第二十四話 黒樹巨人
巨人の一歩で、森が跳ねた。
第二層第九環の奥。死神の試練を越えた先に広がる森は、黒い幹と白い根が絡み合い、空の代わりに淡い光を枝葉の隙間へ流していた。地面は土ではない。薄い皮膜と固い根が幾重にも重なり、踏むたびに湿った音が返る。花に似た器官が幹から垂れ、開いては閉じ、白い胞子を吐いている。
その森を押し分けて、黒い巨人が立っていた。
高さは二十メートルほど。樹皮と岩を縫い合わせた胴体。腹に重なる花殻。肩から背へ絡む太い根。顔には黒い一つ目がある。手には巨木を削った棍棒。だが、巨人の腕に重さへ振り回される気配はない。
澪の猫耳が伏せる。
根が軋む音。花殻が擦れる音。棍棒を握る指の表面が割れる音。地面の奥を走る細い震え。死神の試練を越えた後の耳は、澪がまだ慣れていない量の音を拾っていた。
「うるさい」
巨人が棍棒を振った。
振り上げから振り下ろしまでが、一呼吸より短い。
澪は避けなかった。
白い髪が揺れる。マシロの裾が地面を噛む。澪は右手にメイを持ったまま、左手を上げた。細い手のひらが、落ちてくる棍棒の腹に触れる。
止まった。
巨木の棍棒が、澪の手のひらで止まった。
ただし、衝撃は消えない。
澪の足元が沈む。白い根が砕け、黒い皮膜が爆ぜ、直径十メートルを超える円形のクレーターが森に開いた。足首まで沈んだ澪の周囲だけ、マシロの白い裾が支えている。澪の左腕は折れていない。肩も外れていない。細い指が、棍棒の樹皮へ食い込んでいた。
「重い」
澪はそれだけ言った。
そのまま左手を押し返す。
棍棒の軌道がずれた。巨人の腕が持ち上がる。澪は穴の底から跳び上がり、メイの柄を棍棒の側面へ叩き込んだ。棍棒が横へ弾かれ、巨人の顔が一瞬だけ空く。
澪は転移した。
白い残像が穴の底へ残り、次の瞬間、澪は巨人の目の前にいた。メイの刃を短く振る。黒い一つ目が裂け、青白い斬撃が遅れて奥へ走った。
『止 め た w』
『片手で止めた!?』
『今、片手だったよな?』
『地面だけ消えた』
『クレーターエッグぅw』
『棍棒の方が負けてる』
『左手になりたい』
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『早い』
『手のひらに受け止められたい』
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『残ったぞ』
『紳士判定なのか?』
『クレーターでかすぎる』
『澪ちゃん、重いで済ませた』
『【アークライン公認解説/Noah Vale】She stopped the weapon. The ground failed before her arm did.(武器を止めました。腕より先に地面が壊れています)』
巨人の顔から黒い根虫が噴いた。
小さい。細い。根の形をした虫だった。羽はない。足も見えない。だが跳ねる。黒い液をまとい、澪の顔と首、マシロの白い襟へ群がる。
マシロの襟が立つ。
白い布が虫を受ける。虫は布へ噛みつき、黒い液を流す。マシロは布ごと震わせて虫を弾き、黒い液を外へ吐き出した。
「えらい」
澪は巨人の顔を蹴った。
巨人の顔面がへこむ。
その蹴りで澪の身体が後ろへ飛ぶ。澪は空中でメイを横へ振った。刃は巨人へ届いていない。だが、振り抜いた軌道に青白い線が生まれた。遅れて空を裂き、巨人の肩へ届く。
青い斬撃が肩の根束をまとめて断った。
巨人の右腕が落ちかける。澪は空中で身体をひねり、落ちかけた腕へ鎖を巻く。引く。巨人の腕がわずかにずれる。澪はその腕を足場にして駆け上がった。
細い足が樹皮を踏むたび、黒い根虫が噴く。
マシロが裾を走らせ、足元の虫を焼く。焼け残った虫は地面へ落ちようとする。澪はそれを見た。耳が拾う。落ちた虫は逃げるのではない。地面の割れ目へ潜ろうとしている。なぜだ?
巨人の左拳が来ていた。
澪はメイの柄を拳へ当てる。今度も受け止める。拳そのものは止まる。だが足場が負ける。巨人の腕の表面が砕け、澪の足元の樹皮が大きく陥没した。
澪は沈む前に跳んだ。
跳びながら、巨人の親指を掴む。
引く。
折れた。
巨人の親指が、澪の左手で逆へ折られた。根束が悲鳴のように軋み、岩の爪が砕ける。巨人が腕を振り払おうとする。澪は折った親指を支点にして身体を回し、巨人の手首へ蹴りを入れた。
手首が曲がる。
巨人の拳が自分の胸へ叩き込まれた。
花殻が砕ける。白い汁が噴き、黒い根虫が滝のようにあふれた。澪は巨人の腕から跳び、反対側の肩へ転移する。白い残像が二つ、三つと残る。メイの鎖が青い光を引き、巨人の首へ巻きついた。
澪は鎖を引いた。
首が落ちる。
巨大な頭部が森へ沈み、黒い幹を数本折った。だが、身体は止まらない。棍棒を握ったまま、首のない身体が澪へ向く。
『指折った!?』
『親指いったー!』
『あの身体で関節技するのか』
『蹴りで手首曲げた』
『細い足で巨人の腕が曲がるの怖い』
『メイの斬撃が飛んだ!?アニメみたい!』
『青い線が後から走る』
『顔を蹴られたい』
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『顔は危ない』
『手首なら?』
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『どこでも危ない』
『首落としても止まらない』
『虫が出すぎ』
『【アークライン公認解説/Noah Vale】The severed body remains active. The insects are moving with purpose, not scattering at random.(頭部を失った身体が動き続けています。虫は無秩序に散っていません)』
首の断面から噴いた黒根虫は、三つに分かれた。
澪へ向かう群れ。
巨人の首へ戻る群れ。
地面へ潜る群れ。
澪へ向かう虫はマシロが弾く。首へ戻る虫はメイで叩き潰す。だが、地面へ潜る群れは速い。黒い液を引きながら根の隙間へ消える。
次の瞬間、首のない巨人の肩から新しい頭が生えた。
樹皮が盛り上がり、根が巻き、花殻が顔の形を作る。黒い一つ目が開く。
澪は巨人の肩で眉を寄せた。
「めんどう」
再生が終わる前に、澪は顔面へメイを叩き込んだ。新しい頭が半分砕ける。砕けた場所からまた虫が出る。虫が地面へ逃げる。逃げた先の根が脈打つ。
二体目が、背後の地面から立ち上がった。
三体目が、右の幹を割って腕を伸ばす。
四体目の黒い一つ目が、枝葉の奥で開く。
森の光が巨人の影で遮られる。
澪は最初の巨人の肩から飛び降りた。
地上に降りる直前、三体の棍棒が重なって振られる。
澪は落下しながら、左手を伸ばした。一本目の棍棒を掴む。細い指が樹皮へ食い込む。棍棒が止まる。二本目はメイの柄で押す。三本目はマシロが作ってくれた白い足場を蹴って回避する。
止めた棍棒から、腕へ衝撃が抜ける。
その衝撃を澪は殺さない。
掴んだ棍棒を支点にして身体を回し、巨人の手元へ戻る勢いを作る。棍棒を握っていた巨人の手首が引かれ、体勢が崩れる。澪はそのまま棍棒の上を走った。
動く棍棒の上を、白い猫耳の少女が走る。
途中で跳ぶ。
空中で転移。
別の巨人の顔の前へ出る。
メイを振り抜く。青い斬撃が飛び、遠くの巨人の肘を斬る。すぐに身体を落とし、目の前の巨人の顎へ膝を叩き込む。
巨人の顎が跳ね上がった。
澪はその顎を足場にしてさらに上へ跳び、鎖を三方向へ走らせた。右の巨人の棍棒。左の巨人の腕。背後の巨人の首。鎖が張る。澪は空中で身体をひねり、三つの巨体を同時に引いた。
巨人同士がぶつかる。
樹皮が砕け、花殻が散り、黒根虫が雨のように降る。
『増えた』
『もう四体いる』
『いや奥にもいる』
『棍棒を片手で掴んだ』
『掴んで止めた』
『そこから走った』
『動く棍棒の上を走るな』
『膝で顎跳ねたぞ』
『あの膝に人生を狂わされたい』
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『もう狂ってる』
『マシロの白い足場、綺麗』
『でも踏んだら死にそう』
『三体引っ張った』
『メイの鎖が空を縛ってる』
『澪ちゃん、巨人で巨人を殴ってる』
『【アークライン公認解説/Noah Vale】She is using the giants as moving platforms and counterweights.(巨人を動く足場と重りとして使っています)』
巨人は増え続ける。
五体目が根の束から生える。
六体目が黒い幹を折って出る。
七体目が地面の皮膜を破って片腕を伸ばす。
八体目、九体目、十体目。
さらに奥にも影がある。
森の前方が、黒い巨体で埋まった。
棍棒が並ぶ。拳が重なる。根が足元を塗り潰す。巨人の影が折り重なり、澪の白い姿だけが小さく浮かぶ。
「多い」
澪はそれだけ言った。
そして、前へ出た。
巨人たちが一斉に振り下ろす。棍棒、拳、根。十を超える質量が、澪の一点へ落ちる。
澪は消えた。
転移。
巨人の肩へ出る。刃を振る。青白い空刃が飛び、遠くの巨人の肘を斬る。すぐ転移。別の棍棒の上。走る。蹴る。棍棒が跳ね、横の巨人の顎を砕く。
転移。
巨人の胸元。メイの柄を叩き込む。花殻が割れる。黒根虫が出る。マシロが弾く。
転移。
落ちてきた拳の真下。澪は片手を上げる。拳を受ける。足元が死ぬ。白い根が粉になり、地面へ大穴が開く。澪はその穴の底から跳び上がり、拳を押し返す。巨人の腕が跳ね上がる。
転移。
首元。刃が走る。首が落ちる。
転移。
膝裏。柄打ち。膝が折れる。
転移。
背中。鎖を巻く。引く。巨人が別の巨人へ倒れる。
白い残像が森を埋める。青い斬撃が遅れて走る。巨人の腕が落ち、首が飛び、棍棒が砕ける。だが、巨人は止まらない。砕けた場所から黒根虫が溢れ、地面へ戻り、別の場所で根が膨らむ。
澪は巨人を倒している。
確かに倒している。
それなのに、数が減らない。
『十体いる』
『まだ増えてる』
『白い残像が多い』
『澪ちゃんがどこにいるか分からない』
『今、拳を片手で受けた』
『クレーターだらけだァ』
『腕より地面が弱い』
『遠くの腕が青い斬撃で落ちた』
『メイ、斬撃飛ばせるようになってる』
『マシロが穴から引き上げた』
『あの白い裾に救われたい』
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『また残った』
『救助希望は通るのか』
『澪ちゃんの左手に棍棒ごと受け止められたい』
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『棍棒になってから出直せ』
『巨人になれば受け止めてもらえる?』
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『巨人も折られてるんだよなあ』
『【アークライン公認解説/Noah Vale】She is defeating the bodies, but the number is not decreasing. Something keeps returning through the roots.(身体は倒していますが、数が減っていません。根を通って何かが戻り続けています)』
澪は一体の巨人の拳へ着地した。
拳が持ち上がる。澪は足の裏で拳の動きを読んだ。振り払われる直前、澪はその指を掴む。
細い手が、巨人の指に掛かる。
巨人が振り払うより早く、澪は身体を回した。
指が折れる。
手首がねじれる。
腕の根束が裂ける。
二十メートルの巨人の腕が、澪の小さな身体に振り回された。
澪は折った腕を引き、巨人の体勢を崩す。そのまま隣の巨人へ叩きつけた。二体分の身体がぶつかり、花殻と樹皮が砕ける。黒根虫が雨のように降った。
マシロが広がる。
白い裾が澪の周囲を半円に守り、黒根虫を焼く。焼け残った虫が地面へ向かう。澪はそこへメイの鎖を投げ、まとめて引っ掛けた。
虫たちは地面へ戻ろうとする。
鎖が沈む。
強い。
澪の腕が下へ引かれる。地面の奥に、何かがいる。巨人一体の重さではない。森の床そのものが、鎖を引き込もうとしている。
澪は鎖を離さなかった。
巨人が迫る。
澪は鎖を掴んだまま、片手でメイを振った。青い空刃が横へ飛び、近づいた巨人の膝を裂く。別の拳が落ちる。澪は左手で受け止める。足元が沈み、また大きな穴が開く。マシロが澪の足首を締め、倒れる前に支える。
猫耳が伏せる。
地面の下で、鼓動が鳴った。
一度。
深い。
二度。
巨人たちの足音よりも重い。
三度。
澪の胸まで震えが届いた。
澪は地面へ片手をつき、青い目を細めた。根が走る音。虫が戻る音。巨人が再生する音。すべてが、その鼓動へ繋がっている。
「本体、下」
声は小さい。
けれど、配信には入った。
『下?』
『本体って言った?』
『澪ちゃん、地面を見てる』
『耳が下を拾ってる』
『メイの鎖が沈んでる』
『黒い虫が鎖ごと戻ろうとしてる』
『そこへ戻ってるのか』
『地面の音、配信にも入ってる』
『低い音がする』
『心臓みたいな音』
『メイが鳴ってる』
『武器が嫌がってるみたい』
『【アークライン公認解説/Noah Vale】Her weapon reacts more strongly to the insects than to the giants. The source is below her feet.(武器は巨人より虫へ強く反応しています。源は彼女の足元です)』
『足元に源』
『澪ちゃん、引いてる』
『いや引かれてる』
『マシロ、足元守って』
『白い布で包んで守ってあげて』
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『残った』
『守りたい気持ちは分かる』
『でも守られてるのこっちかもしれない』
巨人たちが一斉に動く。
十を超える棍棒。いくつもの拳。地面から跳ねる根。空を埋める黒根虫。澪の上に、森の影が落ちた。
澪は鎖を離さない。
片手でメイを握り、もう片方の手で地面を押す。マシロが白く広がり、澪の足元だけを小さな陣地に変えた。虫が群がる。白い布が焼く。焼け残った根が足首へ刺さろうとする。マシロが締める。澪の猫耳が次の拳を拾う。
澪は顔を上げた。
棍棒が落ちる。
その直前、視界の端に文字が浮かぶ。
《武芸の心得》Lv5→Lv6
澪は瞬きもしない。
左手で一本目の棍棒を受け止める。足元が砕ける。メイの柄で二本目を押す。鎖で三本目を引く。肩で拳を流し、足で根を踏まずに跳ぶ。跳びながら黒根虫の群れを鎖に巻き込み、地下へ戻る力をさらに強くする。
巨人の攻撃が、巨人同士へぶつかる。
腕が砕ける。
棍棒が折れる。
根が裂ける。
虫が噴き出す。
その全部を、澪は地面の奥へ繋げた。
鎖がさらに深く沈む。
鼓動が、怒ったように強く鳴った。
森全体が揺れる。
澪は口元だけで、小さく息を吐いた。
「見つけた」
地面の奥から、巨大なものが澪を引き返した。
新しいボス戦です。




