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生かすために、何を差し出すか

 衝撃は、時間を消した。

 金属が軋む音が遅れて届く。

 何かが裂けるような、嫌な音。

 それが自分の中で鳴ったのか、外で鳴ったのかも分からないまま、身体は叩きつけられた。


 ――気づいたとき、藍里は砂の上に倒れていた。

 喉に鉄の味が広がる。

 耳の奥でまだ何かが鳴っている。

「……綾!」

 最初に出たのは、妹の名前だった。

 身体が勝手に動いた。

 砂を掻くようにして、隣を探す。

 すぐに見つかった。

 シートベルトが外れ、半ば投げ出されるような形で、綾は浅い呼吸を繰り返していた。


「大丈夫……大丈夫だから」

 誰に言っているのか分からないまま、藍里は呟いた。

 震える手で綾の肩に触れる。

 揺らすと、ほんのわずかに身体が反応した。

 返事はない。

 それでも生きている。

 藍里は張りつめていた息をゆっくり吐き出した。


 そのときになって、ようやく周囲の気配が耳に入る。

「……生きてるよな?」

 男の声だった。

 顔を上げる。

 少し離れた砂浜で、茶髪の若い男が大の字になったまま空を見上げている。

「……たぶん」 

 答えたのは、その隣にいた背の高い男だった。

 額を押さえながら周囲を見回していた。

「良かった。いや、全然良くないわ」

 茶髪の男が自分で突っ込みを入れながら起き上がる。

「最悪じゃん」

 場違いなくらい力の抜けた声だった。

 ただ一人、がっしりとした体格の男だけは、すでに機体へ向かって歩き出していた。

 迷いのない足取りだった。

「生存者はいるか」

 低い声が響く。

 返事を待たず、男は潰れた機体の中へ入っていく。

 藍里も思わずその背中を目で追った。

 折れ曲がった座席の向こうに、人影が見える。

 動かない。

 呼びかけにも応える者はいなかった。

 藍里は反射的に視線を逸らした。


 どれほど中を探していたのだろう。

 やがて、男が機体から姿を現す。

 その表情を見た瞬間、藍里は結果を悟った。

 男は周囲を見回し、短く言う。

「……この五人だけか」

 その言葉は淡々としていた。

 けれど、潰れた機体の向こうに残された現実を突きつけるには十分だった。

 藍里は思わず綾の手を握る。

 

 男は機体へ背を向けると、今度は海へ視線を向けた。

 白い波が、何事もなかったように砂浜へ寄せては返す。

「ここは島だな」

 背の高い男が小さく息を呑む。

「救助は……?」

 恐る恐る絞り出したような声だった。

 男は海を見つめたまま黙り込む。

 やがて口を開いた。

「来るとは思う。だが、時間はかかるだろう」

 その言葉に、藍里の胸は重く沈んだ。

 男はそこで初めて全員へ視線を向けた。

「全員で生き延びる」

 静かな声だった。

 けれど、決して揺らがなかった。

 藍里は唇を噛む。

 その言葉を信じたいと思った。

 けれど同時に、簡単に信じられる状況でもなかった。


―――


 がっしりした体格の男――和泉が、綾の前でしゃがみ込んだ。

 腫れ上がった足へそっと触れ、そのまま押し黙る。

 その横顔を見た瞬間、藍里の胸がざわついた。

 嫌な予感しかしない。

「骨、やってるな」

 一瞬、言葉が頭に入ってこなかった。

「……歩けないってことですか?」

 声が掠れる。

「少なくとも当面は無理だ」

 和泉は短く答えた。

 綾が小さく息を呑む。

 藍里の頭も真っ白になった。

 歩けない。

 その言葉だけが何度も頭の中で反響する。

「いやー、いきなり詰んでない?」

 茶髪の男――佐伯が砂を弄びながら言った。

 冗談みたいな言い方だった。


 和泉は答えるより先に立ち上がった。

 流木の中から真っ直ぐな枝を一本選び、散乱した荷物を探る。

 見つけた衣類を躊躇なく裂いた。

「動かすな」

 綾の足へ枝を添え、その上から布を巻いていく。

 途中で綾が小さく顔をしかめた。

「少し我慢しろ」

 固定を終えると、今度は荷物を積み上げ、その上へ綾の足を乗せる。

「高くしておけ」

 藍里は呆然と見ていた。

 さっきまで何をすればいいのか分からなかったのに、この男はもう動いている。

「腫れを抑える」

 それだけ言うと、和泉はもう周囲へ視線を向けていた。

「このまま砂浜に置いておけないですよね」

 背の高い男ーー神谷が言った。

「日陰を探す」

 和泉は迷いなく言った。

「洞窟とか?」

 佐伯が空を見上げながら言った。

「都合よく見つかるか?」

「探すしかない」

 和泉は言い切ると、立ち上がった。

「俺も行きます」

 神谷も迷わず後に続く。

「男三人で探す」

 和泉は藍里へ視線を向けた。

「ここで待ってろ」

 藍里は小さく頷くことしかできなかった。

「めんどくさ。まあ、了解」

 佐伯は肩をすくめながらも立ち上がる。

 三人はそのまま海岸沿いを歩き始めた。

 藍里は、その背中が少しずつ小さくなっていくのを見つめていた。


 波の音だけが静かに響く。

 このまま待っているだけではいられない。

 藍里は散らばった荷物へ歩み寄った。

 砂まみれの鞄を拾い上げ、中身を確かめる。

 タオルや着替え、潰れた菓子の袋。

 使えそうなものだけを脇へ集めていく。

 けれど、思ったほど残っていなかった。

 水も、食料も、わずかしかない。

 不安が胸の奥でじわりと広がる。

 振り返ると、綾は目を閉じたまま、浅く息を繰り返していた。

 痛みを耐えているのが分かる。

 藍里は唇を強く噛み締めた。


―――


 日差しだけが容赦なく降り注ぐ。

 どれくらい待ったのか分からない。

「おーい!」

 遠くから佐伯の声が聞こえた。

 藍里は弾かれるように顔を上げる。

 海岸の向こうに、3人の姿が見えた。

 胸の奥に張りついていた緊張が、少しだけ緩む。

「見つかった」

 和泉が短く言う。

 神谷も肩で息をしながら頷く。

「小さいけど、日陰になる場所がある」

 藍里は思わず息を吐いた。

「移動しようか」

 神谷は綾の前へしゃがみ込んだ。

「少し揺れるよ」

 声をかけてから、そっと横抱きにする。

 藍里も荷物を抱え、その後を追う。


 海岸沿いをしばらく歩くと、岩場を回り込んだ先に小さなくぼみが口を開けていた。

 洞窟と呼ぶには狭いが、直射日光を避けるには十分だった。

 神谷は足元を確かめながら進む。

「痛い?」

 綾は小さく頷いた。

 その様子を見て、神谷は眉を下げた。

「ごめん。もう少しだけ我慢して」

 神谷は腕に力を込め直し、さらにゆっくり歩き始めた。


 やがて洞窟へ着くと、神谷が綾をそっと岩肌へもたれさせる。

 綾は苦しそうに息を吐いた。

 額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

 藍里は慌ててその隣へ膝をついた。

「……ごめん」

 綾がぽつりと呟いた。

 腫れ上がった足を見つめている。

「謝らなくていい」

 藍里はそう答え、綾の手を握る。

 細い指先がかすかに震えていた。


 綾は、自力では動けない。

 水を取りに行くことも。

 食べ物を探すことも。

 危険から逃げることも。

 誰かが支えなければ、この島では生き残れない。

 ――このままじゃ、置いていかれる。

 その考えが頭をよぎる。

 そして、自分でも驚くほど自然に次の考えが続いた。

 助けるために、どうするか。

 生かすために、何を差し出すか。


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