17 北部連隊との謁見
その日、ブリスコーには朝から小雨が降っていた。
雨はブリスコーの丘を濡らし、所々に小さな川を作った。雨はテントの天蓋を軽く叩き、冷気が寝床の中にまで入って来た。
まだ補修は終わり切っていないが、スホルト村の住人は遺跡へ移り住むことにした。まだ崩れた場所のある遺跡は、隙間から雨が染み込み、そこかしこの天井から雨漏りを起こしていた。
彼らは応急処置として屋根の上に茅を敷くことにした。アイルは遺跡の壁を登り、屋根に上った。ロープで木の板を屋根に持ち上げ、穴の空いた天井に板を渡した。
そして板を茅葺きで覆った。ひとまずはこれで雨と冷気を防げるはずだ。
気づくと、その作業を下からアリアが覗いていた。
「よう」アイルはそう言い、部屋の中に飛び降りた。「とりあえず塞いだぜ」
「ありがと~」アリアは言った。
「ここお前の部屋か?」アイルが訊いた
「そうだよ。殺風景でしょ」
「まあ俺ん家もあんまかわんないけど……」
「ねえ、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」アリアは真剣な面持ちで話し始めた。
「何?」アイルは訊いた。
「アイル君って犬飼ったことある?」
「犬?……あるけど。なに、犬買うの?」
「多分飼う。」
「なんで?番犬?狩りに使うとか?」
「昨日義勇兵の人に会ったんだけど……」アリアは話し始めた。「その人が言うには、『君は狩人になれ』って」
「どういうこと?」
「義勇兵団の方で、もう新人義勇兵のパーティーの役割とか決めちゃってるんだって。その人が言うには、古参の義勇兵なら姿を見ただけで新人の資質とかが分かっちゃうんだって。」
「まだ訓練も始めてないけど……」
「まあそうだけど。とにかく私は狩人でもいいかなって思ったんだけど。だけど狩人は動物を使わないといけないんだって。そいで動物を使役するためには、早めに一緒に訓練を開始しなきゃなんだって」
「なるほど」
「で何がいいかって聞かれたから。じゃあ犬かなって」
「うん」
「だけど私、犬なんか飼ったことないもん。アイル君は狩人やってたんでしょ?だからなんか役に立つかなっておもったんだけど」
「まあ犬の世話ぐらいならやった事あるよ」
「ありがと。じゃあこっちに来て」
アリアはそう言い、家から出た。すると、すぐ目の前の草むらに、白い大きな犬が寝そべっていた。
「これ?」
「うん」
「大きいな。狼との交雑かな」
アイルは腹をなでたが、犬は寝そべったまま反応しなかった。
アイルは犬の正面に周り、その顔を観察した。白い毛並と重なってわかりにくいが、額にダイヤモンドの模様が埋まっていた。
「ダイアウルフと犬との合いの子かな?名前は?」
「レオン」
「なんでこの犬にしたの」
「かわいいから」
「……直感で選ぶのも大事かな。こいつの何が問題なの」
「それがね、わたしの命令何も訊いてくれないのよ。一緒に散歩しようとしても、あたしを引きずって勝手にあちこち動き回るし、」
「まずは散歩からはじめてみようか」
アリアはレオンの首にかかった太いリードを引き、草原の中を進みだした。しかしすぐに、レオンは脇道にそれて市街地の方へ進み出した、
アリアはリードに引っ張られ、つんのめった。
「だめだそれじゃ。踏ん張って絶対に言うこと聞かせるんだ」彼女が地面に突っ張ってリードを引くと、レオンは反抗して余計に力をれて坂を下ろうとした。
アリアが引きずられた。アイルはアリアと一緒にリードを握り、一緒に地面に踏ん張った。
「絶対に主導権を握らせるな」彼は行った。そのうちに、レオンは嫌がってアリアの方に歩いてきた。
「どんだけ痛がっても、相手に主導権を渡しちゃだめだ」アイルは言った。「ずっとこっちでリードしていれば、そのうち言う異事を聞くようになる」
「わかった。うん。でもなんだかちょっとかかわいそうだね」
「まあ犬なんて主人の命令訊いて褒められるのが1番幸せだから」アイルは言った。「あんまり同情するなよ」
その日の午後、ブリスコー領主であり南部連隊騎士長であるクルツ・フォン・ハインツベルグが前線から帰還した。
南部連隊は パルパット砦の奪還に失敗した。彼らは道中に点在する村の村民を引き連れてブリスコーに帰還した。
ブリスコー騎士団の城塞の一室では、難民の扱いについて喧々諤々の議論が繰り広げられていた。
「私は反対ですな、納税も兵役も果たさないでいた人間たちを庇護するのは」隻眼の武官が異議を唱えた。ラインベルクの対岸には、国家の支配を嫌い山中に居を構え、納税の義務を逃れていた者たちがいた。これらの村は大概は地図になく名前もなかった。
クルツが応えた。「わしも若い頃は、頭の固い騎士団の仕組みに反発して冒険者稼業をやっていたからな。独立心が強い彼らの生き方もわかる。彼らの大半は自給自足で暮らしているわけだしな。そもそもそれが南部人の生き方として称揚されてきた。ただ今回は魔物の侵略に本格的に晒されて、国家の庇護下にあることの利点も重々理解できたはずだ。つまりこれは、順序が逆だが合法的な支配に成功したんだよ。過程はどうあれ我々は彼らを支配下においた。彼らは手づから自由の一部を手放したわけだから、今後は当然国家に忠誠を誓うだろう」
「本当にそうなるでしょうか」若い武官が言った。「再び納税を拒否し、内部から反乱を起こすやもしれません」
「国民の義務を果たさないものがいれば、ここから追い出すだけだ。自ら去る分には拒まん。しかし庇護を求めるものには、そうする。まあ例えが悪いが人狩りに成功したとでも思え」
「エルフが保護されてることに意義を唱えるものもいます」モノクルをかけた官僚が言った。
「誰だ」
「ケルドン伯です」
「なるほどな。そうか……」クルツは嘆息した。「しかし既にエルフは徴募に応じた聞いたが」
「は。すでに二十名が連隊に加わっています」
「ならば保護することに問題はない。ケルドンはわしから説得しておこう。もしだめならば、イーサン、後処理はお前に任せる。して、報告にあったパルパットの生き残りの少年だが……」
「外に控えさせています」
アイルは扉を開けて部屋に入った。
中では壮年の騎士たちが長いテーブルに座り、アイルを観察していた。彼はこの部屋の人間達がいかなる強者であるのか、魔法を知った今だからこそわかった。
アイルはあんとなく右手の後方に気配を感じた。振り返ると、例のカエル顔の老人が部屋の隅に佇んでいた明るい部屋で見ても、彼は年齢不詳だった。彼は無表情でアイルを観察していた。
「ほう、よくその方に気づいたな?」クルツは感心して声を上げた。「さて、では砦で起こったことを話してもらおう」
アイルは砦で見たものを順を追って話した。南部連隊の兵士の死体が村で見つかったこと。砦の兵士はほとんどが皆殺しの目にあっていたこと。少年たちが荷車に乗せられて南へさらわれたこと辺境伯の娘を救出したこと。内通者は灰色のローブを着たその魔術師であり、そいつはクラウザーを名乗っていること。緑青という巨大なオークが砦を支配していたこと。そして、彗星と呼ばれる赤い鎧を着たオークが子どもたちを連れ去ったこと。継手のある巨大な大砲が砦の防御を破ったこと。ジレットと呼ばれた悪魔の類がパルパットにいた事。
「継手のある大砲か。ウルバン砲だな」クルツは言った。「ところで君はその少年たちについてなにか知っているかね」
「何か、とは?」
「何でも。知ってることを全て」
「その少年とは、目が合いました」
「目が合った?」
「はい。兵舎の中に隠れていた時、私は彼らを観察していて、そしてその少年は自分を見つけて、目が合った……それだけです」
「他にはなにもないか?」クルツはアイルの目を真っ直ぐ見て聞いた。
アイルは嘘はつけないと判断した。
「……砦の兵士達が話していたのは、その少年達は囮だということです。”手”とかいう国の諜報機関が彼らを囮に使い、ウルゴーン山脈を越える進入路を探ろうとしていると」
「その話を誰かにしたかね?」
「いえ。誰にもしていません」アイルは応えた。
クルツはモノクルの役人を見た。
「彼は真実を述べています」彼は言った。
「よくわかった。今の話は決して他言しないように。ところで君は義勇兵に参加するようだな」クルツは首の痣を見ながら言った。「君はアスタロトとは何か知っているかね」
「義勇兵に参加する際に名前は聞きました」
「なるほど。以前よりこの南部前線ではオーク共との戦争が続いているが、こいつらの裏には国賊の魔法使い共が糸を引いている。悪魔に魅せられ国を裏切り悪魔の手先となった魔法使いたちが。そしてその悪魔こそがアスタロトだ。アスタロトは己を信望するものに無限の叡智を授けるという。魔法使い達はアスタロトの持つ無限の叡智に惹かれて頭が狂ってしまっているのだ。我々はこの魔術師たちを抹殺しなければならない」クルツは立ち上がり手を差し出した。「しかし国が戦っているのはこの南部だけではない。ネーヴェでは東夷の乗る竜種の類が目撃されたようだ。ラインベルクを支配しているあのいまわしい船も東夷の寄越したものだろう。敵の力は強大我々は力不足だ。国家は君のような勇敢な戦士の忠誠を待っている」
アイルが部屋から出ると、例の年齢不詳の老人はいつのまにか廊下に出ており、彼の後ろから声をかけた。
「君は、さっき部屋に入ったとき、どうして私に気づいたのかね?」
「……わかりません。なんとなくです」アイルが応えた。
「そうか、なんとなくか。わしはエリスとともに例の中洲の遺跡にいたのだが、覚えているかね?」
「覚えています」
「そうか。中洲で見た君のエーテルの表出はそれは見事なものだった。儂は君のことを非常に気に入っているんだ。ところで君は、職能は何にするかもう決めているのかね?」
「職能?」
「義勇兵団ではそれぞれの適正に合わせて兵士を型に分けて訓練するのだ。そうさな、例えば君は狩人と盗賊とならどちらを選ぶかね?」
「それは狩人かと」
「なぜかな?」
「ここに来る前自分は狩人だったからです」
「なるほどよくわかった。だが……」老人はアイルにぐいと近づいて、言った。「君はぜひ盗賊を選びなさい」
「え……?」アイルは唐突な提案に戸惑った。
「その人の言うことは聞いたほうがいいですよ」部屋から出てきたモノクルの役人が声をかけた。「その人はロードラン最高の戦士の一人ですから。彼の選択なら間違いありません」
「私は盗みはやりません」アイルが応えた。
老人と役人は、顔を見合わせて笑った。
「いや決っして盗賊とは盗みをする仕事ではない。ただ便宜上、そういう職能に分けるだけだ」老人は笑い、役人に目配せをした。
「アイル君、すまないがこれは決定事項だ。君の天命がこう言ってるんだ。きみは盗賊を選ぶのだと……」
役人はモノクルを外しながらアイルに顔を近づけた。彼の長いまつげの下の左目が一瞬青い妖艶な光を放った。その瞳は瞳孔が開き、あり得ないことだが瞳孔そのものが青く色づき自ら光を放っていた。
アイルは身動きが取れなかった。彼の意識はただただその瞳の中に吸い込まれた……。
気付くとアイルは広場に立っていた。通りには馬車が行き交い、商人の大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
アイルは自分がなぜここに立っているのか思い出せなかった。
彼は後ろ首をかき、自宅の方角へ歩き出した。
ブリスコーの東側の山の斜面には、カルスト地形の石灰の岩露頭を直接削った、四角い墓標が無数に並んでいた。
それは遥か2000年前から続くこのブリスコーの習わしだった。死体は火葬にされ、魂は灰となって天に舞い、そして肉体はラインベルクの鷹揚な大河に流されるのだ。
斜面の麓には教会立っていた。その教会前には広場があり、そこには百を超える英霊の遺体が柩に入れられて安置されていた 。
棺の蓋は空いていた。彼らは剣を握らされ、彼岸花の赤い花弁で胸元を飾られた。
黒い喪服に身を包んだ修道士がバデの前で祈祷を捧げていた。
葬儀にはブリスコーの人間全員が集まっていた。騎士たち、商人たち、人相不定なスラム街の住人から、普段は飲んだくれている浮浪者まで、そして本来無関係である冒険者たちまでが、列の後方で直立していた。
祈祷が終わりバデに火がつけられた。木組みの塔は天高く真っ赤に燃え盛った。その火はやがて棺に燃え移った。
遺体は灰となって空へと帰った行った。みな頭を垂れて黙祷していた。
こうして日々は過ぎ、やが十四日になり、義勇兵団からの召喚状が届いた。
明日から義勇兵団による訓練が始まる。アイルはその時を待ちきれなかった。
彼は自分の右手を太陽に透かしてみた。今は中洲の闘いのときよりだいぶ魔力が弱まっているが、それでも少しだけ右手から立ち上る瘴気を薄っすらと感じ取ることができた。
早くこの力で戦ってみたい。そして、できれば緑青……あの緑髪のオークと対決したい。それが彼の望みだった。
彼が興奮で眠れず何度も寝返りを打っていると、戸口に人の気配がした。
アイルは振り向いた。戸口にネネが立っていた。
「ねえ……」
彼女はゆっくりとアイルのいるベッドに近づいてきた。
「どうした?」アイルは訊いた。
彼女はベッドに尻を腰掛けた。そして言った。
「母さんとおじさんがセックスしてる」
二人は夜の草むらを歩いた。今日は真夏日だったからか、夜の風も生ぬるかった。
家の壁に掲げた松明の明かりがすすきの穂を照らしていた。
ねねが草むらの一点を指さした。
男が、女に覆いかぶさっていた。汗に濡れた背中が松明の光をぬらりと反射していた。
艶めかしい喘ぎ声と、腰を打ち付ける水気のある音が響いていた。
彼らの他にも、草むらのあちこちからも別の喘ぎ声が聞こえてきた。部屋では子どもたちが寝ているため、大人は外に出て草むらのあちこちでセックスに励んでいた。
ネネがアイルの手を引いて、草むらに入った。
「ねえ」彼女は言った。そしてアイルの腰に手を回した。
彼女は潤んだ目でアイルを見上げて、口づけした。
二人は草むらに倒れ込んだ。そして二人は結ばれた。




