騙られる幼女
解放軍はボルテレス要塞からほど近い丘陵に陣を敷き、攻略へ向け準備を整えていた。
簡易的な武器庫や兵舎が居並ぶ陣の中央部に、ネローヌ達黎明部隊が集う天幕があった。
これから始まる戦闘を前にして、天幕の中には独特の緊張感が流れている。
地図が置かれた机を挟んで、ネローヌとグレイスは向かい合う形で座っていた。
既に軍議は終わり、普段なら取るに足らない雑談が始まっている頃。だが、二人の間には沈黙が下りていた。
何時もなら真っ先に騒ぎ出すリルカやマツリは、今別行動を取っている。
普段あまり交流のない二人だけに、どちらとも会話を始めるきっかけが掴めなかった。
重々しい雰囲気の中、最初に口を開いたのはグレイスの方だった。
「一つ、隊長に質問してもよろしいですか」
一見その顔は、普段と変わらぬ無表情に見えたかもしれない。が、もしグレイスと近しいものがここにいれば、緊張から僅かに顔をひきつらせていることに気付いただろう。
「構いませんよ、接敵は暫く後でしょうし」
「……何故、私を隊に呼んだのでしょうか?」
グレイスは、この疑問をずっと前から抱えていた。
今に至るまで、ネローヌはグレイスに対しても対等な扱いをしている。
他の人々のように、冥族に対して侮蔑的な態度は微塵も見せていない。
しかしネローヌは、あっけらかんとしたリルカや、冥族そのものを知らなかったマツリとは違う。
エルフ族の名門であれば、当然冥族に対する偏見を持ち合わせている筈なのに。
「高い戦闘能力を持つ極めて優秀な兵士だから。という答えでは不満ですか」
「私には、拭いきれぬ汚名があります」
自分は人々を死へ導くとされる冥族であり、幾つもの部隊を壊滅に追いやった死神。
「今となっては、それも過去の話です」
マツリ達の印象が強すぎたせいもあり、グレイスに付きまとっていた噂は相対的に鳴りを潜めている。
食堂に訪れても、昔ほど露骨に嫌悪感を示されることは無くなっていた。
このまま暫く時が経てば、記憶の果てに忘れ去られるのもそう遠くない。
「そもそも、強者の力を妬んだ卑怯者の中傷など考慮に値しません」
不安げなグレイスへ、ネローヌはきりりと表情をを引き締めて告げる。
「どうして、そこまで」
「高い実力を持った者は、それ相応の働きが求められます。あのままでは、貴女は義務を果たす前に消えていたでしょう」
「いずれ戦場で散るのなら、持てる力を出し切ってから果てろと?」
「散らせるつもりなら、最初から招いたりなどしません」
まだ疑念を拭いきれないグレイスへ、ネローヌがきっぱりと言い切った、そのとき。
俄に天幕の外が騒がしくなり、どたどたと走る足音が聞こえ始めた。
「大変、大変だよ!」
大声を上げながら駆け込んで来たのは、要塞へ向かっている筈のリルカだった。
「リルカさん、どうして」
「実は――」
目を見開くネローヌへ、リルカは早口で事の詳細を告げる。
「そんな、マツリさんが!?」
それは、俄に信じ難い知らせだった。
マツリが敵に捕らわれ、リルカ一人が命からがら逃げだしてきたというではないか。
予想外の事態に、グレイスは大きく狼狽えていた。
「優性部隊が何人も待ち伏せしてて、マツリちゃん一人じゃどうしようも――」
「……貴方は何者ですか?」
テンポよく喋り続けるリルカの言葉を、不意にネローヌが遮った。
「な、何言ってるの、ネローヌちゃん。私はリルカだよ」
「いいえ、貴方はリルカさんではありません。リルカさんが、マツリさんを置いてのこのこと帰ってくる筈がありません。あの子なら、例え無謀だろうと突っ込んでいた筈です」
懇願するように潤んだ瞳を向けるリルカを、ネローヌは厳然たる態度で拒絶する。
「あの子の無鉄砲さは、私が一番よく知っているんですから」
その言葉には、一片の迷いも無かった。
「そう、そんな方法で見破られるとは。亜人の愚かさも考慮しておくべきでしたわね」
リルカが、いや、リルカの姿を模した何かが、天を仰いで哄笑する。
「貴女に落ち度は無かったのに……ごめんなさい、ワタクシのお人形さん」
リルカを模った人形の中から、リルカとは似ても似つかない冷徹な声が響く。
それは、いつか聞いた少女の声だった。
「隊長、伏せて!」
グレイスがネローヌを押し倒したのは、人形の体が眩く輝いたのとほぼ同時で。
その刹那、人形の体が炸裂し、激しい轟音と振動が空間を揺らした。
天幕が倒壊し、二人の姿が土煙に消える。
数秒が経ち、巻き上がった煙が収まった頃。
「ご無事ですか、隊長?」
「ええ、助かりました」
倒された天幕の布が持ち上がり、二人の無事な姿が現れた。
ネローヌを庇ったグレイスの服は少々焼け焦げてしまったものの、目立った怪我は負っていない。
と、埃を払って立ち上がる二人へ、聞き覚えのある甲高い声が掛けられた
「今のを避けるなんて、悪運だけはあるみたいですわね」
夕日を背に仁王立ちしていたのは、優性部隊の一員、『土塊の傀儡遣い』ことララミィ・リパルス。
その格好は、以前の優雅なものとはだいぶ異なっていた。
麗しい立て巻の金髪は幾つかが無残に解け、顔の右半分には痛々しい傷跡が残されている。
服装も絢爛なドレスではなく、辛うじて体を覆い隠すボロ布を着用していた。
「……生きていたなんて」
再び出会った仇を前に、ネローヌは顔を歪ませる。
あのとき、彼女はマツリが放った鉄球が直撃し、破壊された土人形の破片に押しつぶされていたはずだ。
常人であれば、とっくに死んでいてもおかしくない。
「裏切り者がいないのは残念ですが、二人だけでも」
二人へ向け一気に戦意を増大させたララミィは、天へ向けおもむろに手をかざした。
瞬間、一斉に地響きが鳴り渡り、周囲の地面から土塊の人形達が姿を現す。
その大きさは普通の人間と変わらないが、天幕をぐるっと取り囲むほどの数。
「大気を穿て、『旋風の錐』!」
瞬時に反応したネローヌは、叫びながら杖を構える。
空中に魔方陣が描かれ、人形達へ向け空気の弾丸が放たれた。
何体かの人形を貫通して、弾丸は真っ直ぐに少女へと向かう。
「ぐうっ!?」
風の弾丸は、少女の右胸に見事な穴を穿っていた。
「倒した……!?」
向う側まで見える大穴は、間違いなく致命傷のはず。
だが――
「この程度では、私の命脈を断てませんわ」
体に大穴を開けたまま、少女が怪しげに微笑む。
次の瞬間、さっきまで少女の形を保っていた存在が、ぼろぼろと崩れ去っていた。
地面に残された土くれを見て、ネローヌ達にも状況が察せる。
ネローヌが倒したのは、少女が作り出した人形だったのだ。
「その程度の力では、一生掛かってもワタクシを捉えられませんことよ」
少女の不敵な宣言に釣られるように、周囲を取り囲んだ人形達がララミィと同じ姿に変わっていく。
気が付けば、二人は数十人の同じ人間に囲まれていた。
「どれが本物のワタクシか、貴方達にわかるかしら」
悪夢的な光景の中、少女の群れによって放たれる一糸乱れぬ言葉達が幾重にも木霊する。
「これでは、攻撃のしようが……」
どれが本体か分からないままでは、迂闊に攻められない。
戸惑う二人を見て、ララミィ達は満足そうに微笑む。
「覚悟して頂きますわ!」
先に動いたのは、ララミィ達の方だった。
土くれを硬質化させた無骨な槍を持ち、ララミィ達は一斉に襲い掛かる。
「我らが盾となれ、『氷の鏡』!」
「封じられし冥界の悪鬼よ、戒めを解き放ち、暴虐を以てその飢えを満たせ!」
ネローヌ達も、黙ってやられる訳にはいかない。
迫り来る敵意に呼応し、瞬時に行動を開始した。
紡がれた呪文によって氷壁がネローヌ達の周りを取り囲み、虚空から呼び出された漆黒の魔獣がララミィ達の前に立ち塞がる。
「その程度!」
しかし、雪崩を打って襲撃する少女達の前には分が悪い。
容赦の無い連撃に壁は一瞬で砕かれ、魔獣は断末魔の叫びを挙げながら消失していた。
「貰いましたわ!」
「させません!」
無防備なネローヌの体へ振われた槍を、グレイスの鎌が寸前で受け止める。
鋭い切り替えしが少女の胴を抉るが、それは見る間に土くれへ変わっていた。
「……マツリさんなら、構わず全員倒してたでしょうね」
「確かに、そうですね」
劣勢の場に似合わないグレイスの軽口を受け、ネロ―ヌの顔に苦笑が浮かぶ。
「一つだけ策があります。自分を信じて頂けますか」
「この期に及んで、貴女を疑うとでも?」
堂々としたネローヌの言葉に、グレイスも力強く頷いた。
「最期のお別れは済みましたかしら」
「この世と別れを告げるのは、貴方です!」
勝ち誇った余裕を最早隠さずに笑うララミィへ、ネローヌは毅然と言い切る。
脳裏には、いつかの光景が万華鏡のように映し出されたままだ。
あのときは、その重さに耐え切れず意識を手放してしまった。
でも今は違う、今のネローヌは、あの人への揺るがぬ想いに支えられているから。
「幽世に眠りし満たされぬ魂達よ、我が命に答えここに集わん!」
グレイスが詠唱を告げれば、周囲が闇の帳に包まれ、どこからともなく無数の人魂が現れた。
不気味に浮かんだ半透明の骸骨達は、恐ろしげな雰囲気を漂わせつつララミィへと向かう。
「こんな手品、何の意味があるのです?」
だが、それに大した威力は無かったらしい。
うっとおしげに人魂を振り払い、ララミイ達は再び二人へ襲い掛かった。
一斉に構えられた槍が、今にもネローヌの体を貫かんとした、その刹那。
「地の底に眠りし深き意思よ、今こそ目覚めん! 『大地の憤怒!』
「な、何故……」
自身を貫いた衝撃に、ララミィは呆気にとられたような呟きを漏らす。
下を見れば、隆起した土塊が少女の体を天高く吹き飛ばしていた。
少女は受け身も取れず、頭から真っ逆さまに落下していく。
「先程発動した術は、命を持つ生者のみに作用するもの」
グレイスが使ったのは、無数の死霊達を呼び出し、憑りついた生者の生気を奪う召喚術。
「範囲を極大にしたせいで、効果は微々たるものでしたが」
本来単体用に開発されたものであり、せいぜい半径数mしか作用しない術だ。
それを無理矢理ララミィ達全員へ作用させたのは、威力を期待してではない。
「それでも、貴女の位置を特定するには十分です」
命を持たぬ人形に、死霊は反応しない。
落下する本物のララミィには、憑りついた死霊の姿がくっきりと浮かんでいた。
「まさか、同類以外に……負けるなんて、ね」
寂しげな末期の言葉を残し、ぐしゃりと音を立ててララミィの体が落着する。
動かなくなった少女は、解けるように土の中へ消えていった。
「お父様、お母様……いなくなった皆の魂も、これで少しは安らかに眠れるでしょうか」
仇の最期を見送り、ネローヌは感慨深げに呟く。
「ええ、きっと」
俯いたその背中を、グレイスは優しげに撫でていた。
「ですが、これで終わりではありません」
暫しの沈黙を置き、涙を拭ったネローヌは再び前を向く。
その瞳は、これから赴く新たな戦いを見つめていた。




