休日のリーダー
トーキョー中央病院の一室で建物がひび割れるほどの声量で叫んだ男がいた。
「はぁ!? 雷電が逃げた?」
「えぇ……ですから、夜の巡回の際にはもう……」
「ちょっと、静かにしなよ」
今にも食い付きそうな橋宮を全力で押さえるミチルの前に座る看護師が恐怖を顔に張り付けて言った。
「いや心音取る機会とか酸素濃度測るやつとか付いてたでしょ!」
「……壊されまして……」
橋宮は大きくため息をついてその場に崩れた。
本来お見舞いと謝罪も兼ねて訪ねたはずなのだが、当の本人が消えては元の子もない。
「監視カメラは?」
「丁寧に隠してありました」
「サーモカメラは?」
「窓から飛び出たようで……外にはありませんから」
橋宮とミチルは肺が潰れるほどの大きなため息を吐き、頭を振った。
「ダメだ。瀕死のはずなのに……」
「化け物って噂はあながち間違いじゃないのか」
倒れる橋宮は「それに」と付け加えた。
「リラも帰ってきやしないし。猫でもご飯の時間に帰ってくるのによ」
「あんな可愛くない猫要らないよ。ほら、行くぞ」
そう言ってミチルは無理矢理橋宮を起こす。
看護師も戸惑いながら手伝ってくれた。
「そうか、ミッチーはどっか行くんだっけ?」
「霞と出掛ける予定だが?」
年上相手に全く敬語を使わないミチルが答えると、橋宮は後ろ頭を掻いて唸った。
「今日予定無いしな……」
「雷電探しなんでどうだ」
「絶対嫌だね。それに大体見当は付いてるし……」
雷電が妹の病室で珍しく笑顔で話している姿が容易く想像できた。
「早く行きなよ」
「えぇ、それでは遠慮無く」
そう言ってサッと身を翻して人混みに消えてくのであった。
「もうちょい可愛げがあっても……似合わねぇか」
そう言って橋宮も歩き出した。
*
突然今日が暇になったのは今朝のこと。
本来仕事は島田と分担してこなしていたのだが、何故か今日はやらなくていいからと強く断られ、そのまま押し負けてしまったのだ。
「とは言っても、やる事なんか無いしな……」
地下第二階層第二トーキョーをふらつく橋宮は、通りがかったサンドウィッチの店で飲み物とカツサンドを買って、街が見下ろせる展望テラスで早めの昼食を摂っていた。
「割とうめぇな」
口コミサイトナンバーワンと書かれた紙を見て決めたのだが、意外と当たりだった。
普段は任務用の動きやすい服を着ている橋宮だが、この日は短パンにタンクトップといういつでもジムに向かえる服装だ。歩き回っていると五月の日差しが少し暑く、丁度良かった。が、普段はいじらない短い髪の毛を少し固めたせいか、出掛ける前に霞に「怖い人みたい」と言われたのは少し傷付いた。
とはいえ顔の作りは並の人よりは良く、逆ナンパされるのは多々あり、そして今日も……
「席、いいですか?」
そう言って正面に座ってきたのは肌の露出が多い金髪美女だ。整った顔立ちでにこり笑う。世の男性なら一瞬で魅了されかねない美の暴力だが、この男、全くもって恋愛に興味を示さないのである。
「お兄さんは何かしてるの?」
美女は橋宮の腕を見てそう言った。
「あぁ、ジムトレーナーをね」
「今日はお休みで?」
「そ、今日はジムが休みだからね」
橋宮はありそうな嘘をつく。当たり前だが、蟲を殺す仕事をしていると言うと引かれる。普段戦地を駆け回る人間に付き纏う人など物好きが過ぎるのだ。
「それにしてもいい天気ね」
「そうだね。心が洗われるよ」
「そんなこと言って」
美女は口に手を当てて笑った。それを見て橋宮も笑う。側から見れば新米カップルみたいだが、橋宮の胸中は穏やかではない。
「因みに、このあとはどちらへ?」
やっぱりそう来るか、と橋宮は内心呟いた。ゆきに時々言われてるが、この手の女は金を盗むらしい。酒に誘い、何度も褒めておだてて酔い潰れたところで財布からカードを抜いたり、指紋認証の携帯のロックを解除してデータを盗んだりするらしい。
「あー、俺はこのあと……知り合いの見舞いに」
「あら、入院しているの? 私も行っていいかしら?」
その言葉を聞き、橋宮は付き纏われたくない一心で大袈裟に演技をした。
「あ! こんな時間! 面会時間に遅れちゃう!」
急に立ち上がった橋宮に驚き、美女は固まったまま、席を立つ彼を眺めている。
「え、えっと……」
「じゃ、そう言うことなんで、失礼」
橋宮はテラスの柵を飛び越えた。
越えた先にあるものは眼下に広がる街だけだ。
「おい! 人が落ちたぞ!」
どこからか聞こえる男の声でテラスに居た人達が一斉に柵から下を見下ろした。が、落ちた人影はどこにも無かった。
「……何だったの……」
美女は困惑したまま、そう呟いた。
*
風切り音と共に、建物の屋上が正面に向かってくる。橋宮は手を伸ばし、力を込めた。
「うっ、よい、しょ」
掛け声で指先に力を入れて落下した衝撃を緩和させ、前転することで全ての衝撃を受けきった。
「流石に百メートル落下はした事ねぇわ……」
無事に着地でき、服の汚れを叩いたところで、遠くの建物の屋上に見覚えのある姿を見つけた。
橋宮は建物から建物へ、手を器用に使い、飛び降り、電線を伝い、壁を登り、目的の場所までやってきた。
「おい雷電、何してんだ」
そう話しかけると、その人影はこちらを向いて、
「あ、橋宮サン。今日は天気が良いんで日向ぼっこでもしようかなって」
「いや、そんな状況じゃないだろ」
橋宮が目を下に向けると、雷電の周りに転がるのは血塗れになって動かない人だ。それも複数人。
「病院から抜け出したと思えば今度は殺人沙汰。そろそろ俺もお前のケツ拭えなくなってきたぞ……」
「いや、橋宮サン。勝手に俺を加害者にするのやめてくださいよ」
「お前がやったんじゃねぇのか?」
「やったのは俺ですけど」
「お前じゃん!」
思わず大きな声が出てしまい、うっかりこの状況がバレないように口を小さくした。
「俺こいつらに襲われたんす。いやマジで」
「へぇ、なんで?」
「さぁ? でもこいつらの徽章見たら何となく察しましたよ」
雷電はポケットから光る徽章を指で弾いて橋宮に渡した。
徽章は人と蟲が描かれており、共存している姿が描かれている。
「……なるほど」
橋宮はその徽章を見てすぐに答えが分かった。
この徽章は十二教会という新興宗教のもので、彼らは蟲と人との共存を信念に置き、それの実現に向けて活動しているらしい。
つまり彼らが雷電を襲撃したと言うのは嘘ではなく、邪魔者を消そうと考えての行動だと思った。
「それで? なんでここに居るんだ?」
しかし、橋宮には彼がここに居る理由が分からなかった。
「いえ、この辺りをふらついていただけですよ」
「そうか」
「えぇ、はい」
そう言うと、雷電は風のように姿を消した。
橋宮は渡された徽章を見つめていた。




