、心当たりでも?」


 本を表に向けて、すっかり擦り切れて判読不能になった表紙を見遣るグレイス。


 「ここの研究についてこんなに詳しく書けるなんて、あたしは一人しか思い付かないわ」


 「だな」


 最も研究に精通し、悍ましい実験を率先して主導した人物。

 それは、言うまでも無く。


 「会いに行くわ、ママに」


 強い意志を言葉に込め、シェイリスはきっぱりと言い切った。

 遠くを見据えた紅の眼に宿るのは、一度は親と慕った相手へ立ち向かう決意だった。

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