開戦の兆し①
「旧静岡県、旧神奈川県境付近で熱源反応あり!」
「蟲の種類の解析進めます」
「哨戒中の貴船大隊から通達。目視できる範囲に到達。簡易爆撃による迎撃を開始」
「全隊員に通告。第二防衛基地より四キロ先で迎撃用意。貴船大隊の撤退後、即迎撃開始」
「蟲の解析おおよそ終わりました。ほとんどが黒の大型のアリのようです」
今朝の通信室では久しぶりに慌ただしくオペレーターが画面に目を走らせていた。
それもそのはず、二週間ぶりに危険度Ⅲクラス、つまりトーキョーに直接的な危険が及ぶレベルの襲撃だということだ。
『特殊部隊指揮官島田幸先。全特殊部隊隊員を第二防衛基地で待機させろ。出撃はそちらの判断に委ねる』
「そのぐらい分かってるわよ」
島田は早々にドローンからの衛星映像に切り替えた。
数で言えば五百程度。ヤシマの戦力的には一般部隊で十分対応可能な数だ。とはいえ、気を抜くと事態を悪化させかねない。余計な欠員も増やさないように、幾時も特殊部隊は待機している。
「かいとくん。蟲の数は五百程度でほとんどが黒の蟻みたいねぇ。残りは多分コオロギ種の電磁パルス系統の種類だと思うわ」
『了解ゆき、解析ありがとう』
「けど、まだ待ってほしい。萩原がいま哨戒中の貴船大隊と合流中よ」
『萩原さんか、分かった。指示に従うよ』
萩原というのは、特殊部隊【Bat】所属の特殊部隊隊員で特に聴覚に能力を持っていて、聞き分け能力は半径5キロ以内であれば針が落ちる音すら聞こえるレベルで耳がいい。実際、レーダーや集音器による索敵も行われているが、電磁パルスによる通信障害が発生するともはや意味が無い。そのために萩原やその他特殊部隊隊員による索敵も行われている。萩原はその筆頭というわけだ。また、特殊部隊大隊長を務める橋宮が萩原さんと呼ぶのは、萩原が特殊部隊の最年長であるからというのと、単純に貢献率が高いからだという。
島田はモニターを切り替えて、各隊員の心電図を右上のサブモニターに配置した。雷電のみ不在の為無反応だが、各員安定している。
と、ここで貴船大隊に合流した萩原から通信がきた。
「こちら島田」
『こちらBat所属萩原』
「連絡が来るということは、なにか聞こえたのかしら?」
基本的に何もないときには連絡は雑に回ってくることが多いが、こうして直接通信があるということは、何か懸念材料があるに違いない、と島田は確信した。
『その通りだ島田。地上のアリ共に加えて上空5~6000メートル辺りから羽音が微かに聞こえる。数は分からないが、おそらく下のアリよりもかなり多いぞ』
「上空5~6000? ヤシマ本隊のレーダーには何も映ってないのかしらぁ?」
『わからんが、電磁パルス的な特殊なシールドを張って索敵から隠れているかもしれん』
「空を飛ぶくせに電磁パルスまで……」
というもの、電磁パルスはここまでコオロギ種しか使用しておらず、コオロギ種は全世界含めて地上のみでしか確認されていない。コオロギ種が飛べないわけではないが、構造的に空を飛ぶにも電磁パルスを放つにも羽を使うため、その動作を同時に行うことは不可能だとされている。
『俺は警戒レベルⅣを発動した方がいいと思うね。もしかしたら本丸が“こっち”かもしれん』
「分かった。ヤシマ本隊に連絡を取ってみるわ。萩原隊員、お疲れ様」
通信を切って、島田はドローンカメラに切り替えた。が、ドローンでは高度が足りず何も映らない。
萩原を信用していないわけではないが、ここで特殊部隊の戦力を分断するのもかなりリスクを背負うことになる。
島田は本隊オペレーター室に繋いだ。
「こちら特殊部隊指揮官島田」
『はい、こちら本隊オペレーター室三田。島田さん、どうされましたか?』
「特殊部隊Bat所属の萩原隊員より、上空5~6000メートル付近で大量の羽音を確認したとのこと。早急な解析をお願いしたい」
『しばらくお待ちください』
島田は、テンポ間の遅さに小さく舌打ちしつつ、コーヒーを煽った。
『こちら解析班桝井、レーダー反応はありません。本当に羽音がしましたか?』
「うちの萩原が今までウソついたことがありますか?」
『そういうわけでは……』
「私は彼の意見を尊重し、警戒レベルⅣの発動を要請します」
『!? いや、それはさすがに容認できません。現在発動中の警戒レベルはⅢですよ?』
「だから何だというのでしょうか。こちらの判断ミスで国民を危険に晒すおつもりですか?」
『必要以上に国民を不安にさせる必要はありません』
「……そうですか。分かりました」
『島田さん……? 特殊部隊の全指揮権は現在あなたが保有しているとはいえ、勝手な行動はお控えいただきたい。混乱を招きます。 ……聞えていま』
島田は通信切断のボタンを叩き、会話を切った。これ以上話していても何も変わらないからだ。
そして即座に橋宮および特殊部隊全隊員に繋いだ。
「こちら島田。全隊員に通達。“Crow”“Eagle”“Falcon”所属の隊員は速やかにトーキョー本部に帰還せよ。残りの部隊は第二防衛基地にて待機」
『ゆき? 何かあったか?』
「かいとくん、話は後で」
島田は即座に通信を切って、対空防衛システムの使用許可申請をヤシマ工業ではなく、中央政府に直接提出していた。通るかどうかは中央政府の判断次第だが、正直ヤシマ工業に申請するより許可が下りる可能性が高いと考えたからだ。
特に対空防衛システムは中央政府が管轄していることもあって、中央政府がその必要性を感じた時点で他の八巻蟲研究所やNext Worldなどの組織にも現状報告がいくと考えている。
ただ、今までこの対空防衛システムが発動した試しはなく、話や理論上でしかこのシステムの内容を知らない。果たしてどこまで対応できるものなのか未知数ではある。
「も~! こんな時に雷ちゃんどこ行ってるのよぉ!」
連絡がつかない雷電にストレスをぶつけつつ、島田は様々な対空システムの使用許可申請を出しまわった。それもこれも、この羽音の正体に少しだけ嫌な予感を感じているからだ。二週間ぶりの警戒レベルⅢクラス、ヤシマ本隊の一般隊員全出撃、謎の上空の羽音。かつてのトーキョー強襲を彷彿とさせる条件が揃っている。
あの日も、一般隊員が出撃した後のことで、上空20000メートルから直接トーキョーを狙った攻撃だった。あの日、トーキョーを守るために約600人の隊員が死んだ。
「これだから早めの準備ってあれだけ言ってるのに~!」
島田はトーキョーにあるCrow本部のオペレーター室の椅子にもたれかかった。コーヒーを飲もうと思ったが、気がつけばそのコーヒーも無くなっていた。
と、そこへヤシマ本部から連絡がきた。
『こちらヤシマ本隊オペレーター三田』
「はい、島田」
『現在交戦中の貴船大隊後方上空で蟲の大群を目視で確認したため、本作戦は警戒レベルⅣに引き上げられ、作戦プランを変更し、トーキョー47区上空での迎撃作戦に切り替わります』
「警戒レベルⅣなのにトーキョー上空での迎撃? 危なすぎないかしら?」
警戒レベルⅣというのは、トーキョーを囲う障壁から30キロメートル以上先で迎撃および駆逐可能とするもので、あくまでもトーキョー47区に直接的な被害が及ばないもののはずだった。言い換えれば、第二防衛基地と引き換えに都市の安全を保障するようなレベルだ。それなのにトーキョーの上空での迎撃は有り得ない。
「もし地上戦になったら民間人の安全確保が間に合わないわよ?」
『宮本最高指揮官の命令です』
「ちっ……了解」
さすがの島田も宮本最高指揮官の命令とあらば従わざるを得ない。
「こちら島田。移動中の特殊部隊隊員に連絡。絶対にトーキョーの地は踏ませないで」
『了解』
島田はそう言って通信を切って、デスクを叩いた。
非力な白い拳から赤い血が滲んだ。




