⑲4月1日、名取市閖上地区へ
4月1日
昨日の夜、震災の時の話を母親から聞きました。
地震発生の時は両親と弟が家に居たのですが
異常な揺れだったために
全員で家から外に出たそうです。
立っていられないほどの揺れで、
家の周りのフェンスに
しがみついていたとのこと。
揺れがおさまって家の中に入ると
食器棚が倒れリビングは
ガラスだらけになっていたそうです。
何度も何度も大きな余震が発生するために、
弟はすぐに避難できるように
靴を履いたまま寝ていたそうです。
電気、水道など全て停止。
まだ3月ですから
寒くて大変だったと話していました。
近くの店には
物資を買い求める人々がたくさん並んで、
両親も弟もたくさんの店に並んで
買い物をしたとのこと。
こういった話を聞くと、
自分が家族と離れていたことが
本当にやるせない気持ちになるんです。
こんな大変な時に
自分は自転車で日本一周をしていた。
この自分を責めるような気持ちは、
この先もずっと心に隠れていながらも
居座り続けることになるんです……。
旅を終えて最初に自分がしたことは、
震災を自分の目で見るということでした。
あの時、この名取市で何があったのか、
しっかりと見ることが
今の自分がやるべきことなんだと思いました。
そこで自分は名取市の
閖上地区に向かうことにしました。
閖上地区は海の近くにあって、
震災により甚大な被害を受けたのです。
家からは自転車で四十分ほどの場所になります。
閖上は夏に毎年花火大会が開催され
自分も何度か行ったことがあります。
決して知らないところではなく
身近な場所という感覚を持っていました。
「これから震災の現場を見ても落ち込むなよ」
職場で言われたことが心に残っています。
自分は見ておかなければならない。
その思いから自転車を走らせました。
バイパスを越えて二十分ほど進むと、
道路に泥が乾いた状態のものが
目立つようになりました。
徐々に閖上に近づいて「ある境目」を越えると、
一気に雰囲気が変わります。
それは津波が押し寄せたところと
津波が止まったところの境目だと思われます。
その境目を越えると
信じられない光景が目の前にあるんです。
閖上港にあったはずの漁船が流されて
田んぼの真ん中に佇んでいたり。
車が数台重なって畑に突っ込んでいたり。
崩壊した家の数々。
辺り一面瓦礫と砂埃。
普通の靴では危険に思えたりもします。
自転車ではこれ以上は進むことは難しそうです。
パンクしそうな
何かしらの破片などが散乱しています。
自分が知っている
閖上ではないように感じました。
甚大な被害を受けてしまったために、
ここからの復興は大変だと思ってしまいました。
けれど、たくさんの方が
閖上の復興に動いている現場も
同時に見ることが出来ました。
閖上に何台ものトラックやダンプカー、
自衛隊の車両が行き交っています。
懸命に瓦礫の片付け作業をしている
人々の姿も見えます。
復興とか今すぐに考えることも難しいほどに
深く心を痛めてしまっている人もいるでしょう。
それでも半歩ずつでも
前に歩みはじめている閖上の姿があります。
力を合わせてもう一度心をひとつに。
現在の閖上の姿を直接見て、
自分も自分のやれることを
何かしたいと強く思いました。




