109
ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト
失敗した。
信用するべきじゃなかった、こんな男。
「やだなぁ陛下、そんな目で見ないで下さいよ」
赤い髪の男はへらへらと笑って、私に被せていた布袋を放る。
近衛兵団副団長は、あの戦いのどさくさに紛れて私を拉致し、王城へ連れて来た。
「裏切り者」
「あと二十年くらいしてから言われたいね、その言葉」
「今更こんなことして何になるのっ」
「いやあガキってのは可愛いよねえ。あんなに警戒してた癖に、すぐ目の前のことに夢中になるもんだから、おかげで仕事がやりやすかったよ」
「質問に答えてっ」
「使い走りの俺に聞いても意味はないよ。連れて来いって言われただけだ。こんな国どうなろうと俺の知ったことじゃない」
宰相の密偵……そう考えるには何かが違う。
こんな国? 外から? ウィンダーベル家も多くこの手の輩を撒いているとは聞くけど、ううん、ここで更に宰相へ肩入れすることに意味なんて無い。むしろ守備隊の動きを乱し、ハイリア達の援護に回ったほうが確実に利益を望める。事実決闘の後は遠巻きに戦闘を眺める所がほとんどだ。
外。だから、ウィンダーベル家とは関係ない、もっと別の、密偵?
ううん、意図的に嘘の情報を交えているのかもしれない。
その意味があるのかどうかは置いておいて、まだ判断材料が足りない。
だからまず、現状の把握に努めた。
王城の中。
それが分かるのは、私でも比較的訪れたことのある区画だったからだ。
警備をしている兵はいない。
途中、袋詰めで運んでこられた時は人ごみを抜けた印象も確かにあった。
どうなってるの……? 宰相は、どこに。
その時王城そのものを揺らすような衝撃が吹き抜けた。
「っ!?」
息を呑んで、なぜか、大きな何かが消えて行ったような気がした。
どこだろう。奥。ずっとずっと奥の……。
赤髪の男がこちらを観察していた。
何を、見られていた?
「あぁいや、陛下って魔術は使えるんですか?」
「…………使える」
最近、覚えたばっかりだけど。
「『盾』ですか」
「……そう」
「今の感覚は、『盾』にとって重要なものですよ。俯瞰する視点。目視じゃなくて、感覚的に位置を探る力は優れた『盾』の術者なら持っているものです。今や障壁としての力より、その拡張された感覚こそが重要とされているくらいですからね」
「あなたの国では……?」
「ふふっ」
答えず、笑みで抜いた息と共に表情が緩んだ。
「やだなぁ、そんな探らないで下さいって。変にバレちゃったりしたら、俺が怒られるんスよ?」
それよりも、と手で示される。
分かってる。
ここがどこか。
そして感じても居る。
あの大揺れの後からどんどんと濃密になっていく魔術光がある。
外から聞こえていた戦いの喧騒が少しずつ遠くなった。
「誰が、待ってるの」
「決まってるじゃないっすか」
ここは玉座の間へと続く場所。
「そこに座るべき人物を巡って、この戦いは起きたんです」
大きな扉が開かれる。
重く、見上げるほどの扉の向こうからは、人の気配は一つしかしなかった。
誰も居ない、誰も仰ぐ人の居ない玉座の間で、今もこの王城を包む大魔術の使い手が腰掛けている。
『王冠』の担い手が、待っていた。
「………………兄さん」
灰色の霧の向こうで顔をあげた兄さんは、そのまま私を通り越し、どこか遠くを見詰めた。
「兄さんっ!!」
表情は見えない。
どうして、こんなに不安になるの……?
ぽつりと。
「状況は……限り無く絞られた。あぁ、俺たちで終わらせよう」
※ ※ ※
ハイリア
立ち塞がる『槍』の術者の攻撃を掻い潜り、薄くなっている青の魔術光の隙間をハルバードで切り払う。
鮮血が頬を、肩を濡らし、しかしそれを拭うよりも先ずは宣言する。
王城の二階へ続く大階段半ばより、素早く左右を駆け抜けて俺の後背を守る二人の『剣』を感じながら、
「王都守備隊三番隊隊長ギルフォード=アレッティアは討ち取った!! 臆せず進め! お前たちの先鋒には俺が居る……! 勝利を我らの手に!!!」
歓声を後押しに階段を駆け上がった。
陣立てが間に合っていない。右か、左か、正面か。どこを攻めれば崩せる……?
ハルバードを腰で抱えなおし、敵集団を睨みつける。
傍らに外套を纏ったヘレッド=トゥラジアが滑り込むようにして降り立ち、囁く。
「七秒後、左の後背で騒ぎを起こします」
右を睨んだ。
手で示す。
指示を受け取ったジンがすぐさま意図を理解し、右集団と平行ににらみ合うよう人を配置していく。
駆け上がってくる仲間を見る。
そう。
爆音に目を奪われたのは敵だけで、続く戦いの音で更に混乱は増す。
最早右舷への警戒すら必要無く、後続が敵左舷へ突入していく。
最も集中砲火を浴びるだろう列の左端には厚みを持たせ、順次交代が出来るようにしていた。
一度突破してしまえば整い切っていない隊列なんて脆いものだ。
食い込んだ敵隊列を横合いから食い荒らす。
二方向からの脅威に晒されているのは同じ筈なのに、攻められている側は心理的にも立ち直るのが難しい。
だが、
「中々に持ち応える」
当初ほど、安易には崩れてくれなくなって来ている。
声を聞いたジンが視線を前線へ向けたまま応えた。
「貴族の世界は序列がはっきりしてる分、右に習えが得意なんだよ」
「整列、行進はお手の物か」
「馬鹿に出来ないよな。しっかり揃えて来るから力尽くで抉じ開けなくちゃならない」
実戦経験に乏しい、権力闘争にばかり明け暮れていると言われる王都守備隊には、それ故に儀仗兵としての側面もある。
一糸乱れぬ行進が出来るというのは、行軍によって出来る隙が極めて小さくなることであり、衝突の瞬間まで最大限の力を維持できるということだ。
隊列が乱れても再配置が素早く、並び立つ仲間が己を守ってくれる。
単純だが、極めて重要で、勢い任せな所がある俺たちには無い力だ。
「これを豪腕任せに蹴散らしてたんだから、近衛兵団ってのは怖ろしいよホント」
「一兵一兵が英傑と呼ばれるに足る者で構成される軍団、そう聞いたことがある」
おっかねえ、と肩を竦めるジンが新たに指示を飛ばす。
「二階へ上がれば城下を見下ろすことも出来る大庭園がある。敵もそこに戦力を集中させてくるだろう。そこを越えれば――」
「玉座の間まではあと僅か、か。近衛の団長が宰相を討ちに潜入したんだろう? そっちはどうなってる」
「勝敗が決すれば勝ち名乗りがある筈だが……」
何をしている。
思い、遠くを仰ごうとした時、王城を揺るがす衝撃が走った。
「っ!!」
一瞬、戦場が止まるほどのソレは、何故かただの揺れ一つには思えず、誰もが息を呑んで周囲を探った。
空白の時間は僅かだった。
目の前に敵が居る。
思い、動き出そうとした時、周囲へ灰色の魔術光が広がっていった。
ビジット……!?
何故、という疑問はいい。
しかしコレでは、状況を立て直しつつある王都守備隊の動きすら鈍らせかねない。
だから今まで使用を控えていた筈だ。彼らを切り捨てたのか? 玉座の前へ迫りつつあるとはいえ、未だ後背を締め付けてくる守備隊の抵抗は大きい。近衛兵団の活躍が無ければこれほど早く進軍など出来なかった。ここまで時間を使わせたのは、この先の大庭園で最後の反攻作戦を繰り出す為じゃなかったのか?
何をするつもりだ、ビジット。
※ ※ ※
ビジット=ハイリヤーク
人に石を投げて称えられる自分たちを、どうして省みる事が出来ないんだろうかと思った。
業突く張りだった親父殿に連れられて荷揚げ場へ行くことは何度かあった。
自分たちが占有する区画を見せ、船を見せ、見世物で喜ぶ群集を示して、それが息子に誇るべきものでいいのかよと。
俺があんまり楽しそうにしなかったからか、その内連れて行かれることはなくなったが、到着した船から荷揚げされたフーリア人の女がふと向けた目は中々忘れられなかった。
どうして、あんなにも綺麗な人を侮蔑していられるんだろうか。
掛かる理不尽にも屈さず、ボロを纏って尚も凛としていたあの女。
俺には仕立ての良い服を着て、彼らを笑いモノにする連中の方がずっと下等で下劣な生き物に思えた。
いや、俺たちが劣っている訳じゃない。
そういう括りで考えること自体間違いだ。
フーリア人のすべてが彼女のようではない。
俺たちのすべてが彼らのようではない。
一括りにして、目に付いた悪評を論って、自分ではない誰かの功績を我が事のように誇り、すべてがそうであるかのように語ることの馬鹿ばかしさ。
この考えを誰かに話した所で意味が無いことは早々に理解した。
そんなものかと諦めて、目の届かない所に留め置いた。
だっていうのに、クソ真面目な馬鹿が毎日のように連れ歩くようになって、心底参ったよ。
最初は共通の話題が出来たと勢い付いた連中も、次第にその振る舞いから疑心を持つようになっていった。
それじゃあ拙い。折角払拭したクレアの悪評も、お前の活躍で目が眩んだ連中の目を覚まさせることになる。
危惧したようにはならなかった。
どころか、どんどんと前へ進んでいく姿に途方に暮れた。
最初は少し、安心した。
学園で再会した頃のお前は自分の停滞を理解しながらも、打開するより周囲へあわせることを選んでいたから。
クレアとの一件だって、結局は小さな学園一つに留まる事で、勇名を使って何かをするようには思えなかった。
フーリア人を連れ歩くようになってから、お前は常に何かを見据えて動くようになった。
そいつを具体的に知ったのは、合宿で、教団の処刑騒ぎがあった時だ。
ゲルと呼んでいた天幕の中、机の上に放り出された紙の束を見た。
殴り書きで、表と裏がくっついていたり、半分も読めやしなかったけどな。
情報をつなぎ合わせ、隙間を予測して、誤差を修正して、中身を詰め替えて、そんなことを繰り返して、お前の望む先を知った。
お前が本気でそれを願って、進む覚悟を決めたんだと思い知った。
同時に猛烈な恥を覚えた。
俺にお前くらいの覚悟があれば、もっと何かが変わっていたんじゃないのか。
あの時、荷揚げ場から目を背けて離れるんじゃなく、石を投げた奴を殴り、親父殿に抗議して、こんなのは間違ってるって言えていれば。
俺にはそいつが出来なかった。
そうすることで向けられる周囲の視線を考えた。
考えて、利口に、姑息に、安全を確保した。
悔しくもあったさ。
お前は同じなんだと安心していたのに、置いてけぼりにされて、悔しくて堪らなかった。
『王冠』なんてご大層なものを後生大事に抱えて、無条件で与えられる羨望と好意に甘えて日々を過ごしてきた自分を恥じた。
俺はクレインハルトじゃない。
母方の姓、ハイリヤークであることを選んだ。
それでもどこかに残っていた、親父殿から散々叩き込まれた、王になるっていう気位が沸き起こった。
示そう。
俺の王道を。
いずれやってくる友に、そこに続く誰も彼もに、世界中の誰もが心を震わさずにはいられない事実を突きつける。
※ ※ ※
ハイリア
辿り着いた大庭園で待ち構えていたのは、背後から武器を突きつけられて立つフーリア人の一団だった。
「………………」
呆気に取られる。
皆、何が起きているのかと戦いすら忘れて様子を伺った。
彼らは皆一様に痩せこけていて、身体を十分に覆うほどの服ですらないボロをつなぎ合わせ、陽の光を天の災いのように腕を翳して耐えていた。
ぷっくらと膨らんだ腹は栄養失調によるものだ。肉よりも骨ばかりが目立ち、歳若いだろう男でさえ髪が抜け落ちて、落ち窪んだ目は別の生き物のように視線を彷徨わせていた。
昨日今日でなるものじゃない。
何年も昔から積み上げてきた、この国の影でずっと続いてきた事実。
王都守備隊ですら、自分たちの前に押し出された集団を見て困惑していた。
しかし『王冠』によって張り巡らされた柵としか呼べないような仕切る壁により、手出しも出来ず黙って見ている。
風に粉雪が舞い上がる中、大庭園中央を貫く壁が新たに築かれる。
その上を歩いてくる一団があった。
彼ら同様、縄で拘束されたフーリア人らの女たち。
一見すれば下の者たちよりしっかりとした服を着せられているように見えて、その実、肌を隠せもしない薄い衣であることはなんとなく察せられた。
寒さに身を抱いているだけでは、きっとないのだろう。肉付きはずっと良かったが、それだけだ。歩く姿からは諦観か、絶望か、嘆きしかない。
彼女らを後ろから追いやっているのは、イルベール教団。
思考が追いつかない。
だめだ、と。それだけが浮かんだまま、踏み込んだ先に矢が射掛けられた。
女たちに目を奪われている間に、高さを抑えた壁が幾つも大庭園外縁から伸びてきていて、その上から複数の『弓』がこちらを狙ってきていた。
角笛が吹き鳴らされる。
彼らは動かない。
矢が射掛けられる。
フーリア人たちは、嫌だ嫌だと首を振る。
そうして、女の一人が壁の先端部へ晒された。
「っ……進軍せよ! 彼らを――」
落ちる。
女の悲鳴が、落ちていった。
※ ※ ※
ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト
抑えた手から、吐瀉物がこぼれ落ちて、足元から臭気が広がっていった。
なんで。
なんで。
兄さん、なんで……!
信じたくなかった。
今目の前で起きた出来事が、紛れも無く兄さんの指示で行われたということを。
新たに女が前へ押しやられ、悲鳴をあげる。
動き出した剣奴ががむしゃらに突っ込んでいく。
誰かを助けたくて、叶う筈もないのに、ただ死へ走って行ってしまう。
振り返って、咄嗟に玉座の間へ向かおうとした。
けど今私の周囲に居るのは、兄さんから指示を受けた王都守備隊の人たちで、急に動き出した私へ向けられた視線にお腹の奥が震えて、手足が痺れて動けなくなる。
今居るのは大庭園を望む展望席だ。
儀礼だとか、式典だとかをあの大庭園で行う時、貴賓席として扱われることもある場所。
キリキリと痛むお腹を抑え、また湧き上がって来る吐き気を堪えられもせずぶちまけた。
守備隊の人たちは一様に凍り付いていて、私の様子に気付いた人もどうすればいいのか分からないといった様子で視線を彷徨わせていた。
ハイリアは、
縋りついた展望席の柵から目を凝らして、戦況を探った。
来ている。すぐそこまで、来ている。けど死に物狂いで突っ込んでくるフーリア人たちを薙ぎ払うのではなく、動きを拘束して助けようとしていた。突き出された城壁の上から狙う『弓』の攻撃に晒されながら、時折掻き乱しに突っ込んでくる死兵そのものな教団員に進攻を阻まれていた。
また、悲鳴が落ちる。
未だ躊躇していた人たちがこぞって駆け出し、その影に隠れた『剣』や『弓』に誰かが討ち取られた。
止められない。
間に合わない。
そうしている間に、誰かが死ぬ。
失われてしまう。
「っ…………っ!!」
この期に及んで思考ばかりがくるくると回る。
下卑た自分自身を思い知る。
意味を知る。
目的を察する。
でも、そんなことをやってほしくなんて無かった……!
逃げるって言った!
適当に暴れて、混乱が強まったら一緒に逃げるかって!
ハイリアを説得する方法があるんだって!
…………嘘だって、分かってた。
けど、信じたかった。
こんなことになるなんて思ってなかった。
きっと何かが上手く回って、また兄さんと、出会った他の人たちと話せるんだって信じていたかった。
ここまでしなくちゃいけないの!?
ここまでしなくちゃわからないの!?
考えれば分かることじゃない!!
誰かが言ったから、誰かがこうしていたから、面倒だから、憎いから、それじゃあ駄目だって絶対に分かりきってるくせに!!
そんな人たちの為にどうしてこんなことにならなくちゃいけないの!?
だから、声が出ない。
嫌で嫌で堪らなかった。
私を連れ去らせたのは宰相だ。
ハイリアを次の王にするべく、反乱側の旗印を減らしておく必要があった。
宰相が倒れた時、私が居れば彼を押しのける理由が生まれてしまう。
だけど捕らわれて、力なく、弱々しく、使えない王様だったなら、私に集まる力はずっと小さくなる。
そして兄さんはその意図を察して、同時にコレから続く先を願って、私をここへ留め置いた。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
だけど、
「っっ!!」
声を聞いた。
見上げる。
大庭園を夢中で見詰め、憤り、けれど動けずに居る人が居る。
見たくない。
聞きたくない。
私はずっとあの塔の中で、暗闇の中でじっとしていられたら、それが一番で……、
ハイリア。
違う。
ここには私しか居ない。
理想なんで馬鹿馬鹿しいって、紙に書かれたことを論って分かったようなことを言っていた過去の私じゃない。
いっぱい、いっぱい見てきた。
皆に比べたらほんのちょっとで、まだまだ何にも知らないのかもしれないけど、皆本気で私と接してくれた。
エリック。
メルト。
マグナス。
クレア。
他にも、もっといっぱいの人たちと出会った。
皆と出会ってきた私がここに居る。
彼らを識った。
自分たちの正しさを求めて、正しく在る事を求めて、こうしたい、ああありたいと願い、身を削り、命を削って突き進んでいった。
己を塗り替えることすら厭わず、幾度も間違えて、幾度も届かず、手を伸ばして駆け上がっていく。
夢を語って、間違えてきた人を識っている。
絵空事で大勢を巻き込み、ただ進み続けることだけに可能性を求める行為の愚かしさを嗤った。
でも、一つだけ確かなことを理解した。
全てのことは、望むことでしか始まらない。
夢を望む事が間違いなんじゃない。
方法を間違えているだけなんだ。
過去から、そこから学んだ人々が考える。
どうすれば良かったか。
理解して尚も間違えることはあるんだと思う。
でも失敗したと思える過去がなければ学ぼうとすら思えない。
お父さんの、宰相の夢は、間違いなんかじゃなかった。
そして全てのことは、可能性を模索して、机上に理論を描き、実行することで問題点を抽出し――そういうことを何度も繰り返して証明されていく。
方法を間違えることもある。大勢を背負う国政が間違いましたでは済まないのは分かる。けれど駆け出してみなければ分からないことは山のようにあった。
今当然とある知識も、そうやって生み出されてきたものなんだから。
失敗を嗤うだけで終わるな。
失敗を継承して、次どうすればいいかを考え、見据えた霧中を進んでいくしかない。
識りたい。
沢山の人の紡ぐ物語を、私は読んでいきたい。
エリックは弱虫な自分を知りながら命懸けで立ち向かっていった。
メルトは決して消えない憎しみを秘めながら、新しい時代を望んで共に歩むことを選んでいた。
マグナスは自分の間違いを消してしまうことを望みながら、多分、同時にそうではないと誰かに言ってほしかったのかもしれない。
クレアは道半ばで倒れ、何も出来なくなることを怖れ、涙を流していた。
ハイリアは――その全てを背負うことを望んだ。
駄目だと思った。
こんなにも優しい人が、いつか見た父のようになってしまうのだと思って、その望みは間違いでしかないと。
だけどあの丘で、神父と戦う彼の姿には、幾つもの影が重なっていたように思えた。
彼と共に進む人が居る。
彼に追いつきたいと望む人が居る。
あの背中を眺めるのが好きで、ついつい前へ出てしまう人が居る。
全てを背負った彼は、そんな、皆の想いと、皆が積み重ねてきたものを受け取って、あそこに立っていた。
なにもかもの想いを取りこぼさず、皆の思い描いた夢は間違っていないんだぞと訴える彼だからこそ、たった一度の奇跡を呼び寄せた。
後はもう繰り返すだけ。
再びそこへ到り、そこを越えて、また進む。
その物語が幸せなものであって欲しいって願った。
彼が心から笑って過ごせる未来は、これから作っていける。
今、ここから。
求めた。
もし、
「っ……」
もし、私に、少しでもそんな物語を作る手助けが出来るのなら、
「っ……! っ、ぁ……!」
悲鳴をあげている。
失われようとしている。
王だとか、フーリア人だとか、関係なかった。
私だけじゃ届かないことを知っている。
なら、どうするべきかを、彼から学んだ。
湧き上がる感情は、もう、それしか言葉を紡げなくて、
「たす……っ、た……! っ!!」
瞬時に察した。
この期に及んで躊躇する。
怖くて怖くて堪らなかった。
臆病な私は、今この場に居る人が、自分の味方ですらないことに気付いて、はっきりと声に出すことも出来ずに、
「……たす………………け、っ――――」
こぼれ落ちる。
※ ※ ※
ここに在る青年
こぼれ落ちる声を聞いた。
何も出来ず、落ちていく悲鳴を前に震えていた自分に、求める声を聞いた。
嗚呼、彼女は我らが戴く王だ。
幼く、力無く、何も出来ぬか弱い者だと思い込んでいた。
だがどうだ。
男たちが揃って何一つ言えぬ中、彼女だけが口にした。
アレはフーリア人だ。
だがどうした。
悲鳴をあげて落ちていく女を見た時、この胸に去来した想いは、
そんな女を見て、死地へと駆けていく者たちを見て、手を伸ばそうと焼かれた心を、
いつしか暗闘ばかりに明け暮れていた。
この国のどうしようもなさを知りながら、小さな身内の枠を守ることばかり考えるようになっていた。
そこでの正しさばかり追いかけて、違う者たちを悪だと断じていた。
あの少年を見ろ。
大庭園で、誰よりも前に立って、彼らを必死に生かそうと戦う姿を見ろ。
初めて剣を握った日に、そうなる自分を夢見たのではなかったか。
誰かを守ろうと誓い、腕を磨いてきたのではなかったか。
あれは誰だ。
名も知らぬ女が、名も知らぬ男が、理不尽に突き動かされて死んでいく。
いつかの自分が言っている。
「おね、がい…………たすけ、ッ――」
もう目は逸らせない。
気付いてしまった。
想ってしまった。
彼らを、彼女らを、俺は、
「ハッ!!」
跪く。
「承知いたしました、国王陛下」
「っ!?」
涙を流させるな。
我らが王に。
「皆聞こえているだろう!?」
立ち上がり、『剣』の紋章を浮かび上がらせる。
手にするのは儀仗兵としての統一感を求め、全員で共通となっている長剣。
王都守備隊、ホルノスの騎士家系は皆この剣を手にする。
眼前に掲げ、宣誓する。
「もう失わせるな……! 彼らを守れ! 我らが王のご命令である!! 王都守備隊ッ、誇り在る一番隊の名に懸けて……!」
もう二度と、そのような涙を流させはしない。
「さァ! 我に続けェ……!!」
※ ※ ※
ビジット=ハイリヤーク
見ろ。
見ろ。
見ろ。
こういう事実があったんだ。
こういうことをしてきたんだ。
利益と快楽と野心と夢と希望と恨みと怒りと羨望と嫉妬と欲望の果てに、こういうことを延々と続けてきたんだ。
知らなかったなどとは言わせない。
思い至らなかったなどとは言わせない。
自分たちの周りでは起こっていなかったから大丈夫だなどと思うな。
たとえどんな理由が在ろうとも、他者を虐げて当然と思う心は卑属で、卑賎で、憎むべき悪だ。
たとえ排除しなければ害となる敵が居たとしても、身を守ることを認めたとしても、理不尽な暴力に晒す行為は悪だ。
振るうならば覚悟をしろ。
俺たちはこういう歴史の上に立っている。
忘れるな。
いつまでこんなことを続けていく。
いつになったら思い知る。
永遠に連なる怨嗟の中で、己を自省することもせず悪意を撒き散らす行為の愚かさを知れ。
そうして報いはやってくる。
その結末をどうか…………忘れないでくれ。
※ ※ ※
ジャック=ブラッディ=ピエール
丘の上で一人、呆けていた。
全て終わった。
少年が越えていった途上に取り残されて、最早ここで朽ちていくだけなのだろうと思っていた。
肩口から流れ落ちる血は冷たく凍り付いていく。
血の氷河を歩いてきた。
『ねえっ、アナタ、海の向こうからやってきたんですって?』
何もかもが凍りつき、決して消えてはくれない。
『剣より楽しいことなんて一杯あるじゃない。ほら、行きましょう?』
育まれるものはなく、伸ばした手が掴むのは冷たく凍える吹雪だけ。
『そう……貴方は見たのね。なら、貴方の迷いを消してあげる』
標はとうに見失っていたのかもしれない。
『愛してるわ、ジャック』
「っっっっ!!」
それでも進み続けてきた。
狂気と呼ばれようと、この身が愛した者の血に染まって行こうとも。
「っ、父上!」
「!?」
声が聞こえた。
未だ歳若い青年が、この血を分けた我が子が、この置き捨てられた丘の上へやってきていた。
ふらふらと覚束無い足取りで、
安堵の笑みを浮かべて、
やっと辿り着いたと手を伸ばし、
「よく…………ご無事で、まだ、生き――」
口から大量の血を吐き、抉れたわき腹からは剥き出しの骨が見えた。
「ぁ、ぁあっ……!」
倒れていく。
手を伸ばし――、
「っっ!」
最早両の腕などない。
愛する我が子が倒れていく。
凍りついた足は動き出すこともなく、
胸元へ倒れこんできた我が子が、血の混ざった声をこぼし、
「よか…………った……」
「待って……! 待って、く――」
その身を支えることすら叶わず、見送った。
猛烈な風が粉雪を巻き上げ、天を覆う。
陽光は遠く、雪の中へ埋もれていく。
「っっっっっっっっっっっっ――――!!!!」
この嘆きは、天に届かず、血に埋もれていった。




