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岡っ引きの源さんは、今日も朝帰り  作者: ねこまんまときみどりのことり


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光圀の秘密

 徳川光圀はある時期から、暗殺者の襲撃を受け命を狙われ続けていた。


 安易に発言は出来ないものの、5代将軍・徳川綱吉 と 彼の側用人の柳沢吉保が怪しいと誰もが考えていた。そしてそれは真実であった。


 幕府批判と言われる程、意見が合わなかったことで、光圀の側近であった藤井紋太夫さえも敵にまわったと噂されていた。



 光圀は大日本史を書き終えた後、信頼できる者を集めてある計画を立てた。


「わしが生きていては、いつまでも騒ぎは続くだろう。意見を曲げぬわしのせいで、守護する者が傷付くことにも申し訳が立たぬ。だからわしは死んだことにして、身を隠そうと思うのじゃ」

「それは良い考えで御座います。殿に何かあれば私共も後を追う決意でしたが、可能なら生き延びて欲しいと考えておりました」


「では計画は私達で立てます故、安心してお待ち下され」

「そうか、悪いな。ではよろしく頼む」



 そんな感じで淡々と計画が進み、偽装工作は多くの手を伴い水面下で時を待っていた。


 ある者は住み家を確保し、

 ある者は金銭の移動を行い、

 ある者は新たなる身分を作った。



 そして街への視察道中で、光圀の影武者である秋葉玄治は、暗殺者の襲撃を受け死亡した。


 その日の護衛は、何故か柳沢吉保側の手の者が護衛任務に就いていた。側近の藤井紋太夫も付き添っており、影武者であることは確認できた筈であった。


 柳沢らは近い時期に、少し離れた寺院へ光圀が参拝する計画を聞いており、その時に周囲を光圀側の護衛で固め、責任を押し付けようと画策していた。だからこそ今回は、先に柳沢陣営の護衛が就いていたのだ。



 ただ影武者である秋葉玄治は、顔の造形が光圀に瓜二つでほくろさえも入れ墨で施していた。声だけは僅かに高く、長く話せば気付かれるくらいのクオリティだ。




 本来襲撃は無意味である筈で、安全な道中である筈だった。


 けれど安心しきっていた一行は、黒装束で顔も隠した武装集団に全滅させられてしまう。


 柳沢陣営の護衛達も剣の腕は悪くないが、相手はそれを凌駕し殺気に満ちていた。失敗は許されないと言う決意があった。


 最初に狙われたのは影武者である秋葉玄治で、「お命、頂戴する!」と声をあげて黒装束の者は襲いかかって行った。

 影武者だと知っている柳沢側の護衛達は、その油断から行動が遅れていた。



 周囲の黒装束達が、その動きを止めないように相手を牽制し戦っていく。


 長い刀は秋葉玄治の心臓を貫き、勢い良く引き抜いた。抵抗なく胸を刺され、血を吹き出しながら膝を突く秋葉の表情は穏やかであった。役目を無事に終えたとばかりに。


(父上、許せとは申しません。私も光圀様の役に立った後、再び出会いましょうぞ)


 心の中でそう告げて、秋葉の実子である秋葉要(かなめ)は、敵の護衛達へと向かって行った。


「まさか、柳沢様達の他にも敵がいたとは。情報を掴み損ねていたのか……この俺が…………」


 鍛練を怠けていた藤井紋太夫もあっさり切り捨てられ、15名の今後役職が約束された護衛達も土に倒れた。


 倒れた護衛の中には、剣筋から秋葉要のことに気付いた者もいたが、問いかける間もなく息を止めていった。


 

 血に塗れた農道を発見したのは、その土地を耕す農夫である。農夫は旅装姿の母子に、「道を歩いておりましたら、人が倒れておりました。医者を呼んで下さい」と訴えられたのだった。

 農夫も裕福ではないので、指された方に歩き状況を確認しようと思った。怪我の良し悪しの前に、治療費を払えない者ならば医者を呼ぶことも出来ないからだ。

 農夫だってよっぽどのことがなければ、大金が必要な医者を呼べないのだ。


 遠目に見て、駕籠が2つあるのは分かるが、動いている気配はない。近付き状況が分かると、「ヒイィ」と呻き声をあげ腰が抜けた。


 這う這うの体で農夫は役人を呼び、役人は印籠や衣類の紋から上役に連絡をあげた。秋葉玄治らの遺体は、丁重に城へ運び込まれた。


「どうしてこんなことに…………。年若い護衛達も全員、酷い有り様だ」

「吉保よ。光圀はそれほど恨まれておったのだろうか? 目立つ行動をしていたからなのか? これらの者も手練れであったと言うのに。余はもう、外に出るのは嫌じゃ」



 影武者か本人か迷った綱吉らだったが、影武者である秋葉玄治は病によりこの世を既に去り葬儀が終わっていた。光圀はもうこの年齢で影武者を探すのは困難として、影武者が不在の状態であったと言う。

 だがそれを藤井紋太夫から報告を受けていない柳沢吉保は疑いの眼差しを向けたが、特徴的なほくろもあった為光圀のものと判断するしかなかった。


 綱吉は水戸藩主である光圀を退かせ、権中納言《ごんちゅうなごん》に降格させていた。それでも権力はかなり強い。

 光圀を守れぬまま亡くなった護衛達は、責任を負わされ潰れる家も出ることになるだろう。


 その護衛達は全員柳沢吉保の縁者であれば、任命した責任問題も柳沢に当然降りかかる。


 だからこそ綱吉と柳沢吉保は内輪の者達と相談し、暗殺を隠蔽することにした。その際に光圀は病に罹り、1年後に他界したと発表されるのだった。


 死亡した若者達は、流行り病で死んだことになったと言う。




 隠密にこの報告を受けた光圀は、「この成功は秋葉玄治のお陰だ。彼が不治の病にかかり、これが自分にできる最後の奉公ですと提案してくれたからこそ……。出来るなら生きていて欲しかった。力尽きるまで共にありたかった。玄治とわしは、血より強い絆で結ばれた兄弟であった。ぐすっ」と、声を殺し空に向かって合掌した。


「どんなことがあっても、お前の分まで生きるぞ。見苦しく生き延びて、少しでもましな世界にしようと思う。少しだけ待っていてくれよ、玄治」


 その傍らには隠密達が控え、玄治のことを偲び主と同じく胸を痛めていた。敵の多い藩主を勤めた光圀と彼を守り支えた秋葉玄治は、幾つもの死線を潜り抜けた戦友でもあった。


 それを多くの隠密が知っていた。

 この選択が光圀を守る、一番有力な方法であったことも。それでも切なくて、皆が涙を堪えていた。



 光圀はこの時70代で、世間では亡くなったことになる。だが実際は100歳近くまで生きることになるのだ。




◇◇◇

 城の一部が混乱する中、光圀達は薬草のある村への道を歩み続けていた。


 薬草園のある村の畑と庵は、既に田之倉に売却されており、光圀の手を離れていた。売却期日も改竄され、もう10年所有していることになっている。

 山奥にあるこの場所に来る酔狂な役人は誰一人おらず、記録がどうなろうと気にする者はいなかった。


 光圀は死の偽装前から秘密裏にこの場に通い、村人と交流を持っていた。「薬屋の爺様」と呼ばれていた光圀は、死亡したことになった後も、そのことを知らない村人達から変わらぬ態度で接して貰っていた。


 死を偽装した後は南蛮の染め薬で白髪を黒くし、髭を剃る。さらにお抱えの医師に、顔のほくろの除去と目蓋の弛みの改善(皮膚をこめかみに引き上げる手術)をされ、10歳は若返ったように見えた。


 村人からは薬屋の隠居様は、変な果物は食べるし砂糖菓子も分けてくれる変わった御仁だと言われていた。非常に好奇心が旺盛で、新しい食べ物や珍しい食べ物が大好きで、村人によくお裾分けしていたのだ。


 ラーメン、餃子、チーズ、肉、ワイン等など、西洋の物や田舎にはまわって来ない高価な砂糖菓子も振る舞っていた。


 だから髪を染めようとも、いつもの悪ふざけとしか思われていなかった。


 光圀はここに来た経緯を、村人達にこう話していた。

「幼い時からそよに奉公へ出て金を貯め、懸命に薬屋を開いたのに、娘の婿に身代を奪われてしまった。婿は旗本の息子で、わしでは歯が立たなんだ。今度は手持ちの金と命まで狙われて、ここまで逃げて来たんじゃ。

 幸い仲の良い旗本の友人もおって、この場所を紹介されたのだ。ほんに仲間は大事にせんとな。ほっほっほっ」 


 適当な作り話だが、場数を踏みすぎて説得力があり、多くの村人は泣いていた。


「可哀想になあ。せっかく苦労して最後が命を狙われるなんて」

「娘も娘だ。親を庇わないなんて、酷い子だ」

「でも娘も子がいれば、無理は言えんだろ。向こうは旗本がいるそうだし」

「でもさ! 私ならお父ちゃんを大事にするぞ」

「おつう! おらだって、お前が一番大事だ。ううっ」


 いろんな話で盛り上がり、光圀は受け入れられたのだった。

 

「わしも娘は可愛い。孫はもっとな。だから身を退いた部分もある。離れれば彼らに悪意も降りかからぬじゃろう」


 しんみりすることも時々あるが、全てが光圀の嘘ではない。側室は健在であるも正妻はもう亡くなっていたが、(落胤である)娘や息子もいるのだ。綱吉らと敵対するより、離れた方が彼らの負担も減ることだろう。


(わしはもう、この世にはおらんのじゃ。ならば後の政はあらつらに任せようぞ。まあ、ちょっかいは出すがな。クハハッ)


 どう考えても、こちらがラスボスである。



 徳川光圀の実子である松平頼常は、讃岐高松藩の2代藩主を継いでいた。本来であれば光圀の跡を継いで水戸藩主になるはずの長男は、水戸徳川家と高松松平家の間で行われた子供の交換(養子縁組)により、高松藩へ赴いたのだった。これは兄を立てた光圀の義理であった。三男であった光圀が、父親である徳川頼房の決定により水戸徳川を継いだことで、後生まで蟠りは残っており、血統を正当に入れ替えたのだと言う。


 


◇◇◇

 この後に日本橋に診療所を作り、隣に薬種問屋を開いた。


 薬種問屋の方は、北町奉行の近江儀三郎に依頼して偽名で届けを出し、日本橋で株仲間に入り冥加金(税金)も納めることになった。


 診療所を開くのは公的な医師免許制度がなかったため、国が行うものでなければ看板を出したの日から医者と認められた。


『西山診療所』とした。


 ただ街医者となる場合は、名主や町役人に開業の挨拶・報告を行うのが一般的だった為、光圀の主治医井上玄桐もそれに倣ったのだ。大ベテランの名医中の名医であるのにだ。


 他にも鈴木宗与や穂積甫庵にも、後進の医師を育てる為に助力をして貰っていた。その後、オランダ医学を学ばせるために長崎へ医師を派遣するなど、秘密裏に医療体制の強化を図るのだった。


 治療院の場所と物件自宅兼診療所は、新しい建物を立てず、既にある空き家を買い取り開くことになった。

 伝手のある大工を雇い、見えない部分を補強し、頑丈に改装していたのは内緒である。



 下地を作った光圀は、薬草のある村に戻る。

 影武者であった秋葉玄治の子、秋葉要と隠密である黒烏とともに。


 彼らは生涯光圀の、いや光治朗の盾として生きるのだ。時々こっそりと世直しをしながら。


 この時の光圀はもう、印籠を持っていない。問題が起きれば、親友頼みで揉み消していくのだった。




◇◇◇

 その後に将軍が急死し、雅紀が将軍の影武者となる。後押しをしたのは光圀と密かに交流をもっていた、江戸幕府の上層部の者達である。


 彼らは国を維持する為に奮闘する、中立派と呼ばれる譜代と外様大名達である。

 光圀を表立って庇えなくて無念に思っても、決して顔に出さず、将軍に仕え幕府を支える縁の下の力持ちだ。


 彼らは密かに光圀と連絡を取り合い、幕府の安定化を図っていたのだった。







ーーーーーーーーーー

 この物語はフィクションです。

 真実と違う部分がたくさんあります。








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