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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(上)

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 シンシア=オーケンシエルの作品は悲劇ばかりだと言われている。

 おそらく後の歴史の中でも、彼女はバッドエンドを描く作家としてのイメージを残し続けるだろう。


 だが、それは何ら本質を現していない。


 時に切なく、時に絶望すら抱かせるほどの悲恋を描く彼女だが、物語から希望が消えたことなど一度も無かった。

 いつだって登場人物たちは幸福を掴み取る可能性を持ち続け、強く望み、だからこそ観客はその恋の行方に幸あれと願い、届かぬと分かって尚も彼ら彼女らへと呼び掛けたくなるほどの情動を得る。


 シンシア=オーケンシエルは悲劇を描こうとしているのか?


 一つの物語を描くことは、無数の生を追い掛けることに似ている。

 作家としての作為はあるだろう。

 けれど一度配置された人々は自らの意思を持って動き始め、語り、叫び、我在りと宣言する。

 一流と称される劇作家を俺程度が評することの愚かしさはあるだろうが、俺が感じた希望は、彼女が登場人物らの人生を掘り起こし、追いかけながら何かないかと必死に希望を見出そうとした結果のようにも思えた。

 いつだって希望を求め、けれど現実の前に、あるいは彼女自身が歩を止めた為に、悲劇となってしまった物語たち。

 そう語るのは酷く傲慢で好きじゃない。けれど、そうでなければあんなにも力強く生きる人々を描けないのではないだろうかと、本を閉じる度に思っていた。


 これはきっと俺の願望だ。

 そうであって欲しいと願っている、一人のファンの思い込み。


 そしてまた思う。


 彼女の物語から希望が消えたことなどないように、彼女の描く恋から苦しみが消えたことなどないのだと。


    ※   ※   ※


 劇場の前は凄まじくごった返していた。

 週に一度、いや、年に数度あるかないかという人気劇団による人気作の公演とあって、人々の期待と落ち着きの無さは頂点に達していたと言っていい。

 開場からもう三十分近く経過したんじゃないだろうか。だというのに人の捌ける気配がない。入場券のもぎりをするスタッフたちは凄まじい勢いで偽造品かどうかを選別し、次々と招き入れているが、いかんせん人の数が多すぎる。

 おそらく席などとうに埋まり、立ち見の客も居るのだろう。

 オフィーリアと先輩は貴族特権ですんなり招き入れられていたが、当日券をなんとか入手しただけの俺にそんなことは出来ない。

 隣に緊張した様子で立つメルトへの視線は好奇と、やはり警戒とがある。

 多少値は張ったが端の席も取れたし、席にさえ辿り着ければ落ち着くんだろうが、やはり整列の文化というのは大切だと群集に問い掛けたい。席を取っていると言っても平然と立ち見の券で腰掛けている輩も居ると言うし、こんなのをよくスタッフは捌いているものだと感心する。


 しかしまあ、ここまでシンシア作品について熱く語っていた俺の話を、いつも通りやんわりと笑って聞いていたメルトだったが、どうにもただ何もせず待っているというのが落ち着かなくなってきたらしい。

 入場待ちの客へ軽食を勧めてくる売り子を指差し、買ってきましょうか、などとそれは使用人の行動だ。

 いや、ここは俺が行くべきだろうが、整列文化の無い今、連れが居たから割って入れると思うなど甘いだろう。

 さて声を掛けたものかと思案していると、人の海を割って蝶ネクタイの中年男が現れた。

 彼は血相を変えて、しかし俺へ顔を寄せた上での小声で、


「ハ、ハイリア様……! このような所でなにをなさっていらっしゃるのですか……!?」


 劇場の支配人だ。

 アリエスと共に訪れた際、必ずと言っていいほど顔を出し、挨拶をしてくれたのを覚えている。

 とはいえ今の俺は平民で、一般客として来ているのだから、とごく当たり前に、


「入場を待っているんだが」


 支配人は絶句し、いっそ青褪めた様子で、けれど周囲へ目をやって平伏することだけは堪えつつ手で示した。


「ハイリア様にお越し頂きながらこれまで気付けなかったことは私共の落ち度ではございますが、ここはどうか、私めにお席までご案内させて頂けないでしょうか」


 安易な返答はとりあえず納めることにした。

 いい加減気付かれ始めているのは察していたが、まず彼らの行動を無為には出来ないだろう。

 俺は一度メルトへ目を向け、


「今回は厚意に甘えさせて貰います」


 その奥で彼女へよからぬ視線を向けていた者たちを睨み、大人しくついていくことにした。


 入場待ちの客を大きく迂回し、劇場の側面、おそらくはスタッフ向けの出入り口から中へ通される。そのまま一時人目を避けるようにして空きの控え室へ案内された。道中誰かに席を用意するように言っていたから、本当に見つけて即やってきていたらしい。

 扉を閉め、ようやくといった様子で支配人が大きく息をつく。

 俺は俺で慣れない靴で大変だっただろうメルトへ椅子を勧めるも座ってくれないのでどうしたものかと考えていたのだが、


「ハイリア様」


 改めて、支配人が言う。


「どうか、今後当劇場をご利用の際は、今まで通り私共に申し付け下さい。事情があることは理解しているつもりですが、私は単にウィンダーベル家のご嫡男に平伏していたのではないつもりです。アリエス様と共にいらして頂けることは一同誇りでもありましたが、家名など……とは言えませんな、ですが、家名無くとも我々は貴方を歓迎したいと考えております。今は臨時で騎士候となっていらっしゃるようですが、ハイリア様を特別席へご案内して異論のある者などおりません。どうか」


 しかし現実問題そんな金はない。

 いや近衛兵団で雑用をやらされていた分の俸給や家名剥奪後も取り上げられはしなかった個人資産などそれなりに蓄えはあるんだが、今後を考えると一般客の数十倍もする券なんて買っていられない。などと彼に説明するのも良くないだろう。


「感謝する。また来る時には先に使いをやることにするよ」

「ありがとうございます」

 ありがとう、はこちらの台詞なんだろうが、そう言われてしまっては受け取るしかない。


 今一度支配人を見る。

 先の発言の通り、彼は単純な階級云々で対応しているのではないのだろう。

 俺個人を買ってくれているというのも事実だろう。

 あえて口に出してきたのは、利益もあるだろうが、やはり彼個人の考えあってのこと。

 ありがたい相手だ、と思う。


 だから問うてみることにした。


「何か、俺についての噂を耳にしたか」


「…………はい」


 確かにメルトは目立っていたからな。

 俺も、王都ならともかくデュッセンドルフでは相当に顔が売れている。

 客に学園の生徒でも居ればすぐに名前がバレることだろう。


 不用意だったとは思っていない。

 こんな程度は最初から予測していたし、長短は心得ている。


 ただ、身内からではなく、外から改めて言われてしまうと事の難しさを再認識せざるを得なかった。


「フーリア人贔屓」


「…………はい」


 まあこの程度は学園へメルトを連れて行った時から言われていた。

 そして今や陛下とも浅からぬ縁を持ち、国策にまで口を出す男が、奴隷解放を推進する急先鋒とも言われる俺が、フーリア人の女を連れ歩いていれば当然の言葉だろう。下卑た想像くらいならまだいい。だが女目的で国策まで歪めたなどと言われると、今後の動きにも影響が出ないだろうかと、食堂でジンにも指摘はされたし俺も理解はしていた。


 実際その通りだと言えばその通りだ。ただ、それでも民が納得しやすいカバーも必要となる。


 今一度思う。

 メルトは俺に仲間でいいのかと問うた。

 俺は即座に答えを出せず、一歩引いてしまう彼女に不満を覚えた。


 では、何なのだ?


 誤魔化すつもりは無い。

 一度このデュッセンドルフで神父の狂人に命を落とした彼女をどうするかと、俺はフロエに問われている。

 考える時間だけはたっぷりあった。

 俺は間違い無く彼女に好意を感じているし、きっと平和な現代の学生として出会っていたなら安易にそういう関係を望んだかもしれない。

 それくらい、メルトに助けられてきて、信頼や敬意があり、一度考えてしまえば身近に接する際に女性を感じずにはいられない魅力もある。

 けれど俺は、かつてはウィンダーベル家の嫡男、貴族であり彼女はその家が所有する人権もない奴隷階級の人間だった。俺個人がどう思おうと、立場が安易な振る舞いを許さない。今や平民に落ち、表面上は自由を得たと言っても、いずれはホルノスの重鎮として責を負うことを望まれてもいるし、やるべきことはまだまだ沢山ある。

 貴族社会において結婚は政治のカードだ。周りに己を律しろなどと言っておきながら、自分は好き勝手に、なんて許されていい筈がないだろう。

 それと、やはり結論を出すには引っかかっていることがある。

 

 未だ、クレアには返事が出来ていない。


 あんなにも素直に好きだと言ってくれる人が居て、その表情や言葉に純粋な嬉しさや好意を覚えていながら、他の女性に気持ちが揺らいでいるなどという自分には腹立たしささえある。あまりにも不誠実だ。


 すべてはフロエを救って…………そう誤魔化してきたのだろう。

 彼女の事も、未だどうすればいいのか分かっていない。

 日常を取り戻し、ジークや他の仲間たちと共に在れば、それが何年先になるかは分からないけれど、彼女が救われる日が来ると信じていた。


 だが…………。


 いや、今はいい。


 こんなことを考える度、つくづく自分にはジンやヨハンの言うような関係は築けないのだと思う。

 たった一人でさえ満足に手を取れない。

 複数の女性を、なんてちょっと理解できそうになかった。


 今はホルノスにとって大切な時期。

 順当に行けば政策はすんなり通るし、ここでの勇み足は決戦の準備も整わず飛び出してしまうのに似ている。


 小隊の皆が、少なくともジンやヨハンや先輩やオフィーリアがそれらを分かった上で背中を押してくれたという事実を踏まえた上で、


「……そうだな。今回は特別席へ案内してもらおう。支配人、いろいろとありがとう」


 下げられる頭を、本当に感謝して見る。

 こうして心配をしてくれる人も居る。今はその事実を大切にしよう。


 だが、どうしても頭を過ぎってしまう。


 あの日、ヴィレイ=クレアラインによって指を切り落とされそうになったメルトを、俺はまだ救えないままだ。


「中々堪えたな、アレは」


 ジークの拳は重かった。

 ホント、侯爵家だぞ俺。

 その顔面に全力パンチとか正気かアイツ。

 ラ・ヴォールの焔を死に物狂いで探して、ようやく見つけた手掛かりの場所だっていうのに。

 なけなしの自信も、ツギハギの正義も、打ち砕かれて、それでも立ち上がってやっと名乗りをあげたのに、あっさり捨ててビジットを……俺を救いやがって。


 今回の脚本がシンシアの処女作で良かった。


 これでいつもの悲劇だったら、大きくへこんでしまったかもしれないしな。


    ※   ※   ※


 結局、買い物も夕食も無しに帰宅した。

 劇場からは馬車で近くまで送ってもらったが、途中からは目立ち過ぎると歩きに戻った。

 少し掛かったが、後はこの坂道を登っていけば家がある。


 メルトはどうにもヒールが苦手らしく、劇場で靴を借りて履き替えてしまった。

 オフィーリアからの借り物であるヒールは今、彼女が大切そうに両手で抱えている。


 歩の遅い俺より少し先を行くメルトは、薄く赤み掛かってきた空の中に溶けて消えてしまいそうに思えた。


 その背中へ向けて、すまないなどとは言えなかった。

 俺は二度も機会を得ながら、否定の結論を彼女に見せている。


 メルトはどう思っているのだろうか。

 敬意も、忠義も、思い上がりではなく好意らしきものも感じたことはある。

 しかしどこかで一線を引いているから今朝のようになる。決して踏み込んではいけないと考えている。では、踏み込みたいという意思はあるんだろうか。そう思ってしまう時は、思い悩む時はあるのだろうか。


 ある、のだろう。


 そう思う権利くらいは俺にもある。


 目の前でメルトが足を止める。

 呼吸の乱れで何事かを察する。


「家まで持ちそうか」

「いえ……申し訳ありません」

 周囲へ視線を巡らせ、少し降りた所の軒先に休める場所があるのに気付く。

「手を。少し戻れば座る場所もある。坂道では危険だ」

「…………はい」

 既に冷たくなっていた手を握り、引き寄せ、身を支えながら二人戻った。

 住人が休む為の場所なのだろうが、緊急事態なので使わせて貰う。


「徐々に、長くなっているのか」

「多少……揺らぎはあるようですが……」

「そうか」


 腰を落ち着け、躊躇っているメルトの頭へ手をやって軽く身を抱く。

 普段のメイド服とは違う、あまりにも大胆な服装だったから、つい意識してしまったが、触れた肌の冷たさと彼女の震えに心が冷めていった。


 もうじき陽が暮れる。


 最初は、深夜になってからだったという。

 眠っている間に全て終わって、気付いてもいなかった。

 けれど時間が伸びてきて、急激に死を迎えていく自分を何度も感じることでようやく理解した。


 一度は確かに死に、けれどフロエによって、彼女自身も気付かない内に掛けられていた力の制約によって不完全な復活を遂げた為に起きた現象。おそらく、という推測ではあったが。


 メルトは夜に死に、朝になると生を取り戻す。

 毎日、毎日、繰り返す。

 死の恐怖に震えながら、朝になればまた生き返るなどという異常を抱えたまま、あの内乱で俺を支え続けていてくれた。


 最初は、涙を流していた。

 見ないで欲しい、とそう言われた。


 けれど放ってなんていられなくて、彼女の身を抱き締めたら、メルトはふっと安心したように震えを止めたから、後になって、彼女も怖くなくなったと言ってくれたから、出来うる限り彼女の死に立ち会って看取っている。


「聞こえるか、メルト」


「…………はい」


 声はもうか細い。

 けれど、こちらの声は随分と長く聞こえていたというから、呼びかけるようにしている。


「まだ日没もしていないというのに、怠け者め。明日はアリエスとの用事があるんだろう? 無理をせず、体調が悪ければ申し出るんだ。と言っても、お前は言わないんだろうがな――」


 手の握る力が抜けた。

 死とはいっても、死後硬直のようなことは起きないらしい。

 眠るように、けれど心音も止まり、夢も見ない。


「今日は……すまなかった。もっとなんでもない話をいろいろとしたかったんだが、俺はどうにも気安い話が苦手らしい。まあ、その点はお前もそうだから、おあいこだということにしておこう。あとは、そうだな、ちゃんと言えなかったが、やっぱりその服は似合っていたよ。綺麗だ。ただ、少し目のやり場に困ってしまうから、もう少し落ち着いた服の方がありがたいな。まあその辺はオフィーリアに文句でも言っておこう。どうせ無理に過激な方を着せたんだろうしな。なあ、メルト――」


 冷たい頬に触れる。

 昼間そうしたように、親指を彼女の目元を拭うように滑らせる。


 ふに。


 でも、もう声は聞けない。

 閉じたままの目は何も映さない。

 俺の声も、いつまで聞こえているのか分からない。


「メルト」


 夕陽が腕の中の彼女を照らす。


 指先に髪の感触がある。

 澄んだ、そして甘い香りがする。


「――――ハ、イ」


 唇が僅かに動く。


 薄桃色が引かれた唇を見た途端、また強く衝動を覚える。


「リア……さ…………――」


 そうして、逝った。


 俺はいつものようにそっと抱き寄せ、崩れ落ちて乱れた服を整えてやる。

 また彼女を抱き締め、冷たい身体を感じ、徐々に自分から熱が消えていくのを感じた。


 彼女の身が震えている。


 がくがくと、指先を震わせ、膝を震わせ、身体の芯からの寒気に身を震わせていた。


「メルト……」


 違う。

 震えているのは彼女じゃない。

 死んでいる彼女に身を震わせるなんで出来ないのだから。


 だから今震えているのは――


「また……明日、な」


 いつものように、作り笑いをする。



 さあ……これからだ。





一先ず週二回、曜日については弄るかもしれませんが日木で更新していく予定です。

追いつかれたらまた少し止まるかも・・・?

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