【第1話】記念日、勝手に爆誕
「今日で、俺たち付き合って一ヶ月だね」
カフェのテラス席で聞いたその一言で、私は人生で初めて「殺意」という感情を理解した。
口に含んでいたアイスコーヒーが、危うく鼻から逆流しそうになる。慌てて飲み込んだけれど、激しくむせた。
「大丈夫?」
目の前の佐藤くん(仮名)が心配そうに背中をさすってくる。
大丈夫じゃない。色々と。
「……佐藤さん」
私は極めて低いトーンで返した。
「佐藤さん、今の発言、録音して精神科医に聞かせたら即入院レベルですよ。認知機能の検査、受けます?」
初手からフルスイングで罵倒した。
普通ならここで「えっ」となるか、怒るかだ。
しかし、佐藤くんは満面の笑みでこう答えた。
「そんなに心配してくれなくて大丈夫だよ。俺、体だけは丈夫だから!」
……通じてない。
私の渾身の毒が、この男の鼓膜を通る瞬間に「愛の言葉」にフィルタリングされている。
「心配してないです。あなたの認知機能のバグを指摘してるんです」
「あはは、相変わらず口悪いなぁ。そこが可愛いんだけど」
佐藤くんは嬉しそうにテーブルの上に白い箱を置いた。ケーキ屋の箱。しかも、そこそこいいお店のやつ。
金をかける場所、間違えてる自覚はゼロ。
「俺、記念日大事にするタイプだから」
佐藤くんは箱を開けた。中には「Happy 1 Month」と書かれたショートケーキ。
「俺たちの一ヶ月記念だね」
俺たち。
この単語、誰が承認した?
誰が注文したんですか、これ。いや、あなたですよね。
「あのですね、佐藤くん」
私は努めて冷静に、しかし毒を込めて言った。
「私たち、まだ2回しか会ってないですよね? 前回は友人の紹介で30分お茶しただけ。それを『交際』とカウントするのは、法治国家では『捏造』って言うんですよ」
「うんうん、そうだね」
佐藤くんは慈愛に満ちた目で私を見る。
「まだ2回しか会ってないのに、こんなに深く繋がってる。運命ってすごいよね」
ダメだ、会話が成立しない。
私の言葉の「意味」ではなく「音」だけを楽しんでやがる。
「というか、付き合ってる認識、私には一切ないんですけど。告白もされてないし、私も承諾してないし」
私ははっきりと言った。これ以上ないほど明確な拒絶。
佐藤くんの手が止まった。
お、さすがに効いたか?
彼はナイフを持ったまま、頬を赤らめてニヤニヤし始めた。
「……もう、照れ屋さんなんだから」
は?
「素直に『嬉しい』って言えないからって、逆のこと言っちゃうの? ツンデレ? 俺、そういうの大好物なんだけど」
死にたい。この男を社会的に。
無敵か。マリオのスター状態か。
「空気感で付き合えるなら、私、今頃芸能人と100人くらい付き合ってますけど」
私は毒を吐いた。
佐藤くんは爆笑した。
本気で笑った。
「やっぱ面白い!君のそういうツッコミセンス、めっちゃ好きなんだよね」
攻撃を「センス」と受け取られた。
ダメージ判定が完全にバグってる。
「だから、こうやって一緒にいると楽しいんだよね。相性いいと思わない?」
佐藤くんはケーキを切りながら、幸せそうに続けた。
私は悟った。
この男には、毒が効かない。
いや、毒を栄養にして育つタイプのモンスターだ。
「あ、そうだ。君の好きな料理って何? 三ヶ月記念はちゃんとしたレストラン予約したいから」
三ヶ月記念。
「毒です」
私は即答した。
佐藤くんは爆笑した。
「やっぱり最高! そういうブラックユーモア、俺のツボなんだよね」
私、本気で言ってるんですけど。
「こういうやり取りができるって、やっぱり俺たち相性いいよね」
俺たち。
また出た。この単語。
彼の口から何度も何度も繰り返される「俺たち」という言葉。
でも、その「俺たち」には、最初から彼しかいない。
私は、ただそこに勝手に組み込まれているだけ。
「重かった? 記念日とか、プレッシャーだった?」
重い以前の問題です。建築基準法を守ってください。基礎工事からやり直してください。
「いえ、別に」
私は諦めた。
この人、私の言葉を全部「照れ隠し」か「ツンデレ」に変換してる。
「よかった! じゃあ、次の三ヶ月記念は、もっとちゃんとしたレストラン予約するね」
私は、手に持ったフォークを見つめた。
これで自分を刺したら、この状況から逃げられるだろうか。
「楽しみだね、俺たちの未来」
佐藤くんはそう言って、私の手を握ろうとした。
私は咄嗟に手を引っ込めた。
「あ、ごめん。急ぎすぎた?」
急ぎすぎっていうか、スタート地点にすら立ってないんですけど。
「いえ」
私はそう答えるしかなかった。
佐藤くんは安心したように笑った。
「君、本当に可愛いね。照れ屋なところも含めて」
照れてない。拒否してるんです。
「ありがとうございます」
私は無表情で答えた。
「その無表情も好き。ツンデレっぽくて」
ツンデレじゃない。ドン引きしてるんです。
私は完全に理解した。
この人の頭の中には「彼女フィルター」が搭載されていて、私の全ての言動が「彼女らしい可愛い反応」として処理されている。
私の拒絶が、彼の好感度を上げている。
この絶望的な状況に、私は言葉を失った。
店を出て、駅に向かう途中。
佐藤くんが振り返って言った。
「次は三ヶ月記念だね! もっと盛大に祝うから、覚悟しといてよ!」
私は振り返らずに歩き出した。
背後から聞こえる「覚悟しといて」という言葉が、愛の告白ではなく、テロの予告にしか聞こえなかった。
駅のホームで一人、私は小さく呟いた。
「これ、どうやって止めればいいんだろう」
スマホが震えた。
佐藤くんからのメッセージ。
『今日はありがとう。 やっぱり君といると最高だよ。おやすみ。
私は返信した。
送信ボタンを押した瞬間、即座に既読がついた。
まるで、画面の前で待っていたかのように。
この「おやすみ」すら、彼にとっては「愛の言葉」なのだとしたら——
夏の夜なのに、背筋が凍った。
読んでくれてありがとうございます。
主人公の毒が全部「愛情表現」に変換される地獄。
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