99
残り一日となった。
休息はいい。あたり前にトレーニングを重ね、休み、試行錯誤をし、相談してきた。
無理あっただろうが、五日間の宣言より以前は比較的安息を得ていた俺にとって、この程度の無理はどうということもない。
それなりに期間のあったジークとの戦いと違って、決闘にはあまり時間がないのだ。休んで緩んでしまうより、いつも通りに鍛錬をしていくほうが心身を調整し易い。それは明日の朝も同じだ。そうやって整えていく。体調を、モチベーションを、闘志を、戦う理由をわすれない為に。
ただ武器を触っている時間だけは伸ばした。
常に持ち歩き、手に握らずとも背に立てかけるようにして体の一部に重みを感じるようにした。
寝る時はやりすぎだと言われたが、とりあえず枕にしてみたら寝心地が悪すぎた上に目が覚めたらぎらっぎらの刃が目の前にあったので諦めた。
食後もまた残心だ。
行動のあらゆること、区切りがあると思えるもの全てに導入し、癖付けてきた。
これ事体は合宿が終わってから始めたことだが、思えばあれから随分経ったものだ。
夏の暑さが青空に溶け、やがてくる寒さへ向けて木々は今の内だとお祭りみたいに色付いていった。
秋の鮮やかさと葉の上に残った夏の残滓が木の葉と共に地へ舞って、少しずつ景色が色を失っていく。
冬の雲は分厚く、未だその先は見通せない。何もかもが静かに、やがてくるソレを待ち構えていた。
ひらりと、頬を掠めた感触に空を仰ぐ。
「雪、か」
無数に、舞い降りてくる白い冬の欠片を手に取り、溶けた感触を握りこむ。
吐く息は白い。
熱はまだここにある。
伝えよう。
未来はまだ、繋がっているのだと。
目覚めた彼女の元へ、俺は行く。
「クレア。入るぞ」
※ ※ ※
クレア=ウィンホールド
真っ白に染め抜かれた絹に包まれていた。
柔らかな布団と、近くで炭を弾けさせる火鉢の音。
肌着は薄く、掛け布団の上に上着があった。
家出をする前はあたり前に着ていたもので、最近は麻なんかの固い服を着ることが増えていたというのに、不思議と違和感はなかった。
いつも、目覚めてすぐは気持ちを落ち着け、研ぎ澄ませていく。
なのになぜだろう。あれだけ続けてきた習慣に意識が向かわない。
いいのかもしれない。なぜだろう?
天幕の中には私一人だった。
天幕。何故、私はここにいるのだろう。
お屋敷の、あの大きな部屋でないことに疑問を覚えた。
ぼんやりと、身を抱いて寒さを紛らわす。
私は少し冷え性だ。
冬場はああして部屋を暖めてもらわないと寝台から出て行けなかった。
そういう甘えをしていたのだと思い出す。
指先を首筋や耳元へ触れさせて暖める。あぁ、足先も冷える。極端に身体が冷え易い訳じゃないが、どうにも足が弱いんだ。
衣擦れの感触がある。ふんわりと、たっぷり羊毛を含んだ布団に包まれながら、身体を起こそうとした。
「………………あれ」
踏ん張れない。
こう、身を起こすときにする動作に違和感がある。
身体を振って起き上がることができない。仕方なく手を突っ張って起こす。
寒気がした。
手が震えていて、口端が揺れた。
「はは」
無性に笑えてくる。
なんで。
なんで。
こんなにはっきり足の感触があるなんて嘘だ。
「ッ――!!」
怒気すら孕んで掛け布団を引っぺがす。
天幕の壁に当たり、意外と強い音がした。
「――――ぁ」
けど、そんなことに構っていられない。
「あぁ……」
ない。
ないんだ。
「はははは」
身体を投げ出し、天井を仰ぐ。
顔を抑え、震える喉を強い呼吸で押さえつけた。
でも、本当にそうする必要があるのか?
もう私の両脚はない。
自ら立ち上がることもなく、彼らに、彼に、並び立つことは出来ないのだから。
十分に頑張ったなどと胸も張れず、続けていくことも出来ない。
不可能なのだから、もう気を張って、あんなに辛くて苦しい場所に居続ける必要も無い。無いんだ。
薄ぼんやりとした記憶を辿れば、自分がどれだけ無様を晒したかを思い出す。
ずっと年下の女の子を相手に泣きじゃくった。
よくやったと言われ、あぁ、もう十分なんだと、思ってしまった。
でもいいんだ。
静かだ。
炭の弾ける音と朝の日差しを感じる。
こんな戦場のど真ん中でよく用意したものだと呆れる。
やわらかな布団も、こんなに大きな寝台も、大変だっただろう。
役割を果たして、もういいぞと、そう言われているような気がした。
だから私は改めて布団へ身を投げ出して、膝下から綺麗さっぱり消えている足を見て、目を背けて、浮かんでくる涙をそのままに垂れ流した。受け入れた途端、とてつもない痛みが切断面から全身へ染み込んできて、やはり泣いた。
しばらくするとクリスが様子を見に来て、短く話をした。
その時には多少痛みにも慣れがきて、普通に話していたつもりだったのに、彼女は私の声を聞いて驚いていた。
最初は何人かが訪れていたけれど、途中からパタリと来なくなった。私が、話の途中で泣き出してしまったからだろう。クリスが外で声を張っているのを聞いて、ころころと笑ってしまった。
ゆっくりと、自分の中から支えのようなものが抜けていくのが分かった。
あぁこんなにも普段張り詰めていたのかと笑えてくるほどだ。
服を着替えた。
クリスに手伝ってもらって、おそらくは父が押し付けてきた侍女たちが用意しただろう、昔着ていたような淑女の服だ。
髪を下ろし、櫛で丁寧に梳いてもらい、化粧をした。一応自分でやりかたを学んでやっていたけれど、訓練で汗だくになる度にもういいかと薄く、雑になっていったものだ。唇に紅をつけ、途中からは侍女にも手を借りて、身なりを整えた。
大きな鏡の前で腰掛ける姿を見て、ようやく実感した。
私はもう、戦うことはできない。
力ないただの小娘なのだな、と。
ただ、天幕の外に出るのは気が引けて、暖かで柔らかな場所でのんびりと過ごしていた。
自分一人では移動もままならないから、殆ど寝台の上で寝転んでいるだけだ。動くと傷口がまだまだ傷んで泣き出しそうになる。あまり人に会いたくないと侍女にも出て行って貰った。シン――と、静まり返った場所に居る。
炭が弾ける。
赤い火の粉が舞って、冷たい空気に晒され、どこへともなく消える。
熱が冷めただけで弾けた炭の欠片は今もそこらを彷徨っているのに、もう誰の目にも映らない。
それでいい。それでいいと思う。こんな姿、皆に見られたくない。皆が頑張っているのに、自分だけ椅子に腰掛け何もしないなんて耐えられない。消え去ったと思われて、誰の目にも留まらず静かに生きていこう。
心は定まった。
「クレア」
なのに、彼が来てしまった。
「入るぞ」
有無を言わさず、踏み込んでくる。
※ ※ ※
ハイリア
話は聞いていた。
状態も、くり子から忠告を受けていた。
両脚の切断から四日。目が覚め、毒の影響がない事を確認出来ているとはいえ、体力の低下など多くの問題はある。
寒さは増すばかりで、眠っている間に近くの都市まで移送するべきという話もあった。けれど残ってもらった。そうでなければ話が出来ない。神父との決闘を待つ俺が彼女についていく訳にはいかないのだ。
「ハイリア様」
彼女は、寝台に居た。
身を起こし、腰元から分厚い布団を掛け、両手を揃えて太股の上に置いていた。
髪を下ろしていることにまずいつもと違う印象を受け、着ている服にまた驚いた。
いや、声だ。
なによりも声が、普段の彼女のような張りを感じられない。
これでは本当にただの貴族の令嬢だ。戦いを知らず、駆け足などしたこともなく、ナイフとフォーク以上に重たいものを持ったことの無い、静かで淑やかなお嬢さん。
「お久しぶりです。こんな所に……どうかしましたか?」
仕草まで。
よもやショックの余り後退でもしてしまったのかと考えたが、ふと俺の視線が彼女の足元を掠めたことを察して布団を握ったことで、そうではないのだと思えた。
「話があって来た」
「話、ですか」
「あぁ」
今でも、耳の奥で響く悲鳴がある。
手に残る感触も、飛び散った血の温かさも、その後に包帯を巻きつけ止血をした全てを、何度も何度も思い出した。
だから、つい躊躇ってしまった俺を見て、クレアは力の抜けた笑みを浮かべて言うのだ。
「おかげさまで、命を取り留めました。ハイリア様が処置をしてくださったのでしょう? 辛い役目を負わせてしまって……本当に、申し訳ありませんでした」
「俺は――」
「ありがとうございました。助けられてばっかりです、貴方には。助けられて、命を救われて、だから、もう、十分です。この結末は私自身が至らなかった故のもの。その責任だけは、貴方にもさしあげることは出来ません」
そう言った瞬間だけ、いつもの彼女が垣間見えて、けれどすぐさま力を抜いて柔らかな雰囲気が戻る。
「ありがとうございました。こんな状況で来て下さったことは嬉しく思います。ですがどうか、これで最後にして下さい。これ以上貴方と向き合っているのは、あまりにも残酷で、惨めです……」
息を吸った。
暖かで、柔らかな空気に満ちたこの場の全てを吸い込み、塗り替えるつもりで。
来て、良かった。
今で、良かった。
もしもっと時間を置いていたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
「クレア」
呼びかけに、彼女は叱られたみたいに肩をびくりとさせ、身を縮めてこちらを伺ってきた。
違う。そうじゃないだろう。
そんな小娘じみた仕草、クレア=ウィンホールドのものじゃない。
お前はもっと苛烈で、真っ直ぐで、頑なで、弱いくせに、怯えているくせに、それでも誰に言われること無く前へ進んでいける人間だ。
あの日、ハイリアは確かに彼女が一歩を踏む手助けをしたかもしれない。けれど彼女は、そこまで自分一人でやってきたのだ。あの豪雨の如く打ち付ける人々の批判へ向けて、向き合い、一歩一歩進んできた。それは、俺や、あるいはジーク=ノートンですら経験したことの無いものだ。
誰かに寄り添うことなく、たった一人で狭き道を進んできた。ハイリアがしたのは、その先にたまたま立っていたから、来いと呼びかけた、という程度の話だ。
だから俺は彼女を尊敬する。
そんな彼女に恥じない自分であろうと決めて、ハイリアはどこまでも己を律していられた。
これは押し付けだろうか。
そうだろう。それでも、決めたのだから。
「クレア」
再度呼ぶ。
ようやく、彼女の目がこちらを向いた。
「いいか、よく聞いてくれ」
俺は手にしていた書類をもう片手で持ち直し、整えた。
「まず断端、切断した足の切れ目の状態は極めて良好だ。骨も、筋肉も、綺麗に切れた。この辺りはオスロの腕に感謝だな、骨が歪になっていると傷口が塞がった後も痛みが長く続くことになり、回復も遅れる。ただしばらくの間は感染症を起こした肉を切除する必要が出てくるかもしれない。こちらには抗生物質がないからどうなるかは分からないし、非常に辛いものだと聞いている。早ければ二・三日、掛かれば一月近く行われることもある。傷口も簡単には塞がらないだろう。この対処には二つある。内部の肉を削る際に皮膚を残し、それを寄せて縫い合わせる方法。もしくは背中などの部位から皮膚を移植してくる方法だ。おそらく皮膚が生着して安定するのに一か月。ただこの頃になると痛みをさほど感じなくなってくるだろう。施術すべてが完璧とは言いがたいが、断端をついて動くことが出来るようにもなってくる。しかし、俺自身の経験も踏まえて考えると、こちらの人間の傷の治りは相当に早い。戦いに身体が慣れ、急いで治そうとするんだな。当然それにも危険はある。限度はあるが、基本的にゆっくり治す方が治った部位の細胞も組織も綺麗で支障が出にくい。早く治るというのはそれだけ荒く、隙間を作りながらの応急処置に近い。見た目は以前のようになって、動かすことが出来るとはいってもどこか故障を抱えている場合もあるんだ。だが――」
「あ、あの……」
「時間がない。いいか。無理を承知で言う。早く治せ。お前の力が必要だ。よく聞く話だ。一年二年と掛かるような重体患者が、半年と経たずに再起してしまうことなど、医療の世界では存外に多い。人の強い意志がそれを可能にする。だから今からだ。致命的なのは筋力だ。一週間も寝転がっていればあっという間に衰えてしまう。お前は両脚を失っているのだから、脚力の衰えは著しいものになるだろう。トレーニング用の道具は用意させる。維持しろ。しっかり栄養を取り、休み、身体を衰えさせないよう日々リハビリに励め。必ず出来る。絶対に出来る。それが出来るお前を俺は知っている。いいか、いざと言う時に走れないでは話にならない」
「ハイリア様!!」
限界、といった声だった。
引き千切れた布にトドメをさすような、呆気ない、けれどキリキリと響く声。
「やめてください……もう、無理なんです。走るなんて、そんなことを言わないで下さい。私にはもう、脚が……」
「ある」
彼女の膝上へ、手にしていた書類を差し出し、広げる。
時間が無かったから、今はまだ設計図しかない。
個人的な理由で物資を消費することは出来ず、市で手に入れてもらった羊皮紙を使っている。
そこに描かれているのは、
「義足だ」
トレーナーの仕事をしていた。
クラブチームと契約し、あるいは個人と契約し、人材を派遣してサポートをする。
けれど何もプロチームのサポートだけが仕事じゃない。
彼女のように身体の一部を失った人が、再びスポーツを楽しめるようにする。義手義足、あるいは車椅子での競技など今時珍しくもなんともない。それ専用の国際大会まであるくらいだ。一般からは分かりづらいだろうが、思っている以上にその市場は大きい。そして彼らが再びコートを駆け出したときの笑顔は、サポートを続けてきたクラブチームの優勝や、個人の表彰といった結果に引けを取らないくらい誇らしいものだと教えられた。
「クレア。お前はまた歩くことが出来る。俺が必ず用意する。だから決して筋力を落とすな。リハビリも、義足への慣れも過酷なものだろう。だが、皆、お前を待っている。再びお前が自分の脚で立ち、共に並ぶ日が来ると信じている」
実際の所、問題は数多ある。
現代とは違い、この時代の材料工学は未だ萌芽すらない。
合板、合金、あるいは合成樹脂。義足に用いる為のより柔軟で、より軽く、より丈夫な物質の発見は遥か先で、その発見に至るための数え切れないほどの予備知識から掘り出していかなければならない。それらの加工技術も容易くは無いだろう。
形状一つ取ってもそう。義足の横幅や描く曲線全てが計算されて作られている。生半可なものではむしろ動きを阻害するし、全く別の故障を引き起こす場合もある。ただ普段使いするものならともかく、運動を前提となると難易度は跳ね上がる。
完璧なものが出来るかといえば、やはり難しいだろう。
それでも造り得る限りの品を用意する。
「ヨハンに感謝するんだな。もし締めていたのが膝上だったら、ここまでの可能性は残らなかった。だがお前にはまだ膝間接が残っている。これだけで出来る事の幅は凄まじく広がるんだ。アイツはたまたま、貧民街で見た炭鉱夫の処置を真似ただけだと言っていたが」
知らず、身体が熱を持っていた。
少し汗が滲んでいるのが分かる。
ここは外に比べてずっと温かいが、それだけではないだろう。
乗り出すようにしていた身を戻し、改めて彼女を見る。
押し付けだと、そう感じる自分が居るのも確かで、けれど、
「もう一度言うぞ。お前の力が必要だ。そう多くの時間は与えられない。それでも、間に合わせて欲しい。クレア」
笑う。
「もしかして、もう十分頑張ったからいいかなんて、思っていないよな?」
掛け布団が跳ね飛ばされた。
膝をつき、痛みに顔を歪め、けれど逸らした肩から拳が繰り出された。
小気味いい音を立てて、受け止めた手を包む。
涙が、流れ落ちていた。
けれどもう弱々しいお嬢さんの顔なんかじゃなく、
「誰にモノを言っている、ハイリア」
クレア=ウィンホールドは、本当にいつも通りの凛とした表情で言う。
「必ずそこへ辿り着く。お前こそ、神父相手に無様な負けを晒してくれるなよ」
「あぁ、必ず、勝ってくる」
※ ※ ※
クレア=ウィンホールド
あぁ、もう……本当に。
どうして貴方は。
好きだ。
大好きだ。
どんな困難も、どんな苦難も、この想い一つで乗り切っていける。
好きだ。
打ち付けた拳と、受け止められた手のひらを伝わって、どんどんと想いが膨れ上がっていくような気がした。
思わず呼び捨てにしてしまって、まあいいかとも笑う。元々、位だけならそう気にしなくてもいいし、これまでの関係を思えばいつまでも様付けなんてしていられない。
「っ……!」
けれど、興奮から落ち着いた途端に痛みで膝立ちさえ難しくなって、支えを失った私は倒れこんでしまう。
「大丈夫か」
受け止められた胸板の心地いいこと。
咄嗟につかんでしまった服を手放せず、顔が熱くなってくるのを誤魔化して押し付けた。
くそっ、なんだってこんな時に化粧なんて。
あいや、正しいよな、女として間違ってない。
「無理をせず横になれ。今は傷口を労ることも大切だ」
背に手を回され、心臓が跳ね上がる。
実際の所滅茶苦茶痛いがこのまま離れたくないっ。
「お、おいクレア」
「ハイリア様……」
いかん、様付けしないとか思ったばかりだというのについ癖で。
けど優しいな、やっぱり。
私の傷に負担をかけまいと、しがみつく私がそっと寝台へ横になれるよう身を倒してくれる。
けどな、それは見方によっては押し倒されているようにも感じられるんだぞ。照れるだろう。というか、なんだかもう身体が熱くてたまらない。
「ハイリア様……」
再びの呼び掛けに、あぁ、なんてことだ、ハイリア様まで少し顔を赤らめている。
そんな顔もするんだな。
吐息が熱い。
背中が寝台につく。
支えられ、まるでお姫様みたいに横たえられた。
いつしか私の両手は彼の首の後ろへ回されていて、芽生えた悪戯心と、加熱を続けるこの想いとで引き寄せていく。
けれどそこに、そっと指先を差し入れた。
残る手で彼の金色の髪をくしゃりと撫でて、こぼれるままに笑む。
「ちょっとズルが過ぎるからな。この先は、貴方自身に選んで貰ってからだ」
すぐ目の前にある彼の顔から、緊張が緩むのを感じた。
「なんてお上品なことを言うと思ったら大間違いだ」
油断をついて、不意をついて、引き寄せる。
彼の唇に、私の唇を重ねた。
※ ※ ※
ハイリア
熱があった。
猛烈な熱が、触れ合った部分を通じて流れ込んでくるように感じられた。
やわらかな少女の唇。
遅れて自分のしている行為を知る。
顔を離した時、彼女は鋭くこちらを見据え、けれどどこかあどけなく笑っていた。
「遅れを取っている自覚はある。力不足も、十分に味わってきた。だからな、私はいい女を気取って貴方の介添えをし、一人見送るような女になるつもりはない。覚悟しろ。全身全霊を以って貴方を愛し、奪い取る。安心してくれ、幸せにしてやる」
全く、これは、敵わない。
「それで返事は?」
その上容赦もない。
「……助けたい人が居る。今は、それ以外考えられない」
「そうか」
呆気なく引き下がったかと思ったら。
「別にそれでも構わない。私以外の女を助けようと命懸けで戦っていようと、私以外の女がその時貴方の傍に居ようと、私は引き下がる理由などどこにもない。何簡単だ、考える前に感じろ、私を愛せ、だめか?」
可愛らしく小首を傾げて覗き込んでくる。
ただ、やはり少々無茶が過ぎたみたいで、顔色が青褪めてきている。
クレアも、少し表情を固くして、拗ねるように俯いた。
「へーんーじーっ」
「頼むから駄々をこねるな。情を感じる前に慌てるし、あまり無茶をするようなら無感情に縛り上げるぞ」
「はぁぁぁ………………結局逃げる訳か」
捨て台詞が刺さるがこちらもいきなりの事に混乱しているんだ。
すぐさま斬って捨てられない自分にも困惑している。ええい煩悩は去れ去れ!
「とにかくっ、まずはゆっくり休め。分かったな」
「頬にキスしてくれたら寝るとするよ」
ジロリと半眼を向けたがクレアは嬉しそうに頬を染めてこちらを見ている。
「………………」
まあ、頬くらいはいいだろう。
アリエスにはよくしていたからな、似たようなもの……いや、アリエスの方が上だ、うん。アレは兄妹の絆故に生まれる穢れ無き愛情だからな。
無言でクレアの顔の側へ寄り、寝台へ手をつく。
途端に大人しくなるな、変に意識してしまう。
そうして顔を寄せていくと、
くるり、と目が合う。
改めて角度を変えて、
くるり、と目が合う。
顔を離し、俺は無言でクレアの顔をわしづかみにした。
「痛い痛い痛いっ!? うわっ、ハイリア様が暴力っ! というか本気で痛いっ、見てっ、私の脚見てっ、ほら無いのーっ」
「あぁ知っているぞ、少し前に俺が切り落としてやったからなァ?」
「私はこれから先、何があってもこの脚を見る度思い出すんだ、貴方に与えられた痛みと絶望と希望をな…………ふふふふふ」
うん、その言葉はちょっと危ないし結構怖いぞ?
手を離し、その向こうで笑う彼女が諦めるように息を抜いた。
その間に俺は再び顔を寄せ、
「まあ仕方ないか。あんまり急がせてもいけないし、今回の所は――――んんっ!?」
離す。
顔をそっと枕へ戻し、離した手の指先が髪を撫でた。
静かに佇み、落とした視線の先で大人しくなったクレアが左手を彷徨わせ、自分で跳ね飛ばした布団の端を捕まえた。ぎゅっと握る。
「大人しく寝ていろ、いいな?」
「…………うん」
「それと勘違いはするな。お前がいつまで経っても休もうとしないから仕方なくだからな」
「…………う、うん」
「クレア」
「はいっ」
「勝ってくる」
「っ、あぁ……! 本当にもう、どこまで私を惚れさせたら気が済むんだ」
お前にだけは言われたくないよ。
ただ、本当にいつまでもここに居ては彼女が休まらないと思い、すぐさま天幕を出ることにした。
ただ、いざ出ようとした所で俺は何度も呼吸し、結局そこそこな時間を掛けてから出ることになった。
そんな俺の様子を、クレアはずっと、本当に愉しそうに見て笑っていた。




