始動
今回の蟲の襲撃は、【crow】の雲切雷電が百八十七匹の蟲を撃破し幕を閉じた。
ヤシマ工業の被害は小さくなく、特に旧山梨県側を担当する大隊は壊滅寸前まで追い詰められている。また、無人機の機甲部隊も損傷を被り、現在技術部が総力を上げて修繕に取り掛かっている状況だった。
しかし島田曰く、これくらい日常茶飯事だと言うのだから驚きだ。戦死者負傷者を合わせて千人は下らない。特に今回は負傷者がほとんどだったため、戦力が一時的に機能しなくなるのは明白だった。
「明後日はどうなるんですか」
拠点に戻ってきて、医療班の人に包帯を替えてもらっている颯太が訊いた。
「うぅーん、規模にもよるわね。今回と同じ規模なら全投入だけど、小さいなら最小限の人員で何とかするわ」
タブレット端末の画面をスクロールしながら島田が言った。
今回【crow】は緊急出撃したため、今回も予備隊としての参加になるが、他の隊は前線に駆り出される。少なからずダメージが出るはずだった。
「まぁ次の任務は今回の予備隊だし、ほぼ通常通りに行くと思うねぇ」
そう言って画面から目を離した島田の顔は、疲れた表情を隠し切れていなかった。
しかし彼は、
「怪我は大丈夫なの?」
とこちらの心配をしてくる。実は交戦中に吹き飛んだ石の破片が脚に食い込み、少し深めに抉ってしまっていた。
「俺は大丈夫ですけど……島田さんの方こそ少し休んだ方が……」
颯太の言葉に、いや、と前置きし、
「まだやらないといけない仕事がある。それに、ふーくんに心配されるほど弱くは無いわよ?」
無理矢理笑顔を作り、ウインクを残して島田が部屋に引き上げていく。颯太はその背中を見ることしか出来なかった。
*
丁度BGMがサックスのソロパートに入った時だった。一人の男が鈴を鳴らして入ってきた。軽やかなリズムに合わせてカウンター席に座り、カクテルを一つ注文してジャケットを脱いだ。
「……遅ぇんだよ」
「おや、これは雷電。奇遇ですね」
横を向き、男はにこりと笑顔を向ける。雷電は表情を変えないまま正面を向いている。
男は持っていたバッグを雷電との間の席に乗せ、陣地を確保する。
「私、最近肩凝りが酷くてですね……」
そう言って男は肩を回す仕草をしてみた。が、雷電は見向きもしない。
「ゴホン……雷電、聞いていますか?」
「聞こえねぇ。無駄な事ばっか喋ってんじゃねぇ」
そう言って雷電は一口酒に口を付ける。男も出された淡い青色のカクテルに少し口を付けると、
「では早速本題に入っていいのですね?」
そう質問して、再び横を向く。
「早くしろよ」
雷電は苛立ちを隠さず催促する。
「えぇでは。昨日の戦闘でリラが戦線復帰しました」
「知ってる」
「おや、そうですか」
「そんな事が聞きたいんじゃねぇ」
雷電はギロリと横を向いた。彼の発する強烈な殺気のせいで、テーブル席にいた客がそそくさと支払いを済ませて出て行こうとする。
「分かっていますよ。彼女の出所ですが」
男は一度唇を湿らせて、
「ネクストワールド社からの可能性が高いです」
「……ネクストワールド社」
ヤシマ工業、八巻蟲研究所と並ぶ蟲を討伐することを目的とした企業で、最近になってその名を挙げ始めた新興勢力の一つだ。最新の科学技術を取り入れた戦い方で、世界から注目を集めているらしい。
「じゃあ死んだ……死にかけたリラはネクストワールド社に回収されて復活を遂げたって事か」
「えぇ、その可能性が高いですね。そして、雷電は枝夫妻と言う男を知っていますか?」
雷電は頭の中をぐるぐると探したが、聞いたことない名前だった。
「知らんな。誰だ」
「まぁいいでしょう、それよりこちらを」
男はバッグから書類の束を取り出し、雷電に渡した。
「今時紙束なんてな」
「燃やせば無くなる。隠匿性が非常に高いのですよ。それより中身を見て下さい」
そう言われて雷電は紙束をめくった。
『最重要機密事項:クローンプロジェクト
検体識別コード:H-00001
結果:失敗
肉体生成時に異常発生。胎児のまま機能停止。
検体識別コード:H-00002
結果:失敗
筋肉の不成長。後に細胞が崩壊。
検体識別コード:H-00003
』
「それは簡易的に纏められた実験データのようですね」
雷電は次々とページをめくる。平然と並ぶ実験失敗の文字列。名前も付かない検体の死亡写真。わずか数年で行われた人体生成実験は百八十二回。そして……
「……最後の、検体識別コードH-00183を見てください」
雷電は最後のページまで一気にめくった。そこには見慣れた少女が一人写っていた。
「……実験は成功……検体H-00183を……」
雷電は息を飲んだ。
「……リラと命名し、実地試験に移行、だと」
「えぇ、そうです。雷電の属する【crow】の構成員でもあるリラは、ネクストワールド社の開発した人造人間です。これまでの不可思議に辻褄が合いますね」
雷電は思い返した。戦場で突然消えたリラが傷一つなく帰ってきたこと。人間離れした身体能力を見せたこと。空気を読まない、相手の心情を読まない、その幼子のような行動言動。
「肉体を変えれば傷が無くなる。そうしなくてはいけないのは、クローンは傷が塞がらないからか。今回は何かしらのアクシデントが起きて、実験再開に時間がかかった。それに、作られた筋力は本来の人間を遥かに凌駕する力を持つ。そして、発達しきらない脳機能は敢えて人の輪に入れ込むことで充実させていく。あり得ない話じゃねぇのか……」
「えぇ、あり得る話です。そして何故自社ではなくヤシマ工業に入れたのか、ですが」
雷電は男の言葉を遮って、その先を繋いだ。
「ヤシマ工業の戦力把握か」
「あくまでも可能性の話です」
「とはいえクローンプロジェクトはほぼ間違いない。そしてリラも……」
ふと雷電の脳裏に橋宮の顔が浮かんだ。彼はよく「リラは人じゃない」と繰り返していた。気が付いていたのか、ただ勘が鋭かったのか。
「調査続行だ」
「えぇ、それはもちろん。あなた方ヤシマの人間もそうですが、私たち八巻の人間も対象の可能性がありますから」
そう言って男はいつの間にか飲み干したグラスをテーブルの上に置き、マスターに声をかけて会計を済ませた。
「またお会い出来ることを楽しみにしていますよ、雷電」
爽やかににこりと笑って店を出ていく。
カラン、コロン。
雷電はその背中を目で追って、見えなくなると再び紙束に目を落とした。
「…………」
その姿を無言で見つめる人間が、口を開いた。
「どうするおつもりですか?」
その落ち着いた声に顔を上げた。静かなジャズが店内を流れている。
「マスター、いや、裏社会のドンって呼べばいいか」
「どちらでもどうぞ」
「一つ頼みがある」
「なんなりと」
静かなジャズが店内を流れている。
静かなジャズが店内を流れていた。




