第16話 元聖女、女子会をする
開拓都市ホープロードの一角にある、高級カフェ。
高い天井には金色の装飾が巡り、幾つものシャンデリアが下がっている。白い大理石の柱が並ぶ店内には食器の触れ合う音が響き、赤い布張りの椅子へ午後の陽光が差し込んでいた。
窓際の丸テーブルで、グロリアが懐から煙草を一本取り出した。白金色の長い髪には赤いメッシュが混じり、黒い法衣の胸元には金色の聖印。薄色の丸眼鏡を頭に押し上げたまま、慣れた手つきで煙草をくわえかける。
「グロリア、ここは禁煙だよ」
向かいから声をかけたのは、ひときわ背の高い赤髪の女性だった。
片目を隠すように流した前髪と、その隙間から覗く鮮やかな赤い瞳。黒を基調としたボディスーツは長身の身体にぴたりと沿い、胸元から腰、脚へと赤いラインが走っている。足元には太いベルトと金属のバックルが付いた重厚なブーツ。広い背もたれの椅子にゆったりと腰掛けていても、堂々とした体格は隠しようがない。
大手ギルド『レッドリージョン』のギルドマスター、マルガレータである。
「あら、そうだったわね」
グロリアは煙草に火をつけることなく、何食わぬ顔で懐へしまい直した。
「グロリアさん、前にも同じことをしていましたよ」
隣に座るルルティアがくすくすと笑う。淡い茶色の髪にはリボン付きのベレー帽。桃色を基調とした衣装に包まれた小柄な姿は、向かいの長身の女性と対照的だった。
「習慣って怖いわね」
「自覚があるなら直すといい」
「はいはい。マルちゃんは相変わらずお堅いわね」
「店の決まりを守る程度にはな」
マルガレータは笑って受け流した。
「それより、例のブラックベアはどうなった? 相当厄介な依頼だったそうじゃないか」
「聞いてよ。旦那を倒したと思ったら、とんでもない奥さんが出てきちゃってねぇ」
「……奥さん?」
「それがもう、大きいのなんの。旦那が可愛く見えるくらいの大女だったのよ」
グロリアは両腕を広げてみせたが、そこで示せる大きさには限界がある。
「ブラックベアの番か。そこまで大きなメスは珍しいな」
「珍しいなんてものじゃないわ。あんなのが何頭もいたら、森に入る人がいなくなっちゃうわよ」
「それで、二頭とも仕留めたのか?」
「もちろん。アパッチくんもソレイユちゃんも頑張ってくれたし、最後に決めたのはエストくんよ」
エストの名に、マルガレータが身を乗り出した。
「ほう、エストが」
「途中でレイピアが熊に刺さったまま抜けなくなってね。危うく潰されるところだったけど、レネットちゃんが助けてくれたのよ」
「ははっ、あいつらしいな。だが、あれほどの獲物に最後の一撃を入れたとは、腕を上げているようだ」
「エストさん、帰ってきたときも随分お疲れでしたねぇ」
ルルティアの言葉を聞いて、マルガレータの顔がほころぶ。
「それでも、また私に挑みに来るんだろうな」
「たぶん明日にもね。あの子、そういうところだけは懲りないから」
そこへ銀色のワゴンを押した給仕が近づいてきた。
「お待たせいたしました」
白いテーブルクロスへ、厚く焼かれたパンケーキと香り高い紅茶が並ぶ。焼き目のついた生地にはバターが載り、傍らには琥珀色のシロップ。続いて置かれたのは、艶やかなチョコレートの層を重ねたオペラケーキと、金縁のカップに注がれたブラックコーヒー。
「ありがとうございます」
ルルティアが礼を言う横で、マルガレータはコーヒーへ手を伸ばしかけた。だが、給仕が運んできた最後の一品に、その手が止まる。
「……なんだ、それは」
グロリアの前に鎮座したのは、巨大なガラスの器に盛られたフルーツパフェ。イチゴ、メロン、桃の隙間を生クリームとアイスクリームが埋め尽くし、頂には大粒のイチゴが飾られている。隣には、果肉の浮かぶ白桃ジュースまで。
「パフェよ。見ればわかるでしょう?」
「それはわかるが……なぜ、そんな大きさなんだ?」
マルガレータが巨大な器を眺めている間にも、グロリアは得意げに長いスプーンを手に取った。
「ティア様への供物だもの。小さかったら失礼じゃない。これならきっとご満足いただけるわ」
山のような生クリームをひとすくい。口に運んだ途端、得意げだった顔が見る見る歪んでいく。
「……甘っ……」
グロリアは白桃ジュースへ手を伸ばし、口直しに一口。ところが、飲み下した瞬間にますますひどい顔になった。
「ちょっと! なんでこっちも甘いのよ!」
「ははっ、両方とも自分で注文したのだろう?」
「ティア様のご希望なのよ! 私だって好きでこんな甘いものばっかり頼んだんじゃないわよ!」
「それなら、ティア様に直接文句を言うといい」
「言ってるわよ!」
グロリアがスプーンを握ったまま抗議しても、マルガレータの笑いは止まらない。ルルティアはパンケーキを切り分けながら、二人のやり取りを楽しんでいた。
「相変わらずですねぇ、グロリアさん」
ルルティアはくすくすと笑いながら、自分のパンケーキを一口大に切り分けた。
「ほんとよ。あの方、ちょっとは私の好みも考えてほしいわ」
グロリアが恨めしそうにパフェを見上げる。その様子を眺めていたマルガレータは、ふと首を傾げた。
「しかし、供物なのにお前が食べるのか?」
「あら、話してなかったかしら。私が食べたものはティア様も同じように味わえるのよ。感覚を共有してるの」
「ほう。なるほどな」
「おかげで、あれが食べたい、これが飲みたいって、しょっちゅう注文が来るのよ。それも甘いものばっかり」
グロリアは長いスプーンで果物をすくい上げ、少々不満げに口へ運ぶ。
「女神ティア様が、そこまで甘いものをお好きだったとはな」
「甘いものだけじゃないわよ。綺麗なお洋服も大好きだし、いい男にも目がないし」
マルガレータの手が止まった。
「……いい男?」
「そう。可愛らしい男の子から、顔のいい青年、筋肉隆々の大男、渋いおじさままで。ほんっと、守備範囲が広いのよね」
グロリアは指を折りながら数え、最後には呆れたように肩をすくめた。
「意外と俗物よ、あの方」
「ふふっ。そんなことを言えるのは、グロリアさんくらいでしょうねぇ」
ルルティアが口元を押さえて笑う。マルガレータも微笑みを浮かべていたが、女神の意外な一面には少々驚いたらしい。
「だって本当なんだもの」
グロリアはそう返してから、もう一度パフェに目を向けた。色とりどりの果物の下には、まだたっぷりと生クリームが残っている。
「でもね、誰よりも人間を愛してくださってるのも本当よ。私たちが好きなように生きて、笑っているのが何より嬉しいんですって」
その言葉には、先ほどまでの愚痴めいた調子がなかった。マルガレータは静かに頷き、冷めかけたコーヒーを口に運んだ。
「……それにしたって、甘すぎるわ」
「お前にも苦手なものがあったんだな」
「あるわよ。限度ってものがね」
オペラケーキをひと口食べたマルガレータは、ふとフォークを止めた。
「……二人とも、少し聞いてほしいことがあるんだ」
「あら、マルちゃんが相談? どうしたの?」
「エストのことなんだが」
「……あらあら」
「まだ何も言っていないぞ」
「言ってないけど、その顔じゃねぇ」
グロリアのからかうような笑顔に、マルガレータも苦笑した。
「あいつは何度負けても諦めない。怪我をして、治ったと思えばまた挑んでくる。まったく、頑固な男だよ」
「治癒術で治してあげるって言っても断るのよ。あの包帯、そろそろ服の一部になってるんじゃないかしら」
「治療費も心配ですねぇ」
ルルティアはそう言いながらも、優しい顔で二人の話を聞いている。
「……私はな、そろそろあいつに一太刀入れてほしいんだ」
グロリアの口元がにやりと緩む。
「あら。とうとうその気になったのね」
「茶化すなよ。真面目な話だ」
「はいはい。続けてちょうだい」
「だが、わざと受けるわけにもいかない。そうすれば、あいつが今まで積み重ねてきたものを、私自身が踏みにじることになるだろう?」
窓から差し込む光が、マルガレータの赤い髪を明るく照らしている。
「私だって、手を抜かれて勝ったところで嬉しくはない。だからこそ正面から勝ち取ってほしいのに、いざ立ち合えばこちらも手を抜けなくてな。我ながら、面倒な女だと思うよ」
「そんなことありませんよ」
ルルティアの返事は穏やかだった。
「エストさんだって、マルガレータさんが真剣に向き合ってくださるからこそ、毎日頑張れるんだと思います」
「そうね。あの子が手加減されて喜ぶ姿なんて、想像できないわ。それにマルちゃん、エストくんが諦めると思ってる?」
「……いや。思わないな」
「だったら気長に待ってあげなさいな。マルちゃんがそのままでいてくれるのが、あの子には一番でしょうよ」
二人の言葉に、マルガレータの強張っていた表情がほどけた。
「そうか。ありがとう。二人に話してよかったよ」
「どういたしまして。ところでマルちゃん、本当にエストくんに一太刀入れられたら結婚するつもりなの?」
「ああ、もちろんだ。私が決めた約束だからな。それに、あいつなら悪くない」
迷いのない返事に、グロリアが目を丸くする。
「やだ、マルちゃんったら。すっかり恋する乙女じゃないの」
「お前に言われると妙な気分だな。そういうグロリアはどうなんだ? 最近、浮いた話の一つもないのか?」
「……ないわねぇ」
口を尖らせるグロリアの隣で、ルルティアは紅茶を楽しんでいた。マルガレータがそちらへ顔を向けると、先回りするように答えが返ってくる。
「私も、特にはありませんねぇ」
「そうか。では、今のところ私が一歩先だな」
「ちょっと! 相談に乗ってあげたのに、その言い草はないんじゃないの!」
近くの席から視線が集まり、ルルティアがそっとグロリアの袖を引く。
「グロリアさん、声が大きいですよ」
「……まったく。恋する乙女はこれだから困るわ」
「お前も誰か探してみたらどうだ?」
「結構よ。今は男よりお金が欲しいわ」
「それはまた、色気のない話だ」
三人の笑いがひとしきり続き、グロリアは残ったパフェにスプーンを突き入れた。甘さと格闘しながら、ふと思い出したように尋ねる。
「そういえばマルちゃん、例の転移者五人組はどうなったの?」
「ああ、あの連中か。全員駆除したよ」
「……駆除、ですか?」
ルルティアの問いに、マルガレータは笑みを収めた。
「ああ。随分ひどいことをしていたからな。略奪も、人を傷つけることも、遊びのつもりだったらしい。投降する機会は何度も与えたが、連中は聞く耳を持たなかった」
「被害に遭った方々も、たくさんいらっしゃったのでしょうね……」
「そうだな」
マルガレータの声に、それまでの軽やかさはない。
「人の言葉に耳を貸さず、人を襲い続けるのなら、魔物と何も変わらん。だから駆除した。それだけのことだよ」
ルルティアが静かに目を伏せる。グロリアも、すぐには何も言わなかった。
「……力があるなら、もう少しましな使い道もあっただろうにな」
「そうね。人を苦しめるために力を使うなんて、困ったものだわ。まったく、転移者っていうのも厄介なものね」
グロリアのぼやきに、マルガレータが苦笑する。
「そうとも限らんだろう。お前たちのところにもいるではないか」
「……ん? 誰が?」
「ソレイユだ。私の数少ない古き良き友人だよ」
「…………あっ! そうだったわ!」
大きな声に気づいて、グロリアは慌てて口を押さえた。ルルティアが堪えきれずに笑い出す。
「グロリアさん、すっかり忘れていたんですか?」
「いやぁ、だってソレイユちゃん、もうこっちの住人そのものじゃないの」
「何百年も暮らしていれば、そうなるだろうな」
マルガレータは懐かしそうに笑う。
「ソレイユは転移の恩恵で、この世界には存在しないエルフという長寿の種族になったんだ。何百年も生きているが、昔からあいつは変わらんよ」
「そうね。おばあちゃん扱いすると怒るくせに」
「ははっ、あいつらしい」
「マルガレータさんとソレイユさんは、本当に長いお付き合いなんですねぇ」
「ああ。付き合いだけは長いからな」
マルガレータはそれ以上語らず、冷めかけたコーヒーを飲み干した。
その一方、グロリアの目の前には、まだ相当な量のパフェが残っている。
「……はぁ。これ、まだこんなにあるのね。ルルちゃん、ちょっと手伝ってくれない?」
「ティア様への供物でしょう? グロリアさんが召し上がらないと、意味がありませんよ」
「……ごもっとも」
仕方なくもうひと口。甘さに顔を歪めるグロリアへ、マルガレータが何気なく尋ねる。
「そういえば、そろそろ納税の時期だな。雲外蒼天のほうは大丈夫なのか?」
スプーンが宙で止まる。
「……ルルちゃん。うち、今いくら残ってたかしら?」
「先月分の経費と借入金の返済予定を考えると、納税分には足りませんねぇ」
「…………」
「グロリア、まさか何も考えていなかったのか?」
「考えてたわよ! ちょっと考えるのを後回しにしてただけ!」
「それを考えていないと言うんだ」
マルガレータが呆れた様子を見せても、ルルティアの口調は変わらない。
「ブラックベアの報酬もありますけど、それだけでは心許ないですねぇ。そろそろ、お仕事を増やしていただかないと」
「……マジ?」
「はい」
グロリアは目の前の巨大パフェを見つめた。先ほどまで甘さに苦しんでいた顔から、今度は血の気が引いていく。
「……やばいかも」
シャンデリアの下では、相変わらず優雅な音楽が流れていた。
次回の更新は、11月上旬を予定しています。
その間に、単発作品を投稿するかもしれません。
また、作品やキャラクターの雰囲気を少しでもイメージしていただけるよう、
拙いものではありますが、各キャラクターの初登場回に挿絵を追加しました。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
作品への感想なども、お気軽にお寄せいただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします!




