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森と幼女

 柔らかな陽光に照らされる新緑の中に、鳥達のさえずりが響いている。

 穏やかな空気が流れる森を、一人の幼女と一人の少女が歩いていた。

 一足飛びで楽しげに歩く少女の後で、巨大な鉄球を背負った幼女はつまらなそうに空を見上げていた。


 「何だか久ぶりだねー、こうやって二人で過ごすのも」


 背後のマツリへ振り向き、リルカは感慨深げに呟く。

 黎明部隊に入ってから、マツリの傍には常に誰かの姿があった。

 皆で集まるのも楽しいが、心のどこかに侘しい気持ちがあったのも事実。


 「ったく、遊びじゃねぇんだぞ」


 「分かってるよ、もう」


 マツリに無粋な突っ込みを入れられ、リルカは頬を膨らます。

 彼らがこの森を訪れたのは、れっきとした解放軍の任務である。


 「私達、期待されてるもんね!」


 解放軍は渓谷を通るリスレンツ街道を通り、一気に帝国本土への侵攻を始めようとしていた。

 最初の目標は、街道を塞ぐように建設されたボルテレス要塞。

 ここは本土防衛の要であり、帝都への侵攻を防ぐ堅牢な壁であった。


 「しっかし、無茶ぶりにも程があるよなぁ……」


 課された任務を改めて認識し、マツリの口からため息が漏れる。

 マツリ達が進んでいるのは、そのボルテレス要塞に続く獣道。

 ネローヌの指揮する解放軍の正規部隊は、今まさに要塞へと侵攻を始めているはずだ。

 本隊が戦力の大半を引き付けている間、隙を突いてマツリ達が本陣を急襲し戦局を決。

 要塞が陥落すれば、帰る場所を失った帝国軍は一気に瓦解する。 

 この作戦の要は、言うまでも無くマツリ達にある。

 もし要塞攻略に失敗すれば、兵力で劣る解放軍に勝てる見込みは無い。 


 「味方は私とマツリちゃんしかいないもんねぇ」


 正面から戦う訳ではないが、たった二人で基地を落とせとは。

 普通に考えれば、正気の沙汰とは思えない作戦だ。 


 「でも、マツリちゃんなら大丈夫だよ。きっと」


 「まあ……な」


 だが、ここにいるのは普通の人間ではない。

 それが分かっているからこそ、ネローヌもこの作戦を立案したのだろう。

 リルカにまっすぐな信頼をぶつけられたマツリは、照れ臭そうに頬を掻ていた。


 と、マツリ達の視界に、澄んだ水を湛える清流が見え始めた。

 獣道と並行して流れる小川からは、涼しげな水飛沫が上がっている。


 「懐かしいなぁ、こういう雰囲気。田舎を思い出す」


 リルカは澄んだ空気を肺一杯に吸い込み、鼻歌交じりに歩いていく。

 産毛に覆われた二つの獣耳も、嬉しそうにぴくぴくと動いていた。


 「お前、エルフの街に住んでたんじゃないのか?」


 本人の話が正しいのなら、リルカはネローヌと幼少期を共に過ごしていたはずなのだが。


 「昔エルフィンクに住んでたのは本当だよ? でも、外種が現れてからはお婆ちゃんの家に疎開してたんだ。戦いが終わったら戻るつもりだったんだけど、帝国の弾圧が始まってそれっきり」


 話が微妙な部分に触れたのか、リルカの顔が一瞬曇る。

 だがそれも、長くは続かない。


 「色んなことがあって、とっても楽しかったなぁ」


 木々の間に見える空を仰ぎ、リルカはぼんやりとかつての思い出に浸る。

 長閑で退屈で、それでも楽しくて、争いや誰かの死とは無縁だったあの日々を。

 と、何処ともなく彷徨っていたリルカの視線が、ある一点で止まった。  


 「あ、見て見て!」


 「敵か!?」


 突然何処かを指差したリルカに反応し、マツリは担いだ鉄球に手を回す。

 もしや、帝国の伏兵か。


 「これ、ネブリムの実だ!}


 リルカが指さしていたのは、森の一角に生えた太い幹の樹木。

 その枝には、マツリにとって見慣れぬ果実がたわわに実っていた、

 形は不格好な円筒状、大きさは手のひらサイズに収まる程で、鮮やかな紅色が陽光を反射していた。


 「ったく、人騒がせな」


 「ご、ごめんなさい。これあげるから許して」


 警戒が無駄になって口を尖らせるマツリに、リルカはもぎった果実の一つを差し出す。


 「食えるのか?」


 「とっても美味しいんだよ! 生で食べて、生で」


 怪訝そうな顔をしたマツリへ、リルカは果実をずずいと差し出す。

 甘い匂いが鼻孔を刺激し、マツリの興味が自然と惹きつけられる。

 近付いた果実の表面には、ごつごつとした突起と白い斑点が目立っていた。


 「腹壊さないよな……」


 半信半疑のまま、マツリは意を決して果実を口に入れる。

 おずおずと咀嚼していく内に、険しかったマツリの表情がじんわりと変わっていった。


 「うまい!」


 一口分を食べ終えたとき、マツリは思わず歓喜の叫びを挙げていた。

 それからは、一瞬の出来事だった。

 すっかりネブリムの虜になったマツリは、がつがつと果実を頬張っていき、あっという間に一個まるごと完食してしまった。


 「でしょー!」


 夢中になるマツリを見たリルカは、我が意を得たりとばかりに微笑む。

 この実は、人狼族にとって命綱ともいえる存在。

 狩猟途中での水分補給を始め、肉食ばかりで偏りがちが栄養分を補う用途でも用いられていた。


 「こんなに美味かったら、いくらでも食べられるぜ」


 目を爛々と輝かせたマツリは、何度も飛び上がりながら果実をもぎ取り始める。


 「でも、食べ過ぎちゃだめだからね。これはみんなのものなんだから」


 そのままでは木一つを裸にしかねないマツリを見かね、リルカはやんわりと窘めた。

 自然と調和して生きる人狼族にとって、ネブリムの恵みは大地からの授かりもの。

 故に、自分一人だけで独占することは許されない。


 「わ、わぁってるよ」


 マツリは渋々承知したが、両手いっぱいに果実を抱えていてはまるで説得力が無い。


 「田舎には沢山生えてて、いっつも食べてたんだ」


 「ふぅん」


 「他にも、色々美味しいものがあったんだよ」


 「ほう」


 「マツリちゃんにも、いつか食べさせてあげたいなぁ」


 「そうだな」


 リルカの話に適当な相槌を打ちながら、マツリはがつがつと果実を呑み込んでいる。

 その勢いは凄まじく、数十秒で一個の実を完食していた。


 「もー、ちゃんと聞いてる?」


 「聞いてるっ……っての。ふう」


 十数もの果実を食べ終え、マツリはぽっかりと膨らんだ腹を撫でる。

 想わぬ形で巡り会った珍味に、マツリは大きく満足したようだ。 


 「ねぇ、マツリちゃん」


 「うん?」


 リルカはマツリのあどけない顔を見つめる。

 満腹時の心地い感覚に身を委ねているのか、マツリの頬はだらしなく緩んでいた。

 こうしていると、本当に幼い子供にしか見えない。

 戦場という血生臭い場所に似合わない、ただの無垢な幼女にしか。


 「ふふっ、なんでもない」


 「何だよ気持ち悪ぃな」


 リルカは、喉まで出かかった言葉を呑み込んでいた。

 それを言った所で、眼前の幼女は何ら影響されないだろうと分かっていたから、

 彼女がその歩みを止めるのは、全てが終わった時だけだと。 


 「腹も膨れたし、さっさと行くか」


 「そうだね、遅くなったら不味いもん」


 任務を思い出したマツリ達は、早足でその場を立ち去る。

 遥か遠くの空では、ネローヌ達が生死を掛けた戦いの真っ最中だろう。

 仲間の為にも、自分達が作戦を乱す訳にはいかない。

 一直線に獣道を進んでいく二人の背中を、穏やかな木漏れ日が照らしていた。

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