第六話 天晴れの日常 4
「……連れてきちゃってるじゃないの」
俺たちを抱えたまま森の外まで、ものの数分でダッシュしたマミルは、さすがに疲れたらしく、元の大きさに戻った後に、ゼエハアと息を切らしていた。
俺は抱えられていただけだけれど、さっき鼻先をかすった狼っぽい獣の息遣いが忘れられず、話す気力もない。
ミヤは‘早かったっすねぇ、マミルさん!!’とやたら感動してたけど。
いやまあ、それはそれとして。
マミルは俺たちを抱えた後、とっさに妖精もつかんで懐に入れていたらしい。森を抜けてへたり込んだマミルと俺、アスカさんと元気なミヤの前に、フワリとさっきの妖精が舞った。
「連れてきちゃってますね。どうしよう」
どうしようじゃないよ!!正体分かんない妖精連れてきちゃって、どうすんだよ!!
「戻る?」
アスカさんが聞くと、マミルが少し考えた後に言った。
「いえ。もうすぐ夜明けですし、戻りましょう。この妖精は、保護して役所に引き継ぎます。意思疎通ができる妖精がいるかもしれないですし」
一理ある。というか、俺はもう、湖まで戻りたくない。
何度も頷いて、一も二もなくマミルに同意する。
「そっすね!!俺、腹減ったっす!!」
ほんとすげえな、ミヤ!!ミヤの鼻先も、位置的にかすっただろ、あの獣!!
「そうね、帰ってみんなで朝ご飯にしましょっ。この子、何食べるのかしらねぇ」
アスカさんもすげえ。しげしげと妖精を見つめるアスカさんを見つつ、確かに妖精って何食べるんだろう?と疑問が湧く。腹減らしてたら、かわいそうだよな。っていうか、妖精が何を食べるかじゃなくて、この子が何を食べるか、だな。妖精だって、いろいろいるし。
「とりあえず、帰りますか?」
力なく俺が言うと、みんなが頷いた。アスカさんだけは、チラリと背負子を見てため息をついていたけど。
カランコロン。
「いらっしゃいませっす~」
あの真夜中の大騒動から定休日明けの営業日。口開けのお客さんは、なんと、ツタだった。お酒は飲むけれど日常的に飲むわけではないツタがお店にやってくることは稀で、でも、久しぶりに会えたので、なんだかすごく嬉しい。
「久しぶり」
控えめに笑うツタは、相変わらず優しさがにじみだしている。
なんといっても、俺とミヤがこの世界に来て初めて出会った人だ。厳密には種族は違うけど。
「お久しぶりっす~!!元気だったっすか?」
ミヤがニコニコと笑いかける。
「おう。元気だ。一昨日は、大変だったみたいだな」
「おもしろかったっすよ!!」
嘘だろ、ミヤ。大変だっただろう!!
あの日は結局、店に帰り着いたのは朝方だった。白々と明けてきた夜の残滓の中、城門に着いてフラフラになったアスカさんをミヤと支えつつ、役所が始まったら報告に行くというマミルと別れたのだ。
アスカさん、軽やかに動くからあんまり気にしたことなかったけど、さすがマッチョ、いざ支えようとすると重かった。俺が筋肉ないだけだけど。
店に帰ってアスカさんを介抱し、眠りにつく頃にはとうに朝日が昇っていた。
ご飯を作ったり食べたりする気力もなく、それぞれグッタリと寝床に入り、起きたのは夕方だった。
寝たら回復したらしいアスカさんとミヤを見つつ、まだ疲労感が消えない自分の体力をヤバいと思いつつ、変な時間に三人でご飯を食べ、風呂に入って寝たのだ。
そして今日。今日ですよ!!
いくら体力がないとはいえ、俺だって二十代だ。さすがに回復はしたけれど、あの夜の獣の息づかいや、絶えず何かが蠢いているような夜の森の怖さ、ついでにマミルの移動については、まだ生々しく記憶されている。
この世界に来てから、急展開が多すぎてもうなんか、もっとゆっくりハプニングは起きてくれないものかね?そんなに一度に一気に急展開が襲ってこなくていいんだよ、日常は。
げんなりしている俺とイキイキとしているミヤを見て、ツタが笑う。
「それでな、今日は俺が一昨日の報告に来たんだよ。マミルは今夜も見回りがあるしな」
「そっすか!!お食事はどうします?」
「飲んでいくよ」
「うっす!!カウンターでいっすか?」
「ああ」
ミヤが素早くツタをカウンターへ案内する。
「あら、いらっしゃい~」
「おう」
「また誰かこっちに来たの?」
「いや、今日は一昨日の件だ」
「あらそう。お客さんもまだいないし、アタシも一緒に聞いちゃおうかしら」
「そうだな」
あれ、でもなんでマミルの件でツタが来たんだ?ツタも昼間、見回りしてるからか?北の役所の管轄ってこと?
「とりあえず、ご注文をどうぞっす!!」
「そうだな。寒くなってきたし、温かい葡萄酒と、ツマミは」
「今日は、お肉と野菜の煮込みがおススメよ~。じっくり煮込んであるわ」
「じゃあ、それ」
「うっす!!」
お酒の準備をしにミヤがカウンターの中へ、アスカさんはカマド部屋へ煮込み料理を用意しに行く。
小皿に今日のお通しの野菜のピクルスを盛り付けて出し、温かい葡萄酒も出したところで、アスカさんが肉料理と共に戻ってきた。
野菜やら香辛料やらと一緒に煮込んだ肉は、昨日の夜からアスカさんが仕込んでいたもので、下処理やらなにやらで手間暇がかかっている上に、じっくり煮込んでいたので柔らかそうに煮えている。そうだな、ポトフっぽい感じ。
「ありがとう」
「お酒もお料理も、冷めないうちにどうぞ~」
絶妙のタイミングでアスカさんが言った。確かに。せっかく美味しく作った料理だ、温かくて美味しいうちに食べて欲しい。
「うん」
ツタも遠慮せずに、早速、料理とお酒を堪能し始める。
「美味いなぁ」
ゴロゴロとした野菜と大きく切ってある肉が入ったポトフを一口食べて、感心したようにつぶやく。
「ありがとっ」
嬉しそうに答えるアスカさん。アスカさんて、お客さんの美味しそうな顔を見るの、好きだよな。すごく嬉しそうだもんな。普段、カマド部屋で料理をしているから、料理を直接褒められるのは俺たちだけど、アスカさんが仕込んでるんだよなぁ。いや、手伝ってはいるけど。俺たちも。
特にミヤは大胆な性格とは裏腹に意外に器用で、包丁の扱いなんかも上手い。なんにしても、危なっかしいのは、俺だ。
……これから、これから。俺も頑張ろう。この数ヶ月で立ち仕事にも慣れてきたし。
立ち仕事は最初は慣れなかった。飲食店というものは営業時間だけが働いている時間なわけではなく、営業時間外でも店の掃除や仕込み、買い出し、いろいろやることがある。多少の休憩と食事の時間以外は、立ちっぱなしなのが現状だ。
体力もなく立ち仕事はバイトくらいの決まった時間しかしたことがなかった俺は、最初の頃はへばり気味で、二人よりも多く休憩時間をもらっていた。
でも今は、二人と同じくらいの時間帯は動けるようになってきた。だから、他のことだって、これからだ。
と、自分を励ましつつ嬉しそうにしている三人を眺める。
ほんと、この世界に来てから、俺、人に恵まれてるよなぁ。しみじみとしていると、ツタが急に振り向いた。
「カツミもこっちで話そう」
「あ、うん」
カウンターに近づくと、俺の目の前を何かがよぎった。
ん?!
横切ったものを慌てて目で追うと、その先にいたのは、マミルが保護した妖精だった。
「あれっ!?」
「そうなんだ。俺が当面の面倒を見ることになったんだ」
「え、どういうこと?」
「マミルは北の役所の管轄で働いててな。昨日、報告を聞いたんだ」
「うん」
「で、まあ、本当は元の場所に戻した方がいいんだろうが、懐かれてしまってな」
なんと、マミルが報告をしている間に部署内を自由にフワフワしていた妖精は、ツタに懐いて離れなくなったらしい。結局、役所内で話し合いの末、ツタが面倒を見ることになった、と。
本人に事情を確認しようと、役所の妖精も会話にチャレンジしてみたようだが、言葉が全く通じず、断念したらしい。マミルが言っていた、最近生まれたばかりなのかも、というのは当たっているのかもしれない。
「言葉は話せないんだが、どうやら、寂しくて泣いていたらしくて。人が大勢いる場所にいると、とても喜ぶんだ」
なるほど。
「そうなのねぇ。でも、勝手に連れてきちゃって、このままって訳にもいかないでしょ?」
「そうなんだよ。一応、元いた湖にもう一度行って、確認してこなくちゃならないだろうという話にはなったんだ」
俺は行きたくないぞ。
「マミルと俺で、明日にでも行ってくるよ」
あ、そうか。役所の管轄か。
また訳もなくこちらに話がきそうな気がして、身構えてしまった。よかった、もう行きたくない。
「ツタさん、この妖精って、何食べるんっすか?」
目の前をフワフワと飛ぶ妖精を楽しそうに見ていたミヤが、視線はそのままにツタに聞く。
「どうなんだろうなぁ。妖精だからな。とりあえず、昨日、夜の川辺に連れて行ったら、気持ち良さそうに月光浴してたけどな」
必ずしも食事をするというわけではないのか。
「ちょっと、試してみる?」
アスカさんがいそいそと小皿に数種類のオツマミを出してきた。
葉物のお浸しとニンジンのサラダ、ジャーマンポテトにポトフ、ウリの浅漬けだ。
「ただねぇ、スプーンとかが大きくて……あっそうだわ」
食べ物は小皿に盛り付けることはできても、スプーンやフォークはそんなわけにいかない。コンビニがあるわけでもないこの世界には、プラスチックでできた小さいスプーンやフォークはない。
何かを思いついたらしいアスカさんが持ってきたのは、爪楊枝だった。なるほど。
「こうやって使うんだ」
自分の前に置かれた小皿を興味津々といった様子で見ている妖精に、ツタが自分の皿の料理を突き刺して口に運び、爪楊枝の使い方を教える。
それを見ていた妖精が爪楊枝を持とうとするが、片手では持つことができず、両手で持ち上げた。
「ダメね」
アスカさんが残念そうに言う。両手で爪楊枝を持ち上げるとなると、自分の口には運べない。
「いんじゃないっすか、直で!!小さい皿に、お湯準備してくるっすよ。汚れたら、お湯で洗って、手拭いで拭いたらいっす!!」
なるほど。おおらかなミヤっぽい、いいアイデアだ。
「そうだな」
「そうよね。ちょっと、アタシ、準備してくるわ」
「俺がしてくるっすよ~」
言うが早いか、ミヤはカマド部屋へ消えて行った。早い。
「どれでも、興味があるものを食べていいぞ」
不思議そうに首を傾げる妖精に、教えるように自分も食事をしつつ話しかけるツタ。ツタの優しさがこの妖精にはわかったのかな。だから、ツタに懐いてるのかな。ツタは口数も少ないし、そんなに積極的に笑う方でもないけど、すごく優しい。
穏やかに話すツタと皿に盛られたオツマミを交互に見ていた妖精が、口を開いた。
「ツ・タ」
おぉっ!!
ツタを見ると、ちょっと驚いたようだったけど、嬉しそうにしている。
「なんだ?」
覚えたのはツタの名前のようで、後はジェスチャーで何かを伝えようとしている。口をパクパク動かして、小皿の料理と自分を交互に指差している。
「うん。好きなだけ食べていいぞ」
なんとなく意味は伝わったようで、妖精はまず、ツタが食べていたポトフを食べようとして、
「ちょっと待ってぇ~。手で食べるなら、まだちょっと熱いわ~!!」
慌てたアスカさんに止められていた。が、時すでに遅し。言葉が分からない妖精は、すでにポトフに手を出し、熱かったようで、飛び上がった後に泣き始めた。
「カツミ!氷!!」
「はい!!」
慌てて酒を冷やしている氷を皿にうつす。カウンター越しにテーブルに置くと、泣いている妖精をそうっと手の平ですくって、ツタが氷の皿にうつした。
「ほら、冷やせ」
大泣きしている妖精の手をそうっと取って、氷につける。妖精が触れた氷は、妖精のうっすらとした光を受けて、宝石みたいな色を反射した。
しょんぼりとしたまま両手を冷やしている妖精を見つつ、アスカさんがスプーンを持ってきた。
「とりあえず、これですくってあげたらどうかしら。多分、ツタと同じ物を食べてみたかったんだと思うわ」
「そうだな」
泣き止んではいるけれど、氷に手をかざしたままの妖精の口元に、ツタがほどよく冷めてきたポトフの肉をすくって運ぶ。
ちょっとだけ顔をしかめた妖精は、ツタの顔を見た後、えいっという感じでスプーンの上の肉の欠片を食べた。
おそらく初めて食べたのであろうそれに、美味しいと感じたのか、ニコニコとした笑みが浮かんだ。
「おっ!いっすね~!」
「よかったわぁ、口に合ったみたいで」
「おう」
もぐもぐと咀嚼して、スプーンの上のポトフを食べ終わると、他の皿にも興味を示し始めた。場が和んだその時に、お客さんがドワッと入ってきた。
カランコロン。
「いらっしゃいませっす~!!」
「いらっしゃい~」
「いらっしゃいませ」
とりあえず一段落した後でよかった。
「今日はありがとう。また、何か分かったら店に来るよ」
そう言うツタに頷いて、俺たちはお客さんへと向かった。
てんこ盛りで急に始まった非日常はこれで終わると思っていた。お店でお客さんを迎えて、何気ない日々を過ごす。
がしかし、これだけで非日常が終わるわけではなかったのだ。




