⑩旅122日目、(3月11日)
旅122日目。
3月11日。
この日から本土最東端、納沙布岬を
目指して走ります。
北海道の原野が永遠に
続くのではないかと思えるほどに走っていたら、
徐々にトイレに行きたくなりました。
周囲には何もないので当然トイレもありません。
十勝川を越えたところで我慢の限界です。
これはさすがに大変な状況になってきたと
焦っていたら、ようやく遠くに
公民館みたいなところを発見。
トイレを借りようと声を掛けても返事がない。
我慢の限界、無断ですがトイレに駆け込みました。
それほどに追い込まれていたのです。
ギリギリセーフでスッキリした途端でした……。
ガタガタと地震発生。
けっこう強いなぁと思ったのと同時に、
自分の誕生日に宮城で地震があったので、
これは宮城で発生したものだと
なんとなくですがわかりました。
「宮城県北部震度7」
とインターネットの文字。
すぐさま宮城にいる家族が心配になる。
母親に連絡するも繋がらず。
とりあえず自転車に戻って
連絡をしようとしたけれど繋がらない。
それでも数分後、母親からメール。
強い地震があって家の中は
いろいろな物が散乱しているが
皆大丈夫
と連絡あり。
同時に地元の仲間からも、
仕事は地震の為に終了したが、
テレビ局が情報を伝える為に
なんだかわからないけれど
会社に来ている
とメールが届く。
どうやらかなりの地震らしい。
もう一度母親に確認のメールを送ると
母親から電気、水道が
ストップしていると返信あり。
津波も沿岸部にきているとネットからの情報。
津波まで……これはもう普通じゃない。
自分は離れた北海道にいるので、
正直わからないこともありますが、
宮城が大変なことに
なってしまったことは伝わりました。
ある程度の時間が経過すると
この北海道もパトカーが巡回し始めました。
自分はもう走ることに集中することは
無理な状態なので、今日はとりあえず
近くでテント泊をすることにしました。
こんな時に自分は北海道にいる。
家族の近くにいられないことがもどかしい。
なんでこのタイミングなんだと、
嫌なこともいろいろと考えてしまいます。
けれど、夜になってテントの中で
これまでの旅の出会い、やってきたこと、
そして自分が本当はどうしたいのか、
それらたくさんのことを頭の中で
なんとか組み合わせて、どうするのが良いか
結論を導きました。
旅を続けて日本一周を達成して、
無事にみんなのもとに帰ること。
それが自分のやるべきことだと決めました。
今になって旅をやめてもどうしようもないのです。
ただし、この時の自分には地震の情報も
まだはっきりと入ってきていない状態で
宮城との距離感もあったので、もしかしたら
状況を理解していなかったかもしれません。
今後、旅を続けていくことで次第に情報が入り、
自分も理解していくことにはなるんですが……。
これが旅122日目の話です。




