25.何かを守るためには、何かを捨てる覚悟が必要である
――ここは、どこだっけ?
白い空間に1人、ハルだけがポツンと立っていた。
上も下も右も左もない。
立っているのか、浮いているのかも正確には分からない。
ただ、記憶が言っている。
『今すぐ戻らなければならない』と心で叫んでいる。
覚えている。直前までの記憶はしっかりと残っている。
「正直、ここまでは来て欲しくはなかったわ」
「……っ!?」
背後から、突然声が掛かる。
てっきり誰もいない空間だと思い込んでいたため、心底ビックリした。変な声を上げそうになったのを無理矢理我慢し、飛び上がる程度に抑えることに成功した。
「とはいえ、大きくなった春の姿を見るのは初めてだし、よしとしますか。どうせ会うなら花嫁姿が見たかったっていう願望は今は置いておこうかな」
自分の驚き具合を相手に勘づかれないためにも、平然を装いながら自分の後ろに立つ者へ振り向く。
「……ぷっ、くくく。あれだけ驚いておきながら、さも何事もなかったように振る舞おうとする感じ、あの人にそっくりね。あの人も昔から隠し事は下手だったわ。あなたもよく隠し事がバレたりしない?」
腹の立つ笑い方をする女性にイラッとなるが、一応、彼女の言っていることに心当たりはある。
「…………誰? 何て訊くつもりはない。アンタの記憶はずっと見てきたし、夢だからかアンタの視線で見ることもあれば俯瞰から見ることもあった。つまりアンタの顔は覚えている。だいぶ歳は取ってるみたいだけど、流石に間違えない。私が訊きたいのはアンタが何者かという――あだっ!?」
「親に向かってアンタって言うのと歳を取ったはやめなさい。それにこの姿は死んだ時の姿だからまだ全然若い方よ。あれからもう17年も経ってるわけだし、あの人の方が老けてるはずよ」
…………。
ぶたれた頭を押さえる。
「と、まぁ関係ないお喋りはこのくらいにしておいて……あなたがここに来てしまったということは、あなたが道を間違えそうになっているということよ」
先程までとはうって変わって、真剣な表情で話し始める女性。
「いい春? もう一度思い出しなさい。あなたの根幹にある想いを。忘れそうになっている自分の原点を。あなたが何を想い、何の為に戦っているのかを。そうすれば自ずと―――…………それは、何の真似かしら?」
どこから出てきたのか、ハルの右手には既に矢のセットされたクロスボウが握られ、照準を目の前の女性に合わせながら引き金に指をかけていた。
「…………悪いけど、ちんたらと訳の分からない話を聞いている暇はないの。ここに私が呼ばれたのには理由があるんでしょ? 私には守らなければいけないものがある。そして、一度それを決めたらもう迷っちゃいけない。何かを守るためには何かを捨てる覚悟が必要になる。そして、それを捨てるには力が必要だ。力を貸してくれるんでしょ? 娘からのお願いは断らないよね……お母さん?」
「…………血は争えないのかしらね……それでも私はあなたの味方でいたいと思っているし、それが本当にあなたの望む道なのだとしたら、私はそれを信じてもいい。でも春、これだけは言わせてね。さっきも少し言ったんだけど、あなたがここに来たということは、あなたが進む道を迷っているということ。ここはそういう場所なの。だからね、これだけは守って欲しい――」
「…………」
「自分に嘘だけは吐かないで…………あ、あと、できればママが良かったわ」
「う……あ、ああ……ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
見覚えのある光がハルの身体を包み込む。
数日前にあの廃村で起きたあの魔力暴発と同じ現象が今ハルの身体に起こっている。
しかし、前回と違うことがあるとすれば、この魔力暴発はハルが自分で起こしたということである。
これだけの光を放てば、当然港の獣人兵にハル達の存在が気づかれてしまう。
そもそも気付かれるのが目的だ。
ドクンッ――と心臓が脈打つのを感じる。
その1回1回の鼓動が妙にゆっくりなのも、しっかりと感じ取れる。
使い方は全て、頭の中に流れ込んできた。
今なら、何だってできそうな気がする。
横でルルやリリィが何かを言っている。しかし、何を言っているのかは聞こえない。だが、トラウマになっていてもおかしくないこの光を再び身体から放っているのだ。聞こえなくても心配してくれているのは分かる。
でも、大丈夫。
すぐに――、
(すぐに、あいつらを殺してくるから)
港から砲撃音が聞こえた。明らかにこちらに向けた砲撃だ。
ハルが怪我をしていない右手を前に突き出すと、ハル達の前に透明の歪んだ空間が発生する。獣人兵が放った砲弾がハル達のいる高台へ着弾する前に、その歪んだ空間へ砲弾が吸い込まれていった。
そして数瞬後、港に停泊している獣人兵が乗ってきたのであろう戦艦で爆発が起こった。
ハルが展開したその空間は転移魔法を応用したワープ空間で、自分達の目の前と敵の戦艦を直接繋いだものだった。つまり、敵は自分達が撃った砲撃で自分達の戦艦を爆破してしまったことになる。
「師匠! 危ない! 今度はそっちが狙われています!!」
アマネの声が聞こえた。
今度はしっかりと内容も聞き取れ、そのお陰で間に合うこともできた。
考えるよりも先に先程の転移魔法の応用で今度は自分のいる空間を、シュナがいる屋台の前の空間と繋げる。
一瞬で屋台の前に移動すると、既に獣人兵にロケットランチャーで狙われていた。
再び戦艦で爆発が起こる。
流石に2回も連続で自分達が砲撃した直後に戦艦が爆発したとなると、敵もその因果関係に気が付く。それも狙った先のハル達は無傷ときた。タネは分からずとも自分達の砲撃が、自分達の戦艦に返ってきていると考え付いたのだろう。
獣人兵達はすぐに構えていたロケットランチャーを肩から降ろすと、懐にしまっていた拳銃と腰の剣を引き抜いた。
一番前に並んでいた獣人兵達が隊列を組んで駆け出す。
よほど訓練を積まされてきているのか、動きに無駄がない。
射程距離に入ったのか訓練された20人の武装獣人兵が足を止めてハルに向かって一斉に銃を構える。
それ以外の5名の獣人兵は剣を持ってさらに距離を詰めるようにハルに向かって駆けている。
前衛と後衛に分かれた至って当たり前の構図。
問題は、後衛の武器が詠唱の必要な魔法ではなく、連射が可能な拳銃だということ。
訓練されている彼らが前衛の味方に銃弾を当ててしまうなんていう凡ミスまずあり得ない。しかし先程のようにワープ空間で敵の戦艦に繋げたとしても、銃弾程度ではあの大きさの戦艦を沈めることはできないだろう。
それに、連射されてしまうと長い時間あのワープ空間を展開し続けなければならない。
たった2回、自分の移動を合わせてもたったの3回一瞬だけ展開しただけなのに、もう暴発しかけた魔力はその光を沈めている。わざと暴発させた魔力をそのまま利用したからなのだが、それだけあの”瞬間転移魔法”は魔力の消費が激しいということだ。
数秒でも展開する時間が長くなれば、それだけ魔力が奪われてしまう。
(それなら……)
右手を地面につき、ハルの前に長方形の不可視の防御壁を展開させる。
後ろの屋台も覆うくらいの大きさの防御壁なのでシュナ達も守ることができる。もしかしたら一発くらいは間に合わなかったかもしれないが、多分大丈夫だろう。
防御壁に当たった銃弾は全て勢いを殺され、そのまま真下に落下していく。
この防御魔法は銃弾は当然のこと、体躯を砕くモンスターの突進でさえも軽々と防ぐことができる。それに転移魔法ほど魔力も消費しない。
もう数秒としないうちに5人の獣人兵はここまでたどり着く。
だが、それと同時に恐らくあの銃の弾が切れるだろう。むしろ弾が切れる頃に前衛が戦闘を開始するように計算されているはずだ。つまり、そこが勝負である。
ハルの予想通り、前衛の獣人兵がハルに剣を振り上げたと同時に、銃弾の雨が止んだ。
そのまま防御壁を展開していてもよかったのだが、それでは防ぐことはできても倒すことはできない。
ハルはすぐさま防御魔法の展開を終わらせ、獣人兵の剣が自分に降り掛かる寸前に姿を消した。
移動した場所はまさに今剣を振り下ろした獣人兵の真後ろ。
スカートで見えないように太股に隠し持っていた短剣を抜くと、躊躇なくその獣人兵の首元にその短剣を突き立てた。
「ガッ…………!」
初めて人を殺した感覚を感じる前に、次の攻撃が迫ってくる。
両サイドにいた獣人兵が急に現れたハルに驚きながらも剣を横凪ぎに払い斬ろうと試みる。
しかし再び姿を消したハルは今度は端にいた獣人兵の背後へと移動し、背後から喉を掻き切るように一撃でトドメを刺す。
そのまますぐに短剣をホルダーに戻したハルは今殺した獣人兵の剣を手に取り、空振ってハルを見失っていた獣人兵の胸に風穴を開けた。
数秒のうちに訓練された獣人兵を3人も殺したハルに残りの2人がたじろぐ。
その怯んだ心を見透かされているような紅く光る左目に睨まれた獣人兵は、返り血で赤く染まったハルの顔から恐怖で視線を逸らしてしまう。
当然、今のハルがそれを見逃すはずもなく。
瞬間転移で手前の獣人兵の懐まで一瞬で移動したハルは全体重をかけて前後に並んでいた2人の心臓をひと突きで葬った。
「ハァ……ハァ……」
片手しか使えない以上、ハルの腕力ではこの剣を振り回すことはできない。確実に殺すには背後から心臓をひと刺しにするのが最も効率的で確実的な方法だろう。
もう左腕の包帯は返り血で真っ赤に染まっている。無茶な動きのせいで左腕にはこれまで以上の激痛が走っている。
だが、今はその激痛が心地良い。
痛みが全てを忘れさせてくれる、そんな気がするから。
前方で今の一部始終を見ていた後衛部隊を睨み付ける。
息吐く暇もなく殺されていった仲間を呆然と眺めている者がほとんどだ。弾切れを起こしていた銃のリロードがまだ済んでいない者もいる。
彼らの年齢を見るに、前回の戦争に参加していた者はいないのだろう。どれだけ訓練を積んでいる兵士だと言っても、もしかしたら実際の戦場は初めてなのかもしれない。仲間が、身近な者が目の前で殺されるのを見るのもきっと初めてなのだろう。
――もう、どうでもよかった。
そこからは、あまり覚えていない。
気が付いたら20人の屍の上に立っていて、全身が返り血で真っ赤に染まっていた。
手に持っていた剣にも大量の血が付着している。
ドクンッ――と心臓が大きく脈打つ。
身体に力が入らず、剣を支えに地面に膝をついてしまう。
戦っているうちに分かったことは、あの瞬間転移魔法は繋げる距離の長さによって消費魔力が違うということだ。だから比較的近距離の移動を重ねていた後半は、回数を使うことができた。
とはいえ、もう暴発させたロイドの魔力も使い切りそうである。
「ハル!」
背後からシュナの声が聞こえた。そこでようやく自分が戦っていた理由を思い出す。
「…………シュナ、カイは?」
激しく息を切らしながら、シュナの方も見ずにカイの様子を確認するハル。
もう、振り向く余裕もない。
「……息はある。だが火傷と出血が酷い。このままではもう5分と持たないかもしれない」
ギリッと唇を噛み締める。
誰のせいだ……誰が一番悪い……
「……皆、私の近くに集まって」
「なに?」
「早く! あいつらが来る前に、ここから飛ぶ!!」
こちらを警戒しながら港で待機していた獣人兵に視線を向ける。
シュナがルル達に声を掛けて、自分の周りに集まってくるのを音で感じる。
「こんな目立つところでマズいぞ。向こうがまたあの筒の兵器でこちらを狙っている!」
そんなことは分かっている。仲間が完全に殺られていることに気が付いたのか、再びロケットランチャーでこちらを狙っているのが見える。しかもその数は一発ではない。
当然今のハルにあれを防ぐ術はない。いや、最後の力を振り絞れば何とかなるかもしれないが、その力は今から別のことに使わなければならない。
「おい、ハル!」
脳内で転移先を繋げる。
「喋ってると舌噛むよ! この人数とこの距離、ロイドのようには上手くできる自信がない!」
先程まで使っていた転移でコツは掴んだとはいえ、流石に今の残り魔力でこの人数、この距離を正確に転移させられるかは分からない。
「は……?」
シュナから発せられた間抜けな声を聞きながら、ハルは足元に巨大な魔方陣を展開させた。




