追跡
「失礼いたしました」
ニルヴァ―ヌ学園の一角に位置する事長室から出てきたトーガは扉を閉めた後、一礼してその場を下がる。
ヴィハック、ガルヴァス軍の戦闘の後、彼はヴァリアントに戻っていた。もちろんアルティメスは地下空間に置いていき、ステルス機能で隠蔽させている。
今頃ゲートや地下空間にアルティメスを捜索させているはずだとトーガは睨むが、愛機が見つかることはないと頭の隅に追いやっていた。今彼が考えているのは、もっと別の事である。
カツカツと露馬の中を歩くトーガの前に真剣な眼差しを向けるエルマが腕を組んだまま立ち塞がっていた。
「……何か用か、って聞くまでもないか」
「……あなたが渡したあのデータは、〝あの人〟が作ったものなの?」
「まあな。もしかして、会いたいのか? 君の母親に」
トーガの言葉にエルマは少し眉を吊り上げて嫌そうな顔をする。少し逡巡しながらも彼女は制服のポケットに入れていたUSBメモリをトーガに見せつけ、自分もそれに視線を向ける。
「……あまり会いたくないけど……あなたを通じてこれを渡してきたってことを知りたいだけよ。なんで今更……」
「何が何でも君に知ってほしくなかったってことだろ。君にとって一番ショックになることをそのデータには収められていないはずだ。これを渡そうとしたということは、そろそろ受け止めていい頃合いだと思ったんだろう」
「え……?」
メモリをエルマに渡す目的を果たしたトーガは、レヴィアントに訪れる前のことを思い出す。
ガルヴァス帝国とは異なる、とある場所にてトーガは白衣を着たオレンジ色の髪を生やした女性と会話していた。
「これをあの子に渡してほしいの……。あなたにしかできないことよ」
「自分で渡せばいいじゃないのか? こんな手間を取らずとも……」
「どんな顔で会えばいいのか、少し迷っていてね。それにアレの完成にも着手しなければならないし……」
トーガとメモリを渡してきたその人物は揃って透明なガラスの先にあるものに目を向ける。その先には広い空間に佇むアルティメスとその隣に並ぶ紫の巨人。明らかにアルティメスとは異なるシルエットである。
「……分かった。これを彼女に届ければいいんだな?」
「ごめんなさい。ただ、あの子には危険な目には合わせたくないから……」
「…………」
なぜか彼との視線を背ける彼女の表情にどこか影がチラホラと見え隠れしていた。その様子にトーガは口を閉じたまま見るしかなかった。
「……まったく、不器用というか何というか……」
「? どういう意味?」
「! すまない、こちらの話だ。それならそうとさっさと準備してくれ」
「準備って?」
「首都を出るということだ」
「はあぁ?」
トーガの口から発せられた意外な言葉にエルマは思わず呆気にとられてしまう。エルマ以外の誰かに伝えても同様の衝撃を受ける内容だ。
「ちょっ、ちょっと待って? 正気なの? っていうか、できるの?」
「できないというなら、こんなことを口にはしないさ。そもそも俺はこの都市にとってお尋ね者だからな……」
「…………!」
ポンポンと衝撃的な言葉を口にするトーガにエルマもあんぐりと口を開いたままである。タイタンウォールの外側を知らない者にとってはまさに未知の体験を耳に入れるようなものだ。
もしも彼についていけば、外の世界が今どうなっているか直接目にできるかもしれない。その欲求に従いかけたその時、エルマはあることに気づく。
「そういえば、さっき理事長に呼ばれていたよね。何かやらかしたの?」
「それを言うなら、君もなんじゃないか? 俺よりも前に教師に呼ばれていたようだが……」
「……それは……」
正面にいるトーガから視線を逸らして顔を下に向けるエルマの様子にトーガは彼女の考えを見透かすかのように言葉を発する。
「……病院に行って精密検査を受けろと言われたのか?」
「! な、なんで……!」
「俺も同じことを言われたからだ。もっとも、自分の体の異変に気付かないわけがないよな?」
「!」
「図星か……。まあ、いい。行くぞ」
「…………」
エルマの体に起きている異変を察していたトーガはエルマを通り過ぎ、自室がある男子寮へと向かっていく。考えを見透かれ、放心していたエルマもようやく我に返り、それに続くように廊下を歩いて行った。
それぞれ私服を着替えたトーガとエルマは今日の授業を休む形で受けないまま学園の外に出て、街中を歩いていた。
トーガはいつもの通りの黒い服、エルマは露出が少なく、青色の服装だ。
ただルーヴェはいつもの通り、銀髪を隠すための措置として黒の帽子を被ったスタイルだ。二人共あまり目立たず、周囲に溶け込んでいるのが分かる。
もちろん街中は、昨日起きていたことがウソのように人々で賑わっている。ただ、起きていたというよりも何も知らない方が正解だ。
一列に並ぶ建物の前にある歩道を歩いていたエルマはその隣にいるトーガに話しかける。
「ねえ、トーガ君。まさか病院ってわけじゃないよね。まあ、受けなきゃいけないんだろうけど……」
「んなわけあるか。あそこに行けば、どうせ隔離されて身体の中をじろじろ見られるっつーの」
「ええ⁉ ちょ、危ないこと言わないでよ! というか、隔離って大げさな……」
帰ってきたトーガの言葉にまたも衝撃を受けるエルマ。隔離という非常識な言葉が出てきたが、嘘だと思いたかった。
「大げさじゃねえよ。俺たちの体は普通の人間とは明らかに違うんだ。ましてや公表などできやしないしな……」
「?」
「……強いて言えば、人間の体というのは、いつの時代も変化していったということだ。もっとも、この場合はかなり特殊なケースだがな……」
「…………」
神妙な表情を見せるトーガを見て、エルマはさっき学園長から言い渡されたことが重大なことにようやく気付く。やはり自分の知らない何かがあるのだと察することができた。
察することができたからこそ、彼女はあることに疑いを持ってしまう。
それは、自分がデッドレイウイルスに感染しているという疑いである。しかし、辻褄が合わないことがあった。
本来なら、デッドレイウイルスに感染すれば体内の臓器に何かしらの異変が起こってもおかしくない。ましてやウイルスに対抗できるワクチンが開発された今、感染の対処はできているものの、どこかで感染が確認されることは少なくない。ワクチンがあるからこそ、緩み切っていることも含まれるが。
だが、もしウイルスに順応している者がいたとしたら? そんなことはあり得ないのだが、エルマはトーガに対してその疑いを向けずにはいられなかった。そして、自分にも。
その可能性もなくはない。元々、人間の体内は細菌やウイルスから身を守る免疫が存在しており、免疫があるからこそ健康状態を保っていられるからだ。
これを免疫力と呼ばれ、その菌に対して強くなることである。逆にその免疫力が少なくなると細菌が入りやすく病気を発症してしまうことが多い。
だが、ごく稀に体内でウイルスに順応した抗体を持つことがある。ただ長い時間をかけなければ出来上がらないが、これを持つということはワクチンを受けることも必要がなくなるわけである。
もしトーガにそれがあるならば、病院に検査を受ける必要があることも自然と納得がいく。しかし、エルマもそれを受ける必要があるのかということも彼女も不思議と疑問に思っていた。だが、その疑いは疑うほど確実なものとして寛恕に不安が押し寄せていた。
もしこれが発覚されればトーガの言った通り、隔離されるリスクもあるのだと。その不安が彼女を上から潰そうとしているのであった。
「あの二人が……ですか、殿下?」
「ええ。というよりも殿下はやめてください。バレますから……」
「申し訳ありません。ルヴィアーナ様」
トーガたち二人から少し離れ、街中にあるカフェの外にある白いテーブルと椅子に腰掛けて潜んでいた。その者とは、本来ならこの場所にいるはずのない人物である、この国の皇女ことルヴィアーナとその配下であるノーティスの二人だ。
彼女たちは普段身に着けている皇女、近衛としての正装ではなく、なるべく目立たない服装と目元を隠すためのサングラスもかけている。
ただ、ルヴィアーナは足まで広がる水色のワンピースと、鍔が円のように広がる麦わら帽子に似た桃色の帽子を被っており、銀髪を隠している。
ノーティスも露出の少ない服を身にまとい、上着には護身用の拳銃を隠している。
どこから見ても今の彼女たちの姿は、街中を歩く一般人とはそんなに変わらなかった。
彼女たちがなぜここにいるのはもちろん、ある謎を解くためにもアルティメスとそれを操るアドヴェンダーと交流する必要がある。
それで自ら街中を散策していたところ、あの二人を見つけたというわけである。
「しかし、ルヴィアーナ様のその力は、便利なものですね。私にもあれば……」
「わがままを言わないでください。私だって混乱していたのですよ。ですが、お父様にも少し言わない方がよいと思いました」
「なぜですか?」
「いきなりお兄様を思い出したのです。何だか怖くなって……」
「…………」
ルヴィアーナが発したお兄様とは、ギャリアの悲劇によって亡くなったガルヴァス皇族の一人である。もし自分の異変を伝えてしまったら彼と同じ末路を迎えてしまうのではないかと一瞬幻視したそうだ。だからこそ、従姉妹であるノーティスにしか伝えることができなかったのだ。
「ですが、なぜ反応したのですか? 昨日の夜にもそれが起きたということですが……」
「おそらくですがお義姉様たちがシュナイダーを動かした時、つまり閉鎖区で何かを行っていた時に反応したのです。皇宮を出ようと思った時、その共通点も探ろうとしていたのですが、こんなにも早く見つかるとは思いませんでした」
「なら、さっさと捕まえましょう。皇宮も我々がいなくなっていることに騒いでいるでしょうし」
「はい……と言いたいところですが、軽くお話に行くだけですから! 物騒の事を口にしないでください!」
「すいません、姫様」
「絶対わざとですよね、ノーティス」
軽くドタバタしながらもルヴィアーナたちは、手に持っていたカップをテーブルに置き、その先にいるトーガたち二人を見失わないように後をついていった。
バレていないとルヴィアーナたちは思っていたのだろうが、実は……
(まったく、誰なんだよ、ホント。まさか学園、いや軍からの監視か? 考えにくいが……とにかく視線を感じるな……)
後をつけていたはずのトーガに、しっかりとバレていた。
既に検査する病院へ行く方向をとっくに過ぎたまま歩道を進むトーガたちは、二軒の建物に挟まれている横道に曲がり、ゴミなどが散乱している直線を進む。
「こんなところを行かなくても……」
「文句を垂れるな。今から行くのは非公式のルートなんだ。誰かに見られるのも嫌なんでな……」
「ええ~! ちょっと、犯罪はやめてよね、ホント……」
二人がそうこう言っているうちに直線は終わり、四角い地面へと変わっていった。そして、その地面に円型のマンホールが一つだけ付けられており、何もない空間だけが広がっている。
何もない空間にエルマは一歩踏んでキョロキョロと周囲を見渡すが、おかしいものなど一つも見当たらない。
「……何もないじゃん。というよりこのマンホールが通り道なの⁉」
「…………」
「答えて! トーガ君‼」
「シッ!」
「!」
何も変哲のないものを見て、トーガに向かって声を荒げるエルマであったが、そのトーガは人差し指を立てて、言外で「静かに!」と黙らされた。
トーガもここに来てから様子がおかしいことにエルマは気付き、「?」と首をかしげた。
するとトーガは背中に受ける気配を感づき、顔を後ろに向ける。
「……そろそろ出てきたら、どうだ? アンタらの目的はどうなのかは知らないが、俺たちの邪魔をするというなら、容赦はしないが……!」
体を背中から正面に向けるトーガは顔を隠すように帽子を深くかぶり、黒い上着から折り畳みのナイフを取り出すと、殺気と共に視線をこの空間に続く直線に向ける。
「ウソッ、バレてたの……?」
「こうなったら……」
トーガたちをつけていたことに察知されていたルヴィアーナたちはどうしようかとパニクる。ノーティスが上着に隠していた銃を取り出すが、ルヴィアーナに止められてしまう。
「えっ……? そ、そのナイフ、どこから? っていうか、なにをしてるの?」
「君は下がって。出てこい!」
トーガは状況が今一つ飲み込めないエルマを自分の後ろに下がらせ、再び前に視線を向ける。向かう先に必ず誰かがいることを、ずっと自分たちの後をつけていたことをトーガは既に察知していたのだ。
ルヴィアーナたちが動きを見せない沈黙と共に、緊迫感が周囲に集まる。
そして、沈黙を打ち破ってルヴィアーナが駆け抜けるようにトーガたちの前に現れた。
だが、彼女から発された言葉は緊迫感とは裏腹なものであった。




