乗る幼女
目を覚ますのが怖かった。
鈍い意識の中、軽い頭痛と共に瞼が開いていく。
気が付けば、両腕を拘束され身動き一つとれない状況で。
周りを囲んでいるのは、白衣姿の知らない人々だった。
「素晴らしい、君は実に見事な素材だったよ」
白髪の女性が翳した鏡を見て、初めて自分の姿を認識する。
――これが、俺……?
そこにいたのは、自分の知る自身とはまるで違う姿で。
――嫌だ、嫌だ! 俺はこんな顔じゃない、こんな声でも、こんな体でもない!
深すぎる絶望が胸の内を覆い、声を挙げることすら出来ない。
「感動で言葉も出ないかね?」
白髪の女性、他の白衣から『博士』と呼ばれたその人物は、心から嬉しそうにマツリを見つめていた。
「まずは祝福を。今君は、新たな存在として生まれ変わった!」
――こいつが、こいつらがオレを変えたのか。 ――ない。 ――絶対に、許さない!
※
「――っ!?」
車輪の音が絶え間なく響く中、マツリは布団を跳ね飛ばしつつ起き上がる。
雲に隠れた三日月が放つ柔らかな光が、ガラス張りの採光窓から差し込む。
マツリが目を覚ましたのは、今まさに走り続けている馬車の中。
「……くそっ、面白くねぇ」
窓硝子に映る自分の姿を見て、マツリは憎々しげに悪態を付く。
要所であるダルレット渓谷攻略の任を受け、黎明部隊は渓谷近郊の解放軍拠点へ向かっていた。
目覚ましい活躍によって部隊の株はうなぎ上りであり、移動に使用する馬車も上等な品が用意された。
広い室内には、平行に並んだ二つの長い座席が設置されている。
マツリ達は、一つの座席を半分に分けて夜を過ごしていた。
四人と御者を乗せて、馬車は休む暇無く街道を進んでいる。
「眠れないのですか?」
と、窓の外を見つめるマツリへ、呼び掛ける声が一つ。
「こう揺れちゃな」
いくら上等とは言っても、所詮は馬車。
現代の自動車や鉄道に慣れ親しんだマツリにとっては、不便極まりない。
「お前こそ、寝なくていいのか?」
マツリに話し掛けたのは、真正面の席に座るグレイスだった。
眠る気が全く無いのか、グレイスは布団を被ってすらいない。
「冥族は、殆ど睡眠を必要としませんから」
「……ズルくないか、それ」
羨ましい体質の違いに、マツリは口を尖らせた。
どちらともなく会話が途切れ、馬蹄と車輪の音だけが客室に響く。
一定のリズムを刻んで流れる音色は、一つの曲を奏でているようでもあった。
「……マツリさんは、何の為に戦っているんですか?」
先に沈黙を破ったのは、グロイスの方だった。
「どうした、急に」
前触れも無く告げられた深刻な問いに、マツリも面喰う。
「自分でも……よく、分かりません」
グロイスは躊躇いがちに視線を左右に彷徨わせてから、おずおずと話し出す。
「敢えて言うなら、何となく……でしょうか」
今までグロイスは、他人がどんな気持ちで戦っているのかなど、まるで考慮したことが無かった。
だが今は、不意に他人の感情が気になって仕方なくなるときがある。
理由は何故だか分からずとも、その衝動はグレイスを突き動かしていた。
「奪われたものを取り戻す。それだけだ」
「取り戻す……」
グロイスは、マツリの言葉を興味深そうに反復する。
「お前はどうなんだよ」
「分かりません。少し前までは、いなくなった人達の為に戦うのだと思っていました」
部族を滅ぼした帝国に復讐し、死した同胞の恨みを晴らす。
それが、最後に生き残った者の務めであると。
「でも、今は違う?」
確かめるようなマツリの言葉に、グロイスはこくり、と頷いた。
「ネローヌさんやリルカさんは、自分ではない誰かの為に戦っています」
エルフ族の為に戦うネローヌや、縁も所縁も無い孤児の為に尽力するリルカ。
「お二人とも、とても活き活きとされていて…… そうだ、きっとそれが羨ましかったんですね!」
話している内に、自分の中で答えが見つかったようだ。
顔をぱぁっと明るくさせて、グロイスはぎこちない笑みを浮かべる。
「そ、そうか、そりゃ良かった」
気が付けば、良く分からない内に悩みが解決していた。
何が何だかさっぱりなマツリは、困惑気味に返答する。
「ありがとうございます。マツリさん。私も、私の戦う理由を見つけようと思います」
そんなマツリに、グロイスは深々と頭を下げていた。
「礼はオレじゃなくて、そこで聞き耳を立ててる奴に言うんだな」
「ば、ばれてた!?」
マツリの後方から声が上がり、頭まで深々と被った布団からリルカがひょっこり頭を出す。
狸寝入りを決め込んでいたようだが、マツリにはお見通しだったようだ。
「つーか、お前も寝てないのかよ」
「マツリちゃんたちが話してたら、自然と目が覚めちゃって」
「申し訳ありません、リルカさんの安眠を邪魔していたとは……」
「ううん、どっちにしろ緊張であんまり眠れてなかったからね」
真剣に頭を下げたグレイスへ、リルカは手を振って否定した。
にこやかに笑いながら、リルカもマツリ達の会話へと参加する。
三人のお喋りは、夜が明けるまで続いていた。
「……マツリさぁ……ん」
そんな中でも、ネローヌは目覚める気配も無く幸せそうに眠っていた。
こいつ、お嬢様育ちの割に意外と図太いのかもな。
なんて、マツリが思ったとか思わなかったとか。
※
マツリ達が馬車の旅を堪能していた頃、研究所の一室にて。
「ネロが、死んだ?」
博士と対面したシェイリスは、信じ難い報告に言葉を失った。
普段の紅い改造軍服を纏い、全身に巻かれていた包帯は影も形も無い。
すっかり怪我は癒え、もう戦闘には支障が無い程に回復している。
「死体が発見された訳ではないが、恐らくは」
「嘘でしょ、あいつが死ぬなんて」
最も死から遠いとされていた仲間が、真っ先に退場するとは。
直接の戦闘力は劣っているが、生存能力なら部隊の中でも群を抜いている。
どんな窮地に陥ろうと、転移で逃げ帰ればいいのだから。
到底信じ難いけれど、博士の表情はは真剣そのもので。
「一体誰に――まさか!?」
動揺するシェイリスの脳裏に、ある幼女の姿が浮かぶ。
自分達と同類でありながら仲間に牙を剥き、初めての敗北を味合わされた相手。
小さな体に秘められた驚く程の憎悪と怒りを、シェイリスは未だはっきりと記憶している。
「ああ、君の予想通りだろう」
シェイリスの想像を、博士も肯定する。
自身の作品を失ったばかりだというのに、博士に落胆している様子は無い。
むしろその声には、どこか喜色すら含まれているように聞こえた。
「さぁて、どうするかね。北部戦線に送り込んだ彼女に戻ってきてもらうか……」
博士が歩き回りながら呟いている間も、シェイリスは険しい顔で暫し黙り込んでいた。
長い沈黙を置いて、シェイリスは意を決した様子で口を開いく。
「……ママ、頼みがあるの」
その麗しい顔には、悲壮なまでの決意が浮かんでいた。




