僕は捨てられていなかった? 3
ヴィルヘルミーナの気配を感じながらも会えない日々が続いていた。
生きているとわかれば会いたい気持ちは薄れるかと考えていたが、逆だった。
近くにいるのにどうして会えないのかと懊悩してしまう。
「……ミーナは罪な女だなぁ」
「王子たちもミーナ好きだしなぁ」
「それだけ彼女が魅力的な存在だということだろう?」
「お! ギードもミーナの魅力にめろめろか?」
「馬鹿! 素敵な女性だというだけ……リッヒ! 嫉妬するな。彼女に対して恋愛感情はないぞ」
第五騎士団の中でも人気者になっているギードもヴィルヘルミーナを敬愛している。
恋愛ではないなんてわかっていた。
けれど敬愛なんて、恋愛より厄介なときがあるだろう?
「落ち着けって、リッヒ。あと一か月もすれば会ってもらえるんだろう?」
一か月後には第四騎士団への昇進が決まっている。
既に内示が出ているのだ。
内示が出た次の日には、ヴィルヘルミーナから黒薔薇の封緘が押された手紙が届いた。
封緘を壊さないで手紙が開けないかどうか悪戦苦闘している様子を、仲間たちに見守られてしまったのは少し恥ずかしい思い出だ。
「ギードもな」
「そ、そりゃ。王子たちの信頼も厚いメイドに誘われたら二つ返事で了解するだろう? 断る理由が何処にあるんだ?」
「僕」
「リッヒぃ!」
がばっと背中から抱きつかれた。
よく抱きつかれているギードが自分から抱きつきにいくのは、正直ハインリッヒぐらいだろう。
間を置かずにフリッツとホルガーものし掛かってくるのは、地味に勘弁して欲しい。
「……リッヒ、ギード。気をつけろよ。坊ちゃんが荒れてる」
「ああ、何で俺様に内示がでないんだって叫いていたな」
「取り巻き連中は退職勧告される前に自主退職をはじめているのも、苛つく原因なんだろうよ」
当初は十人以上いた取り巻きも、今では三人しかいない。
その三人に対する他の団員の評価は、坊ちゃんの威を借りきれない愚か者だ。
そもそも坊ちゃんに威厳など欠片もないと最後まで理解できないのだろう。
「何をさぼっているんだ、貴様ら! 少しはニコラウス君を見習いたまえ!」
通常騎士団では部下を姓で呼ぶ。
ファーストネームで呼ぶのは目をかけている者か、目をつけている者。
副団長は目をかけている者をファーストネーム+君呼びにしている。
団長から注意されているにもかかわらず止めようとはしない。
「御言葉ですが、副団長! 自分たちは今、休憩時間であります!」
姿勢を正して敬礼しつつフリッツが叫ぶ。
視界の端で何人かが走って行く。
団長もしくは副団長を止められる者を呼びに行ったのだろう。
「貴様ら愚民に休憩時間が許されていると思うのか? 内示が出たならもっと励まねばなるまい。孤児風情が副団長たる我に口答えするな」
『注意されてもされても孤児や平民を見下し続ける姿は、いっそ天晴れな気がしてきたよ』
……と以前ギードが溜め息を吐いていた。
ハインリッヒはただ愚かだな、と思う。
王子たちに注意されても改めなかったのだ。
来年は新人と同じ扱いになるか、下手したら退団勧告を受けるだろう。
「そうだぞ。お前たちに内示が出たのは何かの間違いだろう。今調べさせているところだ。すぐに撤回されるに違いない」
副団長の背後に隠れていた坊ちゃん……ニコラウスがふんぞり返りながら出てきた。
あそこまで珍妙な格好をしているとひっくり返りそうだ。
ハインリッヒの考えていることを察知したのだろうか。
ホルガーが噴き出しかけたのをごまかすように咳払いをする。
「貴様らのような愚物は永遠に第五騎士団の下っ端扱いだろうな! 無様に退職したとて、次の就職先などろくなものではあるまい。特にリッヒは男娼しか道がないぞ?」
僕はハインリッヒだ、という気力も最近は失せている。
何時からニコラウスは自分をリッヒと呼ぶようになったのだろう。
覚えていないが、よほど気持ち悪いらしく、呼ばれる度に鳥肌が立ってしまうほどだ。
「誰にでも尻を貸す男娼よりも……専属の方がいいだろう。貴様が土下座して懇願するなら俺の専属として飼ってやってもいいぞ?」
「寝言は寝て言え屑野郎!」
肩を怒らせ、拳を握り締めながら罵声を浴びせたのはフリッツ。
今までも危なかったが今回は第五騎士団員全員と副団長の前での発言だったので、限界を超えてしまったのだろう。
孤児院時代を考えれば、殴らないだけ成長したな! と感動するほどだ。
「おいおい。俺様にそんな口をきいていいのか? んん? リッヒが男娼になったら、お前らだって一緒に拾ってやるのに」
「土下座されてもお断り申し上げます」
ホルガーが真顔で返した。
言葉使いも丁寧だ。
久しぶりに見る激怒しているホルガーに、思わず彼を凝視してしまう。
「……孤児ってー奴らは、騎士団の訓練を受けた程度じゃあ、人並みにすらなれないんだなぁ。ったく、恥知らずどもが」
「そっくりその言葉をお返しいたしますよ、お坊ちゃま」
ギードも激怒したらしい。
ニコラウスを坊ちゃまと呼んでいるのは本人には秘密だった。
「そうですよ、坊ちゃま」
「恥知らずは、坊ちゃまです」
「坊ちゃまは、リッヒ呼びを許されていませんよ?」
「坊ちゃまこそ、何を騎士団で学ばれたのですか?」
「坊ちゃまこそ、土下座すべきでは?」
「坊ちゃまのご実家、どうなっているかご存じで?」
何時もは静観しているだけの団員がニコラウスを囲みながらじりじりとその距離を縮めてゆく。
「な、なんだ! 平民は貴族よりも孤児の味方か」
当然だろう? の声は十人以上の揃った怒声となった。
「お、お前たち! 坊ちゃんに近寄るなぁ」
副団長まで坊ちゃん呼びになってしまった。
ここは笑っておくべきだろうか。
「な、何を笑っているんだ、ハインリッヒ! 全て貴様が悪いんだろう? 土下座しろ! や! 尻を出して、自分に奉仕しろ! そのお綺麗な顔にぶちまけてやる!」
驚きに目を見張った。
副団長はズボンを下ろし始めたのだ。
「ず、狡いぞ、副団長。リッヒの初めては僕が奪うんだぁあああ!」
ニコラウスもズボンを下ろした。
一緒に下着を下ろしても……誰も止めない。
粗末なものが現れて、何人かが失笑する。
ハインリッヒに向かって走り出そうとしたニコラウスを副団長が止める。
脱いだズボンに足元を取られた副団長は、ニコラウスを巻き込んですっ転んだ。
ニコラウスは顔面から激しく地面に突っ込んでいく。
剥き出しの下半身も地面の上を滑っていった。
「ひだぃいいいい!」
幼児が泣くように大粒の涙をぼろぼろと零した、ニコラウスの悲鳴はかなり遠くまで響き渡った。
「……説明は、誰に聞けばいいんだ?」
団長とヴェンデリンが走ってきた。
無様に転がる二人では太刀打ちできない人選に、走って行った騎士の優秀さを知る。
「自分が報告しましょう!」
まだ息が荒いギードが説明を買って出た。
今いる中では彼が一番説明には強い。
無難な人選だと思うが、今のギードでは普段の冷静さを欠いている。
「俺の方がいいか?」
ギードの様子を心配したのかホルガーも声を上げた。
ホルガーの凄さは修羅離れしているので、冷静さを取り戻すのが早い点だろう。
「……や。大丈夫だ。言い忘れがあったら頼む」
「了解!」
「では失礼して説明をさせていただきます」
ほぼ常の冷静さを取り戻したギードが淡々と説明をする。
数々の暴言暴挙に二人の表情がだんだんと難しいものになっていったが、服を脱ぐあたりで無ヘと変化していった。
「……以上でございます」
ギードがびしっと敬礼をするのにならって、転がる二人以外が敬礼をした。
驚くべきことに取り巻き三人も敬礼をしている。
今更遅いが情状酌量があるかもしれない。
「何時まで無様に転がっておる! さっさと起きぬか!」
「は、はいぃ!」
副団長がズボンを引き摺り上げながら何とか起き上がる。
「だ、団長!」
早速言い訳を始めようとする副団長を許すはずもない。
「貴様が巻き込んだフローンを起こさぬか!」
「畏まりました!」
「おい、こら、起きろ!」
「いたひぃ!」
手首を引っ掴んで引っ張り上げられたニコラウス……フローンが、大した怪我でもないのに大げさに泣きわめく。
痛みに我を忘れているのだろうか。
副団長の手を振り払い、何故かそのズボンを掴んだ。
ボタンをきちんと止めていなかったらしい。
副団長のズボンが下着ごとずり下ろされた。
フローンと同じ粗末なものが現れる。
やはり何処からともなく失笑が漏れた。
「殿下の御前だぞ! 恥を知れ!」
「ご、ご無礼仕りました!」
「ヴェンデリンでんかぁ、助けてくださひぃ」
副団長は土下座した。
フローンは下半身丸出しのままでヴェンデリンに縋った。
ここでもまた、命運は別れた。
「貴族を名乗るならば、容易く人に助けを求めるでないわ! 身分のある者こそ、最後まで声を上げぬと知れ!」
「……殿下、フローンには何を言っても無駄でござましょう。一年かけての訓練の中で、彼は何一つ学びませんでした」
「そのようだな」
二人に睥睨されたフローンは、何と恐怖でお漏らしをしてしまったようだ。
うわーん! と一際大きな泣き声を上げた。
「……赤子と思えば腹も立たぬか」
「幼児でもここまでではありませんな。フローン家の闇深さは悍ましいばかりでございます」
「ああ」
なるほど。
ハインリッヒのいた孤児院も大概おかしな場所だったが、あそこにはフリッツやホルガー、何よりヴィルヘルミーナがいた。
フローンの家には血が繋がっただけの人間しかいなかったのだろう。
散々嫌な目にあわされた相手ではあるが、こうなってくるとフローンを少々不憫に思う。
面倒くさそうにフローンを引き摺っていく副団長の、処分を決めている二人の目を盗んだフリッツに低く囁かれた。
「長い間、お疲れさん」
「……ありがと。お前も、お疲れ」
こつんと拳をぶつけ合う。
ハインリッヒたちを見て感化されたのか、団員たちがあちこちで楽しそうに拳をぶつけ合い始めた。




