見舞う幼女
虚ろな意識の中で、ネローヌはゆっくりと瞼を開ける。
「目が覚めたか?」
耳元で聞こえた舌足らずな声を聞き、感覚が一気に目覚める。
気が付けば、焦がれていたあの顔がすぐ近くで自分を覗き込んでいるではないか。
「マツリさん!?」
居ても立ってもいられなくなったネローヌは、訳も分からずに体を起こす。
「急に起き上がるな、まだ安静にしてろって医者が言ってたぞ」
「あ、あの、ここは?」
マツリの体から漂う甘い匂いと、柔らかな吐息をすぐ近くで感じる。
ネローヌは、高鳴る動機をどうにか抑えるのでやっとだった。
「要塞の医務室。急に倒れたお前を運び込んだんだよ」
「私は……あのとき」
頭が回り出してまず、ネローヌの心中は自身が犯した失態に覆われる。
部隊長が真っ先に戦線離脱するなど、本来なら軍法会議ものだ。
「そう落ち込むなよ、調子が悪い日くらい誰にだってあるさ」
敢えて明るく言ったマツリの励ましも、悲痛に顔を歪めるネローヌには届いていない。
「……どうしてマツリさんがここに?」
奥で作業をしている軍医の他に人気は無く、リルカ達隊員の姿は見えない。
マツリの性格からして、進んで見舞いに訪れる訳が無いのだが。
「何だか良く分かんねぇけど、リルカ達に押し切られてな」
本人はあまり乗り気ではなかったのだが、ネローヌを励ますには適任だと言われ、半ば強引に押し切られていた。
リルカだけなら良かったんだが、グレイスにまで言われちゃ断れねぇよな、とマツリは愚痴る。
「二人とも……」
恐らく、ネローヌの気持ちを知っての配慮だろう。
ここにいない仲間の想いを受け、ネローヌの顔に薄らと笑みが浮かぶ。
「申し訳ありません、迷惑を掛けましたね」
「別にいいって」
真正面から礼を告げられ、マツリは照れ臭そうに顔を背けた。
そのまま二人は沈黙し、室内が静寂で満ちる。
規則的に奏でられる時計の音だけが響く中、二人はどちらともなく見つめあっていた。
「……聞かないのですか? あの時のことを」
すぐ傍にいたマツリが、ネローヌの異常に気付かなかった訳が無い。
普通なら何故あそこまで動揺したのか気になるのが当然だ。
「聞いて欲しいのか?」
不思議そうにな顔で逆に問い返し、マツリはネローヌをじっと見つめる。
「それは……」
言葉を詰まらせたネローヌはマツリから顔を逸らし、再び俯いていた。
「マツリさんは、強いですね。何があっても、常に自分を保っていて」
命を懸ける戦場において、兵士は様々な脅威に晒されている。
幾分か戦場慣れしたネローヌとて、それは同様だ。
しかし、マツリは違った。どんな敵を相手にしてもまるで動じず、戦場が自分の居場所であるかのように振る舞っていた。
「前にも言ったろ、オレは強くなんかねぇって。力を持ってるだけだ」
そう照れ臭そうに告げ、マツリはそっぽを向く。
「――あの少女は、かつて私の両親を奪った相手です」
再び口を開いたネローヌの顔には、少しだけ凛々しさが戻っているように見えた。
「あいつが?」
「正確には、彼女の操る人形ですね」
「じゃあ、街をあんな風にしたのも……」
問いにゆっくりと頷いてから、ネローヌは話し続ける。
「私達エルフ族は、帝国にとっても警戒すべき相手だったのでしょう。彼女を含め複数の優性部隊によって、名だたる戦士たちは殆どが非業の死を遂げました。そのときの光景は、今でも脳裏に焼き付いています」
容赦の無い攻撃によって燃え盛る街と、蹂躙されていく民衆。
命無き人形の肩に乗り、楽しげに高笑いする少女の姿。
何より忘れ難いのは、目の前で奪われた大切な人達の命だ。
あの戦いが、あの喪失が、ネローヌの進む道を完全に変えていた。
「またあいつが現れたとして、戦えるのか?」
マツリの活躍で撃退に成功したとはいえ、完全に死亡を確認した訳ではない。
現に、要塞の兵士達による捜索で死体は見つかっていなかった。
普通の兵士ならともかく、相手は優性部隊なのだ。
用心して用心し過ぎることは無い。
「分かりません、今はまだ。仇を目の前にして、平静を保っていられるのか……」
あの頃より成長していても、現れた敵があの少女だとはっきり認識出来た。
記憶にこびり付いた姿を一目見ただけで、何も考えられなくなってしまった。
あの光景が脳内を駆け巡り、意識は一瞬で幼い自分へと退行する。
心中は深い悲しみと恐怖に満たされ、思考は完全に停止していた。
「仇、か」
ネローヌの言葉を聞き、マツリはしみじみと呟いた。
「マツリさん……?」
「いや、あいつもそんな事を言ってたからな」
マツリは、家族の仇討ちだという少女の言葉を明かす。
事実はネロの自爆に近い状況だったのだが、今更それを伝えたところで少女は止まらないだろう。
実際、あいつが命を投げ打つまでになった原因はマツリにあるのだから。
「虚しいですね、戦いは」
目を伏せたネローヌが、静かに言葉を紡ぐ。
敵も味方も、戦う理由はさして変わらない。
「誰に恨まれようが関係ねぇ、オレはオレの目的を果たすだけだ」
だとしても、マツリが止まることは無い。
どこか不愛想に発されたマツリの言葉は、暗くなった雰囲気を誤魔化しているようにも聞こえた。
「あの、聞かせて貰えませんか?」
主語の無い問いを聞き、首を傾げるマツリ。
「マツリさんの理由を、何故そこまで強固な意志を持つようになったのかを」
「聞いて気分のいい話じゃねぇぞ」
「それでも、知りたいんです」
ひとときも目を逸らさずに、ネローヌは真摯に視線を向け続けた。
気乗りしない様子で顔を顰めていたマツリも、数十秒そんな状態が続いては折れるしかない。
あるいは、ネローヌなら荒唐無稽な話でも受け止められると踏んだのか。
「……これから話す内容は、全部真実だ。聞いてから信じられねぇとか言うんじゃねぇぞ」
「ええ、勿論です」
「話すっつても、どこから説明したもんかな」
考え込むように腕を組み、マツリは視線を宙に彷徨わせる。
何せ、一言ではとても言い表せぬ複雑な身の上である。
「まずは、マツリさんの出身地などを聞かせて貰えませんか? 単純に興味があります」
「日本だ」
「二ホン?」
まるで聞き覚えの無い地名を聞き、ネローヌの頭には疑問符が浮かぶ。
「聞いたことがねぇのも当然だろうな。まあ、ここから随分離れた場所って考えときゃいい」
離れているどころか全くの別世界なのだが、それを言ってネローヌが理解できるはずも無いだろう。
「そんな場所から、どうやってここに?」
「帝国の奴らの仕業さ。時空間制御……なんたら実験のせいで、オレはここに飛ばされた。それから先は、酷いもんだ。何の説明も無しに鉄格子の中へ閉じ込められ、訳の分からない実験をひたすら受けさせられた」
その果てが、最早原型を留めない程に変えられてしまったこの体。
「酷い……」
「さっき言ったろ? オレは力を持ってるだけだって。この力は、奴らから勝手に与えられたものだ。あの優性部隊と同じ、人間を逸脱した力。施設を偶然解放軍が襲撃してくれなきゃ、今も同じだったろうな。その内洗脳でもされて、あいつらみたいに帝国の尖兵として戦ってたかも」
幼少期から帝国式の教育を受けてきた優性部隊とは違い、マツリは現代の社会である程度の常識を学んでいる。
それ故、自身の置かれた境遇の異常さを実感し、明確な怒りを持つようになっていた。
「もしそうなっていたら、マツリさんと私達は敵になっていたんですね」
「かもな」
あり得たかもしれない未来に、ネローヌは背筋を寒くする。
もしマツリが敵になっていれば、どれ程の脅威となったことか。
先日の立ち合いで改めて実感した、マツリが本気になれば、自分など一瞬で葬られているだろう。
「っと、話は大体こんな所だ」
「ちょっと待ってください、肝心な部分を聞いていませんよ」
「言わなくても大体わかるだろ」
そこから先は、マツリ自身も軽々しくは口にしたくない領域だった。
「マツリさんの目的とは、その、体を?」
躊躇いがちに問い掛けたネローヌに、マツリは重々しく頷く。
「取り戻すのさ。元の自分を、本当の俺を」
「……それが、マツリさんの戦う理由」
「満足したか?」
「はい、ありがとうございました」
「礼なんていいって。それより、今はちゃんと休んどけよ」
ぶっきらぼうに気を回してから、マツリはおもむろに立ち上がる。
「じゃな」
軽く別れの挨拶を告げ、マツリは医務室から出ていく、
医務室の扉に阻まれて見えなくなるまで、ネローヌはその小さな背中を見つめていた。




