第六話 {焼けずはこそ、まことならめ}
午後になり秋輝たちが訪れたのは、飛び降り自殺が多発しているという団地。この団地は円形に建てられているのだが、その佇まいは他の円形団地に比べても圧倒的に陰鬱で閉鎖的だ。出仕一行は、霊感のない者が遠くから見ても分かるほどの暗い雰囲気に、悪寒が止まらなかった。
入り口に近づくと、貴堂は皆に注意を呼び掛けた。
「今からこの団地の内部に入るから、皆には注意してもらいたいことが二つある。決して心に隙を作るな。そして、分かっているだろうが、勝手にうろつくな」
「「「「「はい!!!」」」」」
一切躊躇なく団地へ入っていく貴堂の逞しい背中に隠れながら、出仕たちはいつもよりぎゅうぎゅうに縮こまって前に進んだ。
団地に囲まれた中心部には、寂寥感が漂う質素な公園があった。この公園にあるのは、子供向けと思われる遊具がほんの数台。
「今回この団地の浄化の任に当たるのは、阿倍門主と石上門主の御二人じゃ」
秋輝のいるクラスは、いつもは他クラスと比べても一二を争うほど騒がしい。しかし今回ばかりは、心に隙を作って霊に入られるのが怖いのか、皆妙な雑念が湧かぬようにと口を閉じているようだ。
「先程連絡が入った。門主の御二方は、少し遅れて来るそうじゃ。御二方が到着するまではこの公園で待機する。儂が公園周りに結界を張っておくから、絶対に公園から外に出るんじゃないぞ」
皆が大人しく貴堂に返事をした直後、秋輝は猛烈に視線を感じて上を見上げた。
──────マンションの幾つもの階から、沢山の生気のない顔がこちらを見ている。
「うへぇ~……み~んなこっち見てるで。やっぱ、うちらが気になんのかな?」
「そうだね」
「この団地の人々が纏っている淀んだ空気とは明らかに違う、正の気を持った異分子がいきなり沢山入って来たので、警戒しておるんじゃ」
すると、こちらを見下ろしていた霊たちのうち、何人かがベランダの壁をよじ登って飛び降りた。しかし、落下音は鳴らなかった。落ちてきた霊たちは無音のまま立ち上がり、獣のような形相でこちらに向かって走ってくる。しかし貴堂が張った結界のお陰で、彼らは誰一人として一行に触れることができなかった。
「せ、先生!なぜ霊たちが襲ってくるのですか!?幽霊は綺麗な気を嫌うので、行者には近づかないはずでは??」
「確かに基本、霊は正の気を嫌がる。じゃが、それは弱かったり危険性の低い霊の話じゃ。中には、怨念が強く光を排除しようとする者や、逆に救いを求めて光に縋り寄ってくる者もおる」
生徒への解説を終えた貴堂は、秋輝の方を向いて言った。
「怨念が一箇所に集まっておる。流石にあの量の怨霊に合体されると、この結界も耐えられるか知れん。儂はここから離れられないので、姫廻。お前が代わりに足止めしてきてくれ」
貴堂があまりにもさらりとそう言うので、皆は戦慄した。
「分かりました」
口をあんぐりとさせている他の出仕たちを置いて、秋輝はせっせと建物の方へ走って行ってしまった。
「秋輝―!いってらっしゃーい!」
あっと言う間に遠ざかった公園から優子に応援され、彼は少し手を掲げて返して見せた。
公園から出たことで、悪霊たちが一気に秋輝に押し寄せてくる。しかし彼はそれらを容易に避け、建物のベランダの壁に手をかけ飛び上がる。
「す、すげぇ……姫廻のやつ、ショートカットして上に登ってやがるぜ」
「でも、どこに向かってるんだ??」
貴堂は悪霊の集合体の居場所を、秋輝に教えなかった。その行いは、一介の出仕に危険と過度なプレッシャーを与えることに他ならない。
ただし、姫廻秋輝は例外である。
(貴堂先生、龍聖君との真剣勝負以来、僕に対して期待しすぎじゃないかな?…………いるね。建物の上)
秋輝がいよいよ屋上に辿り着こうとしたその時、《《それ》》は姿を現した。団地の敷地内に大きな影が落ちる。屋上から、巨大なサンドワームのような怪物が顔を覗かせたのだ。
おびただしい量の怨念が、一つに固まって秋輝に襲い掛かる。秋輝は何としても怪物を公園に近づかせまいと応戦した。秋輝は大きく走って飛び回り、迫りくる怪物の大きな口から逃げ続ける。高い壁を走って団地の敷地を一周した。
攻撃を巧みに躱しながらも、弱点を探すべく怪物を観察する。よく見てみると、怪物の口内にある無数の歯に見えていたものは、その一本一本が人の姿をしている。
怪物が秋輝を飲み込もうと大きく口を開けた。その口内の悪霊たちは、彼を仲間に引き入れようと腕を伸ばしている。彼は今武器を持っておらず、尚且つ少ない体力がそろそろ尽きる頃合で、動きも徐々に鈍くなってきた。彼は危機を感じ、首に巻いてあるスカーフに手を伸ばした。しかし、その時……─────
「迦楼羅焔!!」
遠くから力強く叫ぶ男性の声が響き、怪物が激しい炎に包まれた。悪霊たちが天を劈くような絶叫を上げ、その体がみるみるうちに崩れ落ちていく。そうして、最終的にはただの灰の山と化してしまった。怪物だけではなく、団地の至る所にも業火が出現し、無数の地縛霊たちを全て焼き尽くさんとしている。霊たちの甲高い悲鳴に聞く耳を持たず、炎は一匹も逃すまいというように、容赦なく全ての霊を燃やし尽くした。
「姫廻、戻ってきなさい。宗主方が到着なされた」
突然の出来事に立ち尽くしていた秋輝だが、貴堂に呼び戻され、素早く一番下の公園に戻った。
「姫廻、足止めご苦労。本当に助かったぞ」
「こちらこそ。徳を積ませて下さり、有り難うございます」
貴堂に一礼をした秋輝に、二人の行者が近づいてくる。
「君。後で私たちのところへ来てくれ」
「……?はい」
秋輝に話し掛けてきたのは、体格の良い美男だった。先程の業火を一点に濃縮したような深紅の狩衣を身に纏っている様は、一目で高貴な人物だという印象を抱かせるものだ。……もう一人の、黒い狩衣の行者も高貴な人間には見えるのだが、如何
せん無表情なまま全く喋らない。
「出仕諸君、遅れてすまなかった。私の名は阿倍燈明。六族のうちの、【火】の一門の門主だ」
「……私は【水】の一門の門主、石上眩嵐」
石上眩嵐と名乗った黒い狩衣の男は、必要最低限の自己紹介をした後、またすぐに黙ってしまった。
「姫廻君、と言ったかな。先刻の動き、素晴らしかったぞ。君の身体能力は、かの武闘派修行者、平土龍聖殿と遜色ないものだ。」
阿倍燈明は、誠に愉快そうにその洗練された動きを称賛した。
「有り難うございます」
秋輝が燈明に感謝の言葉を返すと、燈明は皆に向き直って話を始めた。
「先程君たちに見てもらった炎は、私が統括している【火】の一門の相伝、【浄火術】が一つ、【迦楼羅焔法】によるものだ。迦楼羅の炎は、あらゆる負を焼き祓う。生きている者、又は清らかな存在に対しては全くの無害なので、安心してほしい」
秋輝が鶴姫から聞いた話では、浄火術の炎は“穢れのみ”を燃やすので、魂を消滅させるわけではないらしい。最早秋輝でさえも視認できなくなってしまったが、彼には団地中の霊たちの微細で純情可憐な気配だけが感じ取れた。怨念《無駄なもの》を削ぎ落していくと、人の魂はこれほどまでに優しいものなのだ。秋輝を含めたほとんどの行者にとっては、魂の霊光などの善良な部分を感知することは、凶悪なものを視ることよりもやや難しい。
「そしてこれから見てもらうのは、水の一門相伝、【清水術】だ」
燈明が誇らしげにそう言うと、眩嵐が両腕の袖口を合わせ、袖の中で手印を結んだ。
「流水衆纏」
彼が小さく呟くと、どこからともなく現れた微光を纏う聖水が、渦を描きながら団地の隅々まで行き渡った。
「清水術は穢れの浄化に適している上、“掃除屋”としての一面も持つ。今回のように、他の門派の者が穢れの大元を祓った後、周辺に残った思念や抜け殻を流水で洗い流す。この水もまた、人には無害だ」
燈明が焼いた怨念の灰を聖水が飲み込み、天へと昇っていく。団地中の全ての水が上空に集まろうとしたその時、ずっと黙っていた眩嵐が唐突に口を開いた。
「皆、決して上を見ないで」
自己紹介の時とはまるで違う力強い声音に、皆は慌てて下を向いた。
「水の行く先、天に向かって、敬意を持って頭を下げなさい」
秋輝も少し遅れて下を向いたが、ほんの少し見えてしまってた。白昼の青空にポツンと浮かぶ白い月から神々しい人々が降りてきて、そのうちの一人が持っている水瓶が全ての水を吸い取ったのだ。
「眩嵐。何か禁止事項があるのならば、前もって言うべきだろう。……私もだが」
眩嵐とは反対に、先程までの気迫とは打って変わって穏やかにそう言った燈明。そんな彼に眩嵐は小さな声で「うん、ごめんなさい、みんな」と言い、のっそりとお辞儀をした。二人が言葉を交わしているその声色は、どこか成熟しきった友情を感じさせた。
貴堂が出仕達に待機するよう指示し、燈明と話し始めた。横で取り残された眩嵐は、所在なさげに周りの景色を眺めている。しかし、彼の目線が秋輝を捉えると、何かを思い付いたかのようにハッとして秋輝の元へと足を動かし始めた。
「姫廻君」
「っ!はい」
振り返ると眩嵐が間近にいたので、驚いてしまった。
「水は好き?」
「はい、好きです」
「今度、大変な修行がある。君も参加しない?」
彼は秋輝と目を合わせず、顔のみ向き合ったまま話した。
「本当に、難しい修行で……危ない修行。でも、すごい功徳になる。行く?」
眩嵐は、拙い話し方で秋輝を誘った。まるで人と話し慣れていないかのようなその口調は、門主らしい威厳を持った眞宗や燈明とは正反対だ。しかしそれは、下の者からすれば、最も親しみやすい門主という印象を抱かせるものであった。
「勿論です。お誘いいただき、有り難うございます」
「うん……」
眩嵐は、ほとんどの人間が気づかないほど小さく口角を上げ、目元を緩めて離れていった。秋輝はそんな彼を少し可愛く思い、ほんの数秒だけ、離れていく後ろ姿を眺めていた。
すると…………
後ろからグイっと肩を強く押され、秋輝は少しよろめいた。
「おい!姫廻秋輝!!お前、調子に乗るなよ!!」
秋輝が崩れかけた体勢を整えて振り返ると、三人の出仕が彼をを囲んでいた。その内の一人は、先日に貴堂が霊感がある者を確かめた際、手を挙げていたスパイクヘアの男であった。
「なんのこと?」
秋輝が冷静に聞き返すと、三人は更に顔を顰めて詰め寄ってきた。
「貴堂先生からの依怙贔屓に加えて、門主様方ともお近づきになれて調子に乗っているだろう!!」
三人は、程良く周りに注目されない程度の声量で秋輝に批判を浴びせた。
「調子に乗っているのは僕ではなく、君の頭の中にいる幻の僕だよ」
「くっ……!!」
秋輝の一言に、三人は押し黙ってしまった。彼らは必死に秋輝の非を探すが、一向に非が見つからず、諦めて悪態を吐きながらどこかへ行ってしまった。
秋輝はある事実を確信した。最近、自分に向かって針のような鋭い念を飛ばしていたのは彼らであると。そして、最近胸中を過るほのかな不安が、彼によるものであるということも。
遠くに居た貴堂が、三人の怒りを察知してなのか、はたまた単に時間が来たのか、全員の会話を中断させる声量で号令をかけ、彼の指示のもと、一行は社へと帰っていった。




