僕は彼女を全てから守り抜く。3
騎士を辞めてアゼルフスに再就職して早三ヶ月。
同じ職場のはずなのに、ヴィルヘルミーナと過ごす時間が少ないのが解せない。
「お、今日も不機嫌面だな、リッヒ」
気軽にハインリッヒの肩を叩くのは組織でも古参幹部の一人。
ヴィルヘルミーナに料理を教えた人だ。
「ミーナが調合室から出てこないので」
「あー、アブグルントが次から次へと興味深い調合を押しつけているからなぁ」
「心外だね。押しつけて何ていないけど? 僕はオムレツで。へぇ、リッヒは朝から食べるねぇ」
「騎士出身の奴にしてはそこまででもねぇぞ。傭兵出身の方が食う印象だな。ほらよ」
追加のホットサンドが出された。
先ほどはチキンとオニオンのハニーマスタードサンド、今度はサーモン、チーズ、ホウレンソウのフレンチトースト。
一緒にゆでポークのサラダ、根菜各種のコンソメスープ、ハムとボイルドエッグのマヨネーズあえが並んでいる。
おしゃれなカフェで食べる朝食のようだ。
味と豪華さには慣れたが、ヴィルヘルミーナが隣にいないのは慣れない。
「ミーナはまだ調合室ですか?」
「や。寝室に転がしておいたよ」
「……ありがとうございます」
「御礼はミーナから直接もらうからいいよ。でもどうしてもっていうなら、この依頼を受けてもらおうかな?」
一枚の紙がひらっと皿の隣に滑り込んでくる。
とある国の王族が希望するお忍びの護衛依頼だった。
「参考までに王族は男性ですか?」
「当然女性だよ!」
「毎回毎回……よく飽きませんね、嫌がらせ」
「おや? 愛しい奥さんにだけ過酷な仕事をさせて、自分は悠々自適な生活を送るとでも言うのかな」
「言いませんよ……せっかくのできたてオムレツが冷めますよ? 召し上がっては如何でしょう」
何時だって揶揄う表情で話しかけてくるアブグルントだったが、目の前に置かれた湯気が立っているオムレツが視界に入った途端、大人しく食べ始めた。
食事に重きを置かないアブグルントだが、ヴィルヘルミーナが近くにいると食事の時間をしっかりと取るようだ。
「うん。今日のオムレツも美味しい。ミーナにもこれがいいんじゃない?」
「そうだな。プレーンなオムレツと根菜スープってとこだな。あとはフルーツと一口で食べられるスイーツを用意するぜ」
「うん、任せた。ミーナの手作り菓子のストックが切れたから、そろそろ料理もさせたいんだよね」
「貴男があれこれ注文しなければ、作るのでは?」
ヴィルヘルミーナは菓子作りが好きで得意だが、ストレスの発散方法として作っている場合もある。
今お菓子作りを始めたら、さぞ大量の菓子ができるだろう。
「だから! 僕は押しつけてないってば。ミーナが意固地なのが悪いんだよ」
あっという間にオムレツが消えている。
代わりに焼き菓子が置かれていた。
ミーナの手作りだろうスコーンだ。
チーズ入りとは珍しい。
「その意固地さを上手く誘導するのが師匠の役目では?」
「いやだなぁ、リッヒ君。それは夫の役目じゃないの?」
いいの、僕がやっても? という心の声が聞こえた気がする。
「では、早速行って……」
「仕事が先だよ! 終わったらミーナに会ってもいいから」
妻に会うのに誰かの許可がいるのが腹立たしい。
しかしここは序列のしっかりした組織で、長の言うことは絶対だった。
「……了解です」
騎士団で序列の大切さは叩き込まれている。
不快感はぬぐえずとも、ハインリッヒはきちんと返事をした。
「……リッヒ。私が悪かったから離して?」
「嫌だ」
「もう! せめてシャワーを浴びたいの!」
「駄目」
「わがまま坊や!」
「ミーナにだけはわがままって言われたくない。あと坊やじゃなくて、愛しい旦那様、ね」
抱きしめた腕の中から何とかして逃れようとする。
本気を出せばハインリッヒの拘束など瞬時に解けるのに、無理に逃れようとしないところに深い愛情を感じた。
「愛しい旦那様。シャワーを浴びさせてください」
「ミーナ臭が強くて最高だけど?」
「恥を知りなさい!」
ミーナ臭という表現が駄目だったらしい。
するりと拘束から抜け出されてしまった。
シャワールームに逃げ込まれるので、ハインリッヒも服を脱ぎ捨てて、その背中を追う。
「ちょっと! リッヒ?」
「広いシャワールームなんだから、一緒にいいでしょ。何もしないし。あとすっごくべたべたされたから、さっさと洗いたいんだよね」
少し気を抜くとこみあげてくる怒りを抑えきれない。
「そんなに嫌な依頼だったの?」
「すっごく!」
叩きつけるように告げて、髪の毛を洗う。
シャンプーはヴィルヘルミーナと同じ香りなので、落ち込んだ気持ちがわずかに浮上した。
今回の護衛依頼は最悪だった。
この国の寵姫やジークヴァルトの婚約者が、如何に聡明な女性王族だったのかを実感させられたほどだ。
テオドールにまとわりついていた一人の母国。
凝りもせずお忍びでやってきた王女。
国外追放された女性の異母妹。
容姿は悪くなかった。
テオドールの隣に立っても遜色はないだろう。
しかしその機会は永遠にこない。
護衛依頼を終えてすぐ、テオドールに直接連絡をしたからだ。
『おや、リッヒ。新婚生活は楽しいかい?』
『相変わらずお師匠様に阻まれて地団太を踏む日々ですね……手短に申し上げます。イロイオット国の第三王女がお忍びで来ています』
『……もしかして、護衛依頼を受けたのかな?』
『アブグルントの指示です』
『はぁ。あの国も懲りないね』
『第二王子より貴男がいいわ! と言われました。妻がおりますのでとお断りしましたら、離婚なさいと言われましたので、そのまま放置しました』
アブグルントの護衛依頼に対する条件は他に依頼するより厳しい。
暗殺者の返り討ちなども仕事に含まれるからだ。
ゆえにこちらの指示を無視した者に対して、現場での判断を許されているのだ。
『お疲れ様。情報提供感謝するよ。アブグルントさんにもよろしく伝えてくれると嬉しいな』
『了解しました』
元々アゼルフスには王族と直接やり取りができる魔道具が存在している。
今回はそれを使った。
ヴィルヘルミーナも気楽に使っている。
相変わらず縁が切れないのには苦笑が浮かぶだけだ。
先にシャワールームから出て水分補給をしていると、ヴィルヘルミーナも出てきた。
バスローブを軽く羽織っただけのセクシーな姿だ。
「……大丈夫?」
「それはこっちの台詞だよ。ずっと調合室に引き籠もって! 本当……無茶しないで」
「うん。ごめんね? つい面白いのと実績を残したいのとで、盲目的になっちゃって……」
「反省しているならいいよ。ねぇ、ミーナ。ぼくら新婚だって、知ってた?」
「知ってる。だから師匠と交渉して新婚旅行に行けるように手配してるの」
「……え?」
「ここだと二人の時間が取れないから、一ヶ月くらい二人きりの時間を取れるように、観光地での新婚旅行を……って」
まだ水滴が残っている手が冊子を渡してくる。
新婚旅行について書かれた手書きの冊子だった。
「……こんなに、考えてくれたんだ?」
「新婚らしいこと、したいかなって」
一応初夜は過ごしている。
何時思い出しても顔がにやけてしまうほどに、甘く激しい一夜だった。
邪魔は入らなかったけれど、翌日嫌味を言われたり揶揄われたりはしたので、恥ずかしかったのかもしれない。
「嬉しい。ありがとう。僕に協力できることって、ある?」
「あとは一緒に行って楽しむだけよ。ちょうど今日、納得いく形になったから」
「良かった。じゃあ、二人きりでゆっくり楽しもうね」
喜びを伝えるように唇に触れる。
思ったよりも濃厚なキスが帰ってきた。
ヴィルヘルミーナなりに新婚らしくない日々を憂いていたのかもしれない。
「新しい服とか、一緒に買いに行きたいな」
「そうね。買い物リストは作ってあるわ。長期の旅行に便利な道具は……ちょっと倉庫を覗いてみましょうか」
「え、いいの? 僕はまだ倉庫に入る許可が出てないけど」
「ふふふ。今日の依頼の成果が師匠に意に沿うものだったみたい。許可が下りたわよ」
「あの人、何処まで計画しているのかなぁ」
目立った仕事はできていなかった。
幹部たちは十分だろうと笑ってくれて、それは心からの言葉に感じられたけれど。
自分の中での貢献度は低かったのだ。
だからこそ。
王族が関わる可能性があった今回の依頼を任せてくれたのだろう。
ヴィルヘルミーナの伴侶として認めているのだ。
全くわかりにくい。
「じゃあ、早速漁りに行きましょうか。トランク型のマジックバッグもあるのよね」
「そんな凄いものがあるんだ。何処まで奥が深いんだろうね、アゼルフス」
思わず深い溜め息を吐いたハインリッヒの頬に、触れるだけのキスをしたヴィルヘルミーナが楽しそうに笑う。
「私だって全部は知らないもの。これから二人で知っていきましょう。アゼルフス以外でも手広くね」
「……僕はミーナを全ての悪しきものから守り抜くよ」
知れば知るだけ危険度は上がる。
それが暗殺組織というものだろう。
ようやっと手に入れたヴィルヘルミーナを失うなんてハインリッヒには耐えられない。
「うふふ。それは私も同じよ。頑張るわ。いい? 一緒に頑張るのよ」
なかなかに真剣な告白だったのに、ヴィルヘルミーナは軽く受け止めている。
どうにも仕事っぽく聞こえてしまうのが玉に瑕だが、二人で、一緒に、と言ってくれるようになったのが嬉しい。
ハインリッヒはヴィルヘルミーナの手を取って倉庫へと向かう。
途中会った幹部の一人に、スキップとかよほど嬉しいんだな、と指摘されるまで、浮かれているのに気がつかないハインリッヒとヴィルヘルミーナだった。




