百十六話 死霊の姫は
それに彼女が気が付いたのは、男の姿が見えなくなって数時間後の事だった。
一体どこに居るのか、いや居たとしても彼女自身が命令を下せば彼は即座に自分の前に姿を現す筈であるにも関わらず、どこにもその姿は見えず命令に応える様子も無かった。
「おかしい……」
恐怖されるべき象徴たる己が、そんな怖れを抱くのはきっとその男の能力が自分よりもよっぽど優れている事を理解しているからだろう。
死霊術師が死霊術師を操る事で、その軍団上限数を倍加させる。それが本来ならば在り得ない量、規模、質の軍勢を作り上げ、この第三階層を死の都に作り替えた要因であった。
だがしかし、死霊の姫には一つの誤算があった。
いや、誤解させられていた。
死霊術によって操られた死体は、自分に従順に行動し自由意思など持たない。
けれど、橘修柵という人間の死霊術師は己の肉体を自術の支配下に置く事で操作し、自由意志を獲得していた。
「信用していた訳では無いけれど……」
二年半の時間を掛けて行われた従順な見せかけによって、その不信は他のアンデッドに向ける物と同様に至るまで緩和していた。
故に彼女は気が付けない。
既にそのスケルトンがこの世界の何処にも存在していない事に。
「大丈夫、この子が居る限りあの術士は私を裏切れない」
横に居る橘修柵の大切な人物の死体に視線を向けた。
同時に、不意に橘修柵の最期の言葉を思い出す。
――僕はお前を絶対に許さない。
それが、橘修柵がアンデッドクイーンへ向けて放った最期の言葉だった。
悪寒なんて物を感じてしまうのは、死霊術師として有るまじき失態だ。
それでも橘修柵を一度支配下に置き、その能力を把握したからこそその化物振りが十全に理解できる。
この二年半で進軍して来た数多の探索者を骸へ変えて、モンスターとして昇華を果たした彼女でも、未だその領域には到達しえない。
そんな相手に対して恐怖を抱いてしまうのは、同じ系統の術師として当然の本能だった。
「――邪魔なんだよ」
そんな事を考えていた瞬間、一瞬にして目の前に人影が現れる。
数は5人。
その内の一人が、抜き放った刀を持ってアンデッドクイーンへ振り下ろす。
「なっ!」
驚いた表情を浮かべるも、しかし彼女とて誉ある階層主に選ばれたモンスター。
その驚愕は瞬時に防衛への意識へ向かう。
「ボーンウォール!」
その場所はアンデッドクイーンが守る城として完成されたフィールド。
足場の殆どが何等かの生物の骨が大量に敷き詰められている。
故に、彼女が支配するこの領域は彼女にとって攻守ともに最適な世界となっていた。
足元に転がる骨を操り、刀と自分の間に骨の盾を顕現させる事でその刃から身を護る。
しかし、刃に込められた白い魔力によって、骨の盾はいとも容易く切裂かれた。
「神気……だと……?」
その白い魔力の正体を彼女は即座に看破する。
骨の盾に込められた魔力が切断され、術者と魔法とのパスが切断される。
これによって、魔力によって強制的に動かされていた骨は、ただの骨に帰る。
間一髪、後ろに身を下げていた事で回避できたが、そうじゃ無ければアンデッドクイーンの身体ごとその白い刃は切裂いていただろう。
そんな一撃だった。
「ふっ」
しかし、アンデッドクイーンはその姿を鼻で笑った。
「阿呆か貴様等…… ここは私の城だぞ? そこにたった5人で挑みかかって来て、この軍勢をどうやって対処すると言うのだ」
骨が立ち上がる。
そこら中に散らばる骨の山が、人型やモンスターの形状へ合体しその姿を整えていく。
「5人? あぁ、そう見えるのか」
確かに、目の前に居る人物は天空秀、新藤真、聖名守凛佳、松玲十郎、ロイド・B・マルクスの5名。
けれど、この階層に来ている探索者の総数は100を優に越えていた。
アンデッドクイーンには広域に配置されていたアンデッドとの魔力のパスが消えて行くのが感じ取れた。
橘修柵1人分の魔力パスの消失なら、それに気が付かなくとも仕方がないかもしれないが、同時に何十何百の配下が消えれば否が応でも魔力が揺らぐ。
支配限界のキャパが空けられていく感覚が、彼女の脳に伝達された。
「なるほど、しかしどうして私がここに骸を集めているのか教えてやろう」
――こんな時のためよ……
そう言ったアンデッドクイーンの足元から、空けられたキャパを埋めるかの如く大量のアンデッドが召喚される。
「それじゃあ取り合えず、今から戦争をしましょうか?」
アンデッドクイーン、いや今は既に進化を果たしその種族を変質させた上位存在。
『骸死姫』がその魔力を解き放つ。




