@9の2 『デッド・ヒート(上)』
そしてまた夜の街。
俺は今日も今日とて桃様に引き連れられているのだった。
今の俺は樽でワインを飲んでも大丈夫レベルのスーパーうわばみなので、それと同等以上のモンスター飲兵衛である桃様的には俺と飲むのは心置きなく深酒できて楽しいらしくしょっちゅう指名されるのである。
そして桃様は、このクソ寒いのにコンビニ前でたむろして、通りかかった入店客に丸めたちり紙投げたりして遊んでた不良の集団を、話し合いの末に路地裏に連れ込み、連れ込んだからには目が開かなくなるほど顔面ボコボコにして、今晩の飲み代を調達するといういつものお仕事をなさるのだったが。
…頭痛くなってきた。
どう見ても飲み屋行くような年恰好じゃないし、こいつらは守護るべきアウトローの対象としてノーカンってことでいいことにならんかな…。
どうにかしてこの責任から逃避する方向性にばかり思考が働くが、どう考えても前門の虎と後門の狼なのである。後門の狼がいかなる手段に訴えても俺のすべてを破滅させようと全力をかけてくる系女子であることを思えば、今のところヤナギダの刺客を名乗りつつも俺へ危害を加える様子をすこしも見せない虎のほうが、会話の相手としてはマシであろう。
…いくしかねえ。よ、よし。
「あ、あの桃様?」
「おう」
不良のケツポッケのごっつい折りたたみじゃない革財布を探りながら、桃様が気のない風に返事なさる。
「いや、あのね。確かにこいつらは悪人なんすけどね。ただ悪人は悪人なりに悪人やってる理由があるってゆうか、もしかしたらそのお金も病気のお母さんの治療費とかかもしんないしですね、ぶん殴って取り上げるようなことはちょっと法治国家ではいかがなものかと思うんですがね」
言っててだんだん泣きたくなってきた。なんでこんな心にもなさすぎること並べてんだ俺は。万一どころか億が一にもありえんけど、そんなに大事なお金だったら初冬のコンビニでうんこ座りしてないでさっさとお母さんとこ行けばいい話であった。というか悪党なんて別に数万円レベルのこそ泥や寸借詐欺でも死刑でいいんじゃね? とは俺の日ごろの思想なので、いま言ってることは俺の考えとは正反対もいいところである。
「こやつらはな」
と、そこで言葉を切って、財布の中身を漁り、中の札びらだけを取り出して、財布をぼろ雑巾のように転がる不良の上に投げ落としながら、桃様はおっしゃった。
「法の傘がいらぬから、無体無法をしておるのだ」
ぶっちゃけ俺もそう思う。
そう思うのだが、同意していては話が進まないのである。
「あー。いやいや。それはそうかもしれんのすけどね。あの、ほら、あれですよ。そいつら側の事情っていうかですね、国の法律というか国際ルールというか、現代社会にはいわゆる人権ってやつがあってですね、どんな悪人だろうと命を守られるべきって決まりがあるんすよ。だから悪いことしてる奴だからって勝手にそいつを痛めつけたり、そいつから盗んだら駄目なんす」
よっしゃ。言った。言ったった。まあ桃様もちょっとね、オトギキングダムが今般どんな倫理観なのかは知らんけど、現代日本に来たからには郷に入りては郷に従えつってさ、もうちょっとこっちのルールを尊重してもらわないとさー。はーやれやれ、これでオニヒメじゃなかったオトヒメさんの依頼が果たせたわ。とか思ってたら。
「法に倣わず市井に迷惑なるものを、わざわざ法によって守るのか。それはまた」
俺の話を興味なさげに、不良どもからの物色を続けていた桃様が、このとき初めて俺の顔を見て、このようにおっしゃた。
「それはまた、慈愛の世になったものよ」
そして、それきり口を閉ざされてしまわれた。
口元だけは笑みらしき風に歪めつつ、桃様の冷め切った目は「それで?」と、だからどうした、と俺に答えを求めて突き刺さる。
それで? といわれても、いや、だから、ここは現代日本なわけだから法を守ってくださいよー! とか思っても、桃様にしてみればこっちの世界で桃様を拘束する方法なんかないわけだし、めんどくさくなったらオトギキングダムに帰れば済む話だし、自分の節を曲げてこっちに馴染む理由などなんもないのだ、と俺は瞬時に思い至った。
八方塞りである。
※
「だからって諦めてどうするんですか? 桃太郎さんのせいで弘前の水商売が被ってる損害全部、外崎さんが負担してみますか? 子供のお使いじゃないんですよ?」
「だってどうしようもないじゃないっすか! そんな野生のライオンとシェイクハンドしてこいみたいなこと言われたってできるわけないっすよ!」
思わずシンタ語になってしまうほどの無茶ぶりである。
なんで俺はこんな中間管理職とか公共事業の説明会開く公務員みたいな板ばさみの立場に追い込まれているのだろう。意味がわからない。
「できるできないじゃなくて、やるやらないの問題ですよ。気合足りてますか? 大丈夫ですか?」
完全にヤクザの論理をもってぺしぺしと額を叩かれる。なんという屈辱か…。
「だいたい気合の話するならそもそも弘前のアウトローがだらしねーんじゃねーですか。桃様一人にビビりあがって誰も飲み歩きもできなくなるとか」
まあ俺だったら車を一閃でぶった切る異常者が出会うなり問答無用でカツアゲしてくるような場所にはもちろん行けないが。
「エイジさんのことをどうこういえる立場ですか。外崎さんみたいな顔も人生もだらしないおじさんに人を悪くいう権利ないでしょう」
エイジさんって誰だよこの短期間にまた男変わったのかこのバケモン。
「しらねー! しらねー! だいたいあんなのがこっちの世界に来たのだって元はといえばお前らのせいだしー! オトギキングダムのことはオトギキングダムの人たちでなんとかしてくださーい! ばーかばーか!」
あまりにも解決不可能な難題に幼児退行して大暴れする俺を、便所の床にぶちまけられたゲロを見る目で見て、オトヒメさんは長いため息をついた。
「はあ。しょうがありませんね。それでは秘策を授けましょう」
※
そしてまた夜の盛り場。
俺は桃様に会うなり土下座っていた。
もちろんオトヒメさんの秘策によるものである。
「なんの真似じゃ」
「お願いしまっす! 俺を、俺を桃様の舎弟に…いやさ、ヤナギダ様の下僕にしてください!」
オトヒメさんの秘策とはこうだ。
全身全霊の誠意を持って桃様の傘下に入ることを願いでる。
桃様は度量が大きいフリをしたがる筋肉馬鹿なので、大喜びでこれを受け入れる。
今までと違って、同輩ではなく手下の前なので油断する。そこをブスリだ!
…これに『策』って漢字を用いることは象形文字文明に対する侮辱ではないだろうか。頭悪いを通り越して正気を疑う。もちろんオトヒメさんはこんなもんが通るとは露とも思ってはおらず、実行担当者の俺が使い捨てにしてもちっとも惜しくないゴミだから決行に及んだのである。
あれ? 俺が死んだらオトギキングダムも不味いことになるんじゃないの? だからヤナギダも刺客を送ってきてるし、あんたら姉妹も俺を追って日本へ来たのでは? YOUは何しに日本へ?
もちろん、シャワーや水洗便所さえまともに整備されてない原始人生活を続ける故郷に、ウラシマはともかくオトヒメさんがもはやなんの思い入れも持ってないことはわかるが、だからって仮にも故郷だぞ? 滅んでいいの? いいんだろうな。すごいクソ女がいたものであった。
そして、人生の舞台を完全にこちらへ定めて、こちらで人脈を構築しているプリンセスとしては、とりあえず自分が桃様問題への対策を行ったという実績を作る必要があるのである。その結果いかんに関わらずだ。実行の伴わない口約束というのは、裏社会では最も軽蔑される。とりあえずどんな行動でもいいから、とにかく行動しないといけないのだ。それで結果が出せなければそれはまあ当然馬鹿にされるが、それでも何もせず無為で終わる奴よりは扱いがマシになる。アウトローの思考回路とか美学はおおむねそういうものである。
○○組の石場さんに直接頼まれたからそろそろ目に見える成果がないと困るんですよね。と、プリンセスが言ってた。だから私の顔も立ててくれません? つって。そんだけ内実を晒したからには、もう俺に提案を断るといった自由は残されていないのだった。最初からそんな自由などありゃしなかったが。
とにかく、オトヒメさんの言われるがまま鉄砲玉にならなければ、どういう災厄が訪れるかわからない。その災禍は主に、オトヒメさん及びその手下となるウラシマ&白雪によってなされるであろう。逃れる術はない。
「ほう」
とだけ言って、桃様はそのあと沈黙なされた。
土下座っているために顔色をうかがえず、桃様がいまどのような顔をなされておいでか予想もつかない。声だけで判別しようにも、その声色はまったくの無色透明無感情なのだ。面をあげる? それは正式な作法ではない。貴人に許されるまで、勝手に顔を上げるなどしていいわけがないじゃない。俺はいま完全に中世日本の下人モードであった。
「実のところじゃが」
地面にガンつけたままの俺に向けて足音が近寄る。
「うぬをいかに処すべきか。判じかねておったのだ。ヤナギダのようなものに狙われておるにしては善とも悪とも言いがたい。しかし、おのずからヤナギダのごときものの手先に納まるとまで申すのであれば、これはもはや致し方ない」
やさしく、それは気味悪いほどやさしく、俺の肩を桃様が押した。
面をあげよ、と、口には出さなくとも、その手の調子が語っていた。
あげたくなかった。あげたら終わる。いろんなことの終わりが見える直感があった。さりとて桃様の命令に逆らうこともできない。俺はおそるおそる、顔をあげた。
「よい酒飲みの友と思うたが、口惜しや。『まつろわぬ者』であったか外崎龍王」
そこには、本当に悲しそうな顔をした桃様がいたのであった。
※
なんでこーなった? おかしくね? 桃様ってヤナギダの刺客なんでしょ? なんでヤナギダに従うルートになると襲ってくるの? おかしくない? フラグ管理バグってない?
夜中の土淵側の川端。弘高下から小沢方面へ繋がる長大な堤防道路を、俺は必死こいて走っていた。むろん追ってくるのは桃様である。
桃様には俺のように必死に手足振って走ったりするのは似合わない。だからしたたたたたっつー感じで足だけを目に見えない速度で動かしている。上半身は微動だにしない。いわゆる十傑衆走りってやつである。そんな走り方なのに超早い。俺はぜひぜひ息切れしそうなほど一生懸命なのに、振り返ってみる桃様は顔色ひとつ変わってないのだ。
なぜこんな追いかけっこになっているのか?
それは先ほどの問答の直後、桃様の手刀が俺の土下座プレイスをゆらりと縦にぶった切ったからである。桃様が手を振り上げた瞬間に、なんか自分がいつかのワゴン車のごとく真っ二つになる未来視が見えたので飛びのいたら、狙いあやまたず桃様の手刀が、一瞬前まで俺がいたその場所を切り裂いたのであった。
コンクリートと圧縮された土の地面を数メートルの深さに切り裂いたその一撃は、ちょうど上水道の水道管にぶちあたり、ロケットのように勢いよく吹き上がった噴水を見て、俺は逃げた。脱兎のごとく。そして今である。
「も、もも、さまあっ。なんで、っすかあ。なんで、俺を殺すことにっ」
「俺も殺りとうはないのだがのう」
ならやめようぜ! それがたったひとつの冴えたやり方だぜ!
だいたいオトギキングダムの奴らちょっとおかしくねーか、みんなの憧れで範を垂れるべき夢物語のスーパースターのくせして、街中で平気で毒垂れ流したり殴り合いしたり、挙句の果てには俺のような無辜の市民にまでその触手を伸ばそうとは、マジこんなおかしな話はないと思う。
「しかしうぬもなかなかやるのう。こちらの世の奴輩どもが手練の具合から申して、いかに姫巫女の召喚で異能の勇者と成り果たしたとは言い状、たかの知れたものとの存念であったが。この俺が追いきれぬとは大したものじゃ」
「げへ、へへっへ、ふへっへえ」
なんせ俺の戦闘スキルは『逃げ足』だからね! ウラシマの言い分を信じるなら、ただの逃げ足じゃねえ。達人の正拳の極意と等価値という最強クラスのものすごい逃げ足だ。
そんだけのスキルを発揮してまったく振り切れない桃様の超常っぷりを俺は憎みたい。
俺は『逃げ足』発動で全力全開の全細胞総動員令発令状態ゆえに言葉もろくに喋れねえ有様だというのに、桃様は涼しい顔して追走しながらいろいろ俺に語りかけてくださる。ひどすぎる。そろそろ過呼吸で肺が破けそうだ。苦しすぎて、この痛みから逃れるためならもう足止めていいかなって諦めの誘惑がどんどん強烈になってきた。
「このままただ駆けどおしたとて、埒が明かぬな」
「…」
いや、果たしてそうかな? 俺の脚も内臓も正直あと3分も走ってられないと思うよ。だって今の俺らって原付バイクの法定速度よりだいぶ速く走りっぱなしなんだぜ。体感時間でいうと10分以上かな。桃様はこのまま何時間でも走れそうな感じだけど俺はそろそろ死ぬんじゃないかな。死ぬ。死にたい。いっそ殺して。もうやだ走りたくない。
だというのに、桃様はあくまで何かするつもりらしい。オーバーキルすぎる。
「愉しき手芸を見せてやろう」
桃様が告げるとともに、けたたましい怪鳥音と羽音が鳴り響いて、わずかな街灯が照らすばかりでただでさえ薄暗かった道路が、にわかな闇に染まりきった。どころか、その闇をもたらした何者かは、最高速で駆け抜ける俺に向かってバシバシバシバシと遠慮もなくぶち当たってきやがるのである…! ふおおおぉぉぉ…!? なにこれぇ!? あかん止まるな、止まったら死ぬ。なんだかわからんけどぶっとばしながら走るしかない!
「この弘前という街の衆は」
泣きっ面に蜂状態の俺に比べて、桃様は唄でも吟じるように楽しげな響きの声である。
「天朝に服するところ深いのか。夜というにそこかしこで無闇に烏が群れおる。ヤタのカラスでも崇めておるのか」
知らねえーよ! じゃああれか! さっきから継ぎ目なく俺に当たり続けてるこいつらは、光がないから何がなんだか見えんけどカラスの大群か。桃太郎だったら鳥類は雉にしとけや!
なんとかくそったれのカラス弾幕を飛びぬけると、やっと文明の光が見えた。嘴や鉤爪でやられたのか、俺の体中引っかき傷でひどいもんだった。ズキズキと熱を持って痛む。
「これで足が止まらぬか。見事ぞタツオ」
服も髪も皮膚もぼろぼろ、呼吸は限界でとにかく無理やり足だけ動かしてる状態で褒められても、嬉しいとかそういう感情はまったく生まれない。
むしろだんだん桃様に本気でムカついてきた。なぜ俺はこんな夜中に、一見若造にしか見えない年のやつ
と命がけの追いかけっこなぞしてるのか。これが36の男のすることかちくしょう。
なんとか一矢報いてやりたい、という感情がこのとき初めて俺のなかに芽生えたのだが、さりとて身体能力だけが人の百倍という以外は喧嘩すらろくにしたことがない俺が、その身体能力で遥かに俺を凌駕しつつも、同時にどうやら無手帯剣問わない武術の達人ですらあるらしい桃様にどうやって対抗できるのかというと、そんな手段はさっぱりと思いつかないのだが。
「なんと申せ、やはり人の境涯は上向かねばつまらぬものじゃ。前や上ばかり見て駆けるのはよいことよな。されど稀には落とし穴などあるものぞ」
なんのことだよ。
と思ってたら、その忠告はすぐさま現実化した。
何もない道路をひた走ってたはずなのに、俺の右足が何かに盛大に突っかかる。
ドッ
と足を取られ、つんのめって、全力で地面にキスしそうになるのを、両手を突っ込んでそのまま飛び上がることで回避した。
名づけて逆立ちジャンプ。こんなことがとっさに出来るようになってるとか、我ながらすごい話だ。まあ、そのさらに百倍すごいのに追いかけられてる今現在まったく悦に浸る気分にはなれんが。
両手ジャンプのまま数メートル飛び上がり、そのまま電柱の頂点に捕まって、桃様と自分がコケかかった場所を見る。そこに居たのは、10匹以上でスクラムを組んで団子になった狸大家族であった。街灯に照らされた狸たちは身を寄せ合って俺をじいっと見上げている。もちろん狸だから体毛は完全に闇夜対応の迷彩仕様だ。走りながらでは見えないはずである。
「…だから犬使えやっ!」
「はっはっは」
はっはっは。じゃねえーよ! 桃太郎つったら、犬! 猿! 雉! 犬! 猿! 雉! だろーが! ふつーに他の動物使ってんじゃねーよ! ルール違反だろそんなもん!
「この世に俺がいかように物語されておるやら知らぬが、俺の力はもともといかな禽獣をも従えるというものでな」
つまりキビダンゴも必要ないんだろうか。必要ないんだろうな。だってカラスを操ったときも狸を操ったときもそんなもん一個もやってねえーもんな。
好きなとき好きなタイミングで好きな動物を操れて、常人の千倍はありそうな超身体能力の持ち主で、ドスで紙切れのように車を両断できる武芸マスターで、細身の超絶イケメン。
なんだそれは。恥ずかしくないのか。チート異世界転生ものの主人公だってもうちょっと恥じらいとか遠慮があるぞ。いくら日本で一番有名なスーパースターだからって盛りすぎはなお及ばざるが如しって格言知らねーのかよ。俺がそんなんだったらこの世に生まれたことを謝りながら自害するねっ!
いやまあ、しないが。めっちゃぶいぶいいわして金も女も欲しいままにして我が世の春を謳歌するが。おじさんって悲しい生き物なんだ。欲望を恥ずかしいことだと感じる反面、欲望のままに生きれるものなら生きたいって常に思っちゃうんだ。
つか、このまま行ったらまた久渡寺である。山中に追い込まれ、誰の目も届かない真なる闇のなかで今度こそ俺は行方が知れなくなるであろう。それを悟った俺は、電柱の上に居ることを幸いとして方向転換した。
「来た道を戻るのか。まこと、うぬとの駆け足比べで年が明けそうじゃな」
とかいいながら、またついてくる桃様であったが。