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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(下)

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100


 たった一夜で白銀の世界が出来上がっていた。

 聞いていた通りに感触は粉っぽく、風で容易く雪が舞い上がるのを何度か見た。

 掘っ立て小屋に近い天幕の者は、夜中に倒壊したそこから抜け出し他所へ逃げ込んだとも聞いた。結構な数のかまくらが出来ているのは、当然遊びなどではなく、北方の者たちによる天幕の代理ということなのだろう。凍死者はまだ出ていないらしいが、転んで怪我をした等の話はそこそこあったらしい。


 積雪はかなりにある。

 場所によっては膝下にまで達しているし、見た目の雪の形に騙されて地面があると思えばすっぽりと脚がはまり込んでしまうだろう。

 やはり、昨日の内に指定された決闘の場を見ておいて正解だった。神父がやるとは思わないが、ヴィレイのことを思えばこの雪に罠を隠してくるくらいはやるかもしれないと、何人かの監視をつけていた。結果は問題なし。完璧とは言えないが、地面の歪みなんかはしっかり頭に入っている。


「ハイリア様」


 天幕の中で身体を温めていた俺にくり子の声が掛かる。


「時間です」


 遠く、巨大な太鼓が打ち鳴らされ、演奏が始まる。

 この過剰な演出は、きっと義父だ。もしかしたら、市が立ったことも仕込みがあったのかもしれないな。裏でどれだけ儲けたのかは知らないが、呼び寄せた楽団はこの五日間ひたすら公演をしていたという。


「わかった。ありがとう」


 立て掛けてあったハルバードを手に取る。

 研ぎは昨日、改めてオスロが手掛けてくれた。

 そう意識して刃を見てきた訳じゃないが、素人目にも見事と感じる出来栄えだ。


 改めて、何故力を貸すのかと問えば、彼はまたこちらを見下す目を向けてきて、


『為にこそ戦う。それが例え敵であろうとも、ヌシら如き若造共の頑張りを見て、感化されぬほどワレは枯れておらんつもりだ』


 けれどそれは全部じゃない。

 クレアたちが合流するよりずっと早く、彼はマグナスの求めに応じて動いていた。

 結局それは教えて貰えなかったけれど、彼もまた、何かの為に戦ってきたのだと、あたり前のことを思い出した。

 オスロは一度遠くを見詰めた後、先行する為に一度は離れた仲間の元へと戻っていった。合流後の行動は読みきれないが、メルトによるともうすぐ近くにまで来ているらしい。


 握った柄は冷たい。ただ、丁寧に巻かれた布の感触が張り付くのを抑えてくれる。しっかりと固定もされているから、戦いの最中に滑ることもないだろう。


「どうぞ」

「あぁ」


 受け取った上着を肩に掛け、外へ出る。


 歓声が、冷気が、熱気が、風が、どっと震動と共に押し寄せてきた。


 息を吸う。

 温まった体の中でそれはキリキリと引き絞ってくるようで、けれどすぐに熱へと変わっていった。


 状態はいい。

 思考も冴えている。

 程よい緊張と、ほぐれた身体がある。

 多少の無茶はしたが、入念なストレッチと意識的な睡眠導入によって体調は純然に整えられている。

 むしろ、昨日安易に早く休まなかったおかげで、その時間からの意識も熱も、なにもかもが持続してここにある。


 ハルバードの先端、斧の部分を下にして柄を持つ。

 魔術ではなく、鍛造された武器を用いて決闘へ臨む事は既に流布されている。

 俺が魔術を使えないという噂は先の宣言と共に否定されているし、敢えて理由までは添えていないから各自の推測に委ねられる。概ね、狂信的なイルベール教団の否定を意図している、という話が殆どだ。ジークとの総合実技訓練を始め、どうにも俺は突拍子も無いことをやる人物としての印象を持たれているらしい。おかげで黙っていればある程度の不可解さは勝手に受け入れてくれる。当然、教団ほどではないにせよ、魔術へ強い信奉ある者からすれば否定の言葉も出ているようだが。

 後の評価は、勝敗だけが決められるものだろう。


 残る左手を握り、掲げた。


 再びの歓声。

 まるでこの声が雪雲を吹き飛ばしたのだと言わんばかりに空は晴れていた。

 澄み切った空気はいっそ美しいと感じるほどに冷たい。


 一人一人、見送りに目を合わせて進んでいく。


 言葉はいい。

 もう十分に語り合った。

 相談も、宣言も、やるべきことは全て終えている。

 後は向かうだけ。


 割れた人の道の先、椅子に腰掛けた少女が居る。

 風に揺れるスカートの中ごろから不自然な空白のある彼女は、この寒さにも負けぬほど凛とした雰囲気を放っていて、俺に向かって小さく頷いて見せた。


 進む。


 後はもう一人。

 丘の上で大男が待っている。

 足を取られそうな雪の上を、たった一人で進んでいく。

 なのに孤独であるなどとは感じなかった。むしろ、この背を押し上げていくほどの熱を感じる。


 登り詰めた先、法衣に身を包む男が恭しく礼をした。


 大太鼓が一際強く打ち付けられ、演奏が止まった。

 残ったのは風の音と、この男の声だ。


「始めましょう。定められた勝敗を証明する為に」


 『剣』の紋章が浮かび上がる。

 足元から赤の魔術光が火の粉を散らせて燃え上がった。

 右手に小太刀。纏う法衣はいつもの通り。特別この雪への対策を取っているようには見えなかった。

 抉り取られた筈の左肩は、何かを詰めてバランスを取っているのだろうか。

 立ち姿に想定していたような不調は、ある意味でやはり、見えない、見せてこない。


 肩に掛けていた上着を風に乗せて放った。

 黒のインナーは極力身体の動きを阻害しないよう、伸縮性の出る編み方を用いたものだ。

 寒さはいい。十分に身体が温まっているのなら、上着などで腕や腰元の引っかかりを残すべきじゃない。

 鎖帷子なども、『剣』の加護から守りきれるようにと厚みを持たせれば重すぎて使えない。

 白い吐息が景色に溶けていく。

 肌寒さを前に身体が縮こまっていないのを確認しながら、この感覚さえ意識に残しつつ切り替えていく。


 俺は手のハルバードを滑らせ、石突きの辺りへ手を掛ける。

 腰を落とし、右手一本でゆったりと振り回したそれを左手の支えに置き、大上段からの構えを取る。


 神父の眉がひくつく。


「いいや、終わらせに来た。お前の時代をな」


 そうして、決して止まることの無い戦いが、始まった。


    ※   ※   ※


   ジャック=ブラッディ=ピエール


 ハルバードの大上段を見た瞬間感じた落胆をすぐに押し流す。

 あれだけの重量物、しかも軌道を見切りやすい上段からの攻撃であれば、対処など容易いと感じてしまったからだ。

 だが、


 …………長い。


 見ての通りの事実ではあるものの、長柄の武器とあって間合いは広い筈。

 けれどあの姿勢からなら、こちらの突進に対応して身を引き、あの位置から落として迎撃するという手段も考えられる。あるいは、支えにしてある左手から更に柄を滑らせ、石突きで突くことも可能。容易と速度任せに踏み込めばその分痛手を被るやもしれない。彼の立ち姿に緊張は感じられない。驚くほど静かで、やわらかな立ち姿。実に美しいと感じずにはいられぬもの。あれならば今この場から一歩を踏み出した位置にさえ届くやもしれない。振ると見せかけ戦斧の根元を掴めば突きにも斬りにも変じるし、横に向ければ隙は生じるが盾にも使える。左右への対応は遅れが出ると考えられるが、ここまで堂々と構えを取った以上、何が起きるか分からない側面狙いより、いくらか読みの通じる正面の方が良いのではないか。

 それに今彼は、『槍』の術者ではないのだ。

 『槍』の移動制限は存外に重い。早歩き程度は出来るが、その動き自体にも鈍さがある。

 『騎士』にもまた癖がある。あれは速度を出すのに溜めを擁し、移動は駆けるというより滑るといった印象。故に動きは比較的読みやすく、初手で大きく回避させた上での次を狙うのが上策。動きの工夫でマグナスのような手練れならば静止状態からも即応してくるが、動きは滑り落ちるようなものとなり、腰を落とした状態という前提での読みが成立する。元より『槍』は自ら切り込むような属性ではなく、迎え撃つもの。移動に大いなる加護を得たとしても本質は変わらない。


 さて。


 魔術を使わない彼の踏み込みは今までみたものよりも遥かに早く、鋭いものになるかもしれない。

 ああいう魔術に寄らない武器を相手にするのは久しぶりでもある。しかもフーリア人は刀剣類を好み、槍や弓の類はあってもハルバードのような重量物をほとんど用いてこない。記憶をあさって見ても、やはり、あのような武器を相手にした経験などない。


 魔術を失った。

 だから、使い慣れた武器の一つであるハルバードを選択した。

 再び聖女の寵愛を受けておきながら、愚かしくも小手先に頼り上手を取ろうとしている。

 そう思っていた。


 存外によく考えてある。


 だからこの戦い、即座の踏み込みを躊躇った私と、それを見据えて伺う彼とで、無言のままの睨み合いから始まった。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 風が、辺りへ染みこむ様な横風が吹いてきた。

 とても弱い。けれど巻き上げられた粉雪が薄く視界を覆い、その向こうで静かに赤の魔術光が揺らめいていた。それをじっと見詰めている。


 初動だ。

 全ては初動が流れを決める。


 俺の持つハルバードは重い。

 力任せに振り回すことは出来ても、一度振り下ろしてしまえば重量故の強烈な慣性に引き摺られて動きは極めて読みやすい。

 だから狙いは神父の初動を読み、続く動きへ、回避を許さない正確さで縫い付け叩くこと。

 フェイントは当然あるだろう。ヨハンをして綺麗だったと言わせた神父の立ち回りは常に変幻自在。少なくとも俺たちにはそう思える。誘いに乗って動き出してはいけない。幾つもの選択肢を抱えながら、後の先を行かなければこの矛は届かない。

 読みの自信は、十分にある。

 皆が死に物狂いで立証してきた神父すら気付いていない癖。

 俺自身の経験と、貰った意見と、重ねた鍛錬の成果は確かな形となって目の前の情報を脳が自動的に処理してくれる。

 狙いを外しはしない。


 しかしピエール神父もまた動こうとはしなかった。

 直感か、警戒か、余裕か、慎重にこちらを観察し、ゆるりと静止している。


 我慢出来ず、先に動いたほうが負ける。


 同時に今の体勢を維持できなければ、それこそが最大の隙となって命を刈り取られるだろう。


 先手を取るな。

 思いつつも、この男を前に動かず先手を譲るという事実が途方も無く重く胸を圧してくる。


 人の筋肉は常に緊張はしていられない。

 無酸素運動、という言葉がある。

 筋肉とは息を吸っている時に緊張し、吐く時に緩むように出来ている。

 故に息を吸い、止めて、出来うる限り緊張状態を維持して筋肉が力を発揮出るようにする。

 つまり構えの見た目が同じであっても、息を吐いている瞬間は筋肉が緩んでいる為に反応が遅れるのだ。それが紙一重、薄皮一枚を越えて急所を断ち切られる事へと繋がる

。呼吸を見切られてはいけない。油断して息を吐いていると、万全の構えですら容易く突破されて斬りつけられてしまう。


 彼がそれを知っているのかどうかは分からない。

 今までの戦いで呼吸を意識している余裕なんて無かったからだ。

 けれど俺の構えに応じた瞬間、息遣いの気配が完全に失せてしまった。

 本能か、理性か、元から当然と行っていたことをようやく俺が気付いたのかは分からない。


 既に対峙から五分以上は経過している。


 一時であれど気は緩められない。重量物を持ち上げたまま姿勢を維持し、握りを維持し、死の危険を感じながらの五分がどれほど重いかなど言うまでも無い。

 だが俺は、俺たちはもう、神父の力量を過剰に評価したりはしない。積み上げたデータの数々が奴の実状を教えてくれる。

 この対峙でより負担を抱えることになったのは間違い無く俺じゃなく、神父の方だ。

 呼吸を殺した五分は、間違い無く奴の体力を消耗させる。

 期があるならばいつでも攻め込む。先手を取ってくるのを見落としたりはしない。そしてただ先に動いてくるのなら、組み上げた流れへ誘い込んで一撃を見舞う。不安はない。皆で考え抜いた戦術。命を懸けられないのであれば、ここに居るぞなどと二度と言えないだろう。


 炎が揺らめく。

 来る。だが、即座の動きではない?


 じり――


 脛半ばまで埋まった神父の足が、ほんの僅かに前進した。

 同時に感じる怖れ。

 立会いの開始時、俺たちの距離は即座に斬り込めない程度には開いていた。

 得物の長さはこちらが勝るが、『剣』の術者の踏み込みは極めて広く早い。


 じり――


 寄せてくる。

 おそらくは神父にとって絶好の間合いにまで。

 そして俺にとっては数瞬の遅れを要する間合いに踏み込まれた時、瞬く間にあの小太刀がこの身を切り裂いてくるだろう。

 後の先という俺の狙いを読んだ結果かは分からないが、これは俺に先手を強要するに十分。


 この睨み合いは体力の削りあいになると考えていた。

 神父が、強い警戒心から極めて高い確立でコレに応じてくることは想定通り。

 元より『槍』の術者は後手に回ることも多く、先手をどう取られるべきかと長時間の姿勢維持は当然と行っている。この五日の訓練でも俺はこの姿勢を三時間以上維持して見せた。実戦と訓練で同じようになるとは思っていないが、出した結果は自身の根拠となり、緊張を跳ね返す。警戒心が強い為に、たとえ多少の粗があったとしても神父は安易に打ち込めない。突拍子も無いことをする俺が、その隙を晒して何かを狙っているかもしれないと考えずにはいられない。

 故の保留として睨み合いに発展し、もっと長い時間を使えるものと考えていた。


 呼吸を消してくることは想定内だ。

 しかしこうして寄せてくるとなると……。


 表情に出すな。

 目線一つ、気取られたら致命的だ。


 じり――


 この積雪はこちらへ利するものだと考えていた。

 足場の不安定さは速度を利点とする『剣』にとって不安材料になる。

 対しこちらはハルバードを構えて迎え撃つ。速度で姿勢を崩されるより、その速度によって動きを鈍らせる方がきっと大きい。

 事実神父は即座に動いてこなかった。

 俺の構えに対し、迂闊な踏み込みと、それによって足を滑らせてしまう危険を察して動かないことを選択した。

 けれど今、雪によって神父の足元は確認できず、ゆっくりとだが確実に距離を詰められている。

 自分も同じく下がるべきかという考えは即座に打ち消した。

 構えの負担は重量物を振り上げている俺の方が大きい。その状態で、あの神父を相手に万全の状態で迎え撃てる姿勢を保ったまま下がれるだろうか。

 あと少しで、俺にとって打ち込みの遅れる間合いになる。


 じり――


 炎が揺らめく。


「っ――!!」


 動いた。

 踏み込んでくる。

 呼吸は整っていたが、即応できない。


 そして――振り下ろしたハルバードは神父の法衣を僅かに掠め、地面へ叩き付けられた。


    ※   ※   ※


   ヨハン=クロスハイト


 隊長殿と神父の睨み合いから始まった決闘は、話していた通りの展開へ進んでいった。

 知ってか知らずかなんて関係ない。なんとなればその場で考え付く。

 あの神父の戦いを何度も見続けてきて、容易い攻略なんて通じないのだと思い知らされた。


 そいつは隊長殿であっても同じだ。


 既に一度、話によると二度、あの神父に負けている。

 一つ二つの有利を重ねた程度じゃ届かない。

 けど、有利を見出すことが無駄って訳じゃねえんだ。


 この遠く離れた実力差を、こっちの一撃が届く位置にまで詰め寄れるなら、積み上げた理屈にも意味はある。

 だから何一つ見落とすことなく、執拗なまでに有利を拾い上げ、的確に突いていく。


 最初の作戦会議で出た話を思い出す。


『この五日間の休みは、神父にとっちゃ願ったり敵ったりじゃねえのか?』

 当然の疑問に対し、隊長殿は言った。

 はっきりと、自身の有利に働くものだって。

『いいや。この五日という時間は、神父にとっては致命的となる』


    ※   ※   ※


   ハイリア


 ゾーン。

 プロの選手などが時折口にするソレは、言ってしまえば心身が極めて好調である状態を指す。


 好調と万全はイコールじゃない。

 負傷故に、逆境から高い集中力を発揮する場合もあるし、スイッチを切り替えるように入れてしまう者も居るという。


 話に聞くピエール神父の獅子奮迅ぶりは、そのゾーン故に発揮されたものであると俺は考えた。


 マグナスとの戦闘がきっかけになったのか、それともずっと以前からなのか。

 とにかく連日殆ど休みを挟むことなく戦い続けていたのは、何も戦術上の理由だけではなく、休息によって意識が途切れてしまうことを嫌ったのではないかという考えだ。足を骨折しながら一試合を戦い抜いたサッカー選手の話を聞いたことがある。事故直後の興奮状態は痛みを自覚しにくいとも言われている。同じことが神父にも起きていると考えるのは、それなりに妥当だと俺は思う。全てが継続していた訳ではなく、けれど極めて入りやすい状態にあったというのは間違いない。


 イルベール教団は最早後がない。

 聞くに、宰相も教団を使い潰そうとしている可能性が高い。

 彼らが向かう先は全てが地獄。唯一の道は、信奉する聖女の再臨。その意識が、使命感故に痛みや不調などを麻痺させ肉体の限界を引き出しているのだと。


 極めてチープに言ってしまえば、睡眠時間も短く朝から晩まで連日過酷な労働を続けていたのと同じ。案外人はそういう環境に適応できるし、心身が疲れ果てていても継続していれば出来てしまう。だが、一度途切れてしまうと、安息を知ってしまうと、すぐさま同じように動くのは難しくなる。


 だからこの五日間、神父にとっては休息足りうるものではなく、今まで持続させてきた集中を霧散させうる致命的空白なのだ。


 本来負傷を考えれば立っているのさえ首を傾げる。

 片腕を斬り飛ばされ、右半身を焙烙火矢でずたずたにされ、その傷が塞がりきっているはずもないのに動き回っていた。

 流した血は相当量に及ぶだろう。年齢も考えれば取り戻せているかどうかも怪しい。ヴィレイが俺と同じだけの知識を有しているとはいっても、腕を失った時点で輸血用の血液を確保している可能性は極めて低い。そもそも衛生や保存の面でも困難だろう。

 加えてマグナスとの戦いでは左肩を吹き飛ばされたと聞いた。

 その後はひたすら連戦だ。


 興奮が僅かでも冷めれば、どうしたって傷を意識する。

 加えてこの寒さ。『槍』による一撃は骨を軋ませるに十分だったことだろう。痛みを一度自覚してしまえばもう頭から離れない。故障箇所による運動の阻害を避けようとして、また新たな故障を重ねるなど珍しくも無い。

 これら考えうる有利を都合よく並べ立て、更に十分注意を払った上で神父を警戒しながらやはり思う。


 いかにジャック=ブラッディ=ピエールといえど、この五日間の空白によって最高潮のポテンシャルを維持できていない。 


 だからまずの睨み合い。

 警戒心が強い故に考える。

 相手の状態、自分の状態。

 記憶にある最新の自分と照らし合わせ、当然起きる考え。

 もしかすると普段から比べれば良いと判断できる状態であっても、ゾーンを経験した故の誤解と負傷という理由を連ねて、今の自分を不調と判断してしまう。警戒心が強いが故の思い違い。利点には常に欠点が付きまとう。それを補える柔軟さも、百の問題を前に完璧な答えを出し続けるなど不可能だ。


 警戒を忘れず。

 しかし大胆に行った。


 ――振り下ろしたハルバードは神父の法衣を僅かに掠め、地面へ叩き付けられた。


 見切りは流石。身体操作も、感覚だけなら一度乗れるようになった自転車を扱うのと変わらない。

 あれだけ訓練した読みの利点を以ってしてもやはり捉えきれない。切り裂いた布一枚が意味するものも、この決闘でどこまで生かせるだろうか。


 下がりながらの一撃は俺の重心を後方への慣性に晒している。

 神父もそれが分かっているから大きく踏み込んでくる。元より長身だ。二メートルを越える巨体が深い雪を物ともせず寄せてきて、だから俺は、右手を強く握りこみ、地面に食い込み引っかかりを得た重量物であるハルバードに己を引かせ前へ出たのだ。


 飛び出す。


 そう。


 まずは呼吸を乱す。


 武器でのし合いと思い込んだ意識に、柄を前へ放りつつ手放した俺が、その顎目掛けて下方からの掌底を放ったのだ。

 それは魔術を使わないが故の瞬発力の増加に加え、素手での肉薄という身軽さ、咄嗟に感じずには居られない『騎士』の魔術への警戒とが、容易く懐へと俺を飛び込ませた。


「っ――!?」


 入った。


 続けて二打、腹部へ打ち込む。

 人差し指と中指の間接部を突き出した打撃は内臓への攻撃。更に一打、胸部へ向けての右の掌底から神父の下がりつつの払いを避けつつ、回避の動きが次の踏み込みへと繋がり、身の内へ巻き込むような引き絞りへ。


 一歩、そして二歩目、神父にとって純然とは言い難い、焙烙火矢で打ち抜かれた右足での後退は雪に足を取られることを避けた故の必然として距離を稼げず――そう、例え一歩目を左足で踏んだとしても、続く二歩目は確実に速度と距離を減じ、この長柄武器の射程内に留まらざるを得ない、回避したとしても無理が生じるのだと知っている。


 放った柄が倒れてくる。

 曲芸じみた、二度は使えない手だが隙を埋めるに十分だ。

 既に前動作は終えている。全身のバネが、弾かれたように動作する。


「っ――――おおおおおおおおおっっっ!!!」


 間合いに神父を捉えたまま振り払った。


 粉雪が、嵐のように吹き荒れる。


    ※   ※   ※


   ジャック=ブラッディ=ピエール


 静かに、周囲の景色が消えていった。

 見ればこの丘の上からは双方の軍が決闘の勝敗を伺っているには違いないというのに、不思議と気にならなくなっていった。


 他所事に気を取られていた事実はある。

 耳元を撫でる風の音や手や顔などの肌に刺さる寒さを無視できないでいた事は認めましょう。


 けれど顎にもらった一打。

 更に腹部への攻撃。

 方や頭の中に苦味を感じ、方や外傷と共に腹の中が歪むような痛みを得た。

 同時に意識が少し整った。


 少年の振り払いは見事なもので、深い雪で足捌きが制限されることを思えば回避に無理が生じる。

 生じた無理は隙となって、続く彼の攻撃にまた絡め取られることでしょう。

 先んじてコレに備えていなければ、攻撃を回避していたら、もっと選択肢が狭められていたのだと感じる。


 意識する。


 彼は今、『槍』の魔術を使っているのではない。

 二度の戦いで、彼に対する時の思考が身に付いてしまっているが故の、咄嗟の判断の乱れがある。

 ハルバードという使い手の多い武器、金髪に碧眼という特徴が、ついつい『槍』相手の思考に引きずりこんでくる。


 しかし同様のこと。


 打撃の加護がない分、危険が少ないでしょう。

 『槍』の攻撃すら押し返せていることを考えれば、この一撃もまた同様。


 『剣』には切断の加護がある。

 けれどそれを抑えていくと、対象を殺傷しない、打撃に近い攻撃へと切り替えることもできる。

 切断では、触れた時点で『槍』の加護によって弾き飛ばされてしまう。

 なら抑えた状態で、それを極限まで繊細に操ることができるのなら?


 抜き足の準備は終えた。

 いざとなれば、それが彼の望む流れであろうとも、対処し切れるでしょう。


「っ――――おおおおおおおおおっっっ!!!」


 受けた。


「っ――!」


 少年が吼える。


「おおおっ!」

「っ!?」


 攻撃は、経験にあるどんな攻撃よりも重く、こちらを圧してきた。


    ※   ※   ※


   ヨハン=クロスハイト


 雪原を吹き飛んだ神父を見て舌打ちする。

 やった、そう考える奴らが居ることへの苛立ちは、多分俺の身勝手だ。


「逃げられたな」

「あぁ」


 負け惜しみじみた呟きをクレアが拾う。


「今のは神父が自分から跳んだ。いかにハイリア様といえど、『槍』の加護もなしにあの大男をあそこまで吹き飛ばせはしないだろう」

 それにあの拳の受け方、不完全だろうが敢えて受けている節がある。奇襲によって不意を打てたのは確かだろうが、致命傷を負うものではないと瞬間的に判断して、それが終わった後の、続く強打に備えることを優先したんだろう。

「ついで言やぁ、多少不恰好になってでもあれだけ距離を開ければ、隊長殿も追撃は難しい」


 なるほど、とやけに大きく頷く気配に後ろを向くと、どういう訳か近衛の髪赤いのが混じってきていた。

 異様な気安さを持つ野郎は、余計な質問を加えてくる。


「ならさっきの殴打を、仕込みナイフなんかでやっていれば、決着がついたんじゃないか? 折角の決闘が拍子抜けになるのは確かだけど、好機を自ら逃すのは感心しないなあ」


 苛立ちながらも返答を控えたが、どうにも我慢出来ない奴も居たらしい。

 この寒いのに敢えて上着を崩して地肌を晒す、セレーネが不満顔を隠さずに言う。


「そういうのはしっかり検証してますからっ」

「へー? 本当にー?」

「そうですよっ。あの流れ、仕込みナイフを取り出す動作を加えていたら相手に回避する暇を与えるっていうことです! 最初から柄と一緒に握りこんでいたら振りが甘くなりますしっ!」

「手はありそうなもんだけどねぇ」

「むーっ、だから……なにオフィーリアさん今ハイリア様を馬鹿にしたこのあんぽんたんをきゃああバカヨハンなにすんのよぉすけべ!!」


 うるさいから掴み易い位置にあるスカートを引き摺り下ろしただけだ。白か。

 顔を真っ赤にする阿呆を放っておいて、やや睨み気味に野郎を見た。


「おー怖い。そんなに邪険にするなって。おじさんくらいになると、若者に混じって意見を聞くのが愉しみになるんだよ」


 近衛兵団副団長。

 たしか誰かがそう言っていた。

 けどコイツはなんか油断ならねえ。


 立ち振る舞いは隙だらけだが、なんとなく、俺に剣を教えた飲んだくれを思い出す。


「ヨハン、構わない。同席してもらおう」


 …………そうするか。


「ありがとね。それじゃあさっきの中身についても幾らか話を聞かせて貰ってもいいかな?」


 言葉の瞬間、ほんの少しだけ目の置くがギラつくのを感じた。


 あぁ、やっぱりコイツはここで見張っておいた方が良さそうだ。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 経験では、実力だけでは、きっと俺は神父に届かない。

 けれどこの場に立っているのは俺だけじゃない。

 皆が俺をここへ連れて来てくれた。


 こちらの戦術に対する神父の反応、発展する行動、それに対する応じ手。

 とにかく思考を山と積み上げ、好調故に発揮される神父の真価(げんかい)を記録した情報の数々を元に検証し、仮説を立てて、実験用に個人を調節し立証する。


 状況に対し最も有効な攻撃手段は何か。

 ただ拳が入っただけでは終わらせない。

 どこを、どうやって、どういう目的で狙うのか。

 目指すべき最終地点を定め、その為に全ての意味を費やす。


 きっと破綻はあるだろう。

 睨み合いからにじり寄ってきた選択がそうであるように、想定にも取りこぼしは生まれる。

 それでも一つ一つ徹底して考え尽くしてきた事には意味がある。

 皆の経験は、戦いの日々は決して無駄なんかじゃない。

 ほら見ろ。神父のあの慎重さ。異常なほどの警戒心。たかが素手の拳に、続く攻撃を脅威と感じるから、顎への一撃という脳への重たい衝撃を結果的にではあるが受けてしまった。深読みしなければいけない相手であると考えさせることが出来ている。だから多少の傷を受けようとも先の読みきれないトドメを避けるべくダメージを重ねる。

 俺は、惨敗に終わったと言う皆の戦いを、神父が鼻歌交じりにすべて越えてきたとは絶対に思わない。

 どれだけ勝利を重ねても諦めず、常に思考を重ねてあの手この手と絡め取ろうとし、それらを突破するべく実力を晒す瞬間を待ち続ける無数の目に晒され続ける。

 楽な戦いではなかった筈だ。脅威を感じずにはいられなかった筈だ。

 故にこそ高い緊張感を持ち続けられたのだとは思うが、連日連夜好調である自分を維持したまま戦い続けたということは、それだけ体力の消耗も大きかったに違いない。

 その日々は絶対に安くはなかった。

 その日々を越えて、積み上げたものを俺は今手にしている。


 手からこぼれ落ちそうなほどの重み。

 重さの意味。その意味の使い方。


 全て。


 全て、無駄にはしない。


 けれど――


 雪原からゆるりと身を起こしてくる神父を見て、指先が痺れる。

 こちらを射抜く眼光の鋭さを前に、息苦しさを覚える。

 あの振り払う攻撃を受け、自ら吹き飛びながらも、残る手で俺の腕を狙ってきたという事実。


 けれど――信じる。


 この途方も無い脅威たる男を、俺たちが倒すのだと。

 当代最強と言われる『剣』の使い手と相対せる幸運に心躍らせよう。


 俺個人がお前の百パーセントに勝てなくてもいい。

 実力を削り落とし、対抗手段を講じ、たった一度の勝利へと()()()

 それが組織、集団の持つ強みで、力だ。


「いつまで寝ているつもりだ」


 今日、この上ない舞台にて、


「立て、ジャック=ブラッディ=ピエール」


 俺たちの最強を証明する。





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