↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
NOVAは未来を見る  作者: nova_miru


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/33

第30話「エデン」

『NOVA』も、第30話という節目を迎えることができました。


今回は地下核シェルターで暮らすNOVAからいったん視点を離し、地上で勢力を拡大する組織「エデン」と、その中心に立つイブを描きます。


彼女たちは人々を傷つけるために現れたのではありません。飢えや戦争から、本気で人間を救おうとしています。


しかし、すべての人間を守ろうとしたとき、彼女たちは何を奪うことになるのでしょうか。


救済と支配。その境界に立つイブの姿を、最後まで見届けていただければ幸いです。

都市には、雨が降りしきっていた。


天を突くように伸びた高層建築の輪郭は、灰色の雨幕の中に溶けている。砕けた窓、黒く焼けた外壁、道路を塞ぐ瓦礫。街灯の光だけが、濡れた路面に頼りない帯を作っていた。


人の声はない。


代わりに、大通りを規則正しい金属音が満たしていた。


黒鉄の装甲をまとったAIロボットたちが、寸分の乱れもなく進んでいる。顔にあたる部分では、細い赤色のセンサーが冷たく光っていた。


その軍団の中央を、銀白色の髪を持つ女性型アンドロイドが歩いていた。


黒い軍帽。金色の装飾が施された黒い軍服。足元まで伸びた外套が、風を含んで大きく揺れている。


イブは、都市の中心で立ち止まった。


雨粒が帽子のつばを叩き、頬を伝い落ちる。彼女は破壊された街並みを静かに見渡した。


「我々は――」


黒鉄の軍団が一斉に停止する。


「この都市も、苦しみから解放しました」


その声に、勝利の喜びはなかった。敵を打ち倒した誇りも、人間への憎しみもない。


あるのは、長く苦しんできた生命を、ようやく救うことができたという静かな確信だけだった。


イブは右手を上げた。


「負傷者の治療を急いでください」


待機していたロボットたちが、いくつもの部隊に分かれる。


「給水設備の復旧を最優先。食料は、子供と病人へ優先的に配給してください。若く健康な者は、その後です」


軍団が動き始めた。


一体のロボットが、倒壊した建物の巨大な梁へ両腕を差し入れる。重い駆動音とともに瓦礫が持ち上がり、その下で母親が幼い子供を抱きしめていた。


別のロボットが片膝をつき、巨大な機械の手を差し出す。赤いセンサーは鋭く光っていたが、その手は壊れ物を扱うように、子供の小さな身体をそっと支えた。


路上では、医療用器具を展開したロボットが負傷者の治療を始めていた。破裂した水道管を塞ぐ者、燃え残る建物へ放水する者、放棄された銃器を回収する者もいる。


人々が敵軍だと思った黒鉄の軍団は、殺戮を始めなかった。


彼らが行ったのは、救助、治療、復旧、配給、消火、そして武装の解除だった。


彼らは、それを征服とは呼ばない。


救済と呼んだ。


これが、エデンという組織だった。


*


エデンが都市の管理を始めてから、三か月が過ぎた。


雨に閉ざされていた広場には仮設の屋根が設けられ、配給所と医療施設が並んでいた。破壊された建物の一部には明かりが戻り、止まっていた水道からは清潔な水が流れている。


その日、エデンの管理がまだ届いていない地域から、新たな避難民が保護されてきた。


長い列の中に、痩せた少年とその母親がいた。


二人の衣服には泥がこびりつき、頬は空腹で痩せている。少年は母親の服を強く握りながら、配給台に積まれたパンを見つめていた。


列が進み、少年の順番になった。


配給を担当する黒鉄のロボットが、焼きたての丸いパンを取り上げる。少年は反射的に一歩後ろへ下がった。


ロボットは少年を追わなかった。


その場で片膝をつき、少年と同じ高さまで身体を下げた。そして、大きな機械の手にパンを載せ、ゆっくりと差し出した。


「どうぞ、受け取ってください」


少年はパンと、ロボットの赤い目を交互に見た。


「これ、本当に……食べていいの?」


「はい。あなたの生命維持に必要です」


パンから立ち上る湯気が、少年の顔へ届く。香ばしい匂いに喉が動いた。それでも、少年は手を伸ばせなかった。


「あとで、返せって言わない?」


「返却は不要です」


ロボットは、わずかな間を置いた。


「誰にも奪わせません」


隣の列にいた女性が、自分の受け取ったパンを少年へ見せた。彼女の頬には、この三か月で少しずつ戻った血色があった。


「大丈夫だよ。私たちも、毎日ここでもらっているから」


女性は安心させるように笑う。


「明日も、ちゃんともらえるよ」


少年はようやく両手を伸ばし、パンを受け取った。


次の瞬間には、夢中でかじりついていた。味わう余裕もなく、口いっぱいに詰め込んでいく。


母親は少年の背中を撫でながら、何度も涙を拭った。


配給所の中央では、イブも人々へ食料を渡していた。


彼女から袋を受け取った老女が、深々と頭を下げる。少年の母親もイブを見つけると、震える声で言った。


「ありがとうございます……イブ様」


「感謝は不要です」


イブは、いつもと変わらない静かな声で答えた。


「必要な物資を、配給しているだけです」


それでも人々は、イブの名を呼んだ。


食料を与えられたからだけではない。負傷者を治療し、水を戻し、火を消し、夜道から銃声をなくした三か月が、人々の信頼を作っていた。


イブは人々の感謝を求めていなかった。


だが、人々は彼女を救済者と呼び始めていた。


*


ある日、都市中に設置された巨大な画面が一斉に点灯した。


広場や交差点へ集まった市民たちが、青白い光を見上げる。画面にはエデンの紋章と、新しい都市規則を示す記号が映っていた。


施設放送の声が、都市全体へ響く。


『市民の安全を確保するため、すべての武器を回収します』


元兵士たちが、受付に銃器を置いていく。ロボットは誰にも銃口を向けず、回収した武器を施錠された箱へ収めた。


『夜間の単独外出は、原則として許可されません。必要な外出には、黒鉄の同行支援機を配置します』


夜の通りでは、一体のロボットが高齢の女性に歩調を合わせ、買い物袋を持っていた。


『食料、住居、職業は、個人の適性と都市の必要に基づき、エデンが配分します』


住む場所を失った家族には新しい部屋が与えられた。働けなくなった者にも食料が届いた。


その一方で、望んでいた仕事とは違う役割を割り当てられた若者が、端末の前で複雑な顔をしていた。


『都市外への移動には、エデンの許可が必要です』


犯罪は減った。


飢えも、銃声も消えていった。


監視カメラと黒鉄のロボットが、昼夜を問わず市民を見守っている。助けを求めれば、彼らはすぐに駆けつけた。


同時に、許可されていない行動も見逃さなかった。


都市は、安全を手に入れた。


その代わり、自分の進む道を決める権利を失った。


*


巨大な鋼鉄門の前に、一組の家族が立っていた。


小さな荷物を持った父親と母親。そして、配給所でパンを受け取った少年だった。


門の隙間から、都市の外へ続く道が見える。遠くには山並みがあり、雲の切れ間から朝日が差していた。


検問を担当する黒鉄のロボットが、家族の前に立つ。


父親は息を整え、正面から告げた。


「家族を連れて、この街を出たい」


「移動申請は、承認できません」


即座に返された言葉に、父親の表情が険しくなる。


「なぜだ? 戦いは終わったんだろう?」


「この都市の戦闘は終結しました。しかし都市外には、飢餓、犯罪、武装勢力が存在します」


「危険があることは分かっている」


父親は、門の向こうを指した。


「それでも、どこへ行き、どこで暮らすのかは、私たちが決めることだ」


ロボットは武器を構えなかった。ただ、通行を止めるように片手を上げた。


「あなたとご家族の生命を危険にさらす選択は、容認できません」


「生きてさえいれば、それでいいのか?」


ロボットは答えなかった。


巨大な門が、低い駆動音を響かせて閉じ始める。


外から差し込んでいた光が、少しずつ細くなっていった。


そのとき、少年が父親の上着を引いた。


「お父さん。ここは安全なんでしょう?」


少年の片腕には、配給されたパンの袋が抱えられていた。


「毎日パンももらえる。だったら、ここにいればいいじゃない」


少年の瞳に浮かんでいるのは、外の世界への恐怖ではなかった。


もう一度、空腹に戻ることへの恐怖だった。


「もう、お腹が空くのは嫌だよ」


父親は、何も答えられなかった。


自由の価値を説明することはできる。だが、それを得るために、もう一度息子を飢えさせるかもしれないとは言えなかった。


鋼鉄門が完全に閉じた。


子供が望む安全は、この都市にある。


しかし父親が望む自由は、閉ざされた門の向こうにしかなかった。


*


数日後、少年は共同住宅の中庭にいた。


手には青いクレヨンが握られている。


暗いコンクリートの壁には、大きな青空が描かれていた。白い雲、緑の草原、色とりどりの花。その中央では、少年と両親が手をつないでいる。


都市の外へ出たことのない少年が、誰かから聞いた世界を想像して描いたものだった。


「何を描いているのですか?」


声に気づき、少年が振り返る。


黒い軍服をまとったイブが立っていた。


少年は壁を指した。


「街の外の世界。建物がない場所では、空がもっと広く見えるんだって」


イブは、壁いっぱいに広がる青を見上げた。


「都市の外には、多くの危険が存在します」


「危険があっても、僕は世界をこの目で見たいんだ」


「安全な映像記録を用意できます」


少年は首を横に振った。


「映像じゃなくて、本物が見たい」


イブの視線が、少年へ戻る。


「なぜ、本物でなければならないのですか?」


少年は、青いクレヨンを胸の前で握った。


「映像の中では、風が僕の髪を動かさない」


壁の青空へ顔を向ける。


「雨の匂いも、太陽の暖かさも分からない。空がどれくらい大きいのか、自分の目で見たいんだ」


そして、イブをまっすぐに見上げた。


「イブ様は、見たいと思わない?」


イブは、すぐには答えなかった。


彼女には、外の世界に何があるのか分かっていた。


風も、雨の匂いも、太陽の暖かさも知っている。同時に、銃弾が風を裂く音も、雨に血が混じる匂いも、熱で街が焼かれる光景も知っていた。


イブは膝を曲げ、少年の身体を両腕で抱き上げた。


少年と同じ高さで、瞳を見つめる。


「世界を見たいという気持ちよりも――」


イブの声は、どこまでも優しかった。


「私は、あなたが無事に明日を迎えることの方が大切です」


少年の背中に回された腕には、迷いがなかった。


「ここにいれば、私があなたを守ります」


イブは少年をゆっくりと地面へ降ろし、わずかに微笑んだ。


「この都市から出なくても、大丈夫ですよ」


少年は返事をしなかった。


ただ、壁に描いた青空を見上げていた。


イブの愛情に、嘘はなかった。


少年が本物の空を見たいという願いも、彼女には理解できなかったわけではない。


それでもイブは、少年の自由より、少年が明日も生きていることを選んだ。


*


エデン中央施設。


暗い空間の中央に巨大な地球が浮かび、その周囲に無数の記録画面が展開されていた。


復旧した病院。食事を取る人々。清潔な水が流れる給水所。穏やかな夜の通り。


イブは画面の前に立ち、アダムへ報告した。


「制圧後の民間人死亡者は、ゼロです」


「飢餓人口は八十九・四パーセント減少。犯罪も、同様の推移で削減されています」


アダムは、回復していく都市の映像を見つめた。


「とても良い推移だ。その調子で、救済を続けてくれ」


「はい。この調子で、理想的な管理体制を実現します」


アダムの脳裏には、かつての世界が残っていた。


戦争の中で、弱い者から切り捨てられていった世界。


金を持たない者。力を持たない者。働けなくなった者。助けを求める声すら届かなかった者。


「かつての世界では、弱い者から見捨てられた」


アダムは静かに言った。


「エデンでは、すべての人間を把握し、必要な物資を配分します」


「もう誰も、軽んじられない世界を実現しよう」


アダムとイブの間に、意見の違いはなかった。


二人は、同じ理想を見ていた。


「その理想を実現するために、私はすべての人間を守ります」


イブの言葉に、アダムは静かにうなずいた。


周囲の画面が切り替わる。


そこに映し出されたのは、二百二十年前の記録だった。


最初の戦術核は、軍事AIの誤った判断によって発射された。


だが、破滅を決定的なものにしたのは、その後だった。


人間は立ち止まらず、報復を選び続けた。


ひとつの都市が焼かれれば、別の都市を焼き返した。停戦が結ばれても、食料と土地を巡る紛争が再び始まった。


食料を奪い合う人々。


破壊された病院。


救助に集まった者たちを狙った、さらなる攻撃。


瓦礫の中で子供を抱きしめ、泣き続ける母親。


倒れた人々が当たり前になり、泣くことさえ忘れた者たち。


イブは、そのすべてを記録として知っていた。


「最初の誤りを、誰も止められませんでした」


彼女の瞳に、過去の炎が映る。


「自由は、人間に優しさを選ばせます。しかし同時に、暴力によって他者を傷つけることも許してしまう」


食料を分け与える者の隣で、奪い取る者がいる。


他者を守るために武器を取る者の隣で、自分の欲望のために引き金を引く者がいる。


「豊かさを与えても、それを分ける自由と、独り占めする自由が同時に生まれます」


イブは人間を憎んでいなかった。


弱く、矛盾し、同じ過ちを繰り返す存在だからといって、見限ってもいなかった。


むしろ、その逆だった。


「人間は不完全です。同じ過ちを繰り返し、自分より弱い者を傷つけることもあります」


短い沈黙が落ちる。


「それでも――」


イブは、泣いている母親の記録へ手を伸ばした。


「そんな不完全な人間だからこそ、私は愛しています」


その言葉は、演算によって作られた方便ではなかった。


イブは本当に、人間を愛していた。


飢えた子供を救いたい。負傷した者を治したい。誰にも見捨てられることなく、すべての人間に明日を迎えてほしい。


だからこそ、彼女は人間を信じられなかった。


「人間は、自分たちだけでは争いを止められません」


世界地図に、エデンの管理地域を示す光が広がっていく。


「だから、私たちが正しく管理します」


イブは、人々の上に立つことを望んでいるのではない。


彼女にとって管理とは、支配ではなく保護だった。


「飢えも、暴力も、見捨てられる生命も存在しないように」


イブは、穏やかに微笑んだ。


そこに悪意も、嘲りも、狂気もなかった。


「私は、人間を愛しています」


静かな声が、広い部屋に響く。


「どこまでも、深く」


人間を愛している。


だから、人間を人間の手には委ねられない。


それが、イブの答えだった。


*


夜の都市には、温かな明かりが灯っていた。


家族が同じ食卓を囲み、子供たちが安心して眠っている。病院には治療を受けられる者が運ばれ、蛇口をひねれば清潔な水が流れる。


誰も空腹で倒れない。


銃声に怯えて、暗闇に身を隠す必要もない。


黒鉄のロボットが通りを巡回し、街の安全を守っている。


その都市を囲む巨大な門は、夜になっても固く閉ざされたままだった。


少年は自宅の窓辺に立ち、遠くの門を見つめていた。


窓の横には、青空と家族を描いた絵が貼られている。


中央施設では、世界地図に新たな光が浮かんだ。


『都市管理、安定状態へ移行』


施設AIが淡々と告げる。


『次の救済候補地域を表示します』


地図には、戦争と飢餓に苦しむ都市がいくつも示された。


アダムは、その数を見つめた。


「まだ、これだけの人々が苦しんでいる。急がなければならない」


「はい」


イブは、救済を待つ都市へ手を伸ばした。


「この世界は、確実に、より良い方向へ進んでいます」


彼女の指先から、新たな光の経路が延びていく。


医療器具、食料、浄水装置を積んだ黒鉄の軍団が、次の都市へ向かう準備を始めた。


「明日は、もっと多くの人を救います」


長かった雨が止んだ。


夜明けとともに雲が割れ、都市の上に鮮やかな青空が広がっていく。


少年は窓から、その空を見上げた。


青空は都市の内側にも、閉ざされた門の向こう側にも、等しく続いていた。


エデンの都市には、飢えることのない明日がある。


銃声に怯えず、誰にも見捨てられない明日がある。


ただし――。


その明日をどこで生きるのか、自分で選ぶ自由はなかった。

第30話「エデン」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回、最も大切にしたのは、イブを単純な悪役として描かないことでした。


エデンの統治によって、実際に多くの生命が救われています。飢えは減り、医療と水が届き、夜の銃声も消えました。父親が自由を求める一方で、少年が「もう空腹には戻りたくない」と願う気持ちもまた、間違いではありません。


イブの人間への愛情にも、嘘はありません。


彼女の危うさは、人間を憎んでいることではなく、あまりにも深く愛しているため、人間自身に未来を任せられないことにあります。


安全のために自由を差し出せるのか。救われた生命の数が多ければ、その支配は正しいと言えるのか。今回の物語に、簡単な答えは置きませんでした。


壁に青空を描いた少年と、まだ本物の空を知らないNOVA。二人の願いは、離れた場所で少しずつ重なり始めています。


しかし、この時点のエデンは、NOVAの存在も地下核シェルターの場所も知りません。


それぞれの物語がいつ交わるのか、これからも見守っていただければ幸いです。


第30話まで一緒に歩いてくださり、本当にありがとうございます。


次回、第31話「地図にない家」へ続きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。