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呆気なく絆された。1

 


 プロポーズを受けたけれど、まだ婚姻は結べていない。

 恋人状態で婚約期間を楽しみなよ! と周囲にこぞって言われてしまったからだ。

 思い返せば孤児院での別れから再会まで時間があいている。

 さらには再会してからも二人きりで話をする機会に恵まれなかった。

 手順を踏んでほしいと思っていたのは間違いない。

 何より恋人となったハインリッヒの態度には驚かされてばかり。

 慣れる時間は必要だろう……と納得して、現在がある。

 あるのだが……。


「いいじゃないですか、らぶらぶで」


 メイド専用の休憩室にあるテーブルに突っ伏していると、アンネリーエが対面に座ってくる。

 ヴィルヘルミーナお気に入りの紅茶と焼き菓子を出すのも忘れない。

 しみじみできた後輩だ。


「らぶらぶって……」


「ハインリッヒさんの溺愛に照れるミーナ先輩。周囲は微笑ましく見守っていますよ?」


「それがその……居たたまれないのデス」


「あぁ、騎士団の連中は露骨ですもんね。ハインリッヒさんのように、だから何? の態度でいいじゃないですか。今まで男性に対してクールな対応をしていたミーナ先輩が一変して恋に翻弄される乙女になったから、揶揄っているだけの輩ですよ。ここは開き直るべきでしょう」


「……それは、リッヒだけがやっていいんですって。ごめんね?」


 焼き菓子を、あーんとされる。

 しかしヴィルヘルミーナは断った。

 ハインリッヒが怒るからだ。

 同性ならいいのでは? と問えば、僕がされてもいいの? と悲しそうに首を傾げられた。

 フリッツはさて置き、ホルガーやギード相手なら絵になりそうだと告げれば、頬を膨らませつつ冷ややかな眼差しで見下ろされたのだ。


「心狭~い。女同士ならいいじゃないですか」


「下手したら男同士より質が悪いんですって」


「そう言われると納得しちゃうかも」


 ヴィルヘルミーナの口元でひらひらされていた焼き菓子が、アンネリーエの口に吸い込まれていく。

 美味しそうだったので、指を伸ばして焼き菓子を摘まむ。

 口を開いてぱくりと入れた。

 美味しい。


 ハインリッヒと一緒にお茶をしていると、終始あーんをされ、美味しそうに食べる間もなく咀嚼する唇に吸いついてくるのだ。

 ゆっくりと味を堪能する暇もない。

 紅茶を飲もうとした日には、口うつしで飲ませようとしてくる。

 周囲の目が、え? そこまでやるんだ! と期待に満ち溢れているのにも羞恥を煽られた。


「……こんなことならもっと早く、私から受け入れておけば良かったわ」


「あー、それはあるかもしれませんね。諦めて口移しもあーんも二人きりのときに、先輩からしてあげるといいですよ。少しは落ち着くかもしれませんよ」


「本当にそう思ってる?」


「一般的には飽きると思うですよ。でもハインリッヒさんは一生飽きない気がしますね」


「私もそんな気がする……」


「どうしても耐えきれなくなったら、王子か師匠様にでもお願いしたらどうですか?」


 どちらに相談してもハインリッヒは控えるだろう。

 しかしそれ以上にヴィルヘルミーナが説教されてしまうのは目に見えていた。


「次のデートは観劇だそうで。テオドール殿下お勧めの演目だとか」


「……何で知ってるの?」


「テオドール殿下に相談されましたから」


「どうして、アンネリーエを選んだのかしら?」


「私が流行に敏感な公爵令嬢という側面を持っているからですかねぇ」


 そう。

 忘れがちであるが、彼女は社交界で一目置かれている公爵令嬢でもあるのだ。

 姉二人が国外に嫁いでいるので、国内の貴族はアンネリーエだけでも留まってほしいと熱望している。

 王城メイドを下っ端から挑戦する変わり者であるが故に、階級が低くても接触がしやすいからだろう。

 現に才能があったり努力家だったりと、アンネリーエが納得する秀でた面があれば階級など関係なく、推薦したりもする。

 高位貴族の嗜みですわ! とアンネリーエは艶やかに笑うが、実際それができる令嬢の数は少なかった。


「地味なメイドが王子たちに愛される逆ハーレムものですわ!」


「何で人気があるのかしら?」


「現実ではあり得ないからですよ。何の問題もなくただ愛されていればいいだけですからね。勘違いする女性は何時だっていますけど、大半の女性は自分を主人公に見立てて疑似体験を楽しんでいるんです」


「でも恋人と一緒に行く演目では……」


「困った女性を見極めるのに適した演目として人気なんです。あとはこんな女性になってほしくないからね! という牽制の意味もあるのだとか」


「よくわからない世界よ……」


『王族席のチケットを譲ってもらったから、絶対に行かないと駄目だよ?』 


 と仄暗い顔をしたハインリッヒに言われたので、少々警戒している。

 

「ドレスアップはお任せください!」


「それも気が重いのよね……」


「コルセットはしませんから、御安心を!」


 ヴィルヘルミーナを着飾らせるのが楽しみで仕方ないと豪語するアンネリーエに、心の底から憂鬱です、とは言えず。

 口の中で深い溜め息を殺した。



 夜の観劇で奔放な演目のため、ドレスの自由度はかなり高い。

 肌の露出が多い女性も多く見受けられた。

 意外にも男性の姿もそれなりに見かける。

 どう見ても一人で来ているらしい男性もいた。

 強い。


「……アンネリーエ嬢はミーナを美しく見せる天才だね。少し……大分嫉妬してしまうよ」


「はぁ。誰のための装いだと?」


「僕!」


「嬉しくないの?」


「そんなわけないよ! 僕のためにミーナが着飾ってくれて嬉しい。でも……なかなかに挑発的だから、人に見せたくないかな」


 ボルドーのドレスはマーメードライン。

 背中は大胆に露出して五連からなる真珠で隠されている。

 ロンググローブはブラックのレース仕立てで、黒薔薇の模様が織り込まれていた。

 耳元で揺れるイヤリングも黒薔薇で、髪の毛は緩く編み込まれて真珠が鏤められている。

 パーティーバッグはこちらも艶やかなボルドー生地で、留め金が黒薔薇モチーフになっていた。

 そんな小さなバッグですら、男性が代わりに持つのが貴族のエスコート。

 特別席に足を運ぶ最中、目線が凄まじかった。


「今日は貸し切りだから、何をしても良いからねって、テオドール殿下に言われた」


「テオドール様……」


 最近二人の婚約者候補にまとわりつかれて辟易としているようだ。

 八つ当たりはやめてほしい。

ハインリッヒを煽るのは本当に困ってしまうのだ。

 勿論王族席を譲渡してくれた点には恐縮しつつ感謝もしているけれど。

 

「ウェルカムドリンクが選べるよ。何が飲みたい?」


「私はシャンパンで」


「じゃあ、僕もそれで。苺も一緒に頼むよ?」


「最近流行みたいね?」


「小説の影響って凄いよね。シャンパンと苺の組み合わせは良いと思うけど」


 頼んだ物はすぐに届いた。

 あとは好きにやるからと言えば、静かに下がってくれる。

 時々嫌味な行動を取る担当も少なくないのだが、今回の担当は王族の代わりに席を許されているという認識がしっかりある者らしい。


「どちらもちゃんとしたものみたいだね。乾杯」


「随分見る目がついてきたわね。乾杯」


 幕が上がる前に乾杯を済ませておく。

 シャンパンはよく冷えていて喉越しも良かった。

 苺を摘まんでいる間にお代わりが注がれる。

 今までならヴィルヘルミーナがやっていただろう。

 恋人になってからハインリッヒが率先して手配してくれる。

 その動作は実にそつがない。

 侍従になっても優秀だったろうし、王子としても優秀と評価されただろうなぁと、ハインリッヒを見詰めれば額にキスが降ってきた。

 

「今なら苺味のキスができるけど?」


「……惑わせないでってば」


 それだけで頬を赤く染めたハインリッヒだったが、激しく舌を絡めてくるキスはしばらく続いた。



「感想は、ミーナ?」


「もしかして私は周囲にこんな感じで勘違いされているのかしら?」


「ミーナと親しくない人は、そう受け止めているかもね?」


 解せない! という表情をすれば頬のキスで宥められる。


 観劇の主人公は逆ハーレムを達成させた。

 王子と結婚し、他の男性は二人を温かく見守りつつ応援するという最後だ。

 ちなみにこの時点では他の男性たちは未婚なのだから驚く。

 

「さすがに続編は作られないわよねぇ……」


「王子の後悔っていうタイトルなら作れそうだけどね」


「そうよね……」


 主人公は男爵令嬢だった。

 身分が違いすぎる結婚は基本悲劇的な結果になる。

 この物語の主人公は結婚後、何年生きられるだろう。

 何日幸福でいられるだろう。

 主人公が予想しているよりも遥かに短い時間に違いない。


「僕と結婚したからには幸せにするから安心してね」


 公式に認められていない王子と暗殺業を嗜む孤児も、やはり身分違いとされるのだろうか。 


「それはこちらの台詞よ!」


 主人公と自分は違う。

 何よりヴィルヘルミーナは、ハインリッヒのためになら身を引くという選択だって取れるのだ。


「相変わらず男前だなぁ、ミーナは。そういうところも大好きだけど。もっと僕を頼ってね」


 蕩けるような表情で見詰められて、何処までもヴィルヘルミーナの意思を尊重する言葉を重ねられる。


「ふふふ。少しずつ、ね」


 結婚を約束した婚約者になったのだ。

 ヴィルヘルミーナとて甘える心積もりでいる。


『それで甘えているつもりなんです?』


 アブグルントの嫌みったらしい声が聞こえた気がしたが、幻聴だろうと頷いて、ハインリッヒの頬へ軽いキスをした。

  

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