@8の2 『ナチュラルボーン・フリーメン』
「まあなんだ。とはいえ、そういうみみっちい悪事のイメージは桃様とは180度正反対だよな」
弘大の去った室内で、改めて議論する。俺としては弘大のいう強盗から奪う強盗説は著しい違和感がつきまとう。
「いやあ…」
「まるきりイメージ通りですう…」
「どういうこった」
しかし俺とウラシマたちの認識に激しい齟齬があるようだ。いやいや、仮にもお前らの世界最強の大英雄じゃないんです?
「あーうん。最強だよ。最強なのは間違いないし確かにヒーローだけど…」
「桃太郎さんが支配してた一帯にはこういう標語があったですう」
「『ようこそ天国へ。通行は自由だが、ここでは悪党にだけ納税義務がある』」
「『保安官は一人だけ。彼が正義だ』」
「なんだその惑星パンドラっぽいセンスは。誰が考えたんだよ」
「うちのお父さんだよー」
どんだけ暇なんだよオトギキングダムの王。
「桃太郎さんの周辺に近づく悪党は身ぐるみ剥がされるって有名だったですよお」
「邪心を秘めて近づくものは持てるすべてを失うであろうって伝説だったよね」
服を着て歩き回るトラップすぎる…。
というかそんな噂が完成するほど数々の悪党がうろついてるオトギキングダムの治安は大丈夫なのか。他人事ながら心配になるわ。
「ま、タツオさんは人として最低だけど悪事はしてないんだしそういう面では大丈夫じゃない?」
「最悪の大人だけど悪人というわけじゃないですよねえ」
「それがフォローになってると思ってるならお前ら人付き合いを赤ちゃんレベルからやり直してきたほうがいいぞ。クソカスか」
「クソカスはタツオさんでしょ?」
「ですう」
きゃっきゃと楽しそうにはしゃぎながらウラシマどもが走り去った。何しにきやがったんだ。俺へのストレスを与えに来ただけか? そうなのか? ああいうクソガキどもが調子に乗ってるのを叱ることもできないとは、彼我の武力差がうらめしい。力だけでも…正義だけでも…○ラさんの名言はまさにこういう状況を言うんだな…。
そして俺はここで、とんでもないことに思い至った。
あれ、桃様に殺される問題の対策は?
そうと気づいたときにはウラシマたちの姿は影も形もないのだった。マジで何しにきたんだよ。
※
それからさらに数日、ウラシマも白雪ちゃんも何が忙しいんだかまったく捕まらず、対桃様の作戦もクソもない状態で日々を無為に消費する状態であったわけだが、最近羽振りがよくなったことで気が大きくなってる俺は、土手町のちょっとお高い店で和牛ステーキなんぞでディナーしちゃおっかなと、土手町のバス通りをぶらついてたわけだ。
すると、どこからともなく人が人を殴打したような、それに伴って苦痛のうめきを上げたような、とても耳慣れた音がしてきたではないか。
喧嘩である。
まったくもって不本意ながら、ここ最近でもりもりと溜まってしまった経験値のせいで、間違いなくすぐ近くで殴り合いの潰しあいが行われていると確信できた。
夜とはいえ時刻はまだ8時前、しかも場所は飲み屋街である鍛治町の直近とあっては、下手人の正気を疑わずにはいられない。
飲み屋街なんていかにも危なくて治安悪そうと、あまり飲みに行かない人は考えがちのようだが逆である。
それこそ酔い客がどんな問題を起こすか知れたものではないので、警察もいつでも駆けつけられるように神経を尖らせているし、客商売であるからにはただの揉め事が事件になって翌日以降の営業に差し支えてはたまらないので、相互監視の目も行き届いている。
危ないというなら人通りの少ない線路下とか畑のなかのあぜ道のが数百倍危ない。
そんなわけで、ここらへんで喧嘩騒ぎを起こそうなどというのは、自分から捕まえてくださいと宣言するに等しい愚行なわけだ。
好奇心がうずくのも仕方ない。以前ならそんな騒ぎがあっても巻き込まれないように距離を置いたものだが、今の俺なら少なくとも一般人相手にゴロ巻いて負けるということは有り得ない。ちょっとどんな馬鹿ヅラした奴が騒ぎを起こしてるのか見てみようかな、と思っちゃった。
見に行った。
みじめにアスファルトに転がる連中の一人を踏みつけにして、別の一人の襟首を片手でネックハンギングしてるお人は馬鹿ヅラどころか高貴すぎるピンクヘアーをされていたので俺は回れ右をしようとした。
それより早く、そのお人がゆらりと手をあげ、
「おう」
と言った。
俺はそれが俺への挨拶なのだと気づくのに数秒かかり、次に脱出のチャンスが失われたことを悟った。ただ手を上げるだけの動作で、狙って俺の行動を牽制したのだとすれば恐ろしい手腕といわねばなるまい。
後悔が津波のように押し寄せる。なんで俺はこんなとこに来てしまったのか。一般人相手なら負けねーしとか調子に乗ってしまったのか。おとなしく家でこてっちゃんつまみにビール飲んでればよかった。世界野球最終戦をちょっと特別なシチュエーションで。なんて考えた俺がクソバカだった。
「しばし待ちおれ。いま飲み代が出てくるゆえな。そうしたらまたタツオの知る店に案内せよ。今日は俺が馳走しようぞ」
すごい。否応もなく飲みに行くことが決まっていた。しかしそれより俺が戦慄したのは、『飲み代が出てくる』との表現であった。お金ってふつう自分の財布から出すものだと思うんだけど、桃太郎ランドではずももももってどっかから生えてきたりするものなのだ。具体的には桃様がいま痛めつけてる悪党の懐が発生源なのだろう。
あらかじめ知ってはいたが、その現場を実際に見せられるとかなりショッキングな映像である。まさかリアルで強盗・追いはぎ行為をこの目で見る日が来るとは、想像もしなかったことではあった。しかもロケーションが思い切り街中で、たまたま薄暗い路地とはいえ、人通りがまったくない場所ではないのである。まさにこのとき鍛治町の法が桃様に握られていた。今日を弘前の司法の死んだ日と名づけよう。
「おお、おお。豪儀じゃのう。見よ、銭入れが膨れておるぞ」
「ソウデスネ」
桃様がひらひらと振る財布には、どう少なく見積もっても30枚をくだらぬ紙幣が詰まっていて、俺はここでぶちのめされた人たちのご職業を思わずにはいられない。まさか野口を30人も財布に詰める馬鹿もいなかろうから、30万円を飲み屋に持ち歩く人間ということになる。鍛治町で30万て。
そしてその30万はこれから一晩にして桃様の飲み代へとすっかり変化するに違いないのだが、悲しいことにその同行人は俺であって、いうまでもなく拒否権などないのであった。自分の意思で一緒に飲んでたわけじゃないんですうとか言ったところで許されるはずもなく、従犯とみなされないわけもない。ちくしょう誰がこんなことを…。
「おお。今宵は月が丸いわ。店で飲むのが惜しいな」
「ソウデスネ」
桃様が夜空を見上げ、目を細める。
風流人の雅な感性に同感するには、しかし俺の頭はアラームで埋め尽くされすぎていた。
思えば異世界ルック丸出しでやってきたオトヒメさんや白雪ちゃんと違って、この人ってうちに来た時点でふつうに現代風の洋服着てたよな。しかもぱっと見て材質がいいのがわかるやつ。さらに、あの日のお出かけでは買い物や飯代はすべて桃様持ちだった。
そのときはオーラに当てられて疑問にも思わなかったが、最初の数日は文無しでダンボールハウスに住んだオトヒメさんや、今でもオトヒメさんの支援を受けながらキャンピングカーで半野宿生活の白雪ちゃんと比べれば、そのカネはどっから出てきたのかという話だが、なるほどこのように出てきたのだ。
かくして、桃様に敵意を持たれれば死ぬが懇意にしてると世間に思われても死ぬという、完璧なるチェックメイトが俺の身に降りかかったのであった。ちくしょう誰がこんなことを。
※
いや、待て。
米印を出している場合ではない。
考えてもみるのだ。いかに桃様といえどしょせんは一個の人である。それなのに本当に俺は死ぬしかないのか? どうあがき、どのような手を尽くしても、このお人を消すことは能わぬのであろうか? なにか手立てがあるのではないか? 俺はこれまでの負け犬人生により負け犬根性が染み付きすぎて、圧倒的強者を前にしたからといって戦いもせずにキャンとなってしまっていたのではないか? 本当にこの人を倒し生き延びるための全身全霊をかけたといえるだろうか?
答えは否だ。それも圧倒的に否だ。ここ数日の俺ときたらなんだ、王だのティラノだのと見た目からして遥かに年下の男一人のためにいちいちおたおたと狼狽えて、見苦しいといったらない。
比べるまでもなく俺の千倍強い白雪ちゃんがノータイムで最強と認めちゃう男だからといって、生きてるからには腹も減れば眠くもなる。弱点がないわけがないではないか。
や、やるぞ。俺はやるぞ。
「どうした、道化たツラを晒しおって」
「いえ…」
桃様の弱点を見抜くべく、目を皿のようにしてその横顔を凝視していたら、鼻で笑われた。負けないもん。
さすがにあの騒ぎのあとに鍛治町で飲むのは具合悪かろうということで、駅前のスナック『千鶴子』に来てるのだが、この店は料金も良心的で掃除も行き届いていて腹が膨れる軽食メニューが美味しくて、店名にもなってるオーナーの千鶴子さんがそろそろ鬼籍が見えかけてるババアでそれ以外に女がいないということを除けばスナックとして100点満点の店である。
最後の重大な条項がマイナス点でかすぎてプラマイ0点だが、俺やシンタらが飲み歩きのシメによく使うこの店に前回案内したら、いたくお気に召された桃様は「今日も『千鶴子』へ行く」と譲らなかったので、やむなく今日も足を運んだのではあるが。
「はいナポリタンお待ちどおさま」
「サンキューママ」
こんな商売をしてるわりに言葉遣いがなんか丁寧な千鶴子さんに出されたナポリタンをずぞぞぞぞと啜る。この塩辛いほど塩気が効きすぎた味がいかにも飲み屋の軽食ぽくてすごくいい。
そんな風に俺が体に悪そうな麺類に夢中になっていると、やおら店のドアが開け放たれた。
「桃太郎ぉぉぉおおお! 死んどけやっだらぁぁぁあああ!」
そして、安そうな色物スーツに身を包んでポマードべったりのオールバックという、20年前のVシネマから貞子っぽく這い出てきたんじゃねーのと思ってしまう、本当に現世の人間なのか疑わしいほどの安いどチンピラが現れた。しかも二人もだ。こういうのが時々本当に居るのが弘前って街の怖いところだと思う。
「無粋な奴輩じゃな。今宵の飲み代なら不足ないが」
「うるっせぇぇぇえええ!」
どチンピラは桃様宛てのヒットマンであった。チンピラを全自動財布持ってくるマシーンとしか思っていない桃様と、顔面真っ赤にして青筋立ててるチンピラの温度差が歴然すぎてひどい。
てか、ヒットマンて。いや、確実にその手の人間を敵に回してるだろうとは思ってたが、まさかそう思った直後の飲み屋でそれが具現化すると呆然としてしまう。もしかしてこの人と飲み歩くというのは、一軒ごとにこの手のやつらに付けねらわれることを意味するのではないか。
フリーズする俺とは対照的に、ちょっとしたショックでも心臓が止まってお迎えが来そうな千鶴子さんが、すげー平然としている。
「すまぬな千鶴子。また騒がせた」
「いいんですよお。ほほほ」
経験者であった。千鶴子さんがこの修羅場を以前にも体験してることと、やっぱり桃様は定期的に付けねらわれてること、二つの裏づけが取れてしまった。だからなんだという話だが。
余裕たっぷりすぎてあくびでもしそうな桃様の態度に煽られて、どチンピラは泡でも吹きそうなほど限界ギリギリにキレている。ボルテージはマックスレッドゾーン最高潮ぶっちぎりだ。あ、つまり限界はもう振り切った。
「マジでぶっ殺してやんぞぉぉぉおおお!」
どチンピラが懐に手を突っ込む。
ドスでも出すのかな? でもそんなもんじゃ桃様に傷ひとつつけらんねーと思うけどなあ。
とか思ってたら、チンピラが出したのは拳銃だった。
いや。
いや。え?
なんでこんな奴がそんなもん持ってんだよ、てのと、こんな奴がそんなもん持てる状態ほっとくなや青森県警、てのと、こんなとこでそんなもん出すとか何考えてんだ、という突っ込みが同時に俺のなかから湧き出でて、実際俺の口から出たのはこんな言葉であった。
「モデルガン?」
ターン
言葉を言い終わらないうちに、俺の座ってる席のすぐ隣のカウンターテーブルに、なんかが突き刺さる。なんか、というのはいうまでもなく、モノホンの銃弾であって、ぶすぶすとくすぶりを上げている。
「ほ、ほえー」
ゲームや映画と違って、実物の音は軽いとは聞いてたけど、ほんとだあ。
あまりにも異常事態すぎて、そんなアホな感想しか頭に浮かばない。
「おもちゃかどうかテメーらの体で試させてやらぁぁぁあああ!」
「ちょ、猿ちゃん!? ほんとに撃つのはまずいって!?」
ついさっきまで空気だったチンピラ二号のほうが本気で焦りだす。
俺も本気で焦りだす。
うた、うた、撃たれたあああぁぁぁ!?
おま、うそ、マジ? マジ鉄砲? え、人が死ぬやつ?
「お、うわあああぁぁぁ!?」
俺は跳ね上がってカウンターの後ろに飛び込んだ。
「ひい、ひいい。撃たれたよお」
千鶴子さんも余裕をなくしてしゃがみこんでいる。やべえ、どうすんのこれ、どうしてくれんの桃様。あんたが招いた事態なんだからどうにかしてよ、つーか助けて。桃様とか刺客に殺されるのも嫌だけどなんの怨恨も縁もないチンピラに射殺されるとか、そんな意味わかんない死に方したくないんですけど!?