別れる幼女
それは、あまりに唐突だった。
全軍に告げられたのは、帝国軍に対する全戦闘行為の停止、
解放軍は反抗作戦を開始したばかりであり、当然批判も噴出した。
それでも停戦が押し切られたのは、外種の出現が双方にとっての大きな脅威となっていたから。
要塞以外にも複数の場所で被害が出ており、帝国支配地域でも一つの都市が壊滅する程の被害が出ていた。
双方の上層部には10年前の戦いに参加していた者も多く、このまま争っていれば共倒れしかねないとの判断である。
また、帝国側からかなりの譲歩があったことも大きかった。
十年前のように無理やり纏まるのではなく、各国が国の体を為したままの同盟関係を持ちかけられたのだ。
賠償や人質の請求も無い、完全な形での停戦。
決して望んでいた形では無くとも、解放軍にとっては十分以上の成果だ。
あまりの好条件を訝しむ声も、新たな戦いへの準備を望む声に消えていった。
停戦が告げられてから数日後、フレイス前線基地にて。
誰もが寝静まる丑三つ時に、裏門に立つマツリは一人基地の城壁を見上げていた。
背中に荷物袋を背負い、背中にはもうお馴染みとなった鉄球を背負っている。
帝国軍が残していった攻城兵器は一つでは無く、当然鉄球も相当数が残されていたのだ。
同じ轍を踏まぬように、鍛冶師のみならずネローヌ等魔術師の協力も得て、鉄球は更に協力な獲物へ生まれ変わっていた。
「……何だかんだで、結構愛着が湧いてたんだな」
いつの間にやら、マツリは五分弱も要塞を見つめていた。
予想以上に感傷的になっていた自分に、今更ながら驚く。
「けど、それも今日で終わりだ」
ぽつりと呟いてから、感傷を振り切るように歩き出すマツリ。
その小さな背中へ、誰かが声を掛けた。
「どこに行くの、マツリちゃん」
微かに開かれた門の前に立つ、見慣れた獣耳の少女。
寝間着姿のリルカは、震えた声で呼び掛ける。
「こっそり抜け出すつもりだったけど、リルカは感が良いな」
最早話し合う気は無いのか、マツリは一切振り返らない。
冷徹に告げ、再び荒野へ歩き出そうとする。
「答えて、何処へ行くの!?」
「言わなくても、大体分かってんだろ」
マツリにとって、解放軍は目的を果たす為だけに席を置いていただけ。
帝国と戦えなくなったのなら、最早ここにいる意味は無い。
「だったら、私も行く!」
「なっ、はぁ!?」
先程の深刻な雰囲気はどこへやら。
予想外の言葉を受け、マツリは思わず振り返ってしまった。
「こんな中途半端に終わるなんて、私も納得できないもの!」
「待てよ、お前まで巻き込む気は」
志願兵とはいえ、勝手な脱走は間違いなく軍法会議ものであり、下手をすれば処刑もあり得る。
上手く行ったとて、その後まともな暮らしに戻れる可能性は低い。
「お前やネローヌの立場はどうなるんだよ、何もかも台無しになるんだぞ!」
ここで脱走すれば。リルカを慕っていた子供達の想いも無駄になる。
故郷へ錦を飾るどころか、田舎で平穏な暮らしを送る事すら出来ないだろう。
「そんなの、もうどうだって――」
かぶりを振るリルカの肩へ、静かに手が置かれた。
「マツリさんの言うとおりです」
リルカの完全に頭へ血が上った叫びを遮るように、闇の中から声が響く。
「グレイス、ちゃん……!?」
まるで影が実態を持ったように、夜の帳を縫ってグレイスが姿を現す。
服装はいつもの軍服姿で、髪もきちんと整えられている。
いつから潜んでいたのか、彼女もこの事態を予想していたようだ。
「リルカさんがいなくなれば、沢山の人が悲しむことになります。貴方は、自分を信じてくれた達を裏切るんですか?」
故郷でリルカの活躍を待つ人々や、転戦の最中で知り合った友人達。
リルカの明るさは、様々な人々の心を照らしていた。
その一人であるグレイスにとって、全てが台無しになる脱走などは看過できない。
「だからって」
「ですから、ここは私が行きます」
かぶりを振るリルカへ、グレイスはきっぱりと宣言した。
「ちょっと待て、何でそうなる!?」
「元々嫌われ者の私がいなくなったところで、悲しむ人はそういないでしょう。むしろ、厄介者が消えて喜ぶかもしれません」
戸惑う二人へ、グレイスはどこか晴れ晴れとした様子で告げる。
「そんな事」
諦めた様子のグレイスへリルカは思わず反論するが、悲しげな瞳で首を振られてしまった。
前より露骨では無かったとはいえ、冥族への偏見が無くなった訳ではない。
むしろ、表に出なくなった分だけ根が深くなっていた。
「おい、勝手に話を進めてんじゃ」
「大丈夫です、マツリさんへの想いは自分も一緒ですから」
落ち着いた口調で、グレイスは願うようにリルカへ語り掛ける。
その眼には確かな光が灯っており、自暴自棄ではない確固たる意志が感じられた。
「……分かった。グレイスちゃんなら安心してマツリちゃんを任せられるもんね」
「いや、当事者の話を聞けよ」
二人が盛り上がってしまったお蔭か、マツリは逆に頭が冷えていた。
自分を置いて話を済ませた二人へ抗議するが、その言葉が届く訳も無く。
「という訳で、行きましょうマツリさん」
リルカと心を通じ合わせたグレイスは、マツリへ力強い笑顔を向ける、
その晴れやかな笑みは、最初に会った頃からは想像も出来ない程綺麗で。
「……ったく、後悔しても知らねぇからな」
最早説得は無理だと悟ったのか、マツリは大袈裟に肩を竦めてから歩き出す。
その小さな背中に、拒絶の意思は最早なかった。
「リルカさん、隊長を頼みます」
「うん、任せて!」
無邪気に胸を張るリルカへ、振り返ったマツリが怪訝そうな視線を向ける。
任されるのは逆じゃないのかと言いたげだったが、直接口に出すのは憚られたようだ。
「じゃあ、またな」
「また、会いましょう」
例え別々の道を歩くとしても、これが今生の別れではないのだ。
再会を誓い、二人は歩き出す。
「二人とも元気でねー! マツリちゃん、ご飯食べ過ぎちゃ駄目だからね、後、ちゃんとお風呂にも入るんだよー!」
「一々うるせぇ!」
どこか気の抜けた心配を向けるリルカへ、マツリは普段のように怒り出す。
しかしその声には、何処となく親しみと暖かさがあった。
「絶対また会おうね、絶対だよ……」
手を振り続けていたリルカの頬に、一筋の涙が零れ落ちる。
気丈に振る舞っていたが、とても容易に押し殺せる悲しみでは無い。
「行ってしまいましたか」
全てが終わったのを見届けて、ネローヌが最後に姿を現す。
実は彼女は、最初からこのやり取りを把握していた。
「会わなくていいの?」
「直接顔を合わせれば、余計な事を言ってしまうかもしれませんから」
知っていながら、ネローヌは敢えて姿を現さなかった。
もし会えば、みっともないほどに泣き喚めいてしまうと自覚していたから。
闇夜に伸びる視線に様々な思いを込めて、ネローヌは遠ざかっていく背中を見つめていた。
「戻りましょう、私達は私達に出来ることをしなければなりません」
「うん、頑張らなくちゃ」
凛々しい表情で歩き出すネローヌと、おもむろに両の拳を握って気合いを入れるリルカ。
対照的な二人の背中を、おぼろげな月明かりが照らしていた。




